傾国の少女、ふたり
会議が終わると、退出する重臣達と入れ替わりに女性の使用人が現れ、フィルは、これからの生活空間となる私室に案内された。
私室は執務室に隣接しており、広い居間と寝室、それに側付用の使用人室が設けられている。
居間には、新しいベージュのチュニックと茶色のスカートに着替えたリネアが待っていた。
「フィル様、お、お着替えを用意いたしました。どうぞこちらへ」
リネアは、緊張のあまり多少ぎこちない動作で寝室の扉を開けた。
「わかりました」
フィルは、すました表情で言い、寝室へと足を踏み入れる。
案内してくれた使用人が退出すると、フィルは途端に顔をほころばせた。リネアもほっと息をついて緊張をとく。
「リネア、よく似合ってるよ」
「ありがとうございます。フィル様」
少し顔を赤らめて、リネアは笑う。
「フィル様も、お着替え下さい」
用意されていたのは、白いチュニックとスカート、その上に重ねる臙脂色のケープだった。シンプルなデザインだが、裾と袖口に太く赤い縁取りが入っており、光沢のある生地に映える。
手早く着替えると、リネアが金糸で編まれた腰帯を結んでくれた。
「ありがとう。…おかしくないかな?」
その場でくるりと回ってみせる。
「はい、フィル様、よくお似合いです」
リネアは、フィルが脱いだワンピースを畳み、腕にかけた。
「リネア、その服、預かっておいてくれる?」
「え?…でも、こんな粗末な服、もうフィル様には…」
「ううん、リネアからもらった服を捨てたくないの。それに、あとで必要になるかもしれないから。リネアも自分の服は捨てないでおいてね」
「はい…わかりました。洗ってとっておきますね」
リネアは、少し首をかしげながらも頷く。
「リネアの部屋は隣?」
「はい、フィル様の側付ということで、隣の使用人室を頂きました。キッチンもありますので、いつでもお茶をお持ちできます」
リネアは、嬉しそうに微笑んだ。
「そう、早速で悪いけど、お茶をお願いしていい?居間で待ってるから」
「はい、すぐにお持ちいたします」
パタパタと使用人室に向かうリネアを見送り、フィルは居間に戻る。居間は、窓側に書き物机、部屋の真ん中にソファーセットが置かれている。広さの割に家具が少ないので、少しがらんとした印象だ。
居間に入り寝室の扉を閉めたところで、フィルは不意に視界がぶれるような感覚に襲われ、くらりとよろめいた。
「あらあら、大丈夫?」
「麿たちが分身した感覚に慣れぬだけじゃ。大事ない、すぐにおさまる」
両側の耳元で女性の声がした。
「え?」
自分一人しかいないのはずの部屋で、フィルの側にいつの間にかふたりの少女が立っていた。
フィルより少し年上、十代後半から二十歳前後というところだろう。
一人は、白金色の髪に金の瞳、長い髪を頭の後で結い上げ、わずかに褐色がかった肌。薄い白絹で仕立てられた天女の羽衣のような衣装をまとっている。身に着けている金銀に宝石がちりばめられた帯留めや髪飾りは、彼女が高い身分であることを伺わせた。
もう一人は黒髪に黒い瞳。長い髪をまっすぐにたらして先の方で束ね、肌は色白。緋色の袴に、大きな袖が特徴的な薄紅色の上着を羽織っている。金銀の装身具は身に着けていないが、内にまとう衣装の色が襟元や袖口に幾重にも重なり、美しい色彩を見せている。
「あなたたちは、九尾と一緒にいた…」
フィルは二人に見覚えがあった。九尾と話した時、その側にいた少女たちだ。
「妾は妲己。よろしくね」
「麿は玉藻前じゃ。玉藻で良いぞ」
「…わたしは、フィル・ユリス・エルフォリアです」
戸惑いながらも律儀に名乗るフィルの様子に、妲己と玉藻と名乗る二人の少女は、くすりと笑みを浮かべる。
