オムライスとみんなの情報
陽も高くなりはじめ、道を行き交う人もまばらになっていた。
朝の慌ただしさが薄れつつある市場では、早くも店をたたみ始める姿がいくつか見られるようになった。
店に戻る道すがら、ザクロに振り回されつつも、行きには覗かなかったテントの食材や調味料を少しずつ買っていく。
「おむらいすには赤いソースが定番であると書物には記されていた。
アミィは、あの赤い“けちゃぷ”なるものは作れるのか?」
オムライスへの期待が募っているのだろう、ザクロは普段よりも少し饒舌だった。
ケチャップらしきものは、先ほどほかの調味料と一緒に手に入れていた。
店主が「ケチャ」と呼んでいたから、たぶん大丈夫。
万が一違っていても、トマトとスパイスでそれらしいものは作れるはずだ。
最後に、果物屋のオランファーデさんから、朝採れのイチゴとオレンジ、キウイを購入した
紙袋に詰めてくれる手つきがどこかやさしく、少しだけ気持ちが緩む。
――カラーン、カラーン。
どこからか澄んだ鐘の音が二度、響いた。
「おや、そんな時間かい」とオランファーデさんが呟きながら、果物を紙袋に詰めてくれる。
「もうすぐ店じまいだし、おまけしてあげるさね。」
そう言って、イチゴをいくつか多めに入れてくれた。
「ありがとうございます、オランファーデさん。」
果物の袋を受け取り、お礼をいうと
「固っ苦しいのはなしさ。ランファでいいよ。またおいで。」
と豪快に手を振って見送ってくれるオランファーデ…ランファさんに会釈し、市場側の裏口からカフェに戻った。
中庭では新芽が陽射しを受けて嬉しそうに揺れていた。苔この苔むした中庭は、まるで地球を切り取ったような、懐かしさを含んだ風景だ。心が少し和らぐ。
お米を炊いでいる間に、買ってきた食材を整理しながらオムライスの準備に取りかかる。
今はまだ炊飯器とカセットコンロでなんとかなるけれど、このあたりも早めに整備が必要になりそうだ。以前はどうやって調理していたのだろう。この街の炊事事情についても、いずれ調べておかなくては。
ケチャップは想像通りの味で、仕上がりも上々。
ケチャップライスのオムレツにナイフを入れると卵がはらりとひろがる。
ソースをかければ温かな湯気とともに、甘酸っぱい香りが店中にふわりと広がった。
ふんわりとろとろのオムライスが完成だ。
これは……なかなかの出来。
エーレの分は、ごはんだけ盛りつけておいた。帰ってきたらオムレツを焼こう。
カウンターに二人分並べて端で尻尾を揺らしているザクロを呼ぶとさっととび降り、変化し席に着く。
「おお、これぞまさに書物にあった“おむらいす”。では、さっそくいただこう。」
いそいそとスプーンを手に取り、口に運ぶザクロ。きっと心の中のカーバンクルが、尻尾をぶんぶん振っているに違いない。瞳をきらきらさせながら、ひと口ごとに嬉しそうに味わっていく。
「おむらいす、美味であるな。」
私も席につこうとしたところで、ドアベルが軽やかに鳴った。
――カラン。
「ただいま戻りました。」
エーレが姿を見せた。
「エーレ、おかえりなさい。ちょうどお昼ごはんができたところなの。一緒にいかがかしら?」
「おかえり。我らはこの地で集めし情報と共に、選りすぐりの食材を用いて料理をこしらえた。この“おむらいす”なるもの、なかなかの出来であるぞ。」
ザクロは満面の笑みで、半分ほど食べ進めた皿を前に得意げに語る。
……作ったのは私なんだけど。
「それは結構。では、私も昼食をいただくとしましょう。」
エーレはカバンをテーブル席へと下ろす。
私はすぐさまといておいた卵でオムレツを焼き、エーレの分をザクロの隣に並べた。
エーレは席に着くと黙ってひと口食べ、「これはなかなか」と小さく呟いた。
その口元が、わずかに緩んだように見える。
私も席に戻り、オムライスにスプーンを入れたところで、エーレが口を開いた。
「そちらは、何か情報はありましたか?」
そうだった。今日は情報収集のために出かけたのだった。
……最後はすっかり買い物になってしまっていたけれど。
「市場をひととおり歩いて、いろんなものを見てきたわ」
通貨の種類や、ノームの職人にかんざしを買い取ってもらったこと、そのおかげで食材をいろいろと手に入れられたことなど、順を追って報告していく。
「このオムライスも、全部市場の食材で作ったの。名前も味も、地球のものとほとんど変わらなかったわ」
食材の味が同じだったのは嬉しい驚きだった。だが、気になるのはやはり調理の設備だ。水道や火、電気がどうなっているのか――店を開くにあたっては、そちらの確認も必要になるだろう。
その話に、エーレは頷きながら言った。
「その辺りは、後日開業の手続きで商業ギルドに赴いた際に確認しておきましょう。相談に応じてくれるはずです。」
ちゃんとそういう仕組みがあるんだ。少し安心する。
