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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第1章 サエイレムの新総督
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モルエの治療

1話が短めなので臨時更新します。

「姫様…」

 フィルの行動に、ゴルガムが一つ目を大きく見開く。彼ですら、まさかフィルが直接謝罪に来るとは思っていなかった。


「今すぐ許してほしいとは言いません。でも、できるだけ早く運河がきれいになるようにすると約束します。だから、この街を嫌いにならないでほしい」

 フィルは頭を下げたまま言った。しかし、テレルとその妹たちは、戸惑うばかりだ。


「パエラ、これはどういう…」

 フィルとパエラを交互に見るテレルに、パエラはぐいと顔を近づける。

「だから、総督のフィルさまがわざわざ謝りに来てくれたんじゃない。それでもぐだぐだ言うなら、あたしも怒るよ」

「パエラ、いいの」

 フィルは小声でパエラを制する。そして、ゆっくりと顔を上げた。

「せめてものお詫びに、妹さんのこと、わたしに治療させてほしい」

「あなた、本当に総督なの?」

「姫様は本当に姫様。姫様にセイレーンを助けてほしいと頼んだ」

 フィルが口を開くより先にゴルガムが言う。


「姉さん…総督さまを怒らせたら…追い出されちゃう。住むところがなくなっちゃうよ」

 次女のライネが心配そうにテレルに呼びかける。

「だからさ、フィルさまはそんなことしないって」

 パエラが、呆れたように呟いた。

「フィル様、早く治療を始めた方が良いのではありませんか?」

 リネアがフィルに囁く。リネアはテレルの腕の中で、荒い息をついているモルエの姿を心配そうに見つめていた。


「そうね…、テレル、まずは妹さんを診せてください」

「治せるのかい?」

「なんとかします」

 フィルは、自分が羽織っていたマントを脱ぐと地面に広げた。

「こちらに」

 半信半疑ながら、テレルはモルエをマントの上に寝かせる。

 フィルはモルエの横に膝をつくと、息を整え、モルエの身体に手をかざす。その手のひらが、ほんのりと金色の光を帯びた。


 …病気の原因を探る…様子からしたら、おそらく原因は呼吸器。セイレーンは水中と水面で鰓と肺の呼吸を切り替える。水の汚れに影響されやすいのは鰓だ。リネアにモルエの腕を持ち上げてもらい、わきの下にある鰓の状態を診る。

 モルエの鰓は、腫れて膨らんでおり、分泌された粘液でベタついていた。フィルの感覚には、鰓に極小の生物が大量に付着しているのが感じられる。鰓の中で目には見えない大きさの生物が大量に増殖し、それが吐き出す毒素が鰓に炎症を起こしている。それが呼吸を妨げると同時にモルエを衰弱させていた。

 ずっと後の時代になって存在が認識される細菌と呼ばれる生物。排泄物などで汚染された水に含まれていた病原性細菌が原因で発症する鰓病にモルエは冒されていた。治療するには、鰓の中に住み着いた細菌を取り除いた上で体力を回復させればいい。


 フィルは、モルエの鰓にそっと触れる。ピクリと身を震わせたモルエに、テレルが思わず手を伸ばそうとするが、リネアがその手を押さえた。

「フィル様に任せてください。大丈夫、きっと治してくださいます」

 自分も大怪我を治してもらっているリネアは、フィルなら治せると確信しているようだ。

 フィルは、モルエの鰓を傷つけないよう、慎重に力を調節する。しかし、弱すぎると細菌を取り除けず、強ければ鰓まで痛めてしまいそうになる。細かい力の調節が難しい。フィルの表情にやや焦りの色が浮かぶ。

(フィル、落ち着きなさい。力の調節は妾がやってあげる。あなたは取りこぼしがないように注意して)

 脳裏に妲己の声が響いた。フィルが安心して力を委ねると、手のひらを包む光が安定した。


 フィルはモルエの鰓に沿って指先をかざす。丹念に、鰓のヒダ一枚一枚をなぞるように。鰓の中に隠れる細菌を取りこぼすことがないように。

 一通りの駆除を終えると、鰓全体を回復させる。毒素に侵された組織を修復するとともに、回復の副作用で増殖した細菌を見つけ、その隠れ場所をもう一度駆除していく。

 何度かそれを繰り返し、両脇の鰓を治療するまでに、2時間近く要していた。フィルの額にはびっしりと汗が浮き、リネアがそれをハンカチで拭う。

 最後にフィルは、モルエの体力を回復させる。一気に戻すと体への負担が大きいので、とりあえず持ち直す程度に。全身を金色の光が包むと、モルエの呼吸が穏やかになり、血色も良くなった。

