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[掌編集]嘘の五つの顔

囁く花 -嘘の五つの顔⑥-

作者: palomino4th

 面会申請用紙の記入事項を全て埋め受付に渡し、病棟に入りいつもの病室へ向かった。

 6人部屋のベッドはすべて高齢の患者で、そのうちの一人が文子(ふみこ)さんだった。

 文子さんのベッドの横には、いつも通り娘の久美さんが丸椅子を置き座っていた。

 無言でお互いに頷うなずいて挨拶しあった。

「こんにちは」声を潜めて久美さんが言った。「さっきまで起きていたんですけど、眠っちゃいました」

 すっかり小さくなって子供のような寝顔の文子さんを見る。

 すやすやと寝息を立てている。

「良い顔色してますね」

「今朝はごはんも完食して……」久美さんの言葉が止まる。

 文子さんが小さい目をか開けて(しばら)く久美さんと見つめ合っていた。

 それから私の顔に視線を移したので笑いかけた。

 次第に文子さんの顔がほころんできたので久美さんも少し笑った。

「さぁー。誰か分かる?」久美さんが言うと微笑んだまま無言で頷くけれど言葉が出てこない。「藤男おじさんですよ」

「フミさん、こんにちは。いい笑顔ですね」私は笑顔で語りかけた。

「初めまして」笑顔で文子さんが言う。

「初めてじゃないでしょう」久美さんが笑いながらも困ったように訂正する。

「いやいや。初めまして」フフフと笑い私は応じた。

「……今日は足のトレーニング、リハビリ沢山頑張ったんだよね。ちょっと疲れちゃったかな」

 久美さんと私を交互に見ながら、笑顔のままでいる文子さんは、何を言われても頷くばかりだ。

 他愛(たあい)ない話を久美さんとしていると文子さんが何かを言いたそうにしている。

 久美さんが顔を近づけて聞くと

「耳飾り……」と言っているのが分かった。

「ああ、お花のね」

久美さんが合点(がてん)がいったように笑ってから私の方に向いて説明した。

「何か最近。しきりにイヤリングの話をするんです、紫の花で「片方が無い」とか言っていて。私を育ててくれてた時期の母さんがそういうのしていたの見た記憶がないだけど、多分若い時してたのじゃないかな……実家を探してみたけれどもまだ分からないんです」

「どこかに無くしたんでしょうか」

「ですかね。その片方のことを近頃言い出して。片方どころかもう片方もどこにあるのか。中途のこと忘れて昔のことばかりをよく思い出すみたいで」

「見つかれば、何か思い出しますかね」

「どうでしょう……最近はもう、家族の顔もちょっと怪しくなってきて」


 面会を済ませた後、病院の駐車場、自分の車に乗ってから暫く考え事に(ふけ)った。

 久美さんも知らないそのイヤリングの事を、今知っている人間は多分、自分一人だろうと思った。

 病院の見舞いから帰宅し、私は自分の机の引き出しにしまって置いた小さなケースを取り出した。

 あの日受け取って以来、結局返すことの出来なかった、文子さんの藤の花のイヤリングの片割れは今も私の手元にある。


 文子さんと私は従姉弟(いとこ)同士の間柄だった。

 彼女は年齢は私の2つ上、聡明で美しい女性だった。

 親戚同士の付き合いの中で会ううちに、私は文子さんに特別な感情を抱いていた。

 文子さんが大学生で、私が高校を卒業する年だった。

 勇気を出して「一緒に映画を見に行ってください」と申し込み、彼女は快諾(かいだく)してくれた。

「デート」かどうか、はっきり言葉にはしなかったが、青いワンピースと紫色のイヤリングで耳を飾った姿を見て半ば自分の希望は伝わっている、と信じた。

 映画を観終わり、最後の予定……背伸びをして入ったレストランで食事をしながら、自分のこれからのことを話したと思う。

「卒業をした後、別の親戚の伝手(つて)を辿って大工の修行をする、期間は分からないけれどきちんと大工としてやっていけるようになったら正式に……」と口にした。

 大学生の文子さんに「自分を待っていて欲しい」ということを思い切って言ったのは、賭けだった。

 相手の気持ちも十分に確かめないままだったが、断られたのならばこれを最後に身を引く覚悟はしていた。

「藤男くん、本当に頑張ってね」文子さんは優しく微笑んでゆっくりと考えるように言葉を探しながら言った。「立派な大工さんになって一人前になって。そしてその時にまだ気持ちが変わってなかったら」

