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クラルビアの訪問

カフェの扉には半月の影が青く揺らめいている。

昼食を終えた私は、食後のコーヒーを手に一息ついていた。

湯気の立つカップを両手で包み込みながら、ふわりと立ち上る香ばしい香りに目を細める。


エーレはカウンター内で食器を片づけながら、定位置でしっぽを揺らすザクロと何やらのんびりとしたやりとりを交わしていた。

神殿での昨日の出来事がまるで遠い夢のように思えてしまう。


私はカップの縁に残ったコーヒーのしずくを指先でなぞりながら、記憶の糸をたどっていた。

そんなときだった。


――コンコン


控えめなノックの音が、静かに扉をならす。


「我が出よう」


ザクロがすっと立ち上がり、するりと人の姿をとってカウンターを抜ける。

軽やかな足取りで玄関へ向かい、無言のままガチャリと扉を開ける。


――カラン


と店内にドアベルの音だけが鳴り響いた。


「あ、あの……」


扉の向こうに現れたのは、見覚えのある若い男性だった。

肩にかかるほどの淡い金髪が、ふんわりとしたウェーブを描き、額にかかる前髪の隙間から澄んだ青の瞳がこちらを覗く。その視線には、無表情のザクロに対するわずかな戸惑いがにじんでいるようだ。


……まあ、無言で無表情の人が出迎えたら、戸惑うのは無理もないよね。


「お主は確か……」


ザクロが声をかけかけたその瞬間、カウンターの奥からエーレがにこやかに手を振った。


「おや、クラルビアさん。いらっしゃい。どうぞ、お入りください」


クラルビアさんは、エーレが初めて神殿を訪れた際に案内してくれた、神殿長直属の下級神官だ。


ザクロが無言で道をあけ、目線で中へと促すと、クラルビアさんはほっとしたように微笑み、丁寧に頭を下げてから店内へと入ってきた。


今日は神官としての水色の服ではなく、街の人々に溶け込むような落ち着いた色味の上着とパンツ。装いはあくまでも質素だが、その所作には確かな品位があった。おそらく、神殿の使者とわからぬよう配慮しているのだろう。


