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異国の店主

カウンターでカップを拭いていた男性は、少し眉を下げてにっこりとほほ笑み返す。


「申し訳ありません、お客様。わたくしは当店のマスターではないのですよ。マスターはこちらのアメジストでございます。」


そう言って、カウンターで賄いを食べている娘を指す。

急に話を振られたからなのか、むせているようだ。


「あの、カフェ・ムーンロンドの店主をしております。アメジストです。

えっと…あの、お召し物から自警団の方かとお見受けします。皆様、本日のランチのお味はお口に合いましたでしょうか」


突然のことに焦っている様子だった。まだ幼さの残るような顔立ちの娘は、やはり若い娘にしか見えない。

丁寧な口調で話すのは、異国では貴族か名のある商家の出だからなのだろうか。


「あら、そちらのお嬢様がマスターでしたのね。大変お若く見えますので、私てっきり成人したての見習いの方かと……けっして侮ったわけではございませんの。大変失礼しました。」


セラは祖父が高位の神官で、対外的には貴族と同等として他国との交流を担うこともある。

娘の言葉遣いを聞いて態度を改めたのは、さすがと言ったところか。


娘はというと、先ほどより慌てている。

立ち上がってこちらに向き直り、エプロンを正している手がせわしない。


「あの…こちらの国では少し幼く見えてしまうようで……これでも25歳なんです」


最後の方は少し消え入るような声で、恥ずかしそうにうつむいてしまった。


「まあ、私たちと同い年ですのね。ぜひ仲良くしていただきたいわ」


セラは立ち上がって娘の方へと進み、にこにことほほ笑んで所在なげにしていた彼女の手を取る。


「ね、そうでしょ。アル、ルシー」


この社交お化けめ……。店主の娘、いや、女性がひどく驚いた顔をしている。


「セラ、店主が困っている。手を放してあげなさい」


「まあ、私ったらごめんなさい。こんなにおいしいお料理を作った異国の方が同い年の女性だというのですもの。うれしくてつい……」


大げさに驚いて手を放し、深々と頭を下げるセラ。

娘のあの様子だと、貴族というわけではないのだろう。セラはわざとあんな態度で試したな。


「お料理とても美味しかったですわ。この国では珍しい米の調理法でしたので、他にも米のお料理があるか気になったのだけれど……」


セラがそのまま話を続けるので、いまだにゆっくりと甘味を味わっているルシーを小突いて席を立つ。

ほかの米料理の説明をしていたらしい店主は、ひどくうれしそうだった。


「ぜひ。日替わりのランチで出していくのでまた食べに来てください。えっと、セラ…さん?」


「自己紹介もせずお友達になんてダメね。私はセラヴィナ。親しい人はセラって呼ぶの。

アメジストさんもセラって呼んでね」


「私はアルミセアだ。アルでいい。今日の料理、本当に美味しかった。他にも米料理があるのであればぜひ食べてみたい」


「私はヴァルシーナだよ。ルシーって呼んでね。神殿警護であなたを見かけたことあるわ。まさか同い年だったなんて驚き。

今日は神官クラルビア様がおすすめしてくれたの。すごくおいしかったわ。特にあの甘味!! 手軽に手で食べられるし、家でも仕事の合間にも食べたーい」


まるで頬が緩んで落ちてしまうかのように両手で支えて身をもだえるルシーに、アメジストはクスクスと笑う。


「クラルビアが紹介してくれたのね。うれしいわ。彼には散々味見してもらったものね。何かお礼をしなきゃ」


この娘、クラルビア様を呼び捨てにする仲なのか。やはり異国の貴族なのだろうか。


「私はアメジスト。アミィって呼んでください。この国ではお友達がまだいなかったから、うれしいわ。よろしくお願いします」


「ヴァルシーナさん、甘味をお気に召していただいたのでしたら、少しお持ちになりますか」


カウンターの奥で静かに控えていた男性が、手際よく小さな包みをこしらえて差し出した。

白い紙に淡い水色の紐がきゅっと結ばれ、ちょっとした贈り物のように見える。


「え、いいの!? わあ……ありがとうございます!」

ルシーは目を輝かせ、包みを抱きしめるようにして胸にあてる。


「あら、私たちにもよろしいのですか。とても美味しかったので、戻ったらお店の宣伝がてら詰め所でお茶でもしようかしら」


「ありがとう。気を使わせてしまってすまない」


――これは隊長に出してあげるか……


「たくさん作ってあったから気にしないで。お近づきの印です」


にこにこと笑う顔はやはり少し幼く見える。

きっとここへ来る客にもそう映るであろう。悪い輩に絡まれないとも限らないので、防犯がてら繁く通おう。

もっとも、後ろで興味なさそうなそぶりをしながら、こちらに対して神経を尖らせている彼がいるならそう心配はいらないだろうが。


「また必ず来ますわ。アミィ、あなたのお料理を楽しみにしていますね」


