表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
16/17

聖獣 セイレーン

胸の奥でかすかに響くような、どこからともなく滲み出るような、遠い海の底から届いた呼び声――

それが、アクアマリンから聞こえた気がした。


私は反射的に視線を向ける。


数えきれないほど細かく繊細なファセットを誇る、ブリオレットカットの大きなアクアマリンが、仄かに光を帯びていた。

その淡い輝きは、石の内側に小さな波が生まれては消えていくように、静かに、確かに揺らめいている。


「……助力しよう」


肩の上のザクロが、低く呟いた。


その声に重なるように、微かな詠唱が空気に沁みわたる。

それは言葉ではなく、記憶そのものが波紋となって広がるような、不思議な響き。

音のない祈りが、古の残響を呼び覚ましていく。


そのとき、カバンの中にあったアメジストが、ふわりと浮かび上がった。


紫の光が花びらのように開き、私の目の前で静かに舞う。

胸の奥が、熱くなる。


言葉が――湧き上がってきた。

どこからともなく、けれど確かに、私の内側からあふれ出る。


私は自然と両手を差し出し、アメジストをそっと包み込んだ。

その掌の温もりとともに、口が、勝手に言葉を紡ぎ始める。



「Mi, heredanto de la Luno-Diino,

Tekstanto de memoroj ŝtonaj.

O deziro de sireno kiu forgesis sian kanton,

Silentia preĝo en ŝia sino kaŝita.

Trans distortionem, tamen lumine protektanta anima,

Iĝu fundamento por reunuigi la mondojn.

Mia nova vojo bezonas vin kiel gvidanto,

Estu apud mi.


Libere kantu, mistera vocis.

Dancu kun la lumo puriga.


――“Textu.”」



その瞬間だった。


アメジストが、ひときわ眩い光を放つ。

まるでこの空間すべてを浄めるように、紫の奔流が駆けめぐる。


呼応するように、アクアマリンの内側から光の糸がほどけていく。

数えきれないファセット――その一面一面が、祈りの記憶であったかのように、

ひとつずつ、静かにほどけていく。


ファセットがひとつ解けるごとに、かすかな歌声が響いた。

ひと粒ずつの旋律が空へと立ち上り、やがて重なり、和音となって広がっていく。

忘れられていた神聖な歌が、いま再び紡がれていくかのように。


旋律は幾重にも重なって空間を満たし、

光と音が溶け合いながら舞い踊る――

それはまるで、人々が捧げてきた祈りそのものが踊っているかのような幻想だった。


紫と青の光が織り成す舞は、あまりにも静かで、あまりにも美しくて、

私たちは誰一人、息を呑むことさえ忘れていた。


やがてすべての光が、音もなく収束し、私の手のひらの中に戻る。


掌の上で、アメジストとアクアマリンがそっと触れ合い、

カチャン――

と小さな鐘のような音がひとつ、空気に溶けた。


手の中には、私の本質を宿すアメジストと――

新たに生まれた、澄みきったアクアマリンの輝きがあった。

無数に散らばる輝きは凛として清らかで、

澄んだ深いブルーは、まるで静寂の底に眠る深海を思わせた。


私はそっとその石たちを見つめた。


手のひらから下がる革紐を掴み、首にかける。

胸元に戻ってきたアメジストが肌に触れると、

私の鼓動とひとつになるように微かに脈打ち、深い紫の光がふわりと揺れた。


そのときだった。


「――アミィ」


呼び声が、やわらかく空気を揺らした。


私は静かに顔を上げる。

光の余韻がなお漂う空間の中心へ――声のする方へと、視線を向けた。


そこに、ひとりの女性が浮かんでいた。

宙に溶け込むように、まるで水中を泳ぐかのように揺れながら漂っている。


薄水色の衣は波打つように揺らぎ、

長い髪もまた、水の流れに身をゆだねるように揺れていた。


その下半身は鱗に覆われた尾ひれへと続き、

宙を泳ぐように、優雅にたゆたっている。


背には白銀の翼が一対。人でもなく、鳥でも魚でもない

――大いなる海の女神セチュリナの眷属、聖獣セイレーンだ。


両の腕を胸にそっと添え、目元には祈りのような優しさが浮かんでいる。

アクアマリンと同じ、清らかに澄んだブルーの瞳が優しく微笑み――


その唇は、まるで海の漣のように、静かに、穏やかに言葉を紡いだ。


「ありがとう、アミィ。そして、ジェメールツォへお帰りなさい」


その声には、深い慈愛と、再会の喜びと、

遥か時を超えてなお変わらぬ、祈りの温もりが満ちていた。


エーレがそっと前へ出て、丁寧に一礼を捧げる。


「お久しぶりですね、アクア。

ずいぶん長い時を待たせてしまい、申し訳ありません」


アクアは穏やかに頷くと、その瞳をザクロへと向けた。


ザクロは小さく頷き、静かに言葉を返す。


「久しいな」


私は、胸の奥がいっぱいになっていた。

手のひらに残るぬくもりを感じながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「ただいま、アクア。本当に、遅くなってごめんなさい」


