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アクアと私のこれから

「それでは――我々の現状と、これからについて話しましょう」


エーレは、落ち着いた声で丁寧に語っていく。

あの日、月の女神がこの世界を離れたこと。

未熟だった私の記憶を封じ、後継者としての芽生えを待っていたこと。

そして――数日前

ついにその時が満ち、記憶を取り戻した私とともに、この世界へと帰還したことを。


「……では、ダイアナ様も……」


神殿長の問いには、ほんのわずかに期待の色がにじんでいた。


けれど、エーレはゆっくりと首を横に振る。


「神としての力を失ったダイアナ様は、あちらの世界で“人”としての生を全うされました。

それが――五年前のことです」


沈黙が流れる。


テーブルの中央に置かれた銀の蝶が、ふわりとかすかに羽を震わせた。

音もなく舞い上がることもなく、ただ、ひとつの空気の揺らぎに応えるように

――静かに、静かに。


その中で、私はそっとアクアの方へ視線を向けた。


「アクア……あなたは、世界や人を繋ぐ力を持っているのでしょう?」


私の問いかけに、アクアはうなずいた。


「ええ。私はムーロンドや、エーレのお店の一画を、扉や路地を通じて繋いでいました」


まるで遠い日のことを思い出すように、静かに言葉を継ぐ。

やっぱり――閉ざされていたとはいえ、繋がってはいたんだ。

私は、ふと心に浮かんだ疑問を口にした。


「……こちらとの時間の流れがかなり違うことを考えると……

おばあ様が亡くなられた時期は、こちらでアクアマリンの力が弱まり始めたという、

二百年前と重なるのではないかしら」


その問いに、アクアがゆっくりと頷いた。


「……ええ。微かに感じていたダイアナ様の気配が、その時を境に、完全に途絶えたのです。

……もしかしたらとは、思っていました。でも――」


声がふっとかすれ、視線がそっと伏せられる。


「信じたくなかった……認めたくなかったのです。

けれど、それはわかっていたこと。アミィがこうして戻ってきてくれただけで、私は満たされました」


アクアのまなざしに寂しさがにじむが、それはどこか穏やかなものだった。


私は、テーブルの上に置かれたアクアマリンへと視線を向けた。

青く澄んだその石が、今は静かに、光を宿している。


「私のわがままなのかもしれない」


ぽつりとそう言って、私は少しだけ目を伏せた。


「おばあ様……ダイアナ様と過ごした日々は、私にとって本当に大切なもので。

完全に閉ざしてしまいたくないの」


なんとなく、後ろめたいような気持ちが胸の奥でちくりと疼く。

それでも、言葉を続けた。


「だから、世界を繋ぐ“扉”を、もう一度繋げたい。

そのために――新しく魔導具を私の手で作りたいの。

……どうしても、アクアの助けが、本質の石の欠片が、必要なの」


アクアは目を細めて、私を見つめた。


「ええ。もちろん、喜んで協力するわ」


声は落ち着いていて、どこか凛とした響きがあった。


「ダイアナ様がこの世界で健在だった頃はあの扉はいつもあちらと繋がっていたわ。 元に戻すだけよ。それは、“願い”でも、“わがまま”でもないわ。――あなた自身の、あなたらしい選択よ」


