アミィ、ひと息つく朝
団長さんや副団長さんのところにフラミストラとフラメラが顕現し、
そして私――アメジスト・ヘレド・ダイアナの“表向きの素性”が神殿から正式に発表されると、
カフェ・ムーンロンドは、まるでお祭りのような賑わいが流れ込んできた。
「アメジスト様はどちらに?」
「ザクロ殿の聖獣のお姿を拝見したいのですが」
好奇心に満ちた声がひっきりなしに響き、
店の前には長い長い列がいつもできていた。
たいていの人は店に入って私を見ると、ひそひそと外見について話していた。
「なんだ、まだまだ子どもじゃないか」
「最高神のいとし子と聞いたから……もっとこう……威厳のある方を想像していたわ……」
――ほんと、失礼しちゃうわ。私は立派な大人よ。
私が心の中でむっとしているのを分かったのか、
エーレがそっと笑いを飲み込む。
そしてザクロは赤い瞳を細め、私を一瞥して決まってこう言う。
「確かに我が主はあどけない見た目であるし、少々落ち着きがなく利発だ。
だが、我と同様に立派な大人である」
……うん、それ全然フォローになってない。
――このにゃんこ、あとで覚えときなさいよ!!
無理に笑った私の顔は、当然のように引きつるのを感じていた。
姿を見に来るお客さんが落ち着いてくると、
今度は別の目的で来店する人たちが増え始めた。
どうやら街では、バリーや団長さんたちが店に訪れていたこともあって、
私やザクロが「“神が顕現する人”を見きわめられるらしい」という妙な噂が広がっているらしい。
――まぁ、あながち間違いってわけじゃないんだけれどね。
その噂のせいで、列には登録水晶を握りしめた人たちが増え始めた。
「私にも……神が宿ってはいないでしょうか!」
「胸が温かくなる気がして……もしかしたら……」
オーダーを聞きに行くとき、料理を運ぶとき、お会計のとき。
あらゆるタイミングで目を輝かせて問われる。
私が困ってあいまいに笑みを浮かべると、
ザクロが決まって間に入ってくれた。
「我らには、人や石に宿る神気を感じることはできぬ」
顔には表情がなく、その声はひんやりとしている。
なのに、湧き上がった熱をすっと鎮める雪解け水の清流のようで、
耳に落ちると心が静まる不思議な声だった。
ザクロがはっきりと言ってくれるので、それ以上しつこく聞く人もほとんどいなかった。
そんな騒がしい日々も、団長さんを中心に自警団が街で
「異国の貴族が営む店に迷惑をかけるな」と呼びかけてくれたおかげで、
近頃やっと落ち着いてきた。
街の情報も探るためにこの二週間は休みなしで営業していたこともあって、今日は久しぶりの休みだ。
ゆっくり寝ようと思っていたが、日ごろの慣れなのか少し早く目が覚めてしまった。
カーテンを開けて窓を開くと、昇ったばかりの朝日がやさしく差し込んでくる。
朝の空気は、ジェメールツォに来たばかりのころのひんやりとした春の心地が抜け、
窓から入り込んだ風はふんわりと暖かく、初夏の匂いを運びながらさらりと頬を撫でた。
「たまには、ゆっくり市場を見てこようかな……」
誰に言うでもなく呟いて部屋から出る。
ふと中庭を見ると、シャクヤクのつぼみが今にもはじけそうに膨らんでいた。
外に出ると、市場はすでに活気に満ちていた。
果物と焼きたてのパンの甘い香り、衣擦れや人の声が折り重なって、朝の空気そのものが明るく見える。
