ラミア族の姫
「テミス。帝国から来た新しい総督の話、何か聞いているかい?」
ラミア族の長である母アマトから問われ、テミスは読んでいた書物から顔を上げた。
「はい。なんでも、西門を一瞬で破壊したとか。しかし、まだ成人もしていない子供だとも聞いております。所詮は噂話、どこまで本当なのかわかりませんが」
顔にかかる髪をかき上げ、淡々とした口調で答える。
「到着して1週間ほどになるが、今のところ総督府から特に沙汰は出ておらん。帝国の連中、何を考えているやら」
「…新しい総督は、先の戦争で活躍したエルフォリア将軍の娘だそうですね。将軍が急死したため、将軍に与えられるはずだった総督職を継ぐことになったとか」
アマトは、複雑な表情を浮かべる。
「まあ、どうせその娘はお飾りで、帝国本国から役人が送り込まれるんだろうが…」
「さて、どうでしょうか」
テミスは首をかしげる。噂以上の情報がない今、全ては想像だ。帝国がこの街をどう支配するつもりなのか、相手の出方を見てみるべきだろう。
以前の衛兵隊だけなら気にする必要もないが、新総督の後ろにはエルフォリアの軍隊がいる。魔王国の軍を押し返した精鋭相手に、下手な動きをするべきではない。
「母上、私も総督府の様子を見張らせていますが、今朝ほど、狐人の娘が二人、総督府から出てきたそうです」
「狐人の娘?」
意外そうにアマトは繰り返す。
「ハルピュイアの一人に見張らせていますが、どうやらこちら側の街に来ているようです。何か情報が得られるかも知れません」
「捕らえて吐かせるか」
にやりと笑うアマトに、テミスは首を振った。
「いえ、総督府に関係する者かもしれません。手荒な真似は控えましょう。衛兵どもはともかく、軍が動くと面倒です」
「魔族のために軍が動くというのかい?」
「こちらを取り締まる良い口実に使われる可能性はあります」
「ふむ、そうだね。…では、どうする?」
「私が参りましょう。少し興味がでてきました」
テミスは、手にしていた書物を机に置き、とぐろを巻いていた身体を伸ばした。
「リネア、お腹すかない?」
フィルとリネアは、下町から東西の通りを横断し、魔族の街の北側に来ていた。こちらにも通り沿いに露店は並んでいるが、その数は少なく、きちんとした建物に入った商店が多い。
店のひとつから良い匂いがしているのに気がついて、フィルが言った。
「はい、少し…」
リネアも素直に頷くが、すぐにしゅんとした表情になる。
「でも、お金を持っていませんよ」
「ふふふ。わたしに任せなさい」
にやっとフィルは笑い、首から提げていた小さな革袋を取り出した。中には帝国金貨が10枚近く入っている。帝国金貨2~3枚が庶民の半年分の稼ぎに当たることを思えば、小遣いにしてはずいぶん多い。
「フィ、フィル様、そんな大金…!」
袋の中身を見せられたリネアが、思わず驚きの声を上げ、慌てて口をつぐむ。
「これはわたしの個人的なお金だから大丈夫。リネアとおいしいもの食べようと思って、持ってきたの」
フィルは革袋を閉じると、先ほどから良い匂いをさせている店の扉をくぐった。
店の中はかなり広く、テーブルだけの席と、椅子も置いてある席に分かれていた。一見してテーブルとテーブルの間隔がかなり広い。その理由は、中にいた店員の姿を見てすぐにわかった。
店の中にいる女性店員の下半身は蛇。ここはラミア族の店だった。長い下半身を持つラミア族の客のために間隔が広くとってあるのだろう。
店員の一人が、しゅるりと音を立てて、店に入ってきたフィルとリネアに近づいた。
狐人の子供など問答無用で追い出すところだが、二人とも身ぎれいで、一人は兵士、一人は侍女のような服装をしている。どこかの使用人が主人の使いで料理を買いに来たのだろうと店員は思った。
