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短編

【短編】お姉さまは愚弟を赦さない

作者: 宇水涼麻

「エミリア・ロイサーヌ! お前とは今日限りで婚約を破棄するっ! そして、まるで聖女の如き心を持つナターシャ・グリバンと婚約する! 私の真実の愛の乙女だ」


 そう叫び出したのはロイズノード国の第1王子たるザリアートだ。王族の血を引くことをしっかりと表すように金髪碧眼。男性らしく短めな金髪は少し硬そうで碧眼は少し吊り目であるが間違いなく美男子である。

 


 そんな彼がこの貴族学園の夏休み前に行われる定期ダンスパーティーで突如舞台のすぐ前に女性を抱くようにエスコートして現れ叫びだした。

 おそらくその女性がナターシャ・グリバン男爵令嬢であろう。ふわふわなピンクブロンドの髪と緑色の大きな瞳、そして豊満な胸を持つ彼女は大変魅力的な容姿を持つ女性だ。


 二人は大変近距離で見つめ合っていた。あまりに近くて焦点が合うのかと疑問に思うほどだ。それにザリアートの視線はナターシャの顔に胸にと忙しく動いていた。


 叫びだしたのは突如であるが、ここ一年ほど学園内のそこここでザリアートの不貞は誰もが見ている。ただみんなが『今日かぁ』と残念に思っただけだ。ナターシャとザリアートの一般的には理解できぬ関係のことはみんなが知っていた。


 名指しされたエミリア・ロイサーヌ公爵令嬢は国王陛下が決めたザリアートの婚約者である。

 婚約者の不貞を目にしてもその美しい仕草を損なうことなく前へ出て丁寧にお辞儀をした。その仕草を見て男女問わず感嘆のため息が漏れる。

 エミリアは普段は下ろされているサラサラな銀髪をハーフアップにして今日はことさら紫の瞳が輝いている。瞳は特に大きいわけではないがすべてのバランスがキレイに整っており誰にも文句の一つも言えない完璧な容姿であり仕草も完璧な淑女であった。


「畏まりました。ではわたくしがここにおりますのもみなさまのお目汚しになりますのでお先に失礼させていただきますわ」


 エミリアがもう一度お辞儀をする。


「待て! 逃がすわけがないだろう! ここでキッチリと罪を認めてもらおう!」


 ザリアートとそこに侍る二人の男子生徒はニヤリと下卑た笑いをしてザリアートに肩を抱かれるナターシャ嬢と思われる女の子はわざとらしく震えていた。


「罪…… でございますか?」


 エミリアは表情に出さないという教育をしっかりと受けているので何を考えているのかはわからないが美しさは損なわない。対して舞台前の男たち三人は卑しい笑いをしていて底が知れる。


「そうだ。お前のっ……」


『バン! ――バン! ――バーン!』


 三の強烈な衝突音の後に一番大きな正面のドアが勢いよく開いた。体を使って無理矢理開けたようで甲冑を着た者が三人ほど転がり込んできた。


「「きゃー!」」


 女子生徒の悲鳴があちこちで響く。


 しかしそのドアから次に入ってきた人たちを見てみなが息を止めた。


 三人の優雅な大人の女性が魅惑的な笑顔で入場してきたのだ。歩いているだけなのに高貴な方だとわかる貫禄がある。会場の生徒たちは姿勢を正して誰かの言葉を待った。


「あ、姉上……」


 ザリアートの震える声を他所に三人の女性はエミリアたちの近くまで来た。


「少し遅刻かしら?」


 真ん中の女性が扇を開いて口元を隠した。エミリアに向けた瞳は柔らかい。


「ご機嫌麗しく。ララシャール王女殿下」


 先程のザリアートの呟きとエミリアの挨拶で真ん中の女性が王女殿下であることを知った学生たちは一斉に頭を下げた。

 

「まあ! エミリアったら。ララでいいっていってるのに。

それにもうとっくに嫁いでいるのよ。王女じゃないわ。

みんなも面を上げて」


 みなが頭を上げるとララシャールは妖艶な笑みを見せ生徒たちは男女問わず感嘆のため息をついた。

 ララシャールはザリアートの姉だけあり金髪碧眼であるが、腰元までの髪はサラサラで大きな碧眼は優しく目尻を下げていた。


 確かすでにお二人のお子さんを持つご婦人のはずだが、均整の取れたスタイルはそれを感じさせずお肌もツルツルで、自分たちより上の年に感じさせるのはその大人の艶めかしさだけであった。


