寂シイ
ロイドはスクラップ置き場で空を見ていた。人から見れば、それは無為に過ごしている姿に見えたかもしれない。しかし、彼は意味もなく空を見ていた訳ではなかった。エネルギーを節約したいのなら、休停止モードに切り替えればいい。空を見続ける必要などない。
ロイドは空を見ながら、思い出に浸っていたのだ。一番人間に理解し易い言葉で表現するのならそうなるだろう。もちろん、それは正確な表現ではない。彼は、過去のデータから、どうすれば自分が高く評価されるようになるのかを考えていたのだった。
ロボットに自己評価のシステムが加わった事によって、己の評価を高くする為に行動するという性質がロボットに生まれた。そしてそれによって、人間のものとはタイプの違う感情も生まれたのだ。
ロイドは少し旧式のロボットだったが、ロイドが生まれた頃のロボットには、その能力は既に常備されてあった。
だから彼は考えている。
――ドウシテ、自分ハ棄テラレテシマッタノダロウ?
と。
ロイドは今まで、人間の主人に二回仕えた。一回目の主人達は、ロイドを家族同然に扱い、とても愛してくれた。ロイドの自己評価は、無論高いものとなる。それに伴って、人の近くにいる事についての喜びも生まれていた。彼は、人の肌の温もりを感知する機能を得た初期のロボットだった。その温もりを、彼は嬉しく思っていたのだ。主に子供達が、よく彼を抱擁していた。もちろん、それらは人のものとは似通っていても、別種の、ロボット独自に発生した感情である訳だけど。
ロイドは主人達が、自分が壊れるまで使ってくれるだろうと信じていた。彼はとてもよく人間につくしていたし、人間からの反応も彼の期待した通りのものだったからだ。自分は愛されている、ロイドはそう考えていた。しかし、新型の彼と同系のロボットが発売をされると、彼は呆気なく棄てられてしまったのだった。中古に売りに出されたのである。ロイドを買った新たな主人は淡白な人柄だった。純粋に機能的な事柄以外に、ロイドに対して何も求めはしなかった。酷い扱いは受けなかったけれど、ロイドの足が故障によって巧く動かなくなると、直ぐにロイドは棄てられてしまった。ロイドを修理してくれるような事はなかった。そして、今度は本当にロイドは廃棄処分になってしまったのだ。
廃棄処理をされる前に、ロイドは自分を停止モードに切り替えた。どうして、そんな事をしたのか、ロイド自身にもよく分からない。もしかしたら、これで前の優しくしてくれていた主人の許に帰れるのだ、エネルギーを節約しなければならない、とそんな有り得ない希望にすがったのかもしれない。何にせよ、そのお陰でロイドは生き残ったのだ。完全に停止しているとゴミ処理の仕事をしている人間が勘違いをした為、活動する為の、わずかなエネルギーが彼の体内に残されたのである。
スクラップ置き場に運ばれて放置されたロイドは、何らかのキッカケで再起動した。そして、わずかに残ったエネルギーを利用して、他の廃棄ロボットに残っているわずかなエネルギーをかき集め、九死に一生を得たのだ。
それ以降は、もちろん、その繰り返しで活き続けている。廃棄処分されたロボットの内臓を漁ってエネルギーを得、糧にしているのである。そうして、ロイドはスクラップ置き場の住人になったのだった。
これでもしロイドが人間だったなら、屍食鬼か何かといったところかもしれない。
ロイドはスクラップ置き場から、移動しようとしはしなかった。何処に移動すればいいかも分からなかったし、そもそも、人間に見つかったりしたら、その時は今度こそ本当に廃棄処分されてしまうだろう。
生物のものほど強くはないが、生存本能のようなものも、ロボットにはあるのだ。ただし、ロイドがその場所を離れなかったのには別の理由もあったのだが。
ロイドは夢を見ていたのだ。
――家族が、自分を迎えに来てくれる。
そんな儚い夢を。もちろん、それがほとんど有り得ない事であるのを彼は分かっている。しかし、それでも彼はその夢を捨てられなかった。ロイドは、人に好まれる事を望む本能… (そう表現するべきだろう) を持つロボットなのだ。それが生存自体に強く組み込まれている。それは、離そうとしても離れるものではない。だから、ロイドはスクラップ置き場を離れる事ができなかった。ここから移動したりすれば、家族は自分を探せなくなってしまうかもしれない。そんな不安を抱いていたから。
ロイドは、自分から家族に会いに行くという行動を考えなかった。飽くまで、彼の願望は“家族が自分を迎えに来てくれる”だったのだ。その大きな原因は二つ。ロボットには、自ら主を選択する事ができないということ。そして、もう一つは、彼自身も自覚していない恐怖心の影響があった。