「注文はなんだい?用意している間、他のお客様の迷惑にならないように、そこの隅で待っておいで」
店員は横柄な口調で、リネアに言った。
「あの、私たちは食事をしたいのですが…」
リネアは少し緊張しながらも、顔を上げて答えた。
「なんだって?ここで食事?狐人のくせにバカな事を言うんじゃない」
店員は鼻で笑い、蛇の下半身を振るうと、リネアの身体に巻き付けた。
「く、苦しいです!」
ぎりっと身体を締め上げられ、リネアが顔を歪める。
「とっとと店から出て…」
言いかけた店員は、ぞわりと悪寒を感じて振り向いた。そこには、冷たい表情を浮かべたフィルが、店員を睨みつけている。
「…こ、ここはラミア族の長も出入りする店だ。お前達のような狐人なんかが来る店じゃない」
店員はフィルに気圧されながらも、声を張り上げた。
強い殺気を放ちながら、ゆらりとフィルが近づく。その手が腰に下げた剣の柄にかかった。
「何をしているの?」
そのとき、別の声が響いた。
「て、テミス様、これは…」
濃紺のローブを着たラミアが店の入口をくぐる。ラミア族の長の娘、テミスだった。
「早くその娘を離しなさい」
「は、はい!」
慌てて店員はリネアを放す。フィルは素早く背中にリネアを庇った。
「相手が誰だろうと、お客様に無礼な振る舞いをしてはいけません。謝罪を」
「も、申し訳ありませんでした…」
テミスに言われて、店員は渋々ながらフィルとリネアに謝ると、慌てて店の奥へと引っ込んでいった。
そこでようやくフィルは剣から手を離した。
「同族の無礼、申し訳ありません。よろしければ、ここの料理をご馳走させて下さいませんか?ほんのお詫びの気持ちです」
テミスは、フィルとリネアに微笑む。
「…わかりました」
フィルが、まだ不快さを残した声ながら了承すると、テミスは店の奥にある個室へと二人を案内した。すぐに先ほどとは別の店員がやってきて、椅子を用意してくれる。
フィルとリネアが椅子に座ると、テミスも床にとぐろを巻いてテーブルに着いた。
テミスは、さりげなくフィルとリネアを観察する。この二人が総督府から出てきた娘たちなのはわかっている。見張らせていたハルピュイアから居場所を聞き、ちょうどこの店に入るところを見つけたのだ。
店員とのトラブルは偶然だったが、結果的に、こうして話をする機会が得られたのは良かった。
それにしても、ただの狐人の娘と侮るのは禁物だ。先ほど兵士姿の娘が放った殺気は尋常ではなかった。もしあそこで声をかけなければ、店員の首が落ちていたかもしれない。
「先ほどは本当に失礼しました。お怪我などはありませんか?」
もう一度、丁寧に頭を下げるテミス。
逆にリネアの方が恐縮し、慌ててパタパタと手を振る。
「い、いえ。もう大丈夫です。もういいですよね?」
「…リネアがそう言うなら…わかりました。謝罪を受け入れます」
不機嫌が顔に出ていたフィルも、仕方なさそうに、ふっと息をついて力を抜いた。
「ありがとう。申し遅れました。私はテミス。ラミア族の長の娘です」
「わたしはフィル、この娘が妹のリネアです」
フィルの自己紹介に、リネアは思わず驚きの声を上げそうになったが、これもフィルの正体を隠すためと納得して話を合わせることにする。
「フィルさんにリネアさんね。よろしく」
テミスは微笑む。そこへ、給仕の店員がやってきた。
「テミス様、お飲み物はいかがいたしましょう?」
「そうね。私はいつもの赤ワインを。フィルさんとリネアさんもいかが?」
「いえ、お酒は飲まないので…」
「そう、残念ね。それなら、林檎のジュースなんてどうかしら」
