王太子の処遇 2
メネスの魔術について、フィルはホルエムから話を聞きます。
「神殿から離れすぎると、魔術が使えなくなる、か…」
フィルは、指先を顎に当てて小さく唸る。
「正しく言えば、神殿自体ではなく、オシリス神殿にいる巫女長が魔術の要なんだ」
「巫女長?」
「あぁ、メンフィスにあるオシリス神殿の巫女長ネフェル。彼女を通じて神の力は地上に行き渡っている。オシリス神殿の代々の巫女長がその役目を継承するんだ。その代わり、巫女長は生涯、神殿を離れることができない」
フィルはホルエムの表情が少し曇ったことに気付いたが、今はあえて尋ねなかった。軽く微笑んで席を立つ。
「ホルエム、教えてくれてありがとう。お礼ってわけじゃないけど、なるべく早く国に戻れるようにするから、もう少し辛抱してね」
「いや、急がなくてもいいさ。…ここでの暮らしはメネスの王城よりも居心地がいい。今のメネスはとても良い国とは思えぬのだ」
「ホルエム、あなたはメネスの王太子なんでしょう?」
冗談めかして言ったホルエムに、フィルは一転して厳しい表情を向けた。
「王太子ともあろう者が、国を見捨てるようなことを言ってはいけない。国の在り様が良くないと思うのなら、あなたが思う良い国になるように、できることをしなければいけない。それが民を率いる者の務めではないの?」
自分と大して歳が変わらないように見える少女。だが、その静かな迫力にホルエムは息を呑んだ。
それは神の力というよりも、フィルの内面。己の意思を実現するために戦い、それを成し遂げた者の揺るぎない矜持のように思えた。
「…すまない。それが王族の仕事なのだな」
じっと見つめるフィルに、ホルエムは思わず謝っていた。
「わかればよろしい。…状況によっては、わたし達もホルエムに力を貸してあげる。わたしたちはヒクソスに味方しているけど、ヒクソスが人間を支配すればいいとは思わない。ヒクソスと人間が手を取って共に暮らせるようにしたいんだよ」
フィルの言葉は、ホルエムの心に深く染みこんでいった。
フィルとリネアがホルエムに会っていた頃…。
メリシャはサリティス、シェプト、ウゼルと話し合っていた。議題はもちろんホルエムの処遇である。
「メリシャ様、シャレク王の仇に、王太子を処刑すべきという者もおります」
シェプトは苦い表情で言った。
長老格であるシェプトには、それぞれの部族長の意見をまとめてもらっているのだが、フィルたちがメネス王国軍を追い返したことで勢いがつき、強気の意見が目立つようだ。
「処刑はしないよ。降りかかった火の粉は払うけど、むやみに争いの原因を作るわけにはいかない」
「左様ですな」
きっぱりと言うメリシャに、シェプトも頷いた。
「…全く、困ったものだ。自分達は戦場にも出ておらんくせに」
ウゼルもため息をつく。彼は、自分達が戦ったわけでもない今回の勝利を、ヒクソスの勝利だとは思っていない。実際に戦ったメリシャたちの意向に従うべきと考えている。
「やはり王太子はできるだけ早くメネスにお帰り頂くのが良いでしょう。早々に使者を送り、送還の段取りを進めては?」
サリティスは王太子を長くヒクソスに留めること自体危険だと考えていた。シェプトの言う通りメネスへの恨みから強硬な意見を持つ者は多い。手の内にメネスの王太子を留めておくと、恨みを晴らすべしという声が更に大きくなりかねない。本当に暗殺を狙う者でも現れたら厄介だ。
それに、一度は追い返したとは言え、メネス王国はそれで揺らぐほどぜい弱な国ではない。王太子奪還を掲げて、先に倍する兵力をもって再び攻め寄せてくるかもしれない。
「サリティス、早くお帰り頂くのには儂も賛成だが、ただ帰すというわけにはいかんだろう?こちらはラニルを失ったのだ。相応の見返りがなければ国内を抑えきれん」
「と言いますと、身代金、或いはラニルの犠牲に対する賠償の支払いを求めるということですか?」
顎を撫でながら言うシェプトに、サリティスが問うた。
「そうだな…必ずしも金品とは限らんが、王太子の処刑や厳しい処罰を求める者たちを宥めるだけの何かが必要だ。こちらには、先王を討たれた恨みもあるのだからな」
反面、あまり強硬な要求をすれば、メネス王国が態度を硬化させる可能性もある、シェプトも落としどころを考えあぐねていた。
次回予定「王太子の処遇 3」
捕虜としたホルエムをどうするか。議論は続きます。