戦士たちの敗北 1
アルシャキア平原に布陣するメネス軍と、砦に籠るヒクソス軍。開戦の時はもう間近。
メネス軍がアルシャキア平原に布陣して早半月。メネス軍の本陣は焦りの空気に包まれていた。
当初の計画では、本隊の後に出陣した別動隊がアヴァリスを急襲して制圧するまで、着陣から長くても10日ほどと見積もられていた。しかし、予定の10日が過ぎ、さらに数日たっても別動隊からの伝令は来ない。
…別動隊は、ティフォンのブレスによって、船の欠片一つ残さずに消滅しているのだから、いつまで待っても伝令が来ることはない。しかし、メネス軍本隊にも、本国にも、それを知る術はなかった。
「将軍、これ以上待っていては大河の洪水が終わってしまいます」
「それはわかっている…」
幕僚の一人の発言に、アイヘブは眉を寄せた。
今回の侵攻計画における本隊の任務は、ヒクソス軍をアヴァリスから引き離すための囮であり、最終的にはアヴァリス奪還に向かうヒクソス軍を追撃、別動隊と挟撃するというものだ。
ケレス宰相により提示された、別動隊によるアヴァリス奇襲を主軸とする作戦計画に、アイヘブとその幕僚は不満ではあったが、農民から集めた徴用兵の動員期間に限りがある以上、短期間で強襲を行うこの案にやむなく同意せざるを得なかった。
それ故、出陣の時期も含めて、ケレス宰相たちに嵌められたという感覚を持つ者も多い。
だが、別動隊が何らかの原因で失敗したのだとすれば、この侵攻の成否が危ぶまれる。
徴用兵を帰還させる期限が迫っていることに変わりはないが、ファラオに命ぜられた侵攻軍の任務は、ヒクソスを再びメネスの属国にすることだ。
別動隊が失敗したのなら本隊でヒクソスを制圧しなければ、ファラオの命令を全うできない。
この作戦がケレス宰相の案によるものだとしても、現場の最高指揮官である以上、侵攻失敗となればアイヘブが責任を問われる事に変わりない。
「よし、明日の早朝に一当てしてみるか」
まずは前衛を砦に向かわせ、ヒクソス軍の出方を見てみよう。
これまでのように挑発にのって出てくるなら良し。だが籠城するようなら、多少の犠牲は覚悟して力押しでの短期決戦を考えなくてはならないだろう。
「まずは、それがよろしいでしょう」
居並ぶ幕僚たちも頷いた。
前衛に配置されている隊はケレス宰相に取り入っている者たちが多く、立身出世のために手柄を求めて自ら先陣を希望している。本人たちも早く攻めるべきだと矢の催促を上げてくるので、それを宥める意味でも、まずは一戦やらせてみるのがちょうどいい、というのがアイヘブとその側近たちの見解だった。
一方、ヒクソスの砦の中にも、痺れを切らせている者たちがいた。御前会議で強く希望し参戦してきた部族の戦士たちだ。
砦に到着して何日もたつが、指揮を執るメリシャは、待機を命じるだけで何もしようとしない。目の前にメネス軍が布陣しているというのに、どうして戦わないのかと不満を募らせていた。
その間も、直轄軍団の兵たちは、森に仕掛けている罠や攻撃拠点を増やし、補給物資の備蓄を行うなどして戦う準備を整えているのだが、それとて戦士たちには雑用をしているようにしか見えていない。
連日のように、なぜ戦えと命じて下さらないのかとメリシャに不満を言いに来る者たちもいて、正直、メリシャもうんざりし始めたところだった。
「兵の数はメネスの方が圧倒的。…小細工をして有利に戦えるようにしないと、勝てないよ」
ぼやくように言ったメリシャに、フルリも頷いた。
「仰るとおりでやす。こちら1人に何人もでかかられちゃ、どんな戦士でもいつか討ち取られやすから」
フルリも、フィルの訓練を受けて、集団での戦いというものをだいぶ理解していた。
以前のフルリは、剣技や体術を磨く戦士たちに憧れ、自分もそうなりたいと思っていた。けれど、個人技を競う試合と戦争は全く違う。
国を守るためには、卑怯でも姑息でも、勝つか引き分けに持ち込まなくては意味がない。負ければ多くのものを失うことになるのだ。
フィルは、指揮官の命令に従って集団で戦わなければメネス軍には勝てないと、繰り返し言い続けた。
直轄軍団の兵として各部族から集まった者たち、バステト神殿の神官だった者たちも含め、この数ヶ月フィルの訓練を受けてきた者たちは、それを徹底的に叩き込まれた。
しかし、部族長や部族の戦士たちは、未だにフィルの言う事をまともに聞こうとしていない。
これまで何度となくメネス軍に負けてきたにも関わらず、自分達の戦い方を改めようともしない、その頑迷さに、メリシャは憤りを通り越して諦めに近い感情を抱いていた。
次回予定「戦士たちの敗北 2」