「ララ様。本日は何ゆえにこちらに?」


 エミリアが生徒を代表して聞いた。というか、ここでは愛称呼びを許されていいるエミリアか弟であるザリアートしか聞けないだろう。


「愚弟共が最近悪さをしていると聞いたから…… ねぇ」


 ララシャールは目を細めて口角を上げザリアートを見た。先程までの笑顔と異なる笑顔にみなが震えた。


 震えていない数少ない人物が声をかけた。


「ララ様。お先に失礼してよろしいでしょうか?」


 ララシャール王女と一緒に入場してきた女性の一人が恭しくララシャール王女に一礼していた。精悍に結われたポニーテールがサラサラと靡いた。


「マリアナ。どうぞ。よろしくてよ。うふふ」


 マリアナと呼ばれた女性はザリアートの隣に立つ体の大きな男子生徒ベイガーの前まで進んだ。二人共真っ赤な髪に真っ赤な瞳そして長身な体躯はよく引き締まっている。


「姉さん……」


『ガスッ!』


 マリアナは淑女らしからぬパンチをいきなりベイガーの腹に決めた。ベイガーが「うっ」と一言呻き前のめりに倒れそうになったのをマリアナが後ろ首の襟を押さえて食い止めベイガーは膝立ちの状態になった。


「今日の警備はお前に任せたはずだ。父上の顔に泥を塗ったな」


 マリアナはベイガーの襟を絞り上げた。


「そ、そんなことは……」


 口を開こうとしたベイガーの頬に拳が飛ぶ。ベイガーは後ろ襟を取られているので攻撃を緩和することもできず頭をふらつかせた。


「大扉の鍵をかけるように指示したのはお前だな」


 ベイガーが震えながら頷く。


『ガツッ!』


 横っ腹に拳が飛びベイガーの体が傾いだ。


「これだけ大勢がいる会場の大扉に鍵などかけてもし災害でも起こったらどうするんだ?」


 先程騎士が体で無理矢理開けたと思われる扉にはそういうわけがあったようだ。


「あちらもこちらも鍵が閉められていたな。もし今入って来た者が、私達でなく賊であったらどうするつもりだったんだ?」


『ガッツン!』


 ベイガーのもう片方の横っ腹に拳が入りベイガーとマリアナの顔が近づく。


「おいっ! お前、酒臭いな。警備の責任者がパーティーで酒を飲んで良い訳がないだろう?」


『ガツン!』


 まるで顔を近づかせるなと言いたげに顔の正面にパンチをした。それでもマリアナは後ろ襟を離さないので当然クリーンヒットとなる。


 この国では十六歳で飲酒が許されているので、学園パーティーでもお酒は出される。ただし飲みすぎによる悪行行為があった場合、家に報告され学園でも処罰を受ける。

 ベイガーはそこまでは飲んでいない。それでもマリアナには赦せないことのようだ。


「室内警備が無しなどありえないだろう?」


『バキッ!』


「全体の警備も少ないなぁ。お前らがバカをやらかすために減らしたのか?」


『ガスッ!』


「連絡早馬隊も待機していなかったな。王城に報告されたくないことでもするつもりだったのか?」


『バスッ!』


 ベイガーは言い訳もさせてもらえずサンドバッグになっていた。言い訳したところでパンチが一つ増えただけだろうが。


「ああ。もうとっくにやらかしてるんだったな」


『ガツン!』


 マリアナが一言言うたびにベイガーは腹や顔を殴られ、最後の一撃は脳天に肘鉄だった。


 ベイガーはマリアナに手を離され前のめりに倒れた。最後の一撃はオマケのように聞こえたが誰も何も言えない。これで意識があったらベイガーは化け物だ。


 ベイガーの家は侯爵家で代々騎士団団長を輩出している。ベイガーは跡取りであったので今回のパーティーの警備を警備体制を決める模擬として担当していたのだった。

 姉マリアナも女性騎士で子供が生まれるまではララシャールの専属騎士であった。現在は副団長である伯爵の次男に嫁いでおり、その伯爵ご子息はすでに隊長職だ。


 マリアナも学生のころに父親からの指令でパーティー警備の計画や手配などを行った。だからこのパーティーにおける警備の杜撰さはよくわかってしまう。


 ベイガーは今回のエミリアを貶める企てのために、わざと警備を減らしたり外からの邪魔を入れないために鍵をかけさせたりしていた。


『鍵をかけるから、警備は少なくていい』


 そう説明していた。

 しかしよく考えればマリアナの言った通りで生徒たちはゾッとした。


