騎士団本部
『"未知への扉"か……』
レオブラウンはポツリと呟く。
ヴァルガルダを有する北部地方は、寒冷な地帯のため植物や生き物を育てるには不向きであり、これといった資源にも恵まれていない。
そこで北部地方は昔から、人材育成に力を入れてきた歴史がある。
魔石に魔法式を刻み魔道具を作る職人、植物や魔法生物から魔法薬を作る調合師など、優秀な人材を多く輩出してきた。
また、古来よりモノを作る人が集まる場所には、モノを売買する人も集まるもの。この北部地方も例に漏れず昔から商いを行う大店の商店が多く集まる。
商いの街として有名なヴァルガルダには、それを象徴するように王国随一の大きさを誇るセントラル・ヒューレ市場が街の中心部にある。
しかし、ヴァルガルダにはそれを上回るほど有名なモノが1つある。
それが"未知への扉"で、この扉は街のシンボルにもなっている。とは言ってもこの扉は一般的な扉とは異なり、左右に開閉するわけでもなければ、上に持ち上がるわけでもない。
それでは"未知への扉"とはいったい何か?
王国周囲を囲っている2重の城壁が存在していることは以前にもお話ししただろう。
そして、その城壁のたった一箇所にだけ古代術式が刻み込まれた場所がある。そしてこれこそが"未知への扉"である。
この術式は、王国の真北に位置する壁の下から5メートルほどの高さの所に、大きな正方形の形で刻まれている。
何重にも渡って複雑に刻まれた古代文字の姿からは、扉の要素は一切感じられない。
だが、この術式こそが"未知への扉"なのである。
「…………す…、…………レオ、…レオ!」
ハッと我に返る。顔を上げると、心配そうにこちらを見ているシーラの姿が見えた。
そうだ、昼を食べた僕たちは、騎士団本部に向かってたんだった。そこまでを思い出したレオブラウンは、周囲を確認する。
「大丈夫ですか、レオ? 体調が悪いのであれば、帰った方がいいと思いますが……」
シーラは、そう声をかけると額に手を当てた。
「熱は無さそうですね」
『ごめん、大丈夫。ただ、考え事をしてただけだから』
尚も心配そうにしている彼女に、本当に体調が悪くないことを伝えれば、一応は納得してくれた。
デオーテルは父親のもとに向かっているのか、遠くの方に気配を感じる。
僕が考えに耽ていた間に、どうやら騎士団本部に着いていたらしい。
実際に"未知への扉"を見るとなると、色々と考えてしまっていけない。
レオブラウンは、これまでヴァルガルダに12年も住んでいたのに、ただの一度も"未知への扉"を見たことはなかった。
ツアーに参加をすれば見れるのだが、おじさんとおばさんが嫌がるので、僕は参加したことはない。そういう事も知っているから、デオーテルのお父さんは今日招待してくれたのだと思う。
それから僕たちは祭りのこと、学校のことなどたわいもない事を話してデオーテルを待っていた。
「わりぃ、だいぶ遅くなった」
デオーテルが、戻ってくる。
父親への用事が終わったデオーテルは、検問所の前で待機していた僕らを招き寄せ、若い男の人を紹介してくれた。
「この人は、トルカさん。親父の代わりに、今日、色々と案内してくれるらしい」
「トルカ・ストリアです。短い間だけど、仲良くしてくれると嬉しいな」
穏やかな声。それに、クリーム色のフワフワとした猫っ毛な髪のせいで、何処となく優しい雰囲気を感じる。
ただ、体格は流石は騎士といったところか。背は高く、しっかりと鍛え上げられた筋肉で、体つきはとてもがっしりしている。
『こちらこそ、宜しくお願い致します』
僕らは揃って頭を下げた。
それから、トルカさんは訓練施設や職務場、食堂など広い騎士団本部内を案内してくれた。
『トルカさん。こんな時期に、僕たちが此処に入って良かったんですか?』
「ん〜?
