005
(物語だと何かしらの条件をクリアすれば戻れる方法があったりしたのに…)
やはりそんな都合の良いことは物語の中だけのことなんだ、と改めて思い知らされた。
(それじゃこれからはどうやって…)
日本に戻れる見込みは無い。しかも親や親類、友人や頼よれる人もいないこの世界でどうやって生きて行けばいいのか全く思いつかない。
焦るばかりで中々考えがまとまらない芽衣の表情は本人が気付いていないだけで、面白いようにくるくると変わっていた。
そんなあたふたと混乱している芽衣を暫らく見守っていたリーシャだったが、ふいに思い出したらしいことを口にした。
「そういえば…この王都にもメイちゃんと同じような異世界人が二人住んでいるんだよ」
「え?」
「確か…冒険者ギルドの職員と料理人見習いだったかな?」
「…私と同じ?」
どうやらすぐ近くに芽衣と同じような状況…だった人たちがいるらしい。
リーシャの言葉を何度も頭の中でくり返し、ようやくそのことを理解した芽衣は色々と話を聞いてみたい!と瞳をキラキラさせてリーシャを見上げた。するとその考えがリーシャにも伝わったようで「明日…は急すぎるから、明後日会わせてあげるように手配しておくよ」と云ってくれた。
「それと暫らくはこの家で暮らすといいよ。使っていない部屋もあるし、何より知りたいことが沢山あるでしょう? 僕もメイちゃんの話が聞きたいから、好きなだけ…良ければずっとここで暮らしてもいいんだからね」
「えっ!? でもそれは流石に迷惑なんじゃ…」
もし逆の立場になったとして、突然リーシャが日本にやって来てしまった場合――自分だったら知り合って間もない異世界人を自宅に泊めるという提案はしないだろう。
それなのにリーシャは優しいからか、行き先の無い芽衣を気遣ってくれた。
…しかし出会ってすぐの人間をそんな簡単に信用して大丈夫なのだろうか?と逆にリーシャのことを心配してしまう。
(リーシャさんって、悪い人に騙されてお金を貸しちゃったりするタイプかもしれない)
リーシャの性格を心配しつつ、本当にこのまま甘えっぱなしでいいのだろうか?と考える。中々答えを出せないでいる芽衣にリーシャは現状を口にした。
「でも宿に泊まるにしてもお金は必要だし、そもそも身分証が無ければ仕事も出来ないよ? 両方持っていないんでしょう?」
(そうだ! 今の私はお金も身分証も持ってないんだった!)
確かにリーシャの云う通り、今は何も持っていない。
必要な身分証は門でのやり取りの通り、リーシャが手続きしてくれると云うので、丸投げ…任せてしまった。
芽衣はその身分証が発行され次第仕事を探して、日本に帰るまでの間だけ働こうと考えていた。
しかし残念なことに帰ることは出来ないし、何より給料を貰うまでの間は所持金がゼロなので、運良く仕事を見つけたとしてもすぐに宿に泊まることは勿論、食事や服などの身近な物を購入することも出来ないだろう。
(入ったばかりの新人にお給料の前借りなんてさせてくれないだろうし…)
そうして考えに考えた末、やはり当分はリーシャに甘えるしかないと思った。
「それじゃ…その、お言葉に甘えてお世話になります」
改めて現状を思い知った芽衣は、リーシャからの提案を受け入れることにした。芽衣が滞在を決めたことが余程嬉しかったのか、リーシャは満面の笑みで何度も頷いていた。
そして今度は何故かリーシャが目を輝かせて身を乗り出してきた。
「それじゃ早速だけど君の世界のことを教えて欲しいんだけどいいかな?」
「えっと…分かる範囲なら…」
好奇心が強いのか、リーシャは若干早口で訊ねてくる。
「まず魔法はないんでしょ? それでどうやって生活してるの? 普段の生活は?」
「あ、あの…」
矢継ぎ早に質問され、芽衣は戸惑いつつも一つずつ丁寧に答えていく。
「魔法は一切ないです。けれど魔法に近い物――便利な道具を使うのにはほぼ電気という物に頼っていて、電気がなければとても不便だと私は思います」
「ふ~ん。電気か…。で、その電気って? 電気を何に使ってるの?」