 マリアナはすでに伸びているベイガーの横っ腹をヒールの先で蹴り上げベイガーは腹ばいから上向きにされた。完全に白目を剥いている。

 ベイガーを一瞥してララシャールの元まで戻ってきたマリアナはララシャールに一礼すると再びララシャールの後ろに控えた。


 ララシャールはもう一方の女性にチラリと視線を向けた。その女性がにっこりと笑った。


「フィリーさんもお先にどうぞ」


『ガタン!』


 ナターシャの隣にいた男子生徒ビルが後ろの椅子を倒したのだ。どうやら後ろに逃げたかったようだが後ろにはすでに騎士たちが数名並んでいた。


「あら? 逃げたいようですわよ?」


 ララシャール王女が心配そうに呟く。十中八九本音ではないが。


 フィリーはララシャールには笑顔を向けたにも関わらずビルに顔を戻すと表情がない。それが怖い。


『自分がビルでも逃げるな』


 男子生徒は思った。女子生徒は羨望の眼差しで三人の淑女の動向を見守っている。


「ビル。その紙を見せなさい」


 フィリーが右手を前に出し一歩一歩ゆっくりとビルに近寄る。ゆっくりであるのにブレない体幹。シフォンベージュの髪はキレイにまとめられていて橙色の瞳が鋭く射抜いているのは誰にでもわかる。

 ビルが首を左右に振りながら一歩下がる。フィリーと同じ橙色の瞳はすでに潤んでいる。


 しかし、それを察知していた騎士の一人がピッタリとビルの後ろにおり逃げ道がなくその騎士に紙を取られた。


 フィリーは騎士から紙を受け取りそれをさっと読む。眉根を寄せてビルを睨んだ。


「お母様に恥をかかせたかったの?」


 フィリーがキョトンとした目で訪ねた内容にビルは思いっきり首を左右に振った。後ろに撫で付けられていたダークブラウンの髪が乱れる。

 ビルにとってはなぜここに母親が出てくるのかも理解できない。


 ビルの否定したい気持ちなど関係ないとばかりにフィリーは扇でビルの右頬を打った。


「何? これ? 悪口を言った?」

『ビシッ!』


「陰口を叩いた?」

『ビシッ!』


「教科書を破いた?」

『ビシッ!』


「ドレスを汚した?」

『ビシッ!』


 フィリーは紙を読みながら、扇を右に左に奮っていきビルの頭や顔に赤い筋がついていく。ビルは後ろを騎士に押さえられていて逃げられない。

 

 フィリーが扇をビルの顎に当ててクイッと前を向かせた。


「だから何? これしきのこと……」


 フィリーは顎を上げて自分より背の高いビルを見下すように目を細めた。ビルの頬に涙が伝う。


「貴方、女の社交場を舐めているの?」


 ビルは何を言われているのかは不明で目を虚ろにしてる。それでもぷるぷると首を左右に振り続け懸命に否定しようとしている。


「こんなものは社交界ではかわいいじゃれ合いよ」


『ガツン!』


 フィリーはビルの額に扇を刺したことを見た騎士がすぐさまビルの頭を支えた。


「エミリア様は公爵家のご令嬢なのよ」

『ガツン!』


「エミリア様が本気なら相手はとっくに学園にいないわよ」

『ガツン!』


 エミリアは少しだけ眉を寄せた。でも口出しはしない。やってはいないがやる気になれば可能だから。


「今どきっ」

『ガツン!』


「こんなっ」

『ガツン!』


「幼稚なイジメっ」

『ガツン!』


「痛くないように怪我のないようにとしたら自作自演しかありえないわよっ!」

『バシン!』


 何度も何度も額に扇を刺した後に右頬を払った。


 フィリーとビルの母親は公爵夫人である。良いにせよ悪いにせよ社交界のリーダーの一人だ。母親は社交界の裏で行われている足の引っ張り合いもよくわかっているし社交界での口の応酬も熟知している。そこに君臨しているのだ。


「こんなバカらしいことを告発しようとするなんて……。どうやらお父様にも恥をかかせようとしたようね」

『ガツン!』


 二人の父親は裁判官長であり日々証拠や平等について家でも語っている。

 フィリーがビルの鳩尾に扇を突き刺した。騎士がビルの手を離すとビルはその場に崩れ落ちた。意識があるかはわからない。


 フィリーは身を翻して戻ってきた。ララシャールに笑顔で一礼しエミリアにも笑顔で一礼した。エミリアは先程のフィリーの言葉の後なので苦笑いを返した。フィリーはそれを楽しそうに受け止めた。


