信仰の都へ 1
領内を見て回ることにしたメリシャ。その行く先は…
「そろそろ、ちゃんと自分の目で領内を見ておきたいと思うんだよ」
本格的にヒクソスの建て直しに取り組み始めてしばらくたったある日のこと。朝食の席で、メリシャはフィルとリネアにそう切り出した。
フィルが軍団の訓練を始めたのと並行して、メリシャもヒクソス国内の色々な制度や統治機構の見直しを進めていた。
しかし、困ったのは情報の不足である。
メリシャは、まだヒクソスの領内の様子をほとんど見たことがない。
ヒクソスには、かつてのサエイレム王国のようなきっちりとした官僚組織がなく、実質的に国内の各地はそれぞれの部族が治めている部族制に近い状態だった。
国の決まりよりも部族のしきたりが優先されるのは当たり前。各部族長は、定期的に自領の状況を王に報告することになっているのだが、その内容はごく簡単なもので、そもそも部族にとって都合の悪いことは隠されると思った方がいい。
「フィルがちゃんと政治の仕組みを作ってくれてたおかげで、どれだけ楽だったか、よくわかったよ」
ぼやくメリシャにフィルは苦笑する。
「それはわたしの手柄じゃないよ。元々帝国はそういう仕組みがきちんとしていた国だからね」
「だけど、今すぐに役人を育てるのは無理だし、何からやったらいいかわからなくて…」
ふむ、とフィルはリネアに目を向けた。
「リネア、メリシャと一緒に国内を見てきてほしいんだけど、いいかな?」
「フィル様は行かないのですか?」
「うーん、一緒に行きたいところなんだけど、今は戦士たちの訓練で手が離せないのよ。…悪いけど、わたしの代わりにメリシャを手伝ってあげてくれない?」
じっとリネアの目を覗き込むように見つめるフィル。くすっとリネアが笑い、その背後からするりと玉藻が現れた。
「フィルよ、麿に手伝ってほしいなら、素直にそう言わぬか…」
「ひぇっ?!」
短く悲鳴のような声を上げたのは、シェシだ。
「そうか、シェシに姿を見せるのは初めてじゃな」
「あ、あの…あなたは一体…?」
忽然と姿を現した見慣れない服装の少女が、ふわふわと宙に浮いている光景を目の当たりにしたシェシは、リネアの袖をギュッと掴んで身を固くしている。。
「麿の名は玉藻ノ前、事情を話せば長くなるが、もうかれこれ500年はリネアの中に居候させてもらっておる。シェシのこともリネアの中から見ておったぞ…麿のことは玉藻と呼ぶがいい」
「は、はい…あの、玉藻様…」
ぷるぷると震えながらシェシは玉藻を見上げる。
「シェシ、玉藻様はとてもお優しい方です。…私やフィル様も、何度も玉藻様の知恵に助けてもらったのですよ」
微笑みながら言うリネアに、シェシもようやく緊張を解いた。
「リネア、麿が優しいなどと…」
「優しい玉藻様は、きっとメリシャを手伝ってくれるよね?」
にやにやと見つめるフィルに、玉藻はこれ見よがしに大きなため息をつく。
フィルがアヴァリスを動けない以上、政治面でメリシャを手伝えるとしたら玉藻が一番の適任だ。玉藻本人もそう自覚している。フィルはそれを見越して『お願い』しているのだ。
「…まったく、仕方がないのぅ…」
面倒くさそうな表情を浮べた玉藻は、上目遣いに見つめるメリシャに目を向けた。
「メリシャが頑張っておるからの、麿も手伝わんわけにはいかんじゃろ」
「ほんと?」
バサリと扇を広げて口もと隠す玉藻に、メリシャは嬉しそうに言う。
「まずは、リネアの中からこの国の様子を見させてもらおうかの」
ふん、と軽く鼻を鳴らして玉藻はリネアの中に戻っていった。
(フィル、よく一人で残る気になったわね。リネアがいないと寂しくて仕方ないんじゃない?)
フィルの頭の中で、妲己が言った。
(まぁね。そりゃ寂しいよ。でも、わたしが一緒にいると、どうしても口を出しちゃうから。…メネスでもハトラにあっさり見抜かれたし、それじゃいけないと思ったの)
(あははは…相変わらず、過保護なところは治ってないものね)
(仕方ないじゃない。大事な娘なんだから…)
妲己は盛大に笑い声を上げ、フィルはむすりと頬を膨らませた。
次回予定「信仰の都へ 2」
メリシャたちが向かうのは、ヒクソス最古の町。