その言葉に、胸が少し緩む。


「でも…それなら…私のわがままも、聞いてもらえるかしら」


アクアは一瞬迷ったような素振りを見せ、続けた。


「……ごめんなさい。私は、あなたと一緒には行けないの」


その言葉には静けさがあった。


「……え?」


思わず声が漏れる。けれど、アクアの表情には揺らぎがなかった。


「私は、これまでずっと、この神殿に祈りを捧げ続けてくれた人々の想いに支えられてきました。

その祈りが、私をこの姿で保ち、この世界に留まらせてくれたのです」


ヴィンティリオの目がかすかに見開かれた。

思わずというように彼はアクアの方を見つめ、わずかに震える唇を引き結ぶ。


「アミィが戻ってきた今、その役目は終わりました。

だからこそ――今度は、私が彼らを支える番です」


静かで、確かな意志がそこにあった。


「これから、この世界は大きな変化に晒されていくでしょう。

失われた神々が再び世界に現れ、人々は戸惑うことでしょう。

私は、この神殿にとどまり、皆に道を示す導となりたいのです」


アクアの視線がゆっくりと、隣に座るヴィンティリオへと向けられる。


「ヴィンティリオ、私はあなた方、祈りをささげてくれた皆に報いたい。神々と人々の橋渡しとして――ここであなたと共に生きたいのです」


彼女の瞳には、静かな決意と情が宿っていた。

ヴィンティリオは何も言わなかった。ただ、そっと頭を垂れていた。

その肩がかすかに震えていたのは、きっと、こらえきれなかった涙のせいだろう。


――神、か。


ダイアナ様は、かつてこの世界の“最高神”だった。

そして私は、その後継者。


今は誰も立たぬ西の塔の頂――その空白の場所に、いつか私の彫像が刻まれるのだろうか。


私が神として祀られる……そんな想像が、まるでできなかった。

アクアは共に来られないという。では私は、神としてこの神殿に留まらなければならないの?


まだ私は、この世界のことをよく知らない。

神々の再生を進めていくことなら、やっていける気がする。

でも、自分が“神”だという実感は、まだどこにもなかった。


ダイアナ様のように、この世界に慈愛を注ぐことが、私にできるのだろうか。


……そしてなにより、あちらの世界との繋がりを、完全に断ち切ることだけはしたくなかった。


胸の奥が、少しだけ冷たくなる。

祀られること、それはきっと――“自分である”ということが、少しずつ削られていくこと。

私という存在が、“神”という像に塗り替えられてしまうような、そんな気がして怖かった。

……それでも、受け止めなければならないのだと、思おうとする自分に、どこか戸惑いが混じっていた。


私は――小さく息を吐き、顔を上げた。


「……ごめんなさい。私は、あまり目立ちたくないんです」


思っていたよりも、声は素直に出た。


「こっちに来る前も、穏やかにカフェを営んでいただけで。

神として崇められるなんて、正直、ちょっと……」


なんとなく申し訳なくて、また顔が下がる。


「それでよい。アミィは、アミィだ」


顔を上げるとザクロがまっすぐに私を見ている。


アクアも私を見て微笑む。


「私がこの神殿から、少しずつ“神々の再生”を伝えていきます。

だからアミィは、自分らしくいてくださいね」


神殿長が、ゆっくりと顔を上げて私を見る。 その目には、確かな光が宿っている。


「お任せください。私どもはこれまでも神の御心を伝え、民を導いてまいりました。

これからも――その役目に、変わりはありません」


私は、自然と口元に笑みがこぼれるのを感じた。


「そうね。アクアは神殿で、私はカフェで――支え、導いていこう」


その言葉が、やわらかに室内に満ちていく。


パンッ、と澄んだ音が室内に響いた。

エーレが手を打ち鳴らし、場の空気をふわりと切り替える。


「――さて。神殿のことはアクアが引き受けてくださるということなので」


にこりと笑い、ゆるやかに言葉を続ける。


「次は、これからどうするかを考えていきましょう」


エーレは合わせた手をぱっと開き、軽く肩をすくめてから言葉を継いだ。


「現状、私たちは神々に関する手がかりを何一つ持っていません。


――今糸口かもしれない事と言えば…」


「……バルメステリオの指輪と魔石であるな」


そうだ……神殿に来る前にそんな話をしていた。


「かの御仁が“商い”に向けていた思念が、記憶となって宿っているのではないかと推察する。


アミィからの呼びかけに反応があるやもしれぬ」


たしかに、人々の祈りがアクアの存在を保つ一助になったと言っていた。


商いに対する強い思いや願いが、他の神の存在を繋ぎとめているかもしれない。


「……あの石をじっくりと見たときに、何かに呼ばれたような気がしたわ」

自分でも、それが確かな感覚なのか分からない。気づけば声が小さくなっていた。


……バルメステリオさんにもう一度会ってみないと何ともいえないわね。


「アミィは魔術具と魔石を見せていただいた時もにぎやかだったといっていましたね。 」


魔術具のフロアでのざわめきを思い出す。ふと気になっていたことを神殿長にたずねる。


「神殿長。この蝶や、登録水晶の儀式に使っているような魔導具には、本質の石が使われているのですよね?」


次々と出てくる糸口に目を丸くしながらも、うんうんと頷いていた神殿長は、ふいに話を振られて驚いている。


「……そう、ですね。このような神殿に残されているいくつかの魔導具は、

かつての神々、あるいはその眷属の“本質の石”を用いて作られたものと伝わっています。

ですが……」


神殿長は視線をゆっくりと巡らせ、やがて部屋の中央に置かれた蝶のブローチを見やる。

銀の翅にあしらわれたアイオライトは、まるで深く静かな海のように、沈黙を映し込んでいた。


少し間をおいてアクアを見やる。アクアが、頬に手を添えながら申し訳なさそうに言う。


「この神殿にあった魔導具は、あの日、私が近くにあったものを手当たり次第に取り込んで保護したもので…… すでに壊れかけていたり、記憶の途切れたものばかりでした」壊れているからなのか…