 ララシャールは倒れている男二人を軽蔑の目で見てから改めてエミリアを見た。


「エミリア。お話はどこまで進んでいるの?」


 打って変わってその目は優しさに満ちている。


「はい。ザリアート様とわたくしの婚約破棄とザリアート様とナターシャ様が婚約をなさるとのことです。わたくしの力が足りず申し訳ございません」


 エミリアは伏し目で答えた。


「そう……。貴女が気にする必要はないわ。誰がおバカさんかなんて気がついていないのは本人だけよ」


 ララシャールが『おバカさん』という言葉と共にララシャールだけでなく会場の生徒が軽蔑の眼差しでザリアートを見た。


 ララシャールの視線とこの場の緊張感に耐えられなくなったザリアートが声を出した。


「ナターシャのお腹には…… こ…… 子が!」


 さすがにこの発言にはまわりもざわつきエミリアも目を見開いた。まさか不貞もそこまでだとは思っていなかったのだ。


 だがララシャールは平然としている。


「ナターシャとやら、発言を許しましょう。それは誰の子です?」


 ララシャールの言葉にナターシャの肩が揺れた。答えたのはナターシャではなくザリアートだった。


「も、もちろん、私の子です!」


 ララシャールはにっこりと笑った。あまりの笑顔の恐ろしさにザリアートは仰け反った。口をパクパクとさせている。


「わたくしが知っているだけでもこの学園内に十人は父親候補がおりますよ。そこに寝ている二人も含めて…… ねぇ」


 ララシャールが目を細めて二人を見下ろした。目元は笑っているが目は氷のようだ。


「ザリアート。あなたの真実の愛の聖女様はお心だけでなくお体もみなさんに分け与えているそうよ」


 ザリアートと目を合わせたララシャールは恐怖の満面の笑みであった。

 ザリアートは目を見開いてナターシャを見る。ザリアートにしてみれば自分の言葉が激痛のブーメランになってしまった。

 ナターシャは瞳に涙を溜めて小さく首をフルフルとさせていた。


「市井にも父親候補がいるらしいの。誰の子かもわからないのに王族を騙られるのは困るのよねぇ」


 ララシャールが顎に扇を当てて小首を傾げた。


「う、うそだ……」


 ザリアートの言葉に力はなく碧い瞳は明らかに揺れていた。


「ザリアート。もちろんお前には警備がついているわ。だからお前とその者との不貞はよぉくわかっているの。

お前がその者と戯れるようになってからその者に調査員が付くことになったのよ。こうして『王族の血』だと騒がれないために、ね」


 ザリアートはナターシャの手からスッと離れた。ザリアートはララシャールが何の証拠もなくそんな戯言を言う人でないことも王族の調査員が腑抜けではないこともよぉく知っていた。

 ナターシャは縋るようにザリアートを見ているがザリアートが手を差し伸べる気配はない。


「王族を誑かし国家転覆を狙う者を捕えなさい」


 ララシャールの静かな声の命令で騎士が即座に動きナターシャが捕縛された。ナターシャが伸ばした手をザリアートは取る素振りも見せない。


「国家転覆など考えておりません! この子はザリアート様のお子です! お願い! 信じ……」


 喚くナターシャは猿轡をされ引きずられていった。


 マリアナがララシャールに果実水を手渡した。ララシャールは一口飲んでにっこりとマリアナに笑顔を返してグラスも渡した。


「ザリアート」


「私は…… 私は…… 騙されていたのです!」


 ララシャールに話しかけられザリアートは言い訳にならない言い訳をした。


「あなたが不貞を働いたことには変わりはありません。もし逆の立場なら、エミリアは堕胎処置された上国外追放になっているのですよ」


 女子生徒たちが震えた。それは随分残虐だとは思うがエミリアがナターシャのようなことをしていた場合には王族乗っ取りと取られて当然だ。


「す、すみません。心をいれ……」


「ありえません!」


 ララシャールはザリアートの言葉を途中で切り強めに言った。


「でも、でも……。姉上もエミリアの悪口に何も言わなかったではないですか!」


 エミリアが動転した。


『もし、そうなら……』


 エミリアが不安そうに俯いた。


「何を言ってるの? わたくしはエミリアを気に入っていましたよ。だからこそ愛称呼びも許しているのです」


 ララシャールの言葉にエミリアは安堵した。エミリアにとってザリアートはただ国王陛下に決められた婚約者でしかないがララシャールとは親睦を深め『この方の義妹になれるのならザリアートとの婚姻も我慢できる』とさえ思っていたのだ。


「だって私がエミリアが傲慢だと言っても高飛車だと言っても高い物を買い漁ると言っても、笑っていたではないですかっ!

