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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第1章 サエイレムの新総督
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サエイレムの錬金術

 サエイレム商業組合の代表、バレン・レバノスは総督府の玄関で自分を出迎えた狐人の少女に困惑していた。

「商業組合のレバノス様ですね。総督より申し付かり、お待ちしておりました」

 まだ成人したかどうかという若い魔族の娘、先日出会った総督と同じくらいの歳だろう。

「私は総督の側付を務めております、リネアと申します」

 にこりと微笑んで、リネアは右手を胸に当てて軽く膝を折り、頭を下げる。魔族には教養も礼儀もないと侮っていたが、自分達の組合の受付嬢よりもはるかに洗練された所作だ。

 魔族の娘を側付にするとは、さすがにあの総督は変わっている。先日の態度といい、これまで見知っている本国の役人や貴族たちとは全く違う。しかし、バレンは驚きこそすれ、内心、それを嫌悪してはいなかった。


「どうかなさいましたか?」

 反応のないバレンに、リネアは軽く首をかしげた。

「あ、いや失礼。なんでもありません」

 リネアの所作に見惚れていたのに気付き、バレンは慌てて手を振る。

「レバノス様、総督は執務室でお待ちです。どうぞこちらへ」

「は、はい」

 リネアに案内された総督執務室で、バレンはまた驚いた。

 テーブルの奥に座るフィル、そしてテーブルの左側には、先日やってきた財務官のフラメア、その隣に一人のラミアが並んで待っていたからだ。

 リネアは、バレンをテーブル右側の席に案内する。一礼してバレンが席に着くと、フィルが口を開いた。

「バレン殿、ようこそお越しくださいました。リネアの案内に失礼はありませんでしたか?」

「いえ、実に丁寧な案内をして頂き、驚きました。人間でもなかなかできるものではありません」

 バレンは正直に言う。商人として、来客への応対にはうるさい方だが、リネアの挨拶や所作には文句のつけようもなかった。

 …先日とは総督の雰囲気が少し違うように感じるが、気のせいだろうか…?


「それは良かった」

 嬉しそうに微笑むと、フィルはバレンの向かい側に座る二人に視線を向ける。

「紹介しておきます。財務官のフラメア・クレスティア、彼女には先日も会っていますね。そして、隣が新たに政務官に就いてもらったテミスです」

「初めまして。テミスと申します。御覧の通りラミア族です。レバノス殿、どうぞよろしく」

 フィルの紹介を受け、テミスも優雅に一礼した。

「サエイレム商業組合の代表を務めております、バレン・レバノスです。こちらこそ、よろしくお願いいたします」

 慌ててバレンも礼を返す。

 笑みを浮かべたままその様子を見ていたフィルは、バレンに向き直った。

「では早速ですが、先日お話した提案について、組合の回答を聞かせてください」

 何の前置きもなくフィルは言う。面会の要件など最初からわかっている。この率直さはバレンも好ましく感じた。

「はい。サエイレム商業組合は、閣下の提案を全て承諾いたします」

 バレンも、明快に答えた。


「大変結構です。ご理解頂き、感謝します」

「いいえ、皆で話し合い、閣下のお考えには感服いたしました。あの場で税や使用料のことにしか目が向かなかった浅慮を恥じております。ご提案の本当の目的は、大河ホルムスを利用した南方との舟運をサエイレムで独占しようということですね」

 そう、玉藻が考えた提案は、単に税に代わる負担を求めたものではなかった。サエイレム港の使用をサエイレムが認めた者のみで事実上独占し、舟運への影響力を確保するのが、本当の目的だ。


 サエイレムを中継する南方との舟運は、莫大な富をもたらす。本国で珍重され高値で取引される香料や香辛料の多くは、南方の地域でしか産出しないからだ。もちろんサエイレムを中継しない海路もあるが、長距離の外洋航海を伴い、その危険度は格段に高い。船団を出しても、その半数以上は難破すると言われるほどだった。

 南から流れてくる大河ホルムスを利用し、サエイレムで中継し、最短の海路で帝国本国と結ぶ。それが最もリスクが少なく、安定した物流を維持できるルートだ。リスクが少ないということは、運送コストも安く済むということに他ならない。

 これまでは魔王国との戦争というリスクがあったが、戦争が終わり、サエイレムは帝国領となった。この安定した情勢を維持できれば、サエイレム経由の舟運は飛躍的に発展する。それを見越して、他の勢力が好き勝手に介入できないよう手を打っておこうと言うのだ。