「魔術具や魔石からは遠くのざわめきのようなものを感じたのだけれど・・・」

私は蝶をじっと見つめた。


「この魔導具からは魔石から感じたようなものも、何も聞こえないの。」


むしろ、そこにあるのは完璧な“無”。気配すらない、沈黙の結晶。

「この沈黙が、もともとの神――ノクテローラの性質によるものなのか、

それとも本当に記憶が失われてしまっているのかの判断が付かないのよね」


……もともとが無口な神様だったら、何も語らなくても不思議ではないよね


「確実に本質の石が使われている魔導具は何も感じられなくて、確信のない魔術具や魔石からはざわめきが聞こえるのですか…」


エーレも顎に手を当ててふむと思案している。


私がうーんとうなりながら考え込んでいると、ぱっとアクアが顔を輝かせて私の方を見る。


「アミィは、あちらの世界で――ダイアナ様と、小物をよくお作りになっていたのでは?」


唐突な問いに一瞬戸惑いつつも、私は小さくうなずいた。


「ええ……カフェの片隅で、古布でつまみ細工を作ったり、アンティークのアクセサリーを別の物にリメイクしたりしていたわ」


「それなら、アミィがこれらの傷ついた魔導具や魔術具たちを“紡ぎなおす”ことで完全な魔導具ができれば……

もしかしたら、眠っている記憶が目覚めるかもしれませんわ」


(……ああ、そういえば。おばあ様も言ってたっけ)


「小さくて弱い記憶でも、思いを込めて作り直せば、大きくて強い記憶になる」


おばあ様はいつもそう言って私に小物づくりを教えてくれた。

ちゃんと、教えていてくれたんだね……。


「……できる気がする」


私は蝶を見つめながら、自然とそうつぶやいていた。

この美しい魔導具を、自分の手で紡ぎなおすことができるのなら。

それは、少しこそばゆいけれど、確かに私の得意なことだった。


なんとなく、やることの方向性が見えてきた。


「では、神殿長とアクアには、現在神殿で保管されている魔導具を書き出していただき、

使われている石や稼働状況をまとめていただきましょうか」


エーレ……また、さらっと神殿長にとんでもないこと押し付けたわね……


「えっと、エーレ、それは結構大変なんじゃない?」


そーっと神殿長を見る。困らせてしまったかもしれない、と胸が少し痛む。

……けれど、神殿長の目がやる気に満ちて輝いている。今日一番の輝きだ。


「お任せください。

この一年、なすすべもなく、ただ絶望の中で文献を手当たり次第に読み漁ってまいりました。

それに比べれば、なんということもございません。

――ようやく、希望をもって文献を読むことができます」


とても明るい声に、私は安堵の息をつく。

「私たちは、もう一度バルメステリオさんに会いましょう」


「それと……あとはカフェのオープンのために、商業ギルドでの手続きですね。

やはり、登録水晶も必要になるでしょうか……」

エーレが腕を組みながら、深くうなっている。


その様子を見た神殿長が、「それでしたら」と言って、執務机から文箱を取り出した。


「バルメステリオさんをこちらへお呼びして、すべての事情をお話しするのはいかがでしょう。

商いの神として顕現できると知ったら、きっと喜ばれるはずです。

それに彼は商業ギルドのギルドマスターですから、カフェの手続きも円滑に進めてくれるでしょう」


なんと…バルメステリオさんの新たな顔に一同驚きを隠せなかった。


…本当に優秀な人だな。


神殿長から手紙を書いてもらい、後日改めてお話しすることにした。

アクアから本質の石のひとかけらを譲り受け、私たちは神殿を後にした。


外はすでに夜の帳が降りている。

なんか本当にいろいろあった一日だったな…


振り返ると神殿にきざまれた彫像の一つが私に笑いかけたような気がした。


まずはアクアマリンの腕輪を作ろう。

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