「あの、お二人は一体…?」
「妾と玉藻は、言ってみればあなたの先輩ね」
「先輩?」
「…妲己は相変わらず言葉が足らんの。フィル、麿と妲己は、かつてそなたと同様に九尾の意識だったのじゃ。とっくに代替わりして、今はただ九尾の中で自我を保つのみじゃが」
玉藻がすっとフィルの頬に手を伸ばす。しかし、その手は何の感触もなくすり抜けた。
「見ての通り、麿たちは実体のない幻。九尾の意識となったそなたの中に住まわせてもらっているようなものじゃな」
玉藻が言うと、妲己は少し真面目な表情になった。
「もし、あなたが妾たちを拒むなら、意識の底に封印することもできる。そうしたら、妾たちは九尾の意識が代替わりして次の者が宿るまで、眠りにつくことになる」
フィルを見つめる妲己の目には、少し不安げな様子が感じられた。
「あなたは、妾たちを受け入れてくれるのかしら?」
フィルは、にこりと笑った。
「妲己さんと玉藻さん…ですね。あの、よろしくお願いします」
迷いはなかった。ふたりはきっと自分の知らないことを色々知っている。サエイレムを治めていくのに、自分はまだまだ知識も経験も足りない。彼女たちにぜひ手伝って欲しい。フィルはそう考えた。
妲己は、満足そうに笑みを浮かべる。
「今はあなたが九尾の意識なんだから、対等に話してくれていいわ。妾も、フィルと呼ばせてもらうから」
妲己の隣で玉藻も頷いている。
「…妲己、玉藻。手を貸してほしい。わたしは、父様が守ったこの街を帝国の好きにさせたくない。人間も魔族も関係ない街にしたい」
触れられないのはわかっているが、フィルは手を差し出す。そこに、妲己と玉藻も手を重ねた。
「妲己も麿も、人間だった頃は王や帝の傍らにあった者。任せるがよい」
「後世では、王や帝を誑かして国を傾けた悪女って事にされてるけど、本当はけっこう頑張ったんだから」
嬉しそうに笑う妲己と玉藻。
生前、王を、帝を、支えきることができなかった。それは己が力及ばなかったせいだと思っている。
しかし、後の歴史に、国を滅ぼす傾国の悪女とされたのは口惜しい。自分達は精一杯頑張ったんだと言ってやりたいが、実際、国を持ち直させることができなかったのだから、それも空しい。ならば、この世界でフィルを支え切り、その汚名を返上するのだ。
「…フィル様、この方々は…」
部屋に響く笑い声と、見たことのない二人の少女の姿に、部屋の隅では、お茶を運んできたリネアが固まっていた。
「妲己と玉藻のこと、もう少し聞かせてもらっていい?」
ソファーに腰を下ろしたフィルは、リネアに淹れてもらったお茶をこくりと飲む。大麦を焙煎したものから煮出した、帝国で一般的な麦茶だった。
向かい側のソファーには、妲己と玉藻。触れることは出来ないので、座っている風の姿勢でいるだけだ。
リネアが緊張しっぱなしなので、フィルは手を引いて自分の隣に座らせた。
「妾は、殷王朝最後の王、紂王の妃だったの。王が反乱軍との戦争に負けて王朝は滅亡、妾も処刑されることになったけどね」
「麿は、日本という国の帝、こちらでいう皇帝のようなものじゃが、鳥羽上皇の皇后じゃった。しかし、政敵に罠にはめられて、化け物として追われ、討伐されることになった」
妲己と玉藻は、帝国で言うなら皇妃の立場にあったという。帝国の皇妃は政治に口を出すことはないが、二人は皇帝を補佐して、政治にも関わっていたらしい。
「それはなんと言っていいのか…」
自分たちが死んだときのことをあっけらかんと話す二人に、フィルは苦笑いするしかない。
「わたしは死にかけた時に九尾に出会ったんだけど、ふたりもそうなの?」
「そうじゃ」
「そうね」
