ほんねのみ 二
菊川 真夜
体育は1時間の休み時間である。室内でも、やれる運動でも、いくらしーちゃんが私を引き込めようとしても。私の意見と意思は揺れない。
小学低学年の頃には家の周りか遊び場でバドミントンをしたりしてた。昼には友だち、夜には母が相手だったなぁ。
体を動かさないでずいぶんと経ったけど感覚は残ってるかもしれない。意味ないけど。私の居場所はコートの上じゃない、端っこのマットの上なんだ。
「隣邪魔するー」
このマットが私のマットではないけど私の席なのに、菊川さんはちゃんとした了解も取らず付いてくる。座ったまま姿勢を正すために激しい動きをする菊川さんの太ももがこっちに触れる。あのさ、気をつけてよ。ねぇ。
「しのっちが日南のこと呼んでたよ?」
「絶対に行かない」
「うん。私も行かないつもり」
離れて座ろうとしたらわざわざ付いてきて笑顔も一緒に大きくする。ずっと離れようとしたら口角が目と一つになって化け物に化けてしまうから早い段階で諦めて、引き集めた膝に両腕と顎を上せる。ぎりぎり聞こえる程度でのため息を吐いて不満は表現しとく。菊川さんは1ミリも気にしなさそうだけど。
「やっぱオモい日には動きも重いわー」
「絶対嘘じゃん」
「1秒ぐらいは騙されてよ」
しーちゃんにトリプルスコア超えで勝ってからそんなこと言っても本気だと受け入れられるわけがない。せめて手放しで「私演じてますぅー」宣言してるみたいな声はしないで言って。
しーちゃんだってできない方でもないけど。菊川さんは確実に運動感覚が全般的に良い。うちの学年内では一桁なんじゃない?
「私が菊川さんとやったら連続100点取られるんじゃない?」
「絶対嘘じゃん」
「やりかえしー」
小学低学年の時の昼の相手の一人でもあった菊川さんにこのような嘘は冗談それ以上でも以下でもない。なので気軽にふざけられるのでもある。
あの頃は私のほうがちょっとは上手だったと思うけど、今は楽観でも勝てる気がしない。流石に100点はないけど普通にしーちゃんより惨敗するよ。
どうせ検証することないのでシミュレーションには意味がこんくらいもない。
「しのっちとはどー?うまくいってる?」
「こんな所で聞くんじゃないよこら」
「別にいーじゃん、誰も気にしてないもん」
「しーちゃんにガン見されてるけど」
「しのっちは論外!で、どぉなの?」
「関係者論外とか論外なのでは」
菊川さんは恋愛相談の相手で、私からしーちゃんが好きってことを言った。あれからもう2年か。
「それなんで私に言うん?大萩に直接伝えないとね」
最初そう言われてこいつに話すんじゃなかったー後悔したけど。そう簡単に伝えられるもんなら菊川さんには一歩も向かなかったし。
遠慮がなくて慎みが足りないけど心は綺麗が過ぎるくらいの子なので、理解してもらった後からは真面目になってくれた。人にバラしたり噂に立てることもない。あるわけがない。いっつもどーなのどーなの聞いてくるのは面倒いし飽きる、けど私を守ってくれてるのもあるから、その代金みたいなこととして答えられるラインの中ではしっかり話してる。吸血鬼云々からのあれはさすがに言えなかったな。
いざ助言のお一言なんかは使えないけど、まぁ私としてはいろいろぶちまけられるってことだけで十分助けになる。誰にでも言えるものじゃないから。
「はぁー。そのまま、同じ」
「だから告白しないとなに一つ始まらないって」
ソレはちょっと重すぎない?
それに私の怯えポイントは不変ではない。激変だ。告白して変わるのが怖いんだ。重ねたカルマが多すぎて、今更告白とかしちゃったら嘘が弾ける。しーちゃんがどう思うか思いたくもない。
口と口の繋ぎでだけ血を受けられる、でも致命的な弱点はない吸血鬼、とか。冗長な理屈張らないで初めから真剣に告白すればよかった。強欲で順を捩った果て拗れちゃった。ざまぁね。
だったら唇を噛まれる時の彼女は見れなかった。恋人じゃなく親友だからこそできる距離感だってあるだろうし、そもそも初めから告白したとて必ず成功ってわけにもいかない。どの選択肢も一長一短ほどじゃない、百長百短ぐらいであって、取れない逆側がとても大きく見える。あっちを取ってたらこっちが大きく見えたかな。
でもやはり、特殊すぎるキスよりも付き合いが特別だと思う。普通こんな奇妙な回避浮かべないし、オポチュニティコストだとも言えないわ。
少なくともこの道には後悔が付く。それでも前へ行くしかない。人生にセーブスロットなんかはないし、Uターンもバック走もできない。
だとしても斜めの山道よりは高速道路を走りたいのはしょうがないのだ。
「もぉか、菊さんと何話した?」
授業に参加しないなら準備と後片付けでもしなさいっという妥協案と、実現の媒介として貰った、『体育委員』と書かれたコート紙を学生証のケースに入れて持っている私。体育をやらない体育委員とか冗談にもほどがある。
下に散らかったバドミントンラケットとシャトルを二つのプラスチックの箱に分類し入れ、いちおう委員として授業の終わりに貰う鍵束から一つを使ってエアコンの横にある倉庫を開いた。
次である3時間目は体育のクラスがなくて、4時間目には3年の4組がこの講堂兼体育館を使う。けれども3年はバドミントンの授業じゃないからこれらは妨害物になる。それなりに重い箱は持ち上げなさそうで押して入れた。
用事が終わった倉庫を閉ざして、明かりも消して、そろそろここから出ようとした際にしーちゃんが入ってきて、ドアを閉めては詰ってきた。
君を対象で恋愛相談してたとか言えないのは当然のことである。
「一人で休むのはズルくない?だって」
「菊さんが?ちょっと意外」
そんなわけないよね、嘘でしょ?と突っかからないしーちゃんだ。私の言うことならなんでも簡単に信じちゃう。吸血鬼なんかのとてつもない嘘ですらつゆも怪しまれなかった。
「私も行かないつもり」って言ったし、今度はべつに嘘でもないけど。ただ論点と遠いだけ。
「しーちゃんは疲れてない?1回も休んでないよね?」
「これくらいは平気。菊さんも疲れたから休んだんじゃないでしょ?」
「それはわからんわ」
たぶん現状を確認するためのドッキングだったんだろうけど、その裏で本当に疲れていたかまでは知らない。べつに知りたくもない。
「鍵掛けないとね。出よっ」
「…血は大丈夫?」
予想外の襲撃に首を絞められ、正に今血を渇望する。
むしろねだるようにも見えるその姿をセンシティブだと感じる私はどこか吸血鬼に憑かれたかもしれない。綺麗に育った歯がうずうずして牙が生えるみたい。
早速彼女を、その唇を、噛みたい。が。
「いいよ、朝にも飲んだんだから。…授業始まっちゃうよ。ほら」
血の代わりに本音を呑む。
右手でドアを引き開けて左手を伸ばし、しーちゃんに掴みを誘う。右腕にかけといた鍵束がずり落ちて縦に長いドアノブに当たる。ドアノブはふわっとした素材で被られてるけど、反動で暴れ仲と接する鍵達の短くて高い金属音は止めなかった。
「しーちゃん?」
「…そうだね。ごめん。行こ」
その可愛らしい微笑み。私だけが観れて良かった。
私も笑顔で返しながら、手を取ってくれたしーちゃんと廊下に出る。
本音-飲み(↔︎)