あっさり頷いたリーシャだったが、電気のことは知らなかったようだ。
「…何て説明したらいいのかな? 雷を物凄く弱くしたもの? 静電気もそうかな?」
ゆっくりとだが芽衣は分かる範囲で説明していく。その後もリーシャの質問に芽衣は自身の感想を交えながら答えていく。
「へぇ…電気を使って遠くの人とも簡単にやり取りが出来るのか…。こっちだと魔力の関係で制限があるけれど、その電気を使うことが出来れば…」
電話やメール等の話をすると、リーシャは考えていることをブツブツと口にしていた。
その隙に…と喉が渇いたので目の前にある紅茶を手にすると、温かかった紅茶がすでに冷めていることに気付いた。しかしほぼ話をしていた芽衣からすれば、熱さを気にせずゴクゴクと飲めることは嬉しかった。
芽衣が喉を潤している間に、リーシャも無意識で紅茶を手にする。するとすっかり冷めていることに気付いたリーシャは一瞬外を見て、そして申し訳なさそうな顔をしていた。
「あっ、メイちゃん本当にごめんね! 僕が色々聞いちゃったから結構時間が経っちゃったね。すぐに部屋に案内させるから」
まだ聞きたいことはあるようだが、リーシャは芽衣を解放することにしたらしい。
テーブルの上に置いてあるベルを鳴らすと、すぐにメイドがやって来た。
「お呼びでしょうか?」
コンコンとノックの後、ドア越しにメイドが問いかけてきた。するとリーシャが開いていないドアに向かって「彼女を部屋まで案内してあげて」と声をかけた。
その声を聞き届けたメイドが静かにドアを開け、一礼してきた。
「失礼致します。それではお客様…メイ様のお部屋へ案内致します」
「よ、よろしくお願いします」
メイドには名乗っていなかったのに、すでに名前を知っていることに驚いた。
そしてメイドに案内され、用意してもらった部屋――当分の間使用する部屋へと移動を始める。
応接室を出て玄関方向へと歩き、そして玄関中央にある階段を上る。二階に着くと右へ向い、暫らく歩いたところでメイドの足が止まった。
「こちらのお部屋をお使い下さい」
メイドが部屋のドアを開けてくれた。その部屋は芽衣の自室よりも広かった。
「こんな素敵なお部屋を私が使っていいんですか?」
思わずそう訊ねてしまった。
「はい、ご遠慮なくお使い下さい。それとご用の際にはテーブルにあるベルを鳴らしていただければ、わたくしたちが対応させていただきます」
「ありがとうございます」
「それではまたご夕食の際にお訪ね致しますので、それまでごゆっくりお過ごし下さいませ」
メイドは丁寧に一礼して、去って行った。
芽衣は再び室内を見回す。備え付けられている家具はメイドの云う通り必要最低限らしいが、部屋全体が暖かい色合いで統一されていた。
改めて室内を見ていると、ドアが二つあることに気付いた。
「まだ部屋があるの?」
確かにこの部屋にはソファとテーブル、暖炉と棚や花瓶ぐらいしか置かれていない。客室だと云われたが、ここにはベッドが無い。もしかしたらベッドはこのドアの向こうにあるのかもしれない。けれど他人の家のドアを勝手に開いてしまっていいのか…。
散々悩んだ結果、芽衣は思い切ってドアを開けてみた。
「凄い…」
最初に開けたドアは予想していた通り寝室で、室内には天蓋付きのベッドとドレッサー、そして壁側には衣装棚と思われる物が見えた。
「天蓋つきのベッドなんて…初めて見た!」
自分には縁の無い物だったので、間近で見ることが出来て少し興奮してしまった。
たっぷりと寝室を堪能した後、次に開けたドアは浴室兼トイレだった。
「ここはユニットバスみたいだと思えばいいんだね」
どうせこの部屋を使うのは芽衣だけなので、ユニットバスでも気にならない。むしろ浴槽があるだけでも嬉しい。
寝室と浴室の確認も出来たので、ソファに座ってフゥと息を吐いた。
「今日は何か色々なことが多すぎて、疲れちゃったな…」
少しだけ休もう…そう思って目を閉じると、芽衣はそのまま眠ってしまった。