揃って軽く頷く。やはり、もはや自分の死に特別の感慨はないようだ。
「九尾って、死にかけている人のところに現れるのかな」
「さぁ?…とりあえず玉藻と妾に共通するのは、無念の死を迎えた、ということよね。フィルもそうなんでしょ?」
「えぇ。相手はまだわからないけど、このサエイレムに向かう途中に襲撃されて、死にかけた…というより、九尾が現れなければ、間違いなく死んでいたわ」
「フィルもその歳で殺伐とした人生送ってるわね…もしかすると、そういう理不尽に殺される悔しさとか無念さが、九尾を呼ぶのかもしれないわ」
「理由はどうあれ、九尾のおかげでわたしもリネアも死なずに済んだ。それは九尾に感謝してるわ。…ちょっと色々、人間辞めちゃったみたいだけど」
フィルの答えに、妲己は軽く肩をすくめる。
「さて、そろそろ本題に入りましょうか。フィルの中で聞いてたんだけど、闘技大会を開くんでしょう?」
「えぇ、その場でわたしの…九尾の力を見せつけるつもりなんだけど…少し困ることがあって」
「九尾とフィルはすでに一体じゃ、『わたしの力』と言ってもよかろう。いかなる魔族でも、単騎で九尾に勝てる者などおるまいに…何が困るのじゃ?」
玉藻の問いに、フィルはこくりと頷く。
「九尾の力は強力だけど、試合である以上、相手を殺してしまってはまずいの。残虐に思われても困るし。相手を殺さず、圧倒的な強さを見せるって、どうすればいいかな、って」
「まだ、そこまでの力加減は難しいかの」
玉藻も首をかしげた。
「相手は、どんな種族になりそうなの?何か特殊な力を持っている連中はいるの?」
妲己が少し興味をそそられたように身を乗り出す。
「たぶん、ラミア族と狼人族、そのあたりになると思う。ラミア族は下半身の蛇の体の怪力と毒や薬を使うのが得意。狼人族は、単純に力と速さだけど人間とは段違い、そんなところかな」
「九尾の妖力で障壁を張って、相手の攻撃を全て受けきるというのはどうじゃろう?どんな攻撃も効かぬというのは、相手にとっては存外恐ろしいものじゃ。相手が疲労したところで、死なない程度に一撃吹っ飛ばしてやれば良かろう」
相手の攻撃を受けきるという玉藻の案はシンプルだ。
「それもいいけど、観客にはわかりやすい『強さ』が伝わらないんじゃないかしら。せっかくの闘技大会なんだから、派手に武技で圧倒した方がいいんじゃない?支配者ってのは、イメージも大事なの。どんな攻撃も効かないっていう不気味な強さより、わかりやすく正面から圧倒した方が受けがいいと思うのよね」
妲己は楽しそうに言う。確かに彼女の言うことはわかる。得体の知れない強さは、逆に市民に不安や恐怖を生じさせる。フィルは『バケモノ』になりたいわけではない。英雄のように華麗な武術で相手を圧倒できれば、確かにその方がイメージはいいだろう。でも、大きな問題があった。
「妲己、わたし武術は多少囓ってるけど、魔族相手に圧倒なんてできないよ?」
「フィルの身体、貸してよ。妾がやってあげる」
「は?」
フィルの目が点になる。
「妾がフィルの身体を使って戦ってあげる。これでも、武芸に関しては当代一と言われた紂王や武成王の相手をしてきたのよ。牧野の戦いの時だって、単騎で敵陣に切り込んでたくさんの敵兵を倒したんだから」
「わたしの身体を使うことができるの?」
「えぇ。妾も元は九尾の意識だったんだから。少し慣れる必要はあるけど、試してみてもいいわ。…エリン、だっけ?あの娘もそれなりに強いんでしょう?少し手合わせしてみるのはどうかしら」
「わかった。やってみましょう」
にこっと笑って期待に満ちた目を向ける妲己に、フィルも頷いた。
次回予定「妲己乱舞」