 これまでのような港の自由使用を認めていては、本国の商人たちが乗り込んでくるのを防げない。後から規制をかけることも不可能ではないが、一度既得権益になってしまったものを後から覆すのには多大な労力がいる。ならば最初から防御を固めておく必要がある。


「実質的に、港を使用したければサエイレムと手を組め、ということですね。サエイレムには他領の商人からの仲介料と港の使用料が入り、もしサエイレムに魅力を感じて本拠を移してくる商会があれば直接の税収も上がる。いやはや、恐れ入りました」

「新たに受け入れる商会の審査は商業組合できちんとお願いします。もちろん、総督府でも最終的に確認はするつもりですが、本国の人間は狡賢いですからね」

 フィルはバレンに釘を刺す。連中は法や規則の抜け穴を探すのが得意だ。帝国では、他領からやってきた商人が当地で商業活動を行うことを認めるかどうかの審査は商業組合が行う。だからこそ、本国の傀儡のような商人が進出することを水際で防いでもらわなくてはならない。サエイレムを守るのは総督府や軍隊だけではないのだ。

「わかっておりますとも。閣下の構想は我々にとっても本国の連中を見返す大きなチャンスです。決して本国の連中の好きにはさせません」

 バレンも表情を引締めて頷いた。


 バレンたちも本国へと商品を送る関係上、向こうの商人たちとは関わりがある。しかし、彼らはサエイレムの商人を下に見て、本国の港への出入りや取引の際の扱いは決して良いものではなかった。

 サエイレム経由の商品は、長距離の海路で運ばれた物よりも安価で高品質だったが、戦争のリスクもあって流通量が多くなかったため、市場での影響力を発揮できていなかった。本国の商人たちはそれを安く買いたたき、自分たちが高いコストをかけて海路で運んだ商品と同等以上の価格で売り、利益を貪っていたのだ。

 ついに、本国の商人たちを見返す手段が持てる。それに、サエイレムの商品を正当に扱ってくれた一部の商人たちへの恩返しもできる。実に痛快と言わざるを得ない。

「結構です。港の使用に関する使用料の水準や細かな規約などを検討しています。追って提案させて頂きますので、組合としても意見をお願いします」

「承知いたしました」


「それと、わたしからもう一つ、提案…というお願いがあるのです」

 フィルは、そう言って少し不安げな表情を浮かべる。

「お願い、ですか…?…もちろん、閣下のお望みなら、できるだけの協力はいたしますが、どういったことでしょう?」

「今後、サエイレム港の荷の取扱量を増やすため、港の拡張と併せて倉庫の増設や荷揚場の拡大などを考えているのですが」

「はい、それはありがたいことです。我々としても取引量を増やしたいと思っておりますので。…それが何か?」

「提案は、港で働く労働者についてです。港の拡張に合わせて労働者を増やすにあたり、人間だけでなく魔族も受け入れたいと思っています。その点について、実際に港を使用する商人の方々にも認めてほしいのです」

 フィルの言葉に、バレンは少し表情を曇らせた。

「魔族…ですか」

 一概に悪い提案だとは思わないが、バレンは彼らのことをよく知らない。どれくらい仕事ができるのか、規律は維持できるのか、高価な荷を扱う以上、不安がないとは言えない。

「はい、港に近い魔族街の南側には、多くの狐人や狼人たちが住んでいます。男は荷役や倉庫の管理などの力仕事、女や子供には船員宿の運営や労働者の食事の世話、そういった仕事を与えたいのです」

 フィルは、テーブルの上に手を組み、説明を続ける。

「魔族は全般に身体能力が人間よりも優れていますし、仕事を教えれば理解する能力は十分に持っています。あなたを案内したリネアも、ここに来るまではきちんとした教育を受けていません。でも、今ではあなたに完璧と言って頂いたほどの振舞いを身に着けています」

「…なるほど、そういうことでしたか」

 バレンは、フィルの後ろに控えるリネアに目を向ける。


 魔族と一言で言っても、巨人系の種族やラミア、ハルピュイアのように、体格や見かけからして人間と大きく違う種族もいれば、狐人のように、一部に獣の特徴が表れているだけで、体格や容姿が人間とよく似ている種族もいる。実際、リネアも獣耳と尻尾がなければ、見た目には人間の娘と何ら変わらない。