忙しいは忙しいけど、応援がいっぱい来てくれているおかげで、人手は足りてるから問題はないよ。
それに、"未知への扉"は、いつもツアー客や騎士団の関係者が見に来ているからね」
僕も今日知った事だが、この街の住民の殆どが"未知への扉"を見たことがあるらしい。一度も見に来たことがない僕の方が、珍しいくらいだと言われてしまった。
普段の仕事内容や魔法生物についてなど色々と話しながら歩く。
「おっ、お待ちかねの"未知への扉"が見えてきたよ」
トルカさんが指差した先を見ると、白い壁に黒い四角が見える。
これが、"未知への扉"なのか。
「さてさて、初めて見た感想は?」
トルカさんは僕に話しかてくれたのだが…………申し訳ないのだが、言葉が出てこない。
「ふふ、意地悪してしまったかな。
がっかりした? 大丈夫、初めて見た人の反応は大体そんな感じだよ」
思っていることを、言い当てられてしまい若干居心地が悪い。ただ、本当に、"えっ、これが?"と思ってしまった。
想像していたよりも小さく、古代術式の周りは真っ白な壁で他には何もない。これが街のシンボルなのか、というのがシンプルな感想。
「いや、分かる。俺も最初見た時は、ショボって思ったよ」
「デオーテル、"未知への扉"の前で、流石にそれはダメですよ。もう少し言葉を選んでください」
シーラはデオーテルの言い方は注意するものの、否定はしない。そうか、2人とも同じような感想を持ったのか。
ショボイ…………うん、確かにショボイな。
神が残していった神秘なのだから、結界に刻まれた古代術式のように派手なものだと勝手に思っていた。
「学校の授業で習ったと思うけど、この扉は来月に行われる、式典で用いられる。
と言うより、この式典以外では使われることは絶対にない。
大勢の魔導士による魔法と、王家に代々伝わる鍵の2つが揃ってようやく…………」
僕は、トルカさんの説明を聞きながら、ぼんやりと壁を眺める。
この古代文字が刻まれた"未知への扉"は、アステール王国で唯一国外へとつながる扉なのだ。
王家に伝わる魔道具である鍵と、高度な魔法が揃い、決められた手順を踏み儀式を行うことでようやくこの扉は開く。
人々が"未知への扉"と名付けたこの扉は、アステール王国の建国時に神によって創られたとされる。
アステール王国の前身であるピルヒネール王国がまだ地上に国を構えていた頃、周囲には大小様々な国家が存在していた。
そして、当時のピルヒネール王国では王政府が他国と積極的に貿易を行い、国民同士も他国と交流を重ねていたと言う。
しかし今より790年前、あの悲劇が起きた。一瞬にして地上は破壊されて死が溢れ、絶望が満ち溢れてしまった。
そんな不浄の地上から隔離することで、王国民を守ろうと神は二重の堅固な城壁を築き、不浄の地上からの侵入を防ぐべく、頑丈な結界を張ったとされている。
神がアステール王国民のために作り出した2つの奇跡は、神聖視されており今でも語り継がれている。
しかし、神は城壁と結界の2つだけでなく"未知への扉"も残していった。神が"未知への扉"をわざわざ創り出した理由は未だに分かっていない。
そもそも、外界との接触を断ちたいのであれば、"未知への扉"を創ることは外界との接点を作ることとなり、矛盾する。
城壁や結界のような明確な意味が明らかになっていない"未知への扉"は謎に包まれたまま。
この"未知への扉"も、城壁や結界と同様に王政府が管理しており、私的な理由でこの"未知への扉"が開かれることは一切ない。
この扉が開かれるのはただ一つの行事のみ。
そして、それがヴァルガルダでの式典だ。
(5年前父さんはこの扉から……)
扉を見ながら、僕は少し複雑な気持ちになってしまった。
その時、急に警報が鳴り響く。
「出動要請 出動要請
街の北西部にて魔法生物が現れた。至急、出動せよ」
どうやら街に魔法生物が現れたらしい。正気を失い、凶暴化した魔法生物は厄介だ。
「ごめん、3人とも。僕も行かないと
3人は安全なところで待ってて
デオーテル君、2人を連れて待合室にでも避難して。出現が街の北西部だから、此処までは来ないと思うけど、念の為にね」
警報を聞いたトルカさんは、そう僕らに指示を出したあとすぐに走っていった。
「おい、2人ともこっちに来い」
僕らもデオーテルに従って避難を始めた。