004
「ようこそ、我が屋敷へ」
改めてリーシャに歓迎されると、まるでそのタイミングを待っていたかのように玄関のドアが静かに開いた。そしてドアが完全に開ききると、そこには執事服を着た男性を筆頭にメイドたちが綺麗に並んで待っていた。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「「おかえりなさいませ、旦那様」」
執事の声の後にメイドたちの声が重なる。
「ただいま。留守に変わったことは?」
「いいえ。…ただ王城から『明日は城に来るように』と伝言が」
「その指示はサルマーかな。仕方ない、明日は城に行かなきゃいけないのか…」
その後も続く業務らしい会話を大人しく聞いていると、後ろでぼんやりしている芽衣に気付いた執事が会話を打ち切って話しかけてきた。
「…私としたことがお客様がいる前で個人的なお話をしてしまい、大変申し訳ありませんでした。それにしても旦那様? お客様をお連れになっていることは最初におっしゃって下さい」
謝罪してくる執事に芽衣はどうすればいいのか分からず困惑した。主であるリーシャもいつもの癖で報告を優先させてしまったことを謝罪し、メイドたちに指示を出した。
「いや、早々に留守の様子を聞いた僕も悪い。それと…少し話したいことがあるから、今から白の応接室を使う。あとお茶の準備と…彼女の部屋の準備もよろしく」
「「はい、かしこまりました」」
メイドたちが声を揃えて返事をしてから動き出す。そして芽衣は執事の案内でリーシャと共に応接室へ向かう。
広い廊下を歩いていると所々に美術品や高そうな花瓶などが飾られていた。
(よく観てみたいけど、うっかり触れて壊した!なんてことにならないように気をつけよう)
興味はあるが、飾られている物にはなるべく近づかないようにしようとこっそり思った。
芽衣が密かに決心している間にどうやら応接室へ到着したらしく、とある一室のドアを執事が開けて室内へと促した。
「それでは旦那様、私は一度失礼します」
執事は一礼して去ろうとしたが、それをリーシャが止めた。
「メイちゃん、彼はセルリオ。うちの執事でとても頼りになるんだよ。困ったことがあったら彼に相談してもいいからね」
紹介された執事――セルリオは軽く頭を下げる。
「初めましてメイ様。どうぞお気軽にお声かけ下さい」
「お気遣いありがとうございます。芽衣と申します」
本当に短い時間ではあったが、リーシャが信頼しているらしいセルリオとの挨拶を交わすことが出来た。その後仕事があるセルリオは去って行った。
一体この後私はどうなるんだろう?と考えていると、既にソファに座ってくつろいでいる様子のリーシャに声をかけられた。
「だいぶ歩いたから疲れたでしょ? すぐお茶がくると思うけど、まずは座ってゆっくりしよう」
「はい、ありがとうございます」
正直歩きっぱなしだったので(乗合馬車はノーカウント)、時間を気にせず座らせてもらえることを純粋に喜んだ。
ワインレッド色のソファは座り心地が良く、気を抜いてしまうとそのまま沈んでしまいそうになる。
「とても素敵なお屋敷ですね」
芽衣が話しかけると、リーシャは苦笑した。
「本当は妻と二人だけで暮らせる小さい家で充分なんだけど、これがまた色々と面倒なことがあって…。僕はある意味有名だからか、未来ある若者たちへのアピールのためにこんな広い家に住んでるんだ。僕がこういう広い家に住んでいると知れば、彼らの将来を刺激するから、って偉い人たちが云ってくるんだよ」
「…そうなんですね」
確かにいつかは立派になって良い暮らしを!と目標に掲げている若者が、実は有名なあの人が小さい家に住んでいる――なんてことを知ってしまえば、やる気も活力も落ちてしまうだろう。
それでもリーシャが妻と二人での暮らしを望んでいるらしいので、その妻をとても愛しているのだということは分かった。
そんなことを考えているとドアがノックされ、リーシャが許可を出すとメイドが紅茶と茶菓子を運んで来た。手馴れた手つきで音を立てることなく目の前にカップが置かれたので、芽衣は「ありがとうございます」と感謝を伝えた。
