自警団員のお昼休み
「アルミセア交代だ、休憩に行っていいぞ」
ノックもなく扉を開け、足早に入ってきた副団長に、早口でそう告げられる。
昨日の神殿での発表以来、団長の執務室はせわしなく人が出入りしていて大忙しだった。
事務仕事が嫌いな団長は、こうなるとすぐに逃げようとする。だから執務室には常に誰かが詰めて監視している。
扉を出ると、廊下の向こうから見知った男が足早に近づいてきた。
私がドアを再度開けて道をあけると、彼は軽く会釈して中へ入っていく。
「団長、南門より至急の書状が届きました」
手には分厚い封筒。封蝋には他国の商会の紋章――おそらく質問状だろう。
入室していった団員のまだ上下している肩を横目に、私はドアを閉める。
……団長は、また頭を抱えるだろうな。
執務机で悶絶するであろう上司の姿を思い浮かべ、思わず苦笑が漏れた。
今日はルシーが「神官様に教えてもらった」というカフェへ行く約束をしている。団長には悪いが、呼び止められる前にさっさと立ち去ってしまおう。
「アルー!!こっちこっち」
団長公邸を出ると、セラと話していたルシーがこちらに気が付いて、ぶんぶんと手を振っていた。
「すまない、待たせたか」
「いいえ、私も先ほど来たところです」
「早く行こうよ!すぐそこだからさ」
ルシーの先導で大通りを進むと、神殿裏の広場のすぐ前にそのカフェはあった。
ドアの上には『カフェ・ムーンロンド』と書かれたブラケット看板が、風を受けてかすかに揺れている。
文字と共に刻まれているのは、少しばかり耳の長い長毛の猫の姿。愛嬌があり、どこか異国めいた雰囲気を漂わせていた。
「ここだよ。今日のランチセットは神官様もおすすめの料理なんだって」
そう言って勢いよく扉を開けて入っていくルシーの後ろをついていくと、昼時をとうに過ぎたというのに店内は人々の声であふれていた。
年代を感じさせる木の床は磨き込まれ、天窓のステンドグラス越しに広がる色とりどりの光が柔らかく散らばっている。
壁や天井に埋め込まれたいくつもの光の魔石が、昼の陽射しにも似た穏やかな明るさを保ち、店内には影がほとんど落ちていなかった。
ふと閉まるドアに目をやると、半月の形をした淡い影が浮かんでいる。
それはわずかに動いているように見えた。――時を刻む魔術具だろうか。
目を離した瞬間にも、静かに動き続けている気配があった。
「いらっしゃいませ。何名様ですか」
カウンターから、年若い娘が顔を覗かせて少し大きな声で呼びかけてきた。
「3名でお願いします!」
ルシーが負けじと大きく返事をすると、娘は給仕から戻ってきた店員に声をかける。
席を案内してくれたのは、長身で、長い睫毛の影が瞳に落ちる美しくも無愛想な青年だった。
紅を帯びたその瞳は、氷の奥に灯を閉じ込めたように淡く輝いている。余計な言葉はなく、所作は水が流れるように無駄がない。――こういう男は黙って立っているだけで女性客を惹きつけるのだろうな。
案内された席に着くと、小さなメニューブックが置かれていた。
「なんだか聞いたことのないお料理が書いてありますね」
セラが頬に手を当てて悩ましげに言う。確かに、そこに並んだ料理名は耳慣れないものばかりだった。
どんなものか見れないかとカウンターに目をやると、奥で先ほどの娘が鍋をかき混ぜながら小刻みに動いている。結い上げた髪についた見慣れぬ装飾品が、振り向くたびに揺れて光をはじいた。
幼く見える娘が懸命に手を動かす姿は、不思議と胸を和ませる。
しばらく眺めていると、先ほどの青年がサービスだと水を運んできた。ハーブとレモンで香りづけされていて、ひと口含めば爽やかさが鼻を抜け、疲れた体にすっと染み込む。
「注文は」
小さな板にペンを当て、にこりともせず端的に問う。
ルシーが言う「神官様おすすめ」のランチセットは『オムライスセット』と書かれていた。
「このおむらいすというのは、どのような料理なのだろうか」
私がそう尋ねると、それまで表情を動かさなかった青年の口角がわずかに上がり、声が柔らぐ。
「至高の逸品である」
一瞬うっとりと遠くを見るような目を浮かべ、そう告げるとまた無表情に戻る。
その変化に、思わず小さく笑みをこぼした。
「このおむらいすセットを3つお願い」
ルシーが注文すると、青年はこくりと頷き、カウンターへと去っていった。
「ねぇセラ、聞いてよ。今日の神殿前、すごかったのよ」
ルシーが前のめりになって短く揃えた金の髪を揺らす。
「今日もですか……昨日も結構来ていたでしょう?」
セラが小首をかしげる。緋色の髪が肩から流れ、表情に影を落とした。
「神の器だーって名乗る人とか、家宝の魔石だとかいう石を抱えてくる人が押し寄せてさ。