「かんざしを買い取ってくれたノームのおじさん――バルメステリオさんって言うんだけど、その人は商業区にもお店を持っているそうなの。彼の店では揃わないものはないんですって。かんざしのお礼にサービスしてくれるって言ってくれたわ。」
余ったお金を取り出して、硬貨の種類説明しながら、思い出したことをつらつらと話す。
大銀貨以上の高額硬貨はまだ見ていない。
「そういえば、香辛料は高級品だって言ってたわ。」
カウンターの上に置いた胡椒の瓶を指先でツン、と傾けると、エーレが目を留める。
「確か棚に、ホールのままのストックがありましたね。小さめの瓶に分けて査定してもらいましょう。」
香辛料があまり高額なようであれば、使い方を慎重にしないといけない。
私のかんざしにも、エーレが持っていたハンカチにも、思っていた以上の価値があった。当面の資金については、少し余裕があるとはいえ、胡椒は気軽に使いたい。
ふと扉の装飾に目をやると。半月の影が、扉の中心から少し右にずれている。市場で聞いた「半月の刻」は時間なのではないだろうか。
「ねえ、あの扉……朝は三日月で、昼は半月、夜になると満月が浮かぶでしょう? 市場の人が、"半月の刻"まで毎日店を開いてるって言ってたの。あれ、たぶん時間のことなんじゃないかな」
「あぁ、かつてのジェメールツォは一日中月空に月が見えていましたから。その形で時を計っていたという話があります。今は……空に月は見えませんでしたが。その名残りでしょうか。」
月が消えた…確実に変化しているものもあるようだ。
地形についてはどうなのだろうか。
「南の国には海があるらしいわ。貿易も盛んで、海の向こうの国から入ってきたのもや魚なんかがこの街に運ばれてくるんですって。私、海の向こうの異国から来たと話したの。」
私がそう言うと、エーレは少し首をかしげ、顎に手を当てて考え込んだ。
「そうでしたか。それは、話を合わせておきましょう。しかし、海は隣国まで行かないとないのですか。
では、神殿前の池から潮の香りがしたのは……気のせいでしょうか。」
あの様子だと前は海が近かったのかな。
隣国との距離も、海までの道のりも、まだ何もわかっていない。
地図がほしい。そろそろ、街の全体像を把握しておかないと。
「市場の人たちは、みんな親切だったわ。よそ者だからって、ぼったくられるようなこともなかったし。」
かつてと大きく変わたこともきっとあるだろう。
でも、少し拍子抜けするくらいに思っていたよりずっと住みやすい街かもしれない。
うんうん。結構情報が集められたし、必要なものも見えてきたわ。
「我は、アミィが店主たちとが話す間、行き交う者たちを観察していた」
ザクロは最後のひとくちを名残惜しそうに食べ終わると、ゆっくりと口を開く。
「この街において目立つのは人族と獣人族だ。ことに人族は年齢層も職種も幅広く、獣人族は耳や尻尾に特徴がありながらも、忌避されることなくよく馴染んでおる。ノームやドワーフは……それに比べれば少数。特にドワーフはあまり市場では見かけなかった、ごく稀なのであろう」
「エルフは?」と私が尋ねると、ザクロはわずかに首をかしげた。
「そなたは市場で見たか?」
「耳の長い人がいたと思うんだけど…」
「あれは人との混血のハーフエルフだ。以前のエルフは往々にして森に篭りがちであったであろう。今も変わらぬのではないか。この街のような開かれた市には、用がなければ現れぬのだろう。他にも種族を超えた混血と思しき者は、一人か二人ほど見かけたが……こちらも稀である」
とはいえ、種族間の差別などはない様子であったと続ける。
なるほど、確かにそうだったなと思いながらザクロの報告を聞いていく。
「それと、市場の西側に住居が立ち並んでおったところは木造の多層建築が並ぶ区画が見えた。粗い板材に煤けた壁……あの辺りは、財の少ない者の住まいであろうな。だが、市場に来るものの身なりはみな整っていて目立った貧しさは見られぬ。すなわち、貧富の差こそあれど極端な貧民はおらず、生活水準の底は高い。この国は、ある程度の保障と安定を保っているのであろう」
すごい。そんな事全然気が付かなかったわ。
地球の特に日本は街もきれいで身なりも整っているのが普通だ。
そもそも貧民という感覚がない所で20年間過ごした私はそういう発想には至れない。
驚きだ。
「さらに、人々の多くが水晶をあしらった装飾品を身につけていた。首飾り、指輪、腰紐……形は様々だが、必ずといっていいほど水晶が使われておる」
ザクロは思い出すようにゆるく指先で空をなぞってこのくらいと高さを示して言葉を続ける。
「ただし、幼き者ども――七つ、八つ頃までの童たちには、装飾の類が見られぬ。ある年齢に達したのち、装着を許されるのではあるまいか。その境目はことさら小さな童しか目にせなんだゆえ、図れなんだが。」
「へぇ……」
私、そんなこと気が付きませんでした…