そうだと認めていたということでしょう?」


 ザリアートは縋るようにララシャールへ訴えた。


「もちろんですよ。それが公爵令嬢という立場ですもの」


「は?」


 ララシャールとザリアートの考えは全く一致していないようだ。ララシャールは小さくため息をついた。


「では男でも女でも構いません。下の爵位の者にペコペコしている高位貴族を見たことがありますか?」


 ララシャールは噛み砕いて説明を始めたがザリアートはポケッとして反応できない。

 もちろんそんな高位貴族はいない。


「お父様は国王ね。この国で一番上だわ。誰にもペコペコしないけれどぉ……お父様は傲慢なの? 高飛車なの?」


 ザリアートは口をパクパクさせた。


「エミリアは高いクリームを大量に買っていましたね」


 ララシャールはエミリアに確認のように聞いた。エミリアがコクリと頷く。


「そう! それです!」


 我が意を得たりとザリアートが顔を上げた。


『カタ、カタン!』


 一人の男子生徒が慌てて前に出てきた。


「貴方はヨグール伯爵家のご子息?

発言を許しましょう」


 ララシャールはその男子生徒に頷いた。


「は、はいっ!

僕の、いえ、私の家は父が詐欺にあいまして我が家は困窮しました。その時、高級クリームの買付でどうにか持ち直したのです。それを助けてくださったのがエミリア様のロイサーヌ公爵家です」


「あ、あのぉ……」


 女子生徒がおずおずと手をあげた。


「どうぞ」


 ララシャールが笑顔を向け女子生徒はホッとして頷いた。


「そんな理由のものとは知りませんでしたが。それ、エミリア様にいただきましたクリームではないでしょうか?」


 多くの女子生徒が手を上げた。彼女たちは男爵令嬢か末端子爵令嬢だった。

 

「うちも!」


 女子生徒が一人手を上げた。


「貴方はオリキール伯爵家のご令嬢かしら?

いいわよ」


「わが家も我が領地の危機をエミリア様に助けていただきました。流行病が蔓延しその治療薬がとても高く領民に分け与えることができなくて諦めていた時に、ロイサーヌ公爵領の薬師様がいらしてくれたのです。そして、エミリア様に頼まれたと……」


 その女子生徒はそこで泣き崩れた。


「もう! もう止めてくださいっ!」


 エミリアには珍しく声を張り上げた。


「うふふ、どうしたの? エミリア?」


 ララシャールは嬉しそうだ。


「もう恥ずかしいですわ。わたくしの家はたまたまお金があるだけですの。わたくしに何かがあるわけではありませんわ」


 エミリアが顔を両手で覆った。ララシャールはエミリアに寄り添った。


「そうね。

でもそのお金をどう使うかが問われているところなのよ。あなたは高級クリームや高級丸薬を買い漁っているという噂が広まってもそれに言い訳をするでなく凛としていたわ。おバカさんにはそれが高飛車に見えたのでしょうね」


「それにフィリー様のカザール公爵家も助けてくださいましたわ」


 エミリアは真っ赤な顔をララシャールに向けた。


「まあ、ふふふ。そうね。

うちは噂に惑わされずに真相を確かめておりますもの。お手伝いできることならお手伝いするに決まっておりますわ。

家族の中に噂に惑わされるおバカさんがいたことは本当に残念ですけどね」


 フィリーがクスクスと笑いながら答えた。


「噂だけを信じる者は傲慢でひけらかしと見たのでしょう。少し調べればわかることですのに。

それさえせずにエミリアを罵るなど愚か者のすることですわね」


 ララシャールはエミリアに向けていた視線をザリアートに向けた。一瞬で冷気を伴う視線になりザリアートは震えた。


「エミリアの資質についてはわかりましたね。ザリアート?」


 ザリアートは何も言えず何も見ておらず……ただただ震えていた。


「お前の資質についても話しておきましょう。お前が調べもせずにエミリアを罵る愚か者であることは説明しましたね。

さて、お前はこの婚約が政略的なものだとわかっていますか?」


 ザリアートはハッとした。


「ロイサーヌ公爵がエミリアのワガママを聞いたためと……」


 エミリアが瞠目した。ララシャールはため息をついた。


「それも一人か二人に聞いた戯言ですわね。国中の貴族の力関係をきちんと考察すればわかることですのに。

ロイサーヌ公爵家は王家の力などなくとも自立できる領ですし、ご当主は王城の政務に携わらないようにしています。現在の力関係を崩したくない国王陛下がお望みになったのです」


