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カフェオープン

今朝の空気はどこか気が引き締まるようにひんやりとしていて、胸の奥をそわそわとくすぐるようだった。

窓越しに見える石畳の通りでは、市へ向かう人々の足音が少しずつ増え、街が目を覚ます気配が感じられる。

焼きたてのパンの香りが風に混じり、屋台の呼び声と、広場の噴水の水音が遠くで重なった。


カフェの扉では、青白い三日月がゆらりと揺らぎながら淡い光を落としている。


――カフェ・ムーンロンドはきょうオープンを迎える。


半月の刻にOPENのため、今日は朝からクラルビアが手伝いに来てくれた。

ランチタイムとティータイムのみで、満月の刻には閉店する予定だ。


この街の飲食店は夜の営業をほとんどしない。日が落ちた後に外で食事をする習慣があまりないからだ。

夜に営業しているのはお酒を出すお店で、お客さんはほとんどが冒険者なのだそう。


「テーブルにお塩と胡椒を置かれるのですか?!なんということでしょう…このように高価な品を無償で提供するお店は初めてです。——あの…問題ないのでしょうか、アミィ様?」


クラルビアが、丁寧にテーブルセットを確認しながら私を振り返った。

淡い金髪を靡かせ、美しい水色の瞳は驚きに満ちている。


「ええ、大丈夫よ。万が一持って帰ろうとする人がいても、この店のエーレの結界の外には持ち出せない瓶に入っているの。心配してくれてありがとう、クラルビア」


私はさも何でもないことのように微笑み返す。


海が遠いこの国では塩は少し高い。

海の向こうから渡ってくるコショウなど更に値が張る。

けれどこの街は盗難や空き巣、ひったくりなどの犯罪はほとんどない。あっても大体犯人は外から来た人の仕業なのだと聞いている。

それなら――地球でのムーンロンドと同じようにしておきたかった。


ふと視線を上げると、カウンターの奥に立つザクロが、深く息を吐きながらぼそりと呟いた。


「なぜ……我がこのような格好をせねばならぬのだ」


グレーのシャツに、黒のクロスタイ。

タイピンはガーネットを使っていて、深紅の石がいいアクセントになっている。

黒地のカマーベストには銀糸で細やかな刺繍が施されていて、角度によっては光の粒が滑るように反射する。細いザクロの上半身を美しく彩っていた。

下は黒のパンツにロング丈のギャルソンエプロン、黒いエナメルの革靴まで含め、全身黒なのはいつもと変わらない。


「ザクロ様、その装い、大変お似合いです。きっとお嬢様方に大人気のお店になりますね」


 クラルビアが悪気のない爽やかな笑顔で言った。


――確かに。このにゃんこは黙ってればたいそう美しいものね。


思わず笑いがこぼれそうになって、私は「似合ってるよ」とだけ言った。


「……動きにくい」


短く吐き捨てるように言い、ザクロはほんのわずか視線を逸らす。

小さく足踏みをするシルエットが端正で、長い脚のラインをくっきりと際立たせていた。

着なれない服に眉をひそめて動く姿も、なんとも美しいのがなんとも腹立たしい。


…いつもの長衣の方がよっぽど動きづらそうだけどね。


私は少しあきれてふぅとため息をついた。


制服が届いたのは数日前だった。


ヴェントルーザが顕現した翌日、バリーは『鑑定』を付与したモノクル飾りと、『看破』を付与した指輪を受け取りにお店に来てくれた。約束通り服飾と宝飾の部門長を伴って。

服飾部門長のヴェスタルドさんは、店に入るなりザクロをたいそう興味津々だった。


「前に会った時から思っていたのだけれど……あなたなんて素晴らしいバランスのお顔なの!

この肩のライン!くびれた腰!

ああもう、これはまだ見ぬわたくしの美の神からのご加護よ!!

――っんもう、我慢できないわ!ぜひ私にザクロちゃんの制服を作らせてちょうだいな!」


小物の鑑定もそこそこに、ザクロを隅から隅まで採寸して「まぁ、なんて素晴らしいの」を連呼しながら制服のデザイン画を書き上げたのだ。

開店のお祝いにプレゼントしたいとの申し出に私は快諾した。

その後もそわそわと落ち着かないヴェスタラドさんの様子に、バリーが「好きにせぇ」と面白がっているようだった。

麗しのエルフのおねぇ様は「わたくしに美の神が降臨したわー」と満面の笑みで颯爽と店を後にし、なんと3日で制服を完成させてきたのだ。


一方、一緒に来てくれた宝飾部門長のアルギュメスタさんは、いかにも職人然としたノームの女性だった。

しっかりと白い手袋をはめ、首から下げたルーペをそっと目元に当て、細いピンセットで小物を持ち上げて石も金属のパーツも細かく見ていく。腰に付けられてポーチからは様々な道具が取り出され、淡々としかし丁寧に確実に鑑定していっていた。