「おくつろぎのところ、失礼いたします」


声も仕草も控えめで、けれど芯の通った佇まい。エーレから聞いていた通りの神官の礼をとると、深々と頭を垂れた。若いながら、まじめで実直な人柄がよく伝わってくる。


「神殿長より伝言を預かってまいりました。

バルメステリオ様との会合は、三日後に行うこととなりました。

三日月と二の刻に、私がこちらまでお迎えに上がります」


クラルビアさんは、丁寧な手つきで書簡を差し出した。

エーレはそれを受け取り、素早く目を通すと、にこやかに頷いた。


「承りました。お伝えくださり、ありがとうございます。

こちらからも事前にお願いしたいことなどができましたら、改めてお伝えに上がりますね」


その言葉に、クラルビアさんは小さく肩をすくめるようにして慌てふためいた。


「い、いえ、とんでもありません! わざわざ足を運んでいただくなど……

ご迷惑でなければ、毎日決まった時間に御用聞きに参りますので……!」


クラルビアさんは神殿長から私たちの事情をあらかじめ聞かされている。

敬虔な信徒である彼は、外出が難しい神殿長に代わり、今後の窓口を任されたのだ。


毎日来てもらうのは少し申し訳ない気もするが、目の前であたふたと恐縮されると、なんだか断るのも悪い気がしてくる。


「お願いしたらいいんじゃないかしら。

三日月の刻か、半月の刻に来てもらって、食事を一緒にしましょう。

こちらの人たちに私やエーレの料理が口に合うのかも気になるし、感想を聞かせてほしいわ」


私は「せっかく来るんだし」と気軽な気持ちで食事に誘った。


「それはいいですね。クラルビアさんなら事情をご存知ですし、うっかりこちらにない食材をお出ししても問題ありませんから」


エーレが楽しげに言葉を重ねると、クラルビアさんは目を丸くして「皆さまと食卓を共にするなど……」と戸惑いの色をにじませた。


「我らはここでカフェを営む予定なのだ。協力をお願いできぬか、クラルビア殿」


いつの間にかカウンター端に戻っていたザクロが、カーバンクルの姿でじっと見上げる。大きな瞳の奥に宿る揺るぎない意志に、クラルビアさんの表情がきゅっと引き締まった。


彼はほんの少し俯き、何かを決意するように拳を握ると、しっかりと顔を上げた


「……わかりました。私でお役に立てるのであれば。朝は神殿の清めや子どもたちの出迎えもございますので、半月の刻にお伺いさせていただきます」


もう一度、神官の礼をとる。深々と頭を垂れた彼の姿は、まっすぐで誠実だった。


「どうか、私のことはクラルビアとお呼びください」


その言葉に、みな自然とうなずき、場にふっと温かな空気が広がった。


「それではクラルビア、ちょうど食後のお茶を楽しんでいたところでしたので、一緒にいかがですか?」


エーレが優しく誘うと、クラルビアは申し訳なさそうに首を振った。


「ありがたいお言葉ですが、この後も神殿での勤めがございますので……。

明日以降は時間が取れるよう、神殿長にお願いしてまいります」


「それでは――」


エーレはカウンターに置かれたメモにさらさらと何かを書きつけ、クラルビアに手渡した。


「こちらを、神殿長にお渡しください」


言外の意味を察したようにクラルビアはもう一度深く頭を下げると、背筋を伸ばして静かに店を後にした。

クラルビアが去り、扉の閉まる音が微かに響いたあと、店内には静けさが戻ってくる。

私はそっと手元のカップを持ち上げ、香ばしいコーヒーの香りを鼻先で吸い込んだ。


「……クラルビアは落ち着いてて、まじめな人ね」


ぽつりとつぶやくと、隣でカップを持ち上げたエーレが柔らかく微笑む。


「ええ、礼儀正しく、信仰心も深い。神殿長が信頼なさるのも納得です」


……でも、あれだけ恐縮しきってたら、率直な感想なんて聞けるのかしら。

焦げてても「香ばしい風味があって美味しいです!」とか、つい言っちゃいそうよね。


「こちらのカフェで出す候補のメニューかぁ、何にしようかしら。」


あちらのカフェで出していたランチメニューを思い浮かべながら考えてみる。

パスタはこちらでも種類が豊富で、とても美味しかったけれど……あまり目新しさはないから

…看板メニューにはならなさそうね


「……そういえばこっちではお米は売ってはいたけど、あまりアレンジした料理って見かけないわね」


「先日の広場で見たカレーもナンで食べるものでしたね」


「ナンも美味しそうだったけど……やっぱり日本人としてはお米よね。焼き魚にお味噌汁の定食とか、炊き込みご飯、丼物もいいわね」


私が米料理をいくつも挙げて語っていると、唐突に声が響いた。


「我は……オムライスを所望する」


ザクロだった。思わずエーレと顔を見合わせて笑ってしまう。


「オムライス? そんなに気に入ったのね、ザクロ」


「あのとろける卵と甘いケチャップの融合は、他の追随を許さぬのだ」


なぜか誇らしげな口調に、思わずこちらまでくすぐったくなってしまう。


「じゃあ明日はオムライスにしましょう」


「我も手伝おう」


ぴたりと座っていたザクロが、うれしそうに尾をふわりと跳ね上げた。


「ふふ、ありがとう。じゃあお米を研いでもらおうかな」


そんな私たちのやりとりを見ながら、エーレが柔らかく目を細めた。


「クラルビアの口にも合うといいですね……」


「まぁ、それも含めて感想を聞いてみましょう。食事って、文化を繋ぐ大事な部分だし」


カウンター内に回って飲み終わったカップをさっと洗って伏せておく。


「さて、そろそろ制作に取りかかろうかしら」


そう言って私はカウンターの奥に置いてあった道具箱を手に取って奥のテーブル席へと向かう。

今日作るのは、あちらの世界と繋がる扉を開くための、アクアマリンの魔導具だ。

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