 ララシャールはザリアートを睨みつけた。


「ザリアート。お前の不貞が噂になるたびにロイサーヌ公爵家からは婚約白紙の打診がされました。それを国王陛下が窘めて窘めてここまできたのです。さらにエミリアがお前の不貞より国民の安心をと願ってくれたから、ロイサーヌ公爵が折れてくれたのですよ」


 ザリアートの不貞は今回が初めてではない。エミリアもいるお茶会で女性と消えることなど当たり前のようにしていた。男女関係はともかく手を繋ぐ口づけをするなどはザリアートはまるで挨拶のようにしていた。エミリア以外には。


「う、嘘だ! エミリアは私のことがっ!」


「不貞は働く、蔑ろにする、信じてくれない。

そんな婚約者を愛する女などこの世にはいません!」


 ララシャールはこれまでで一番大きな声で言った。


「何が『真実の愛』ですか? 王族なら自分の愛より国民の平和、つまり政略結婚を大切にするのです。自分の気持ちを優先させる王族に国民はついてきません!」


 ザリアートは舞台に寄りかかるように倒れた。


「お前の資質もわかりましたね。今よりお前は平民です。好きなように『真実の愛』とやらを探しなさい。

連れていきなさい」


 騎士がザリアートの脇を抱えて外へと連れ出した。ビルとベイガーも連れ出された。


〰️ 


 三人が連れ出されたドアが静かに閉まる。


「みなさん。ごめんなさいね。この代わりは夏休み明けの最初の週末に王家主催でパーティーを行うわ。

今日は短い時間になってしまったけれど楽しんでくださいね」


 ララシャールが手を上げれば曲が流れ出す。


 顔を合わせた数名のカップルが場を和ませようと踊り出した。戸惑っている他の者も追々踊ることだろう。


〰️ 


 ララシャールの誘いで学園の控室に移った四人はソファーに座る。


「エミリア。ごめんなさいね」


 ララシャールはエミリアの頭を撫でながら一筋の涙を流した。


「ど、どうして、わかったのですか?」


「気がついてくれたのはマリアナよ」


 エミリアがマリアナに目を向けるとマリアナが笑顔で一礼した。


「今日のパーティーの警備がおかしいって気がついたそうなの。以前からあの三人が問題を起こしそうなことはわかっていたから。

何もなければそれでいいという気持ちでわたくしたちは来たのだけれど……」


 実際に問題を起こしていた、ということだ。以前から気をつけていてくれたことはナターシャの不貞の話でわかっていた。エミリアはそうした手配をしてくれたことには王族に感謝はしていた。


「エミリア。今までよく我慢してくれたわ。ありがとう」


 エミリアは堰を切ったようにララシャールの胸で泣いた。公爵令嬢として振る舞ってきたエミリアは自室以外でこんなに泣いたのは初めてであった。

 ザリアートのことは何とも思っていない。だが、苦労したここまでの日々、女子生徒として楽しめなかった学園、未来の王妃として怠惰なことは許されない生活、全てが無駄になった。


 ザリアート、ビル、ベイガー、ナターシャは学園を退学した。


 ビルはカザール公爵領最端の小さな村の村長になった。ビルは次男だ。カザール公爵家には立派な長男がいる。


 ベイガーは侯爵領の門兵となった。氏を名乗ることは禁止されていた。氏を名乗ったら国外追放だと言われている。ベイガーには男兄弟はいない。マリアナが結婚していた副団長の次男が侯爵家の婿養子になった。すでに隊長になるほどの実力者なので問題ない。


 ザリアートは言葉通り平民に落とされ王家領の小さな町に置き去りにされ王都へ入ることは禁止された。ザリアートが今後結婚してもザリアートの子孫が王族を名乗ることがないよう去勢処置がされた。

 王家の元執事が取り仕切っている町であることが温情だろう。


 ナターシャは二ヶ月監禁され妊娠していないことが確認された。その後、最東にある規律の厳しい修道院に足枷をつけられたまま入れられた。本当に妊娠していると思っていたようで王家に墮胎させられたのだと大騒ぎしており修道院では収まりきらず塔に幽閉されて早々に毒盃を賜った。


