ケルノマスト商会
昨日は夜遅くまで学習書を読み解くのに没頭してしまい、
今日は少し寝坊した。
すっかり陽が昇っていて、エーレが作ってくれた少し遅めの朝食を食べる。
エーレは市場に行っていたようで、買ってきた小麦粉を使ってフルーツがたっぷりのったスフレパンケーキを作ってくれた。
蜂蜜の甘味とフルーツの酸味が絶妙で美味しい。
昨日の市場では、砂糖や甘い菓子はあまり見かけなかった。
異世界あるあるで砂糖も高いのだろうか。
メレンゲ作るの大変だっただろうな…
カウンター内を見ると洗われた泡立て器が見える。
ハンドミキサーは電気を使うから使えなかったのだろう。
昨日の夜から電気が完全に使えなくなった。
店内の照明はもともと壁の装飾として埋め込まれていたフローライトがなんと蓄光ライトの様に明るく灯り、特に問題はなかった。
もともと店内に備わっている魔導具なのだそうだ。
「市場を一通り見てきましたが、重曹はなかったのでスフレにしたんですよ。昨日話していたノームの…バルメステリオさんでしたか…の登録水晶を拝見したかったのですが…。こちらも残念ながら今日は市におられませんでした」
ザクロがインペリアルトパーズの様だったと言った登録水晶を確認しておきたかったそうだ。
今日同じ場所に市を出していた人によると、バルメステリオさんは基本は自分の商会があるので月に2、3回しか市を出さないそうだ。
食後は紅茶を入れてもらう。
セイロンアールグレイの茶葉をティーメジャーで測り、温めたポットに落とす。
湯を高い位置から注ぐその所作は、理想の英国紳士のように優雅だった。
――まるで昔読んだ漫画に登場する、紅茶の国の王子様。
彼が年を重ねたら、きっとこんな雰囲気になるのかもしれない。
落ちる砂時計の音を聞きながら、私は思わず見とれていた。
やがてカップに注がれた紅茶から、ふわりと芳香が立ちのぼる。
ベルガモットのさわやかな香りが店内に満ちて、時間がふと止まったように感じられた。
――はあ……いい香り。
ほんの少しだけ蜂蜜を垂らすのが私のお気に入りの飲み方だ。
「そういえばザクロは?」
「食後の散歩に行くと言っていましたよ」
散歩…もしかしてカーバンクルの姿で行ったのかな。
いや、人に変化しててもあの格好じゃ目立つからたいして変わらないか。
そう思っていると、ザクロが降りてきた。
そう、上から降りてきたのだ。
ムーンロンドの内装は京町家をリノベーションした地球と同じ構造だ。
火袋を生かして天窓を作り、灯りをとっているため梁が剥き出しの吹き抜けだ。
一体どこを散歩してきたのか…
「おかえりなさい、ザクロ」
エーレは特に気にしていない。
「ザクロ、どこを散歩してきたの?」
「屋根伝いに住居が多くある西側を上から観察しておった」
……にゃんこじゃん。
口にすると怒られそうなので、「そう…」とだけ返しておいた。
今日はエーレの提案で、商業ギルドからの紹介状をもらった《ケルノマスト商会》へ行くことになっている。
あまり目立つのも良くないと思ったが、異国から来たと話しているため、昨日に引き続きダイダイ染めの薄衣を無地のTシャツの上に重ねる。
今日は水引で作った赤い大きめの淡路玉のかんざしで髪を留める。りんごみたいでかわいい。
この世界に水引はあるのかな…。さりげなく身につけて様子見だ。
外に出るとすぐ前の果物屋のランファさんが見える。大きく手を振ってくれたので、「おはようございます」と挨拶する。
エーレのお店があると言う水色の塊と神殿の間を抜けて大きな広場に出る。とても大きな噴水で小さな子供たちが遊んでいる。
横では母親だろうか、女性が数人立ち話をしていた。
広場にそって大小店が並ぶ。チラリと見える後ろの路地にも商店が並んでいる様だ。この辺りが商業区だろう。
北側の大通りと広場の両方に面した一画にその堂々たる建物はあった。
白い石造りの壁に控えめながら洗練された植物の意匠が掘り込まれた看板が掲げられている。昨日まで歩いていた市場のざわめきとはまるで違う、敷居が高いというか格式がある様な感じだ。