メイドは笑顔で「どうぞごゆっくりお過ごし下さいませ」と告げて部屋を出て行った。
「疲れたでしょう? お菓子も沢山あるから、遠慮せずどんどん食べて飲んでね」
「ありがとうございます。お言葉に甘えていただきます」
正直学校を出てから飲食をしていなかったので、久々の飲食は嬉しかった。こちらの礼儀作法も分からずどうしようかと一瞬悩んでいたが、折角用意してもらった紅茶が温かいうちに…と思い、カップを手にして一口飲んでみた。
「美味しい」
歩きっぱなしで相当疲れていたのだろう。温かい紅茶は芽衣の身体を温めてくれただけでなく、心も落ち着かせてくれた。
そんな芽衣の様子をニコニコと眺めていたリーシャも紅茶を飲んでゆったりとしている。
最初は世間話…というか王都の感想を訊ねてきたリーシャだったが、カップ内の紅茶が少なくなった頃を見計らって真剣な顔で訊ねてきた。
「あのね、思い切って聞いちゃうけど…メイちゃん、君はこの世界とは違う、異世界から来たんでしょう?」
「!」
急な質問に思わず何て答えたらいいのか分からず、咄嗟に固まってしまった。
ここで「違います。ただの迷子なんです」と云えば、リーシャもとりあえずは頷いてくれるだろう。けれどそれではリーシャに申し訳ないと思った。
(正直に話してもいいの? でもリーシャさんは親切にも私を安全な場所まで案内してくれた。しかも異世界って云い出すってことは、他にも来た人がいるってこと??)
少ない情報の中、とにかく芽衣は考えた。最初に出会ったのがリーシャだから全て話していいのか、それとも今後誰にも異世界人だと知られないように暮らして行かなければいけないのか…ということを。
しかしどう考えても思考が追いついていかない。一体どうすればいいのか…と悩んでいると、芽衣の様子に気付いたらしいリーシャが優しく話しかけてきた。
「急に変な質問しちゃってごめんね。…でもこの世界には何故か時々異世界から迷い込んでくる人がいるんだ。その人たちのことを僕らは異世界人って呼んでいるんだけど、その人たちはメイちゃんみたいに急に現れて、そして見たことのない服を着ていて、珍しい持ち物を所持している。だからメイちゃんと出会った時にそうなのかな?って思ったんだ」
「人たち? ということは、複数人いるってことですか!?」
リーシャの言葉を聞いて思わず聞き返してしまう。
「うん。どういう理由で…そしてどういう周期でやって来るのかは誰にも分からないんだけれどね」
「…そうなんですか…」
ここまで知っているのならリーシャに話してもいいのかもしれない。そう思った芽衣は素直に答えた。
「…リーシャさんの云う通りです。私は多分この世界とは違う世界から来ました。気付いたらあの森にいたんです。あの時は現在地が知りたかったのでとにかく森を抜けることを目標に歩いていました。そしてやっと森を抜けたところでリーシャさんに会いました」
あの時リーシャと出会えて良かったと思う。
実際森を抜けても、森周辺には村や街は見つからなかった。人通りのある街道に出るのにも少し時間がかかった。芽衣一人だったらどこに向かえばいいのか分からず、食料も水も無い中、今でも森付近をグルグルと彷徨っていただろう。
存在したかもしれない未来を想像すると怖くて、自然と身体が震えてしまった。
「あの、助けていただいて、本当にありがとうございます」
まだきちんと感謝を告げていないことに気付いた芽衣は、慌ててリーシャに頭を下げた。
「僕こそメイちゃんと出会えて良かったよ」
ニコッと笑顔で云われ、少し照れてしまった。
「それで…あの…向こうに帰ることは出来るんですか?」
どうしても最初に聞いておきたいことを口にすると、リーシャはゆるゆると首を横に振った。
「残念だけど…今まで帰った人はいない」
「そんな…」
見知らぬ土地にやって来た時点である程度はそう思っていた。けれど改めてそれを知ってしまうと、やっぱりそんなに都合の良い話はないんだと実感すると同時に、もう元の場所に戻れない淋しさで涙が溢れてきた。