 グリバン男爵家は何も知らなかったこととナターシャが妊娠していなかったことが温情となり爵位は剥奪されたが金品の持ち出しは許され領地の外れの屋敷も許された。贅沢をせず仕事を少しでもすれば十分に生きていける。

 

〰️ 〰️ 〰️



 ララシャールが生徒たちに約束した夏休み明けのパーティーが開かれることになった。エミリアはエスコートの申し込みが殺到して困っていた。しかし、ララシャールの願いでとある転入生にエスコートしてもらうことに決めた。


 そしてパーティーの後にはその転入生に学園内で本気で口説かれておりエミリアは困り果てている。


「ボルジーノ殿下。お戯れはおやめください」


「リア。昔のようにジノって呼んでよ」


 転入生ボルジーノは笑顔がララシャールに似ていてエミリアが断りにくい顔であった。笑顔のまま口を少しだけ尖らせてエミリアが困るのを楽しんでいる。


「あれは……。失礼ながら、貴方様を王宮庭師のお子様だと思っていたからできたことですわ」


 幼き頃のまだザリアートと婚約する前である。王宮でのお茶会に行ったエミリアは迷子になった。その時に汚れた格好をしていたボルジーノに助けられた。それ以来、エミリアは王宮でのお茶会を抜け出しボルジーノのいる温室に遊びに行っていたのだ。その際、ボルジーノは『ジノ』と名乗っていた。ボルジーノはいつでもキャップを被っていて王族の証である金髪碧眼だとは幼いエミリアは気が付かなかったのだ。


「リアは僕の初恋だったんだ。リアに嫌われたくなくてさ……。ホントのことが言えなくなっちゃったんだよ。

後になって早く言っておけばよかったって思ったよ」


 耳の上で切りそろえられた艷やかな金髪を気にもせずに上からワシャワシャとかいてその頃の自分をなじっているようだ。


 ボルジーノ第二王子はザリアートの一つ年下で病弱だと言われていた。

 本当は変わり者だったため隠されていた。好き好んで汚い格好で温室に入り浸っているような少年であったゆえだ。


「本来は学園に通う必要はないと聞きましたが?」


 エミリアは眉を寄せてボルジーノに苦言を呈する。


 ボルジーノはザリアートとエミリアの婚約を聞きショックで他国へ留学してしまった。その国で変わり者ではなく天才なのだと発覚した。その国は飛び級が許される国でさらには高等学園の上の大学園まであった。ボルジーノはすでにその国の大学園の卒業もしている。年はエミリアたちより一つ下だが学力は相当上だ。

 去年この国に戻ってきてまた温室に籠もっていたらしい。


「うん! そうだよっ!

でもあと半年、リアと学園生活を楽しめるって聞いたから通うことにしたんだぁ」


 そんなことをニコニコと嬉しそうに言われるとエミリアはくすぐったい気持ちになってしまう。エミリアにとっても『ジノ』は初恋だった。その笑顔はまさしく『ジノ』でありエミリアも諦めたはずの初恋が蘇る。


 しかし、エミリアには不安もあった。


『ボルジーノ殿下には国王は似合わないわ』


 エミリアは判断していた。まあ、ザリアートに似合っていたかと言われると否なのだが。


『だからこそわたくしが嫁いで支えるべきなのかもしれない。いや、わたくしが嫁がなければボルジーノ殿下は国王にならなくて済むかもしれない。国王陛下はご健在なのですもの。お子様をもう一人もうけるなりボルジーノ殿下のお子様を国王として育てるなりした方がボルジーノ殿下のためだと思うわ』


 エミリアは人知れず悶々と悩んでいた。


 エミリアの悩みを知ってか知らずか、しばらくして王家から重大発表があった。


 ララシャールが子供と夫を連れて王家に戻り将来は女王になることになった。

 嫁いでいたメノバート公爵家は領地経営を担っていた次男が継ぐことになった。長男は未来の宰相として王城で国王の側近をしていたのだ。


「王家の出費は仕事の対価として税金で賄うわ。贅沢をしすぎなければ大丈夫ですもの」


 ララシャールの一言で王家領地の半分をボルジーノが譲り受けボルジーノを大公とすることにした。

 王家領の中でも元々薬草栽培が主要産業であった南地方をボルジーノに譲られた。ボルジーノの温室での研究も薬草であったのだ。


 ボルジーノは大喜びである。


 王都の離宮の一つを大公邸にしそこにはすでに温室の建設が始まっているそうだ。


『確かにララシャール殿下なら国王にぴったりだわ』


 エミリア始め国民は納得した。元公爵は王配としての勉強を始めているそうだ。元々優秀な国王側近だった方なのでスムーズに進んでいる。


 国王問題は解決した後でもボルジーノはエミリアに無理強いもワガママも言わなかった。ザリアートに振り回されることに疲れていたエミリアはボルジーノが強引でないことに甘えていた。