扉を開けて一歩足を踏み入れると、内装は温かみのある木材と柔らかな光の魔灯に彩られていて、静かな音楽がほんのりと流れていた。
背筋を伸ばして凛とした佇まいの女性が声をかけてくれる。
「ケルノマスト商会へようこそ。本日はどのようなものをお探しですか?」
エーレが紹介状を渡すと、「こちらへどうぞ」と
奥の個室に案内してくれた。
部屋の中はしんとしていて、外の音が一切聞こえない。
かなり大きな木の一枚板を使ったテーブルと同じ材質で作った椅子が6個置かれている。
「担当のものが対応させていただきますので、こちらでおかけになってお待ちください」
促されるまま座り待っていると、程なくして入ってきたのは、こざっぱりとした身なりの壮年の男性で、銀の小さなメガネをかけていた。
「ご紹介を受けてまいりました、当商会のマネージャーをしております、のフラテロンドと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
私たちも軽く自己紹介をする。
フラテロンドさんは紹介状を読み、机の下からさっと布貼のトレイを差し出す。
「ハンカチの買取をご希望とのこと、こちらへいただけますでしょうか」
エーレがカバンからシルクのハンカチを取り出してトレイに置く。
地球でもエーレが使っているのを見たことがある。きめ細かなシルクだ。縁には氷の結晶のモチーフで水色と銀の糸で繊細な刺繍が施されたハンカチだ。
「こちらを査定していただけますか。素材と刺繍の両方について、価値が分かれば助かります」
フラテロンドさんはハンカチを白手袋の手で丁寧に広げ、光に透かし、刺繍の縫い目をじっと観察した。
「これは……非常に高密度の織りです。この光沢と手触りシルクでしょうか……失礼ながら、どちらで手に入れられたのでしょう?」
「異国で求めたものでして。詳細はお伝えできません」
フラテロンドさんは数度うなずいたあと、後方の呼び鈴を鳴らした。
「これは私の手に余る逸品のようです。服飾部門の部門長に見ていただきましょう」
数分後、、スマートな体つきに美しい金髪を緩く三つ編みにした女性…いや男性か…?が入ってきた。初めて見る…この人は間違いなくエルフだ…。
「まぁなんて可愛らしいお嬢さんかしら。それに隣の紳士も坊やも何を着ても似合いそう…素敵ね。わたくしは服飾部門長をしております、ヴェスとお呼びくださいね」
バチンとウインクをくれた。この人はあれだ、おねぇさまだ。
「ヴェスタラド、お客様に失礼ですよ。申し訳ありません、彼は腕と目は確かなのです」
「やめてよね、フルネームで呼ぶの。それに彼だなんて…。わたくしは性を超越した美の化身よ」
フラテロンドさんの発言にぷりぷりと怒りながらも席に着く。
「査定をご希望の品はこちらかしら。拝見させていただきますね」
手袋をはめて、布で口元を覆う。
さっきまでニコニコとしていた目が真剣なプロの目に変わる。
「まぁこの織り……なんて緻密。しかもかなり高密度な技法で織られているのでは?手触りも最高。色もシルク独特の練色で黄ばみもない素晴らしい品質。それにこの刺繍は植物かしら?見たことのない意匠だわぁ。素晴らしい。なんて美しいのかしら。素晴らしいわ」
ちょっと興奮気味のおねぇさん。
少し鼻息が荒くなった気がする。
一通りじっくりと見ると、ふう…と一息ついてハンカチをふわりとトレイに置く。
口元を覆った布と手袋を外して真剣な顔つきで話し始める。
「大変高品質のシルクですわ。刺繍の意匠はわたくしもこれまで見たことがない美しいものです。技術・デザインともに独自性が高く、もはや芸術品として扱っても遜色ないでしょう。ハンカチとしての価値は金貨1枚。その意匠の権利が金貨3枚、総額で――大金貨1枚でいかがでしょうか」
――大金貨。思いがけない高価な査定に息をのんだ。市場で果物を買うのに中銅貨が数枚だったことを思い出す。えっと…これはいくらぐらいだ…?
