奈落の別れ 2
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「やはり、3人を相手にするのは厄介ですわね」
忌々し気にアセトが言うと、ボフッと香炉から激しく煙が噴き出し、その姿を覆い隠し始めた。
「リネア、メリシャ、手を!」
視界を埋めていく白い煙に、フィルはやや慌てた声で叫び、両手を伸ばした。
白い煙はただ視界を奪うだけでなく、互いの気配も感じにくくさせていた。神獣の感覚を狂わせるということは、アセトの香炉が発しているはただの煙幕ではなく、何らかの魔術的な効果がある。
しかし、どうやらフィルの声は少し遅かったらしく、フィルの手をリネアとメリシャが掴むことはできず、フィルもふたりの気配を見失っていた。
実はすぐ近くにいるのかもしれないが、視界は白く塗りつぶされ、音も聞こえない。
…ちっ、しまった……フィルは、注意深く辺りを見回しつつ、舌打ちする。
この状態では、手あたり次第に攻撃するわけにはいかない。同士討ちの可能性がある。
対するアセトは、たぶんこの煙の中でも相手の気配を感知する術を持っている。まさか自分も迷子になるような稚拙な術ではあるまい。
いつ、どこから、誰を攻撃するかの主導権は、完全にアセトに握られてしまったということだ。
どうやってもこちらは後手に回らざるを得ない。
フィルにできるのは、感覚を研ぎ澄ませつつ、奇襲に対応できるように備えることだけだった。
同じように煙に視界と感覚を塞がれたメリシャは、自分を中心とした放射状に糸を放っていた。警戒や盗聴の際に使う極細の糸だ。
視覚や聴覚を惑わし、幻覚を見せたり気配を絶ったりされるのは厄介だが、張り巡らせた糸を直に感覚器として使うアラクネの警戒網は、誰かが糸に触れさえすれば、その位置は手に取るようにわかる。
すぐに、そのひとつに反応があった。これはアセトではない…すぐにメリシャの側に人影が現れた。相手もメリシャの糸に気付き、糸を逆にたどってやってきたのだ。
「メリシャ、無事ですか?」
「リネア、良かった…!」
メリシャは、駆け寄ってきたリネアと離れないよう、手を握り合う。だが、リネアの肩にしがみついていたテトの分霊がいなくなっている。
「テトは?」
「わかりません。この煙に巻かれて、気がついたらいなくなっていました。…この煙は、ただの目眩ましではありませんね」
「そうだね。ボクも周りの気配が全く掴めなくなった。音も聞こえないし…リネアはどう?」
「私もダメです…メリシャの糸は使えるのですか?」
「たぶん、大丈夫」
「フィル様は…?」
「ごめん、まだフィルを見つけられないの。たぶん近くにはいるはずなんだけど…」
試しに大声で呼びかけてみたが、返事はない。この煙が音や気配を遮断しているのは間違いない。リネアに竜の翼で羽ばたいてもらい、煙を吹き払えないかもやってみたが、全く効果はなかった。
フィルは、下手に動くのは悪手と考え、その場でじっと様子を伺っていたが、その行動が今回は裏目に出た。糸による警戒網も、相手が触れなければ反応しない。張り巡らせた糸にフィルが触れてさえくれれば、メリシャに伝わるのに…。
反応を見せないのはフィルだけではなく、アセトも姿をくらませたままだった。煙は濃く立ち込めたまま晴れる気配はない。ならば、術者であるアセトはまだここから逃げてはいない。
「メリシャ、フィル様を探しましょう」
「うん…でも、どうするの?適当に歩き回るだけで見つかるの?」
「わかりません…しかし、このままでは…」
リネアの表情には、不安と焦りがにじんでいた。普段は冷静で思慮深いリネアだが、フィルが絡んだ場合だけは例外だ。そのままにしていたら、リネアは一人でも動き出すだろうと察し、メリシャは仕方なく頷いた。
「…こちらから動くしかないか…」
その頃、フィルもぼそりとつぶやいていた。
しばらく様子を伺ってみたものの、アセトが仕掛けてくる様子はないし、リネアやメリシャのことも心配だ。リネアもきっと自分のことを心配しているだろうと思うと、胸が苦しくなった。
じゃり…わずかに動かした足の下で、砂が擦れる。ゆっくりと警戒を緩めることなく、すり足で少しづつ前へと進む。自分から見て前というだけで、正確にどちらに向かっているのかはわからない。
周囲が見えない状況でも、いつもなら感覚的に方向はわかるのだが、それも阻害されている。今のところ不気味に沈黙しているが、神獣の感覚を邪魔するほどなのだから、アセトの力は侮れない。
やがて、コツンと足先が何かに触れた。目を凝らしてみると、魂の井戸がある檀上に上る階段だった。
次回予定「奈落の別れ 3」