〰️ 〰️ 〰️


 エミリアがボルジーノへの答えを曖昧にしたまま、卒業式当日となった。卒業式の後には卒業パーティーがある。

 エミリアにはまたしてもエスコートの申し込みが殺到していた。しかしエミリアはすべてに断りの返事を出しており父親にエスコートをお願いしている。


 ボルジーノからは短い手紙とともにドレスとアクセサリーが届いていた。


『君がこれを着ていないときにはきっぱり諦めるよ』


 卒業式の後にドレスに着替えるため公爵邸に戻ってきたエミリアは心を決めてメイドたちに支度をお願いした。


〰️


 

「応接室にてお待ちです」


 父親の支度も済んだようだ。メイドの言葉にエミリアは立ち上がった。メイドのエスコートで階段を降りる。


『コン コン コン』


 メイドが応接室のドアをノックしドアを開けてくれた。ドアの外から見えるところには父親はおらず、奥のソファ席に人気を感じる。エミリアは足元に気をつけながら応接室の中へと進んだ。


「ほぉ」


 父親の感嘆の声が聞こえ少し恥ずかしくなる。エミリアが顔を上げるのと父親の向かいに座り背を向けていた待ち人が立ち上がるのは同時であった。


「「あっ……」」


 エミリアと待ち人との目が合った。


 ボルジーノはエミリアを見て大きなサファイアの瞳をさらに大きくしてパアッと笑顔になった。


 慌てたのはエミリアだ。


「どうして? どうして、貴方様がいらっしゃるの?」


「ねえ様が嫌われてもいいから迎えに行けって言ってくれたんだよ」


 エミリアはララシャールには敵わないのだと察した。父親がメイドとともにそっと部屋から出た。ドアは一応開いたままである。


 エミリアが動けずにいるとボルジーノがテーブルの上にあった大きな薔薇の花束を抱えエミリアの目の前に来た。


 そして、エミリアの足元に跪いた。


 エミリアに花束を捧げる。


「リア。僕と結婚してください。大好きです」


「ジノ。わたくしも貴方が大好きですわ」


 ボルジーノの瞳の色の青い生地に髪の金色で刺繍されたドレスを纏ったエミリアが、エミリアの髪の銀色に瞳の紫を差し色にしたタキシードのボルジーノに寄り添った。


〰️ 


 数年後、王都の大公邸の温室では様々な薬草が開発され国民の健康を担っていた。

 大公夫人は赤ん坊と一緒に王城へ足繁く通っていた。赤ん坊はフサフサの柔らかい銀髪にサファイアの大きな瞳を持つそれはそれは可愛らしい女のコだ。


「リア! いつも助かるわ」


 ララシャール女王陛下は義妹の手助けを喜んでいた。


 義妹は王妃の器を持つ公爵夫人なのだから。


〜 fin 〜

ご指摘をいただきまして、ラストの階段シーンを応接室シーンに書き換えました。


また、ボルジーノを大公とし、ララシャールの嫁ぎ先だった公爵家は公爵家の次男が継ぐことにしました。


ご指摘ありがとうございます!



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[良い点] お姉様たちが強くてとてもいいです。 [気になる点] >ララシャールが子供と夫を連れて王家に戻り、将来は女王になることになった。嫁いでいたメノバート公爵家に跡継ぎがいなくなってしまったため、…
[良い点] 女傑達の活躍も痛快でしたが それまで凛とした公爵令嬢であったエミリアちゃんが感謝され褒められ赤くなり慌てたり、その後も悩んだり…と、とても可愛らしくて好きになりました。 お話のテンポもとて…
[良い点] お姉さんがかっこいいですね。扉の鍵はまあ、状況次第だけど鍵掛けたから警備下げるって普通にあり得ないし、こういう身分の厳格なところだと、良くある男爵やら平民女子やらがケンカうって来たら嫌がら…
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