 このサエイレムに多いのは、狼人や狐人などだ。なるほど、確かに言われてみれば港の労働力としては適している。善良で話が通じるのであれば、街の外から食い詰めた犯罪者紛いの連中を受け入れるより、余程いいように思う。

「閣下のご提案、承知致しました。組合の者にも、私から説明しましょう」

「ありがとうございます。ただ、誤解のないようにして頂きたいのは、魔族の労働者は奴隷ではないということです。同じ仕事であれば人間も魔族も同じ賃金を支払いますし、その他の権利も差は付けません。もちろん、何か問題を起こした時には人間も魔族も同様に罰します」

 フィルは念を押す。

「はい。その点もよく申し伝えます…しかし、閣下が港を利用して魔族に職を与えることまでお考えとは思いませんでした」

 バレンの言葉に、フィルは笑みを浮かべる。それは、先日、バレンの首に羊皮紙を突きつけた時の笑みと同じだった。


「魔族たちを助けるためではありません。街として利点があるのです。職を与えて困窮する者を減らせば、治安も良くなりますし、収入の一部は税収になりますから総督府としても助かります。それに、街の者を労働者として使えば、街の富が流出するのを防げます」

「街の富が流出するとは、どういうことでしょう?」

「バレン、あなたたちが交易して稼ぐ利益は、どこから得られるのでしょうか?」

「多くは本国へ商品を売った代金ですな」

「そうです。あなた方は本国で儲け、そのお金は港などの使用料という形でサエイレムに落ちてくるわけです。そして、そのお金は港の整備や運営の予算となり、港で働く労働者の賃金になります。しかし、もし街の外から出稼ぎの労働者を雇えば、彼らはもらった賃金を貯め込み、それを持って他所へ行ってしまいますよね?」

「なるほど、労働者に街の者を使えば、支払われた賃金の多くが街の中で使われ、街の商店や職人たちの収入になると」

「はい。きちんと安定した収入が得られれば、誰もがもっと生活にお金を使うようになります。みんなが稼いで、みんなが使う、そうやって街の中でお金を回すんです。そうすれば街が活気づき、景気の拡大につながる。そうは思いませんか?」

 バレンは思った。南方との交易により街に金を呼び込み、街の中で循環させれば、消費の拡大が収入の拡大に繋がり、また消費を呼ぶ。需要が増えればさらに働き口と収入が増え、新たな商売も生まれる。目新しい商品を買う余裕が生まれれば、交易先や規模だって拡大するだろう。金が金を呼ぶように街の経済は成長していく。それこそ錬金術だ。


 バレンが知る多くの総督や貴族は、基本的に搾り取ることにしか興味が無いが、この総督は違う。

 港の重要性を最初に見抜き、労働力や資金をどうあてがうか、どうすれば効率的に経済を回せるのか、明確な考えを持っている。商売敵ならば実に手強いが、味方であるなら頼もしい。

 この総督の下でなら街は発展し、自分達の商売も大きく拡大出来るはずだ。商人として、この機会を逃すわけにはいかない。

「このバレン・レバノス、今後とも閣下に協力するとお約束します。お困りのことがあれば、なんなりとご相談ください」

「ありがとうこざいます。頼りにしています」

 立ち上がり、深く一礼をするバレンに、フィルは満足そうに頷いた。


「フィル様、これで商業組合もがこちらの味方に付いてくれましたね」

 バレンが帰った後、くたりと椅子に背中を預けたフィルに、フラメアも少し疲れた顔で言った。

「えぇ、玉藻が書いてくれたシナリオどおり。さすがとしか言い様がないわ」

(どうじゃ、麿の才覚は?)

(ありがとう、これでお金の方は見通しがつきそうだわ)

 頭の中で玉藻と会話する。

「フィル様、玉藻様とは…?」

「テミスには説明していなかったわね。わたしが神獣の力と知識を譲り受けた話には少し続きがあって、神獣の知識の中には、過去にわたしと同じく神獣と一体化した女性が二人、自我を保ったまま存在するの。その二人が、妲己と玉藻」