「この素材は初めて見るわね。珍しすぎる物は最初は置かないほうがいい。……こういうものは材料や製法をギルドに登録し、きちんと根回しをしてからのほうが安全だ」


水引やつまみ細工などの伝統工芸のようなものは、この世界には存在しない素材や技術で作られている。

特に絹を使ったものは非常に希少で、いきなり並べると混乱を招く恐れがあるという。

だから、まずは製法や材料をギルドに登録し、根回しをしてからのほうが安全だと教えてくれた。

つまみ細工は布をこちらで生産しているもので作り、まずは製法をギルドに登録するといいということになった。

水引は商会に持ち帰って、こちらにあるもので似たようなものが作れないかを研究してくれる。


そのほかにもこの一週間はお店のオープンのために水道工事や魔術具の設置、食器やカトラリーの準備、食材の調達先の紹介。どれもこれも、バリーとケルノマスト商会には本当にお世話になった。


私がお店であたふたとしているうちに、エーレは3人分の登録水晶を無事に商業ギルドへの申請を済ませていた。

神殿の協力もあって特に問題なく手続きは進み、エーレとザクロは自身の石が、私はバリーおすすめのルビーインクオーツが今後の身分証となる登録水晶になった。


テーブルのセットも整い、最終点検を終えたクラルビアが少し声を落として話を切り出した。


「皆様すでにご存じかと思いますが……」


まっすぐに私を見る視線に、空気がわずかに緊張を帯びる。


「先日、礼拝堂にて女神アクア様の顕現と神々の復活について神殿長からお話しがありました。

ヴェントルーザ様も商業の神として皆の前にお姿を見せてくださいまして。

『俺からの加護が欲しいやつは神殿で祈るがいい。

その祈りが――商いへの想いが、俺のメガネにかなったら加護をやる。

だが直談判はお断りだ、面倒だからな!』

と豪語しておられました。」


クラルビアが眉をぐっと上げて言った口真似にふっと笑いが漏れる。なんともヴェントルーザらしい。


「それで、皆さんの反応はいかがでしたか」


エーレが、ランチセットで出す予定のオムライスの仕込みの手を止めてクラルビアをまっすぐに見る。


「最初はかなりの動揺がありましたが、皆がこれまで祈りをささげてきた像そのままの女神アクア様が神殿長の傍らにおられたこともあってか、意外なほどすんなり受け入れられました。むしろ今では、建国前はどのような神が過去に存在したのか、資料の公開はないのかと問い合わせが神殿に殺到しています。……あ、今のところ、アミィ様のことは伏せられていますのでご安心を」


私が少し不安そうな顔をしたのに気が付いたのか、クラルビアが一言添える。


――神殿に負担を強いてしまっているのではないだろうか。


「神殿長はこれは光明であると皆に述べておられました。絶望の底で救いの手はないかを調べていたころに比べたら、同じ資料をめくる手も歓喜に満ちていると」


私の気持ちを察したかのようにクラルビアが返してくれた穏やかな笑みに、ほんの少し肩の力が抜ける。


「クラルビア、神殿長をはじめ神殿の神官の皆様に感謝を。それに、あなたも忙しい中でカフェの準備に付き合ってくれて本当に助かったわ」


「もったいないお言葉でございます」


深々と神官の礼をとり、きれいに整えられた店内をぐるりと見渡して私を見る。


「…では失礼ながら、私は神殿に戻らせていただきます。素敵な初日になりますように。」


そう言って、扉を開けたクラルビアが外に出る。

広場の噴水ではすでに早めのランチを広げる人の姿が見え、陽はじりじりと高くなりはじめていた。

私はクラルビアを見送る手を扉にかけられたプレートへそっと移し、ゆっくりと裏返す。


 ――OPEN。


木製の文字が陽の光を受け、淡くきらめいた。

扉を閉めると中心に半月が青白く浮かび上がる。

その瞬間、胸の奥がきゅっと高鳴った――。




少しすると、カランッと扉が開いた。

最初のお客さんは顔なじみだった。果物屋さんランファさん。

「早速来たよ、アミィちゃん。…なんとまぁ、素敵なお店ね!」

「ランファさんっ。いらっしゃいませ。……あ、野菜屋台の奥様も一緒に来てくれたんですね!カフェムーンロンドへようこそ」

いつも屋台から聞こえるふたりの明るい声が店内に広がった瞬間、空気がぱっと華やぐ。

とびっきりの笑顔でお迎えし、ザクロに席へ案内してもらうようにお願いする。


「あら、ザクロくん、素敵な制服ねえ。」


奥様方の視線を感じてザクロはわずかに眉を寄せながらも、しっかりと席へ案内し、淡々とオーダーを取ってきてくれた。


カフェムーンロンドのオープンだ。

――この世界でも、私のゆったりとしたカフェの日常が始まるといいな…。

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