アクアの微笑みは、どこまでも深く優しかった。


そのまなざしが、膝をついたまま動けずにいるヴィンティリオへと向かう。


彼はただ涙をこぼし、声もなく唇を震わせていた。


アクアはゆるやかに、泳ぐように宙を巡る。

まるで海の中にいるかのように柔らかく、静かに彼のもとへと近づいていく。


そしてその傍らにそっと寄り添い、細い手を肩に添えた。


「ありがとう。長きにわたり、祈りを絶やさずにいてくれて……」


その声は、耳で聞くものではなく、胸に沁みる祈りのようだった。


アクアは深く頭を垂れ、敬意と感謝のすべてをその仕草に込める。

そして静かに、彼の手をとり、立ち上がるよう促した。


ヴィンティリオは震える手で応じ、ゆっくりと立ち上がる。

その目にはまだ涙があったが、表情には晴れやかな光が戻っていた。


「……ありがとう。本当に……ありがとう、またあなたの声を聞くことができるとは……私は……」


言葉の続きは声にならないようで、彼の胸にあふれる喜びが誰よりも深く、確かに感じられた。




神殿長が落ち着きを取り戻し、これからの話をゆっくりとするため私たちは神殿長室へと移動することにした。


礼拝室に戻り、先ほど登録水晶の文献を読んでいた部屋の並ぶ廊下の向かい側。厚い扉をくぐると、そこは質素ながら手入れの行き届いた広い部屋だった。

壁には祈祷用の器具や整然とした巻物棚が並び、

執務机には数冊の本といくつかの書類が置かれている。


8人ほどが座れる応接用のテーブルを勧められ、私たちは並んで席につく。

神殿長が短く息をつくと、合図のように扉がノックされた。


「お茶をお持ちしました」


若い神官が銀盆に載せた茶器を置くと、一礼して立ち去ろうとする。

だが神殿長がは、軽く手を振って呼び止める。


「――すまないが、今日はもう、人払いをお願いできますか。誰も通さないでください」


「かしこまりました」


神官は恭しく頭を下げると、静かに扉を閉じて去っていった。


私は握りしめていたアクアマリンをテーブルの上にそっと置く。

アクアは移動するならと石の中へと収まっている状態だ。


神殿長は懐から小さな箱を取り出し、そっと机の端に置いた。

蓋を開けると、中には蝶の形をした繊細な銀細工のブローチが納められていた。


翅には細かなアイオライトがあしらわれ、

中央の銅の芯にはひときわ澄んだ青紫の石が、静かに光を湛えている。


「ご存知かもしれませんが、こちらは声が外部に漏れないようにする魔導具です」


ヴィンティリオがそう告げ、蝶の中心に指をそっと添えると、ブローチはふわりと宙に舞い上がった。


優雅にひらひらと羽ばたきながらテーブルの中心に降り立つ。


すごく綺麗…


思わずため息が出そうな美しさだ。


蝶が静かに羽を閉じたその瞬間


ーーキンッ


っと音を立てて部屋全体が見えない何かに包まれた。



「……それは沈黙の神ノクテローラの『沈黙の蝶』ですか」


エーレが顎に手を添え、静かに思案するように言う。


「神殿には、まだこうした魔導具が残されているのですね……」


ヴィンティリオは黙って頷いた。


あれが魔導具か…確かに機械的な魔術具と違って幻想的だ。記憶の中であのような幻想的な輝きをいくつか見た気がする。


きっと神々がいた時代には頻繁に日常的に使われていたのだろう。


アクアマリンの澄んだ輝きが、机の上で静かに揺れていた。私はそっとその石に目を落とし、語りかけるように声を発した。


「……アクア。もう一度、姿を見せてくれますか?」


返事はすぐにはなかった。けれど――

その輝きが、ふっとやわらかく脈打つ。


「えぇ、喜んで」


澄んだ声とともに、空気がすうっと清められたように感じられた。

アクアマリンの輝きが宙へと伸び上がり、しずくのようにこぼれた光が舞い、そこにひとりの姿が現れる。


青の光をまとった女性。

淡く光る髪が水中のように揺れ、目元には微笑みの気配。

透明な羽衣のような衣に包まれたその姿は、あの礼拝室で見た像と重なるようで、けれどはるかに生き生きとしていた。


「……話しにくいので、人型をとっていただけますか」


エーレの丁寧な声に、アクアはくすりと微笑む。


「わかりました」


その身体がふわりと泡のようにほどけ、波紋のように形を変える。

――ストン。

と、華奢で物静かそうな美女が、神殿長の隣の椅子へと静かに腰を下ろした。


「これでいかが?」


アクアは静かに手を膝に置き、まなざしをこちらに向ける。その視線は、水面のように穏やかで、そして深く優しかった。


「では、我々の現状とこれからのお話をいたしましょう」


エーレがまっすぐに神殿長へ向き直り語り始める。

セイレーンが無事に顕現しました。


カフェの奥、あちらとこちらを繋ぐ扉を再び開けることはできるのか。

これからアミィはこの世界で神々の再生を行いながらどう生きていくのか。

まだまだ問題は山積みです。


次ではアクアのこれからとアミィのこれからについて話し合います。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