敗走と人質 1
ヒクソスを待ち受ける王国軍の前に姿を現したのは…
国境からややヒクソス側に入った平原に、メネス王国軍一千が布陣していた。
その前列中央のにある天幕の下に、やや浮かない表情を浮かべている少年の姿があった。
「殿下、伝令によれば、先遣隊によるラニルの襲撃は成功したそうです」
「見せしめに町をひとつ皆殺しにするなど、本当に必要なことなのか?」
喜々として報告する幕僚に、やや不服そうな声でホルエムは言った。
「ヒクソスが無謀な反抗を企てぬようにするためです。連中は蛮族。我らの力を見せつけ、反抗が無駄だと分からせることが、ひいては連中のためというものでございます」
「…うむ」
ホルエムは短く唸る。それでホルエムが納得したと思ったのか、幕僚は一礼して天幕から出て行った。
ホルエムは、メネス王国の国王ウナスの長子、つまり王太子である。16歳になったばかりのホルエムは、次代の王として実績を上げるため、軍司令としてこの場にいた。
とは言え、実質的な指揮は幕僚たちが行っており、ホルエムはお飾りと言って良かった。国境近くにあるヒクソスの小さな町を先遣隊に襲わせるという作戦も、彼自身はあまり乗り気ではなかったが、幕僚たちの手前、強く反対することもできず、モヤモヤとした気持ちを抱えていた。
伝令が報告に戻ったということは、先遣隊もほどなくしてこちらに戻るだろう。個人の感情としては戦士でもない女子供まで虐殺した者たちなど罰したいところだが、軍司令としては任務を果たした者は称賛しなくてはならない。ホルエムは重いため息をつく。
太陽が真上に差し掛かる頃、兵たちが騒がしくなった。
「何かあったのか?」
ホルエムは、天幕を守る護衛兵に尋ねる。
「いえ、先遣隊の者らしき兵が戻ってきたようなのですが…」
護衛兵の答えは歯切れが悪い。直感的に何か良くない事が起こっていると感じた。
ホルエムは、自ら状況を確かめようと天幕を出て歩を進める。慌てて護衛兵が周りを固め、幕僚が駆け寄ってくる。
「殿下!お戻りください!」
「先遣隊が戻ったと言うではないか。労ってやらねばなるまい」
そんな気は無いが、前に出るための方便だ。居並ぶ兵たちの先頭に出てみると、10人ほどの兵がよろめきながらこちらに向かってくるのが見えた。
「…少ないな」
ホルエムはつぶやく。確か先遣隊は百人規模だったはずだ。今見えている兵たちの後に後続がいる様子もない。
「見苦しい真似をしおって……」
幕僚が苦々しげな表情を浮かべた。先遣隊の兵たちは隊列も組まず、バラバラになっていた。時折後ろを振り返っては、もはや力の入らない足を無理矢理前に出す。それは、まるで何かから逃げているような…
「殿下、彼らは疲労している様子。労いは改めてといたしましょう。さぁ、天幕へお戻りください」
幕僚がそう言って、前に出ようとするホルエムを押しとどめた瞬間、青白い閃光が走った。
ホルエムは見た。ボッと短い音がして、一人の兵が火柱に変わった瞬間を。周りの兵たちからもどよめきが起こった。
幕僚も驚愕の表情を浮かべたまま固まっている。
そして次の瞬間、また一人、兵が青白い火柱に変わった。運良く逃れた兵は悲鳴を上げ、足をもつれさせて転ぶ。それでもこちらに向かって這いずってでも逃げようと必死の様子だ。その隣で、火柱となった兵の体が地面に崩れ落ち、燃え尽きていく。
「魔術だ!ヒクソスの連中も魔術を使うぞ!」
兵の誰がが叫んだ。ざわりとどよめきが広がり、兵たちに恐怖が走るのがわかった。それに気付いた幕僚が慌てて叫んだ。
「ち、違う!あれは魔術ではない。あんな魔術は存在しない!…火矢、そうだ火矢だ!ヒクソスの連中が背後から火矢を放っているんだ!」
だが、その直後に幕僚の発言は全くの見当外れだと証明されてしまう。逃げ惑う兵の後ろから、身体の周囲に青白い狐火を幾つも浮かべたフィルの姿を現れたからだ。
目の前の兵をまた一人火柱に変え、フィルは布陣するメネス王国軍に気が付いた。
「道案内、ご苦労様」
もう用済みとばかりに、フィルが腕を一振りすると残りの兵全員が一瞬で火柱に変わる。
そのまま王国軍の陣へと歩みを進めるフィルの姿を、王国兵たちが呆然とした表情で見つめていた。
次回予定「敗走と人質 2」
ついに王国軍の本隊の前に姿を現したフィルは…