三人で揃って礼を言い扉へ向かうと、半月の影が少し隅に寄っていた。やはり時を告げる魔術具なのであろう。

外に出ると、少し傾いた午後の日差しが石畳に柔らかな影を落としていた。


「私はこのまま南門へ戻りますわ。市場通りを抜けた方が早いもの」

セラは軽やかに手を振ると、市場の方へと歩を進め、人の波に紛れていった。


「じゃあ、私は神殿に戻るね。警護の交代があるから」

ルシーは甘味の包みを胸に抱きしめ、ご機嫌な様子で神殿広場へと歩いていく。


二人の背中が見えなくなるのを見届け、私は小さく息をついた。紙包みを抱え直し、団長公邸へと足を向ける。


公邸の入り口は先程の慌ただしさは落ち着いたようで、人の行き来はなかった。


執務室の扉を叩くと、副団長の低い声で「入れ」と返ってきた。


相変わらず机の上には山のように書類が積み上げられ、

団長のラドミランが埋もれて見えた。

机に額を押しつけるように突っ伏して唸っている。


「……カル、もう無理だ。字が滲んで踊って見える」


「団長、愛称で呼ぶのはいかがなものかと。せめて勤務中はカルディナスとお呼びください」


低く冷ややかな声が返る。深いため息をつきながら、メガネ越しに鋭い視線を向けているのは副団長のカルディナスだ。


「お二人ともお疲れのようなので……お茶を入れます。ちょうど、いい茶菓子をいただいたのです」


私は声をかけ、湯を沸かした。

香り高い茶葉をポットに落とすと、立ちのぼる蒸気とともに執務室の張り詰めた空気がゆるんでいく。

先程もらったクッキーを皿にきれいに並べ、机の真ん中に置くと甘やかな香りが漂った。


「あぁ……助かる、アルミセア。魔王がずっと怖い目つきで睨んで来るんだ……お前がいなければここは地獄のようだったよ……」

ラドミラン団長は紅茶を大きくすすり、大げさに肩を振るわせた。


「ラドミラン団長、カルディナス副団長はあなたのために心を鬼にしてくださっているのですよ」


「まったく……勤務中にだらしない姿を見せすぎです、団長」


「なんだよぉ……アルミセアも魔王の配下が一人かよぉ」


また項垂れるラドミラン団長にクッキーをすすめる。


「この菓子、クッキーというそうです。ヴァルシーナが神官様にお勧めされたという、今日オープンのカフェで提供されていた異国の菓子です」


私はそう言って紅茶を注ぎ足す。

ラドミラン団長はクッキーをひとつ齧ると、ばっと起き上がり目を輝かせた。


「うまいなこの菓子!!」


「神官様がお勧めとは、珍しいですね」


カルディナス副団長が興味深そうにクッキーを手に取る。

確かに、神官様方は公平で平等である。何かに肩入れするということは珍しい。


「えぇ。店主の女性はアメジストさんというのですが、神官クラルビア様を呼び捨てで呼んでいました。店の開店前に試食をしてもらったのだと言っていたので、かなり親しいのかと」


私は店主との会話にかなり腕の立つであろう店員や店内の様子、ルシーとセラの三人でお近づきの印にと菓子をもらったことを話した。


「このクッキーという菓子、本当にうまい。そりゃ神官様も虜になるぜ」


ラドミラン団長はクッキーをもうひとつ齧りながら、子どものように楽しげに頷く。


「そうじゃないでしょうラディ……」


「お前も愛称で呼んでるじゃないか、カル」


「今は休憩中であって執務中ではないでしょう」


カルディナスは眼鏡を押し上げながらも、口元にかすかな笑みを浮かべていた。


「しかし、このような状況下で神官様とも懇意にしている異国の方が飲食店ですか…。飲食店というのは客の口が緩むものです。これは一度行ってみる必要がありますね


「おいおい堅いことを言うなよ。お前の悪い癖だぞ、カル。俺は単純に……うまい飯が食える店が増えるのはいいことだと思う」


ラドミラン団長はにやりと笑って、まるで乾杯のようにカップを高く掲げる。


私はふっと笑みを漏らし、思い切って切り出した。


「それでしたら――明日の昼、一緒に行きませんか。異国の珍しい米料理をいただいたのですが、本当に美味しかったのです」


ラドミラン団長は一瞬きょとんとした後、少年のように目を輝かせた。

「おお、そうか! それは楽しみだ。なあカル、行こうぜ」


カルディナスはわずかに肩をすくめ、しかし口元に少し悪い笑みを浮かべる。

「そうですね。アルミが店主と友人となったのであれば、共に行かせてもらった方があちらの気が緩むでしょうし」


おいおい物騒だなと肩をすくめる団長は、「ま、何はともあれ決まりだな!」とクッキーをまたひとつ口に放り込む。


「まったくあなたという人は……」


呆れたようにため息をつくカルディナス副団長だが、ラドミラン団長に負けじとしっかりとクッキーを口に運んでいく。


束の間の休息。笑い声と紅茶の香りとクッキーの甘さが混じり合い、執務室の空気はずいぶんと柔らかくなっていた。

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