大人たちが水晶の再登録を求めて子供たちを押しのけて順番で揉めて……神官様の顔色があんなに変わったの、初めて見たわ」
ルシーは大きく息を吐き、頬杖を突いた。
「やはりあの方たちは神殿に詰めかけているのね」
セラが肩をすくめる。
「南門は街の外から来る人が今朝になって急に増えたわ。耳の早い他国の商人は自警団に探りを入れてきて……本当に落ち着かないわ」
南門の状況と先ほどの封筒のことを合わせて考えると、他国からの探りは早めに対策した方がよさそうだ。
「そういえば、神官様たち、神殿長の邸宅へお引越しされるのだって?」
「そうなのよ。邸宅を改装して神官宿舎にするんですって。神様が戻られたときに住まいに困らないようにって……。
国民の憧れ、神官のみに居住を許された邸宅なのによ。未練なんて一切ないの」
「神様にお仕えする方というのは、本当に清らかで澄んだ心をお持ちね」
ルシーは腕を組み、うんうんと頷く。その青い瞳は誇らしげで、まるで自分のことのように嬉しそうだ。
「はあ……それなのに俗世の人間の欲の深いこと」
セラの口の端がわずかに結ばれる。
「“我こそは神の器だ”なんて、地位や金を狙う俗物が群がるなんて。本当に、嘆かわしい話です」
「そうだな。今回新たに顕現されたというヴェントルーザ様は、商業ギルド長でケルノマスト商会長のバルメステリオ氏の登録水晶に宿ったと発表されていた。あの方ほど商いに情熱をかけている方を私は知らない。ある意味、本当に純粋な方だ。神が宿るというのも頷ける」
「アル、よく知ってるわね。団長付きはあんまり外に出ないから、知らないかと思ってたわ」
セラがくすくす笑いながら、からかうように水のグラスを傾ける。
「団長の執務室でも各方面からの嘆願書やら、人が増えてトラブルも増えているから、巡回の追加申請やらで仕事が山積みなんだ。情報は正しく知っておかないとな。
急に仕事が増えたおかげで団長も副長も昨日から寝てないんじゃないか」
「うへぇ…団長、書類仕事嫌いだから機嫌悪いだろうなぁ」
「まあ、ご機嫌はあまりよろしくはないな」
――そのとき、背後に気配を感じた。
驚いて振り返ると、先ほどの男性店員が無言のまま立っている。
話に夢中になっていたとはいえ、近づいてきていたことにまったく気が付かなかった。
団長付き補佐官としての矜持を持つ私にとって、それは小さな衝撃だった。
「ランチセットです」
静かな声が落ち着いた響きで耳に届く。湯気を立てる皿が、私たちの前にひとつずつ置かれた。
鮮やかな黄色のとろとろとした卵が盛られ、中央からかけられた赤いソースの甘酸っぱい香りがふわりと広がる。
「わー、なにこれ、見たことない料理だわ」
ルシーのはしゃぐ声に、張りつめた気持ちが自然とほどける。
セラも料理を興味深げに眺めていた。
「至高の逸品である」とだけ告げ、青年は一礼して去っていく。
早速匙を入れて口に運ぶと、卵の柔らかさと、内に仕込まれたケチャップで味付けされた赤い米の旨味が広がった。
……これは、確かに美味しい。
それから三人とも夢中で食べ、すぐに皿が空になった。
食後には店主と思しき壮年の男性が、銀の盆を軽やかに運んできた。
盆の上には三つのカップと、小さな皿に載せられた焼き菓子がある。
「こちらはクッキーという甘味でございます。本日はOPEN初日来店の御礼にサービスでお付けしておりますので、ご賞味ください」
にっこりと微笑むと、男は再びカウンターへ戻っていった。
「うわぁ、この甘味すごくおいしい。この紅茶も飲んだことのない茶葉だけど、美味しいわ」
ルシーは頬を緩め、無邪気に声を弾ませる。
「神官様に紹介していただけてよかったですね。とても美味しかったもの。セラ、団長にも教えてさしあげたら?」
「そうだな。おいしいものを食べれば団長も少しは気も落ち着くだろう。ちょうど私が出るのとすれ違いに、他国の商人からの質問状も届いていたから、今頃頭を抱えているだろう」
「他国と言えばさ、神官様が『店主は海の向こうの人だ』って言ってた。本当に珍しくておいしい料理だったね」
「今日のランチのオムライスという料理はお米が使われていたな。我々の知っている米とは違うのだろうか。とろりとした卵が中のケチャップで味付けされた米と絶妙にマッチしてて…とにかく、美味しかった」
「わかるわ、アル。米ってあまり口にしたことがありませんでしたから驚きました。たまにリゾットやサラダに入っているのは見ますけれど…。
ねえマスター、他にも米を使った料理ってあるのかしら?」
セラが声をかけると、先ほどお茶を運んできた男性が軽く会釈をした。
ふと気づけば、客はすでに引いていて、店内は私たちだけになっていた。
賑やかさが静まり、穏やかな時間が流れている。
長くなってしまったので一旦ここまでにします。