 フィルは、ふぅっと大きく息をついて体の力を抜いた。ぺたりと地面に座り込む。


「フィル様…!」

 ふらっと身体を揺らしたフィルを後ろからリネアが支えた。

「大丈夫ですか?」

「うん、ありがとう。さすがに疲れた」

 フィルは、リネアの手を借りて立ち上がる。

「どうなの?モルエは?」

「大丈夫。病気の原因は取り除けました。あとはゆっくり休めば元気になります」

 心配そうに問うテレルに、フィルは微笑む。

「そう…その、ありがとう。妹を助けてくれて」

「助けることができて良かったです」

 礼を言うテレルに、フィルは安堵の表情を浮かべる。ただ、これで万事解決ではない。フィルは、テレルに提案を伝える。


「テレル、…運河がきれいにならなければ、また病気になってしまう恐れがあります。…不自由かもしれませんが、しばらくの間、運河から引っ越す気はありませんか?」

「やっぱり、街から出て行けって言うの?」

 寂しそうに言うテレルに、慌ててフィルは首を振った。

「ち、違います!そんなことは言いません!」

「じゃぁ、引っ越すところなんて…」

「運河はきれいにします。ただ、水路の改築には、少し時間がかかります。その間、総督府に来てもらおうと思うのですが、ダメでしょうか?」

「えぇっ?!」

「総督府の中には、運河の水源になっている水路と大きな泉があります。運河の工事が終わるまで、そこに住みませんか?」

 真剣な表情のフィルに見つめられ、テレルは助けを求めるようにパエラに目線を送る。

「いいんじゃないの。あたしもフィルさまの護衛になって総督府に住むことになったから、一緒だし」

 パエラは、にやにやと笑いながら言う。


 …と、気が付いたモルエがマントの上で身を起こした。

「お姉ちゃん、誰?」

 目の前にいるフィルを不思議そうに見つめる。

「わたしはフィルって言うの。どこか痛いところはない?苦しくない?」

「……そうだ、モルエ、病気になって…でも、あれ?もう苦しくないよ?」

 フィルは、きょとんとしているモルエを思わず抱き締めた。

「良かった。苦しい思いをさせて、ごめんね」

「うわ、あの…フィル、お姉ちゃん?」

 訳が分からず慌てるモルエだったが、初めて感じた人間の温もりは嫌ではなかった。


「テレル姉さん、モルエがまた病気になったら可哀想だよ」

 三女のルクシが、心配そうに言った。

「きれいな場所に住めるなら、行ってみようよ」

「うん、私もそう思う。ゴルガムさんやパエラちゃんも、信用していいって言ってるんだから」

 次女のライネも賛成した。

「う…」

 妹二人の賛成に、テレルは小さく呻いてフィルを見た。フィルは、モルエの頭を愛おしそうに撫でている。

「テレル。姫様、優しい。信じていい」

 地面にしゃがみこんだゴルガムも、モルエを撫でるフィルを見ていた。

「そうね…、ゴルガム、さっきはごめんなさい。せっかく闘技大会の本戦まで進んだのに、自分の希望じゃなくて私たちのことを頼んでくれたんでしょう?」

「俺は姫様のおかげで港の仕事ができて飯が食える。でも、港の工事のせいでテレルたちが困ってる。だから頼んだ」

 当たり前という口調で言うゴルガムに、テレルは苦笑する。


 テレルは、姿勢を正してフィルに向き直った。

「あの、総督様…」

「…ごめんなさい、話の途中でしたね…できたら、フィルって呼んでくれると嬉しい」

 フィルもテレルを真っ直ぐに見つめ、彼女の言葉を待つ。

「…フィル様、引っ越しの件、お世話になります。よろしくお願いします」

 テレルはそう言って腰を折り、頭を下げた。テレルに倣って、水面から上半身を出しているライネとルクシもお辞儀をする。モルエだけが、不思議そうに首をかしげる。

「良かった。これでわたしも安心できます」

 嬉しそうに言うフィル。

「帝国にも、フィル様のような人間がいるのね」

 独り言のようにつぶやくテレルに身を寄せ、フィルはそっと囁く。

「海を離れてサエイレムまで逃げてきたのは、帝国の人間が原因なんでしょう?…落ち着いてからでいいから、事情を聞かせてほしい」

「でも…」

「…安心して。わたしは帝国の総督だけど、帝国本国の言いなりにはならない。ここはわたしの街。絶対に連中の好きにはさせないから」

 フィルは、不安げな表情を浮かべたテレルの手を握った。

次回予定「セイレーンの事情」

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