「では、それをお願いします。リネアもそれでいい?」
「はい。フィル…姉さん」
一礼して店員が下がると、テミスは本題に入る。そう、テミスがお詫びの名目で二人を食事に誘ったのは、総督府の情報を得るためだ。時間はある。焦らず、怪しまれないように聞き出したい。
「リネアさんはずいぶん仕立ての良い服を着ているのですね。どこかのお金持ちに雇われているのかしら?」
「お金持ちというか、私は総督府で働かせて頂いています」
リネアは正直に答えた。
「総督府に?…魔族が総督府で働けるのですか?」
「私は、つい1週間ほど前から働き始めたばかりで…それも、新しい総督様のおかげなんです」
リネアは嬉しそうに言い、ちらりとフィルに視線を向ける。フィルは、黙って苦笑を浮かべていた。
「総督様は、サエイレムを人間だけの街とせず、人間も魔族も公平に扱うおつもりです。総督府の皆さんからも、親切にして頂いています」
「リネアさん、あなたは帝国から来た新しい総督に会ったことがあるの?」
「はい、あります」
リネアが少し照れたような表情を浮かべる。テミスは内心ほくそ笑んだ。まさか総督本人に会ったことがあるなんて思わなかった。総督がどんな人間か、できるだけ情報を得ておかなくては。
「総督は、どんな方なのかしら?」
「…総督様は、私と同い年の女の子です。でも、とても賢くて、強くて、お優しい方です」
リネアの答えで、総督がまだ子供だという噂は本当だと裏付けがとれた。しかし、強いというのはどういうことなのだろう。テミスは聞き返す。
「賢くてお優しいのはわかりますが、人間の女の子なのに、お強いのですか?」
「はい。先日、総督様は、第二軍団長のエリン様と1対1で模擬戦をされ、エリン様に勝ってしまわれました」
第二軍団長エリン・メリディアスと言えば、若年ながら先の戦争でも活躍した将だ。模擬戦とは言え子供が彼女に勝つとは、にわかには信じられない。主を立てるためにエリンが手を抜いていたというなら理解できるが。
「それはすごいですね。第二軍団長に勝つなんて」
何食わぬ顔でテミスは話を合わせる。
「噂に聞くところでは、総督様は、西門を一撃で吹き飛ばされたとか。エリン様との模擬戦でも、何か不思議な力をお使いになったのかしら?」
「いいえ。エリン様とは武術だけの戦いに見えました」
今度はフィルが答え、リネアもこくこくと頷いている。
「ますます興味がわいてきました。ぜひ総督様にお目にかかりたいものですわ」
そこへ、店員が飲物と料理を運んできた。
「この店の看板料理、香味野菜のパティナです。どうぞ、召し上がって下さい。お皿が熱くなっているので気をつけて」
テミスは、そう言ってグラスに注がれた鮮やかな赤ワインを口に含む。
パティナは帝国由来の卵料理だ。具材を敷いた上に溶き卵をかけてオーブンで焼き上げる。目の前に出されたものは、細かく刻んだ玉ねぎやセロリなどの野菜が具になっているようだ。表面には綺麗な焼き色のついた卵の部分がふんわりと膨らんでスフレ状になっており、見るからに美味しそうだった。
「うわぁ、ふわふわです」
リネアがスプーンですくった卵の柔らかな感触に驚き、そっと口に運ぶ。その表情は、瞬く間に蕩けていった。
「本当、おいしい…」
帝国出身のフィルには食べ慣れた料理だが、帝国本国で食べるよりも美味しいのに驚く。
「ラミア族は卵が大好物なので、卵料理にはこだわりがあるんですよ。この料理のレシピも伝統的なものをベースに私がアレンジしたものですが、気に入ってもらえたようで嬉しいわ」
ハフハフとパティオを頬張るふたりを、テミスは目を細めて眺めていた。
次回予定「魔族の統治」