ネフェル 3
神殿からネフェルを連れ出したフィルは…
「わたしは困らないからいいの。…これはわたしの我が儘。だからネフェルが望んでいなくても、わたしはそうしたい。それだけよ」
「フィル…どうしてそんなこと言うの?ネフェルのことはフィルには関係ない」
わずかに眉間に皺を寄せ、ネフェルはつぶやく。彼女としては最大限の困惑を示しているらしい。フィルは、首を巡らせてネフェルを見つめる。
「わたしは神獣だからね。自分が気に入らないものはそのままにしておけないのよ」
「でも…」
「まぁ、民が苦しむのを見るのはネフェルも嫌でしょう。それはわたしも望まない。だから、そこは何とかしてあげる。ホルエムの頑張りにもかかってるけど、ネフェルを解放するためと言えば、ホルエムも本気になるでしょう?」
「ホルエムが?どうして?」
「それは、わたしの口からは言えないなぁ…」
きょとんとするネフェルに、フィルは、くっくっと喉を鳴らして笑う。
「ネフェル、見てごらん」
煌々と輝く月の下、フィルは眼下に広がる大地を指し示す。足下にはオシリス神殿、そして大河イテルの黒々とした流れが横たわり、河に沿うようにメンフィスの街が広がる。遠くには一面砂の大地が地平線まで続き、星々が輝く夜空と接していた。
「きれい…」
ネフェルの口から思わず感嘆の声が漏れた。大地を空から見るなんて初めてだった。ネフェルは口を閉じるのも忘れて風景に見入る。
「世界は広いんだよ。神殿の中だけで一生過ごすなんて、勿体ないじゃない」
「フィル…ネフェルは神殿から出てもいいのかな…」
しばらくして、ネフェルはポツリと言った。
「もちろん。神獣であるわたしが許す。オシリスとかいう神がグタグダ言うなら、わたしが殴りつけて黙らせてあげる」
「オシリス神を殴るのはダメ」
「えー、そうなの?」
しばらく顔を見合わせて、どちらからともなく笑う。初めて見たネフェルの笑顔は、リネア一筋のフィルが思わず見惚れるほど可愛かった。
手を繋いで地下の部屋に戻ってきたフィルとネフェルに、ステージ端に座って待っていたホルエムが、拗ねたような顔を向ける。
「フィル、ずいぶんネフェルと仲良くなったようだな。…全く、こんなところに俺一人を置いていくなど、信じられぬ」
「ホルエム、ひとりで怖かったの?」
「違う!…その…俺だって、もっとネフェルと話をしたかったのに…」
後半に向けて、ホルエムの声はボソボソと小さくなっていく。それを聞き逃さなかったフィルは、にやっと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「女の子同士じゃないと話せないこともあるのよ。ホルエムもそれくらい察しなさい。あんまり子供っぽいこと言ってると、ネフェルに嫌われるわよー」
「なっ…!」
「フィル、ホルエムをあんまりからかっちゃダメ」
くいくいとフィルの手を引っ張り、ネフェルはホルエムを庇う。
「仕方ないわね。ネフェルがそう言うなら勘弁してあげよう」
その掛け合いに、ホルエムは微妙な表情を浮かべる。ネフェルが少し楽しげなのは嬉しいが、正直、フィルが羨ましい。
「ほら、ネフェルを返してあげる…わたしは、しばらく部屋の外を調べてくるから、ふたりで話をするといいわ」
フィルは、そう言ってネフェルの身体をぐいとホルエムの方に押し出す。
「…う、すまぬ」
フィルは少し顔を赤くしたホルエムに背を向け、ひらひらと手を振った。
フィルがミイラ兵たちがいた広間の壁画を眺めていると、ホルエムは思ったよりも早く戻ってきた。
「早かったじゃない。もういいの?」
「あぁ、ネフェルが眠そうにしていたのでな」
「…ったく、優しいのはいいけど、なんかじれったいわね」
「どういうことだ…?」
「いいえ、なんでもない。…それじゃわたし達も王城に戻りましょうか」
フィルはそう言うとスタスタと地上に向かって歩き出す。そして地上に出ると九尾の姿となって中庭から直接空へと上がる。
「ねぇ、ホルエム…」
大河イテルの上をメンフィスに向かって走りながら、フィルは背のホルエムに話しかけた。
「ネフェルを神殿から解放したいと言ったら、協力してくれる?…それで王国から魔術がなくなってしまったとしても」
「もちろんだ。俺は、ネフェルを国の人柱にしたくない。魔術がなくなることで困る者も出るだろうが、それは国全体で解決しなければならんと思う」
ホルエムは迷うこと無く即答する。王太子としては褒められた決断ではないのかもしれないが、フィルはその答えに満足した。
「上出来。…あとは、そのくらいの意気でネフェルにも接することができたら、言うことないんだけどね」
フィルは笑って目を細めた。
次回予定「改革事始め 1」
メネスからヒクソスに戻ったメリシャたちは、国内の問題に手を付けます。