「アミィ、おはよう。いい季節になってきたねぇ」
果物屋のランファさんが、ルバーブの赤い茎を束ねながら声をかけてきた。
「おはよう、ランファさん。朝の空気が気持ちいい季節ね。
……そういえば、この国にも四季ってあるのかしら?」
「季節は確かに4つあるさねぇ。異国から来たあんたは知らないか。どれ、教えてあげるよ。
今は二の節のはじめだけど、三の節のころになるとしばらく雨が多くなって、そのあと四の節から六の節ぐらいまでは暑くなるね。
それからだんだん涼しくなって、十の節のころにはこのルミナーレの街にも雪が降り始める。
十二の節ごろから雪が解けて暖かくなってきたら、クルタ麦が芽吹くころに浄化の日を祝う祝祭節があって、また一の節さ」
ランファさんは止めていた手を動かし始める。
「この国の一年は十三節。1節は28日さ。
お前さんの国は12か月?とかって前に言ってたね。
しばらくは慣れないだろうから、わからないことがあったらいつでも聞きな。
貴族だろうが神様だろうが、あたしとアミィの関係は変わらないよ!」
豪快に笑うと、青い果実の入った木箱を少し上げてみせる。
青い果実はどうやらリンゴのようで、手際よく店頭に並べられていった。
「いつもの紅いリンゴよりも酸味が強いけど、パイにすると絶品さ。一つどうだい?」
――アップルパイはあるのか…そうだ、それならあのスイーツを作ろうかな。
「十個ちょうだい。きっと食べたことないようなおいしいお菓子を作るわ」
「数が多いから籠を貸してあげるよ。また今度返しに来ておくれ。
リンゴの代わりに中にお菓子を詰めてくれてもいいわよ」
いたずらっぽく笑うランファさんにリンゴの代金を払うと
「重いから帰りに寄るといいさ」
とランファさんが籠を店の奥で預かってくれた。
「ありがとう。助かるわ」
ランファさんに手を振って、普段はあまり足を運ばない奥の雑貨や衣類の露店が並ぶ通りへと足を向ける。
前に一度来た時と同じ場所に、見覚えのある小さなおじさんが座っていた。
「バリー、おはよう。今日は露店を出してるのね。毎回ここなの?」
木片を膝に載せ、器用にナイフを動かしていたバリーが顔を上げた。
「やあ、アミィ。ここは雑貨市の真ん中で、いろいろと都合がいいんじゃ。
朝の仕入れかい?」
「いいえ、今日は久々にお休みなの。早く目が覚めたから市場をゆっくり見て回ってるのよ。
今日はヴェントルーザはいないのね」
「お前さんの店はこのところ忙しいようじゃったの。落ち着いてきたようで一安心じゃな。
ヴェントルーザ様は今日は商会の方を仕切っとるわ。『俺も仕事をするぞ』とうるさくての。
さすが商業の神、腕は確かで助かっとるわ。おかげで、わしはこうしてここでのんびりと匙を彫っとる」
ナイフが木目をなでるたび、香ばしい木の匂いと細かな光の粒が朝の空気に舞う。
その手つきは職人のそれで、思わず見入ってしまう。
「バリーは木工職人としての腕もいいのね」
「褒めても何も出んぞ?」
そう言いながらも、どこか照れているのが可愛い。
彫刻刀のような小さな刃物に持ち替え、細かな模様を掘り進めていたバリーは、
ふと思い出したように手を止めた。
「そうじゃ、アミィ。自警団の坊らになんとかっちゅう耳飾りを作るんじゃろ?