私は目を丸くしてぐるぐると思考を巡らせる。
エーレは笑顔で「えぇ、それで結構です」と話を進めている。
混乱してあわあわとしていると、ザクロが「1000万ほどの価値かと推察する」と耳打ちしてくれる。
ハンカチになんて金額…そしてそのモチーフは植物じゃなくて氷の結晶だよ
もう混乱してどこに突っ込んだらいいのかわからない。
エーレとヴェスタラドさんはがっちり握手をしている。商談成立のようだ。
フラテロンドさんが再度ベルを鳴らすと若い女性がお茶を運んできてくれた。何やらそっと耳打ちをして小さな紙を渡している。
出されたお茶はおそらく荒茶だ。お茶の木があるのであれば、紅茶も探せばあるかもしれない。
そのとき、部屋の扉が静かに開いた。
「失礼しますよ」
フラテロンドさんが即座に立ち上がり、深く頭を下げる。
「商会長、こちらエーレ様とお連れ様です。
こちらのハンカチの買取をご希望で、ヴェスタルドの見立てでは大金貨1枚とのことです。高額の取引ですので、ご確認いただけますか」
まぁ高額だし、偉い人が出てくるのも当然か……と、少し身構えながらお茶をもう一口。
目の前に座った商会長と呼ばれたその人をチラリと見る。
ちっさいおじさんだ。
……ん…?。
あの市場の店先にいたノームのオヤジさん――まさか。
「……えっ!? バルメステリオさん!?」
椅子の脚が音を立てるほど、私は勢いよく立ち上がっていた。お茶のカップが危うく倒れそうになる。
「おお、アミィじゃないか。よう来たよう来た、歓迎するぞ。お前さんのお連れが持ち込んだのかい? ほう、これはまた…異国の品かの」
どれどれと手袋をしながら、「お知り合いでしたか」「あぁ、昨日の髪飾りの子さ」とフラテロンドさんと話している。
驚きのあまり背筋が伸びたままになっていたことに気づき、そっと腰を落ち着ける。あの市場の小さな店先にいたノームの店主が、まさかこの商会の会長だったなんて。
確かにこのお店でそろわないものはなさそうね…
しばらくハンカチを確認していたバルメステリオさんが、ふうと一息ついてオラクルを懐にしまう。
「ふむふむ、ヴェスの目利きはいつもながら見事じゃ。大金貨1枚、まったく文句なしじゃな」
にこやかに笑い手袋を外すバルメステリオさんの指には、昨日ザクロが言っていた美しい石の指輪。
「バルメステリオさん、昨日はアミィが大変お世話になりました」
エーレが軽く頭を下げ、バルメステリオの方を向く。すっと手で指先を示し。
「大変無知な質問で申し訳ないのですが、その指輪の石は……登録水晶というものでしょうか」
エーレが低く問いかける。
「ごおお、当たりだよ。これがわしの登録水晶さ。ちいとばかし水晶とは違う色じゃが、何度か刻み直してるうちに、今の色に落ち着いたんだ。商売向きの色と変わり方だって、神殿の書にもあるくらいでね。わしの自慢の水晶ですわ」
「私共は異国から参りましたので、登録水晶というものがよくわかっておりません。商業ギルドでは人それぞれ違うもので個人の証明になると伺いましたが、色や質で何がわかるのですか」
「うむ。色や形、質の変化で個人の才能、能力、本質が見えると言われておってな。登録水晶は通常10歳の儀式で刻まれるが、人生の転機や成長によって変わることもある。希望すれば神殿で再度刻むこともできる。商人は第一印象と信用が大事ですから、こまめに刻み直しに行くのですよ」
エーレは興味深げに頷く。
インペリアルトパーズのような特別な黄色の輝き。
なぜか懐かしいような、引き込まれるような…。
呼んでる…
一瞬ふわっと何かを感じた気がするが、隣でつぶやく
ザクロの声ではっと意識が戻った。
「やはり石の色と商才の深さは関係するようだな。あの市場で一目見て、只者ではないと思った」
「はは、そんなに持ち上げられると照れるのう。けど、そう言ってもらえると嬉しいもんじゃ。……さて、大金貨ともなると、そのまま持ち歩くのはちと危なっかしい。取引用の魔石をまだ持っとらんのなら、ギルドに預けるか、うちで記録魔石を買うのがええじゃろ」
「魔石……ですか」
エーレが眉を上げて聞き返す。
「この奥にある魔術具売り場へ、案内させようかの。あんた、カフェを始めるって言うとったな? 火やら照明やら、使える道具がひと通り揃っとる」
「……あの、魔術具というのは魔導具とは違うのですか?」
以前、店内で使われていた照明のことをエーレが「魔導具」と言っていたはずだ。
「魔導具いうのはな、えらい昔に作られた高等な代物でな、どう動いてるのか、今でもよう分からんのじゃ。だからこそ、滅多に手に入らん。ほとんどが神殿が所有しとる。
それに比べて魔術具は、魔物から取れる魔石を使って、人の手で作った実用品よ。仕組みも単純で、種類もさほど多くない。魔術師や職人の手でこしらえることができる。魔石そのものは安くはないが、品質さえ良けりゃ、庶民でも使っとるくらい普及しとるんじゃよ」
「それは興味深いですね。ぜひ拝見させてください」
エーレが立ち上がると、ザクロもそれに合わせて立ち上がる。私が遅れて立ちあがろうとすると、ヴェスタルドさんがウキウキとハンカチを持って扉へと小走りに向かっていく。
「では、わたくしはこちらをお預かりして失礼いたしますわっ。今度はお洋服も買いに来てちょうだいね、アミィちゃん、ザクロちゃん」
またバチンとウインク。ザクロには投げキッスもくれた。
……ザクロが瞬きすら忘れて動かない。
まさかの投げキッスに、完全にフリーズしてる。
ふふ、ちょっと面白い。
バルメステリオさんとフラテロンドさんの案内で商会の奥へ――魔石と魔術具か…どんなものがあるんだろう。
ノームのおじさんはやはり只者ではありませんでした。
バルメステリオさんが言うには登録水晶は神殿に書物があるようです。気になりますね…
さて、次は魔導具とは別の魔術具を見せてもらいます。
お店の炊事回りの問題が解決しそうな予感です。