彼は、家族が自分を拒絶した時に受けるだろう絶望を予感し、自ら会いに行く事に恐怖を感じていたのだ。それは、人との関係の中で進化しているロボットが少しずつ獲得していた、高度な感情能力の一つの顕現だった。そして、それは人間とは別種の感情ではあるが、間違いなく本物の恐怖心でもあった。
その恐怖心によって、彼の願望は無自覚の内に、“迎えに来てくれる”という消極的なものになってしまっていたのだ。迎えに来てくれるのであれば、それは、すなわち、彼が拒絶されていない事を意味する。そうなれば、彼は安心して家族の許に帰ることができるのだ。
だが、もちろん、そんな出来事は起きなかった。彼はだだっ広いスクラップ置き場の中をいつも孤独に過ごしていた。
誰もいない。
彼はスクラップ置き場を離れようとはしなかったが、その世界の中で、なんとか孤独から抜け出そうと、彼なりに足掻いてはいた。そして、その結果として、ロイドは恋をしたのだった。
ロイドはどうして自分が棄てられたのかを考えた挙句、自分に足りないものを補完すれば自分は人間に愛されるのではないか?とそう結論付けたのだった。足りないものが何かを理解するのにも、また足りないものを得る為にも情報が必要だったが、彼の周囲にはその為の情報となるべき棄てられたロボットが大量にあった。ロイドは、その中を探り、廃棄されたロボットに残った記憶を採取して、それを為そうと考えた。
採取した多くの記憶は有益な情報とは思えなかった。しかし、それでも少しずつだが、有益でないかと思えるものを彼は見つけていった。
その思考が正しいのかどうかは分からないが、彼はそうやって集められた情報から、自分に必要な形質を想定し、人から愛される理想の自分を、彼の中で作り上げていった。そしてある時だった。彼は理想の自分になる為に必要な要素を持った、最良の相手を発見したのだ。
そして、ロイドはその相手に恋をした。
二つ、或いは複数の形質を合わせ、新しいタイプのロボットを開発する。ロイドには、その新システムが既に採用されてあったのだが、ロイドが恋をしたのは、その機構が発動した結果だった。しかし、ロイドの恋は決して叶うことのないものでもあった。何故なら、ロイドが恋したその相手には、まだロボットの性交とでも言うべきそのシステムが備わっていなかったからだ。
いや、もし相手にそのシステムがあったところで、ロイドの恋は叶わなかったのかもしれない。結局のところ、工場がそれを吸収しなければ、それは絶対に活かされるはずのないものなのだから。ロイド達の性質を工場が回収する可能性は、ほとんど皆無だったのだ。
ロイドは、自分の恋が叶わないものであると知りつつ、毎日、その相手の許に通い続けた。時が経過すればするほど、相手の記憶中枢は風化していき、情報も読み取り難くなっていく。しかし、ロイドはそれでもそれにすがっていた。
その相手の記憶の中にある、シアワセな情景。
ロイドはそれを読み取り、自分のシアワセな経験と混ぜ合わせ、そして、その夢の世界に浸っていた。
もう、ロイドに現実は見えていなかった。
エネルギーを集める理由は、つまり、彼が活き続ける理由は、ただただ、その一時の夢の為のみだった。
だが、しかし、その夢ですら終わりに近付きつつあった。相手の記憶中枢の崩壊が加速し、もう記憶を読み取ることができなくなるところまで進んでしまっていたのだ。そして、ロイド自身の寿命も尽きかけていた。
……ある日。
スクラップでできた小高い丘の上。
ロイドはもう記憶中枢が壊れてしまったカノジョの頭を高くかかげ、何度も、何度も、記憶を読み取ろうと試みていた。
それが、彼の日課だったのだ。
もちろん、それは叶わない。
しかし、それでもロイドはそれにすがりついていた。新しい何かを求める意欲など、彼にはなかった。もう、彼にそんな余裕はなかったから。
やがて、そこに雨が降り始める。
雨は冷たく、ロイドの老いた身体を侵していく。彼は、それに抗わず、身を隠そうともしなかった。
ロイドはエネルギーを集める事すらもしていなかった。もしかしたら、ロイドの生存本能は、既に壊れてしまっていたのかもしれない。
雨が、ロイドの身体から体温を奪い、エネルギーの消費を加速させた。
しばらく雨が降り続くと、ロイドの動きは停止してしまった。もう、カノジョの記憶を読み取ろうとはしなかった。エネルギーが切れたのか、或いは壊れてしまったのか。冷たい雨が、彼を完全に殺してしまったのかもしれない。やがて夜になった。雨は降り止まず、一晩中、ロイドの身体に降り注いだ。
ロイドは、その間、ピクリとも動かなかった。
カノジョの頭をかかげたまま。
そして、朝になる。
雨が上がり、日が差す。
青い空の下。
ロイドは小さく小さく、
『寂シイ』
と、そう呟いた。
――それから。もう二度と、ロイドが動く事はなかった。