フラメラ様が嬉しそうに言うとったぞ」
「イヤーカフよ。フラメラ、商会に行ってるの?」
「いいや、あの方は毎日のように工房に行っとる。
特に鍛冶師んとこと彫金師んとこ……。使われとる炎が心地いいとかでの。
かなり気に入っとるようじゃ」
「彫金師……!」
思わず大きな声で反応してしまった私の顔をバリーがじとっとした目で見てくる。
「お前さん、いまかなり悪い顔しとったぞ。…彫金師を探しとるんか?」
「悪い顔って……まぁそうね。イヤーカフが、私の銀粘土じゃうまく形にならなくて。
専門の職人さんがこっちにもいないかなぁって思ってたところなの……」
「それなら、うちと取引のある職人を紹介できるよう、彫金師ギルドに掛け合ってやろう。
店に戻ったらアルギュメスタに話を通しておくわ。半月の二の刻でどうじゃ?」
「いいの?嬉しいわ。ありがとうバリー!半月の二の刻ね。お礼に新作のお菓子を持っていくわ」
「菓子か。楽しみにしておこうかの。ほれ、匙の出来上がりじゃ。
これはザクロ殿への土産にでもしておくれ」
柄の先が猫のようなカーバンクルの形に彫られた匙を受け取り、
バリーに手を振って露店を離れる。
近くの露店からは銀を叩く軽やかで澄んだ音が耳に広がってきた。
見回すと、ここらの木工雑貨や銀細工の露店の店主は、ほとんどがノームのようだ。
彼らが打つ小槌の音は涼やかな鐘のように響き、
模様を刻まれていく銀が朝の光に反射してきらきらと跳ねる。
――そういえば、ノームは手先が器用で細かい作業が得意なんだって、バリーが言ってたな。
細かな細工を施す職人に向いた種族なのだろう。
香ばしい香りに誘われて焼き立てのパンを買い、ランファさんからリンゴを受け取って店に戻る。
裏口の扉を押した瞬間――
バターと卵の甘い香りが胸いっぱいに広がった。
「ただいま……いい匂いね」
「おかえり、アミィ。朝食にチーズオムレツを作っていますよ」
エーレの柔らかな声が響き、
フライパンの中では白金色の卵がぷっくり膨らんでいた。
溶けたチーズの香りに、思わずお腹が鳴る。
「やった!エーレのチーズオムレツ、大好き。
私、朝ごはん用に焼きたてのパンを買ってきたの。」
足早にエプロンを結び、カウンターに入る。
ザクロはクッションの上であくびをしながら長く伸びをして、ゆっくりと私に視線を向けた。
――完全に『今起きました』って顔してる……お寝坊ねこちゃんね。
付け合わせのサラダのレタスをちぎる音が瑞々しいリズムを刻む。
袋から焼き立てのパンを出すと、香ばしい小麦の香りが広がった。
三人で朝食をとりながら、私は市場での出来事を伝えた。
「急なんだけど、バリーが彫金師さんを紹介してくれるって。
半月の二の刻に紹介に行くことになったの」
エーレはパンにバターを塗りながら柔らかく微笑む。
「それは良い知らせですね。アミィはここ最近、団長さんたちのイヤーカフは銀粘土では難しいと頭を抱えていましたから」
たっぷりバターを塗ったパンを口に運び、エーレの顔がほころぶ。
「二人も行くでしょ?」
「我は共に行こう。落ち着いてきたとはいえ、まだざわついている者もいる。
我がアミィを守護しよう」
「そうですねぇ……ザクロがいれば、軽々しく声をかける者もそうそういないでしょう。
私は神殿で文献を読むついでにアクアに会ってこようかと。
……いつになったら私の店のある通りに入れるのか、分かることがあるといいのですが」
エーレの店は神殿のすぐ横にあるのだが、浄化の日を境に通りごと水色の壁に閉ざされてしまった。
こちらに来たときは自分の店から普通に出てこられたらしいが、それ以降は扉も通りも開かない。
アクアが調べているものの、まだ原因は分かっていないらしい。
「私もまたあの通りには行きたいわ。早く原因がわかるといいわね」
朝食を食べ終え、片づけを済ませると、
バリーに持っていく甘味づくりに取りかかる。
この世界にはアップルパイがあるから、
タルトタタンが少し“新しい味”として喜んでもらえるかもしれない。
ランファさんのお店で買った酸味の強い青リンゴを切っていく。
隣ではエーレが火にかけた鍋で琥珀色の砂糖が溶け、香ばしく甘い香りが店いっぱいに広がる。
バターを入れてリンゴを並べると、もうそれだけでおいしそうだった。
オーブンに入れてじっくり焼くあいだ、少しお茶の時間を取ることにした。
エーレがタルトタタンに使った青リンゴの皮と茶葉を入れたポットにお湯を注ぐと、
オーブンから香る甘い匂いに混ざって、ダージリンとリンゴのフレッシュな香りが爽やかに広がる。
リンゴ柄のティーカップに注がれたお茶を口に含むと、
ほどよい渋みが酸味の強いリンゴの風味を引き立てて、ふわりと鼻へ抜けた。
開店からずっと忙しかった日々が少しずつ落ち着いてきた。
今日からはまた、大好きな小物づくりと、
ゆったりとしたカフェの営業ができるかな……。
甘い香りに包まれながら、私はそっと目を細めた。




