人生とは死ぬ用意、武士道とは死ぬことと見つけたり
生とは死に向かうべきもの、死とは生が逃れ得ないもの、そして生と死は始まりと終わりであり全ては死ぬためにある
生きる目的は?なんのために?
それは死ぬために
死ぬために何をすべきか?死を受け入れること?
それが生きるということ
死を満足して迎え入れること、それは生だ
生とは結果ではない、死へ向かう故の過程だ
死は躊躇うべきものだ、だが逃れえたり、嫌うべきものでは無い
死とは受け入れるべきものなのだ
そして、死ぬために必要なのは死を安らかに受け入れるヴィジョン、情景のことであり、生とはその理由を、情景を、ある種の諦念という名の覚悟を、得るための手段であるにしか過ぎない
誰もが生に向って、死を歩んでいる
生に取り組み、死に歩み寄っている
ならば、死ぬ用意ができたのならば、もう生きている意味もないのだろう?余った時間を過ごすことになんの意味がある?
鬱だ、それは鬱だ、何ら役割のないことに対しての
役割がないのならば、もう騙されない
村のため、国のための犠牲のように、いい結末はありえない
そんなものがあったのならば、どれだけ良かったことどろう?
ああ、それならばいっそ、スラムや荒野の子供のように、傭兵のように、兵士のように、戦場に飛び出で死ぬのも良いのかもしれないな
それは、安心だな、安心できる結末だな
死ぬことは当たり前で、死んで然るべき
むしろ死ねば良い
なぜ、それを忌避したり遠ざけたり、悲しんだり哀れんだり、さべつしたりする?
何ら特別なのでは無い、やはり死ねば良い
それか、今すぐ老衰して死ねたらいいのに