「さらに、興味深きはその色や形状である。同業と思われる商人たちは、装飾された石の色もよく似ておった。我はあまり記憶が定かではないが、かつての神や眷属の気色と関係があるのではないかと推察する……石の色と職業とは関係がありそうだ」
オムライスのお皿にカランとスプーンを置く。
「しかも、色の深さに明確な差異がある。濃い色を持つ者は、他と比して技術や権威があるように思える」
「たとえば、バルメステリオ。かの御仁の指輪に嵌められていた石は、他の商人たちと比しても群を抜いて深い色であった。水晶というよりトパーズ…以前のムーンロンドに訪れていた下位神が身につけていたインペリアルトパーズに近いものを感じた。確か商いの神であったはず。周りと比するにあれほどの者が市場に現れるとは、いささか不自然。おそらく、商業区に店を構えているという店はかなりの大店ではないか。」
私は思わず感心の声を漏らしていた。
「ザクロ、あなた……オムライスのことしか考えてなかったわけじゃなかったのね」
「そなた、我をなんだと思っておるのだ」
不満そうに眉をひそめるザクロ。
……食いしん坊にゃんこだと思ってます、と心の中でそっと答えた。
ザクロは、まるでそれを読んだかのようにじろりとこちらを睨んだあと、ふんと鼻をならしてと視線をそらす。
「石の色と職業の関係……非常に興味深いです」
エーレがそう言って、食後の湯を一口含んだ。
「商業ギルドで『登録水晶』という個人の身分証明書のような役割持つ水晶があると聞きました。10歳になると古の魔導具で水晶に個人の能力を刻むのだとか。」
「能力を……水晶に?」
「はい。本人の能力を水晶が映し取り、それによって色や形、時には他の石を内包することもあるのだとか。性質までもが変化することも稀にあるそうです。私はこれに似た魔導具を以前見たことがあります。おそらくラブラドライトの星の羅針盤に似たようなものでしょう。あれは本質の石を持たない人族の加護を無垢の水晶に刻む魔導具でしたから。」
私は、さっきザクロが語っていた推察とぴたりと一致することに驚いた。
「登録水晶は加工が自由で、指輪や首飾り、ブローチ、髪飾りなど、自分に合った形に仕立てて身につけているようです。ギルドではタイピンに加工されて物を見せていただきました。個人の証明としてはもちろん、子供達が自分にむいた職業を決める際の指針となるのでしょうね」
「この世界にはまだ石が身近にあるのね」
カバンの中にしまってあったアメジストを取り出し、やさしくなぞる。
「石の記憶は全てなくなってしまったわけではなさそうです。我々は本質の石を持ってはいますが…あらたに水晶にきざむとなるとそれはそれで目立つでしょうか…。
エーレは顎に手を当てて思案する。
どういう色や形状などでどういったことが読み取れるのか…
まだまだ情報が足りない。
エーレは思案するのをやめたのか、テーブル席の方に置いてあった鞄から数冊の本を取り出しながら話を続ける。
「神殿へも足を運んだのですが、アクアの存在を感じ取りました。残念ながら祀られている女神像の石はアクアマリンではありませんでしたが、神殿のどこかにはありそうです。」
今日一番の重大情報ではないだろうか。
使った食器を洗おうと、立ち上がったザクロも「ほお」と身を乗り出してきた。
「非常にかすかなものでしたので、いるということが分かった程度ですが…もしかしたらアミィであればもっと感じ取れるかもしれません。あとで一緒に神殿に行ってみましょう。こちらのお礼もしたいですし。」
出し終わった本は一つ一つは薄いが、結構な冊数だ。
「こちらは神殿の教室で使われている学習書です。子どもたちに配布されているものをご厚意で譲っていただきました。」
「まぁ、こんなにたくさんの本を…。神殿には学校があるのね。」
パラパラとめくると微かに見覚えのあるような文字が並ぶ。なんとなく意味がわかるようなわからないような…
「はい。簡単な文字の読み書きや計算の基礎、建国にまつわる神話や歴史、地理、国の制度などを学ぶそうです。あなたたちがこの世界を離れたのは4歳です。使われている文字は以前と似ているとはいえうろ覚えでしょうから、少しずつでも目を通してこの世界の常識をお勉強しながらきちんと文字を覚えるといいでしょう。」
彼はにこりと穏やかに微笑んで、私とザクロを交互にみてにっこりと笑う。
「どちらの上達が早いでしょうね」
……これは、挑戦状?
隣でザクロもすっと手を伸ばす。
「なるほど、貧富の差はあれど僅かであるように見えたのはこのような教育制度のおかげか。」
情報収集は完敗だ。しかし勉強となると私の方が有利のはず。
ここは20年寝ていたザクロと義務教育から大学まで勉強三昧の私との違いを見せつけるときね。
どうやら次の勝負の火蓋が切って落とされたようだ。
ザクロがかなりしゃべりました。
オムライスの材料を探していたわけではないようです。
あまり人と会話をしませんが、じっくり観察することでさまざまな情報を得ています。