「そんなことが…まさか?!」

「たぶん、言っても信じてもらえないと思ったし、アマト殿の前でバラすわけにもいかなかったから、隠してたんだけど」

「…それは、わかりますが」

 どう反応したものか困惑するテミスに、フラメアが同情するように言う。

「普通は、信じられないと思いますよ。私も最初は驚いたし、すぐには信じられなかったですから。エリンがすんなり信じてたのが不思議なくらい」

「エリンの場合は、わたしが言うより先に妲己のことに気が付いてたから。手合わせの間に、相手がわたしじゃないってわかったみたいよ」

「さすが、武人の感覚というか、野生の勘というか…」

「いいわ、少し代わるから、話してみたら?」

「それが早そうですね」

 フィルは、すっと目を閉じる。そして開いた時には、その瞳は紅から黒に変わっていた。


「テミス、じゃったな。麿が玉藻じゃ。よろしく頼む」

「フィル様…じゃないのですか?」

「うむ、一時的にフィルの身体を借りておる。そうじゃな、顔かたちは変わらないが、人格によって目の色が変わるようじゃから、それで見分けると良い。麿の時は黒、妲己の時は金、フィルの時は紅じゃ」

「失礼しました。玉藻様、テミスと申します」

「様は付けなくても良い、そなたの主はフィルであろう。麿もフィルの臣のようなものじゃ、玉藻で良いぞ」

「では、玉藻…商業組合に示した提案書は見せて頂きました。あれはあなたが考えたのですね」

「そうじゃ。なかなかの案じゃろう?」

 ふふん、と玉藻は胸を張る。

「魔族の働き口まで考慮してもらって、お礼を言います」

「そんなものは当然じゃ。フィルも言ったじゃろう、魔族に情けをかけているのではない。街の者に働いてもらえば街の利益になる。港には多くの労働力が必要なのに、人口の半分近い魔族を遊ばせておくなど勿体ないではないか。大勢が働けば食事の世話も必要になり、女子供にも働き口ができる。真っ当な生活ができるだけの収入が得られるなら、犯罪も減り税収も見込める。全ては街の利益のためじゃ」 

 ふと、玉藻はテミスを見つめて考え込む。


「どうかなさいましたか?」

「いや、思いついたのじゃが、以前、フィルとリネアがそなたと会った時に食べた、なんといったか、あの卵料理…」

「パティナですか?」

「おぉ、そうじゃ。あれは大層美味じゃった。あれの店を港に出してみてはどうか。南方から来る商人や船乗り達には珍しかろうし、あの味ならば帝国内の者にも人気が出よう。…ラミア族にとってもいい収入になると思うのじゃが、どうかの?」

「なるほど……提案はありがたいのですが、私が同族を贔屓にするようなことをしては…」

 テミスは、少し困ったように表情を曇らせた。多少、同族に便宜を図る程度は役得とも言えるが、それをやればフィルの信頼を裏切るのではないかとも思ってしまう。

「何じゃ、そんなもの、ラミア族だけで独り占めしなければ良いのじゃ。他にも店を出したい者を募り、小さな店を幾つか集めて一緒に商売すれば良いではないか。そうすれば、店を出す資金が乏しい者も何とかなるじゃろう。パティナばかりでなく、肉料理やパン、スープ、酒を出す店もあっても良いの。時間がなくても気軽に立ち寄り、さっと飲み食いできるようにすれば、忙しい商人や船乗りにも便利なのではないか?…きっと、フィルも賛成すると思うぞ。意外にあやつは食い意地が張っておるからの」

(なっ…食い意地って!)

 頭の中に響くフィルの抗議を無視して、玉藻はにやりと笑った。


 しばらく後のこと、港の倉庫の一部を改装して開店した食堂は一風変わっていた。建物の中は広いホールになっており、奥の壁際に店のカウンターが数軒並んでいる。まるで建物の中に小さな露店が並んでいるようだ。ラミア族が出したパティナを主とした卵料理の店の他、人間のパン屋、ワインやビールを出す酒屋、狼人族の串焼き店、揚げ物や魚料理の店に、南方の商人が開いた香辛料をたっぷり使った辛いスープの店などもあった。

 客は各々が自分で好きな店のカウンターへ行って注文し、金と引き換えに食べ物や飲み物を受け取る。ホールに置かれた椅子やテーブルは全体での共用となっており そこに自由に座って買った物を飲み食いするのだ。食べ物の好みが違う者同士でも同じテーブルで一緒に食事ができ、しかも長く待たされることなく提供され、値段も手頃とあれば、人気が出るのも頷ける。


 後にフィルがリネアを連れて、こっそりと、しかし割と頻繁に立ち寄るようになったのは言うまでも無い。

 店員や客の中にはフィルが総督だと知っている者もいたが、好きなものを買い込んでリネアと一緒に幸せそうに頬張る姿に、見て見ぬふりをしてくれるのだった。

次回予定「闘技大会の前日譚」

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