 その場で紫のイヤリングの片方を外した。

「これ、藤男くんに(あず)けます。これを持ってわたしのところに帰って来てください」

 手に受け取ってぽかんとした顔で文子さんを見返した。

「藤の花です。藤男くんの「藤」なんですよ」


 大工の修行の(きび)しさも、それを支えに乗り切っていた。

 仕事が辛く、一日の終わりに疲れ果てていても何より文子さんとの約束を思い出す、その手応えがあるからこそ未来を信じていられたのだと思う。

 だけどその未来は断ち切られてしまった。

 遠隔地の現場に向かう途中、無謀運転の(もら)い事故に巻き込まれ、私は左腕を負傷した。

 傷は治ったものの腕に十分な力が戻らず、大工の仕事を続けることが不可能になってしまった。

 ……修行をやり遂げる事が出来なかったのである。

 大工の道を諦め、人の紹介で全く別の業種の会社に入った。

 左腕は重い力仕事だと無理なのだが、普通の業務や日常の作業はどうにかこなせるくらいに回復した。

 だが文子さんとの大切な約束がこんな形で打ち切られたことに撞着(どうちゃく)があった……

 親類を通じて、負傷によって大工を断念したことは文子さんに伝わっている筈だった。

 当時の私は宙吊りになっていた。

 約束を放り出した形になったことの後ろめたさや怯え、格好悪さを感じ、彼女に連絡する勇気を出せなかった。

 今思えばとにかく文子さんと連絡を取り、まず話すべきだった、どれほど格好悪くてもきちんと会って正直にすべての気持ちを話すべきだった。


 しかし私は連絡を取らずに時間を無為に過ごし、そうして文子さんが結婚することを知らされた。

 相手とは学生時代の同窓の間柄で、とても優しい男性だった。

 親戚として披露宴に出席した時だった。

 私たちは昔馴染なじみの従姉弟同士として話し、心からお祝いの言葉を送り、あの日のイヤリングのことは互いに一切口にしなかった。


 彼女ら夫婦の間に久美さんが誕生した頃、私の方は職場で知り合った女性と交際し、それから結婚をした。

 時折、それぞれの家族同士で交流することもあり、私も久美さんと面識が出来た。

 それぞれ右往左往(うおうさおう)しながら数十年の時が流れ、久美さんも大人になり結婚し母親になり、文子さんの夫は突然の病気で逝去された。

 文子さんと久美さんという家族を大切に守り続けていた彼は紛れもなく立派な男で、きっと彼女の人生を幸せにしてくれていた筈だ。

 そして、私も文子さんも高齢者になり、体調を崩した彼女は、療養型の病院に入院することになった。


 ある雨の降る日、私は文子さんの病室に見舞いに訪れた。

「今日はすっかり眠ってしまって、起きないかもしれませんね」

 その日も付き添っていた久美さんが言った。

「良い顔で寝てますね。良いです、起こさないでおきましょう。……私も文子さんもほとんど同じ歳です、どうしてもしんどくなる時がある」

「藤男おじさんはまだご自分で運転もしてらっしゃるし、まだまだ若く元気でいらっしゃる」

「いえいえ。もうこれで。運転免許の方ももう返納することに決めてます、何かあってからでは遅いですからね。バスやタクシーを使ったり、何かの必要な時には息子に頼んでどうにかするつもりで」

「そうですか」

「あ、これ」私は頃合いを見て取り出した。「こないだの話……片方のイヤリングというのはこれだと思うんです。紫の」

 彼女の掌の上に載せると、久美さんはそれを見て、ああ、と言った。

「私の実家の母の遺品の中に、別に分けられてあって。『文子さん』と書かれた封筒に入ってたものです。何かの際に、家に来た時に落としたりしたのか……多分、私の母が拾って、いつか返そうかと思ってそのまま忘れちゃっていたのではないですかね。私には正体が分からなかったもので、そのままだったのですが」

「紫の花……これかもしれませんね、どうもありがとうございます、きっと母も喜びます。探せばもう一つの対がどこかから見つかるかも」

「出てくるといいですね」

「これ、何の花でしょう」

紫陽花(あじさい)じゃないですかね、紫の」

「ああ、きっとそう」

 久美さんはイヤリングをベッド脇のチェストの引き出しに入れた。

 運命は私たちを離れ離れにしたけれども、それぞれに幸せな素晴らしい家族を持たせてくれた。

 ずっと帰れなかったイヤリングを、私はようやく文子さんの元に届けることができた。

 文子さんが私の顔も名前も忘れただろう、この時こそがその潮時だった。

 私ももう文子さんと会うこともあるまい。

「さようなら」

 誰にも聞こえないようそっと口にして、私は全てのことを仕舞い終えた。


初出:2023年(令和05)05月07日(日)

[SNS「のべるすきー」]  2023年(令和05)05月07日(日)投稿 日替わりお題→「修行」「トレーニング」「片方だけのイヤリング」 


改稿:2023年(令和05)09月10日(日)

[note] https://note.com/palomino4th/n/n00c05081ce30


改稿:2025年(令和07)02月11日(火)

[小説家になろう]


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