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傾国狐のまつりごと-食われて始まる建国物語-  作者: つね
 第1章 サエイレムの新総督
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フィルのお願い

 商業組合から帰ったフィルは、帰っていたリネアからテミスたちが召喚を了承したと聞くと、グラムを執務室に呼んだ。

「なるほど、ラミアの姫ですか。確かにこちらに引き入れることができれば、魔族街への影響力が変わってきますな。加えて当人自身が優秀であるなら、大変結構です」

 トレイを手に静かに入ってきたリネアが、フィルとグラムの前にお茶を置き、そのままフィルの斜め後ろに控える。

 フィルは少し振り返ってリネアに微笑むと、お茶に口を付けた。リネアを側付にしてから、フィルはリネアが用意した飲物や食物に、誰よりも先に口を付ける。

 帝国高官の暗殺手段として最も多いのは毒殺だ。にも関わらず無警戒に口にすることで、リネアへの絶対の信頼を、総督府の人間たちに見せるためだった。

 グラムも躊躇いなくお茶を口にする。

「フィル様、心配なさらずとも、我々がリネア嬢を疑うことなどありませんよ」

「それはわかっているんですけど、わたしのけじめみたいなものですから」

 フィルは、コトリとカップを置いた。


「…さて、グラム、先ほどの話、わたしはテミスを政務官としてグラムの補佐に付けようと思うんですが、どうでしょう?」

「私は賛成ですが、そのテミス嬢の意向はどうなのですか?」

「悪い印象は与えていないと思いますけど、狐人の姿に化けて話をしただけだから、人間や帝国に対してどんな感情を持っているかはわかりません」

 ふむ、グラムは右手で顎を撫でる。

「ラミア族は、用心深い種族でサエイレムの中にも独自の情報網を敷いているようです。総督府の動向も空を飛べるハルピュイアなどを使って見張らせていました」

「なるほど、わたしとリネアの前にテミスが現れたのは、偶然じゃないってことですね?」

「はい、先日、フィル様とリネア嬢が総督府を出た時から、ハルピュイアが上空に張り付いていました。危害を加える素振りはなかったのでそのまま静観しましたが、おそらくテミス殿に報告が行ったのでしょう」

「…魔族の娘が総督府から出てきたら、あれは何者だ、ということになりますよね。本人と話した時も、新しい総督の情報が知りたいみたいでしたし」

 フィルは、しばらく黙って考えていたが、やがて椅子の背に身体を預ける。

「一族の長であるアマト殿が一緒に来るということは、やっぱりまだ信用されてないってことでしょうね」

「それは当たり前です。一度会っただけの者を全面的に信用するなど、普通はありません。しかもフィル様は変装して正体を隠していたのですから」

 心配そうな表情のフィルに、グラムは淡々と意見する。


「ここはやはり、小細工するより、正直に協力を求めた方が良さそう…わたしからお願いしてみます」

「お願い、ですか」

「はい、命令ではなくお願いです。ただ言うことを聞かせるだけなら命令しますけど、テミスとアマト殿には、まずわたしを信用してもらわないと」

「わかりました。フィル様にお任せいたします」

 グラムは、ふっと笑って一礼した。


 翌日の正午、アマトとテミスは総督府にやってきていた。供は連れず、二人だけだ。

「アマト様、テミス様、お待ちしておりました」

 門の前で待っていたリネアが、アマトとテミスの姿を見つけてお辞儀をした。

「リネアさん、よろしくお願いしますね」

 テミスは少し緊張した様子ながら、リネアに微笑む。

 二人は、ラミア族の正装らしい、銀糸の刺繍が施された紫色のローブに身を包み、煌びやかな貴金属の装身具を身に着けていた。


「はい、総督は執務室にいらっしゃいます。ご案内します」

 門をくぐる際、警備する兵士にリネアが頭を下げると、兵士の方も笑って敬礼を返す。魔族のリネアが、人間と全く変わらない扱いをされているのが、テミスには新鮮だった。

 広い前庭には、きれいな水を湛えた石造りの大きな泉が設けられ、その畔を石畳の通路が総督府の建物へと続いている。

 総督府の建物に入り、奥へと進む。人間サイズで設計されている建物の廊下は、ラミアにとっては少し手狭だ。時折、総督府で働く人間たちとすれ違うが、自然に端に避けてくれる。奇異な視線を向ける者はいない。 

「なるほど、これも総督の気遣いということですかな」

 アマトがつぶやく。

「はい、総督の大切なお客様が見えるということで、皆に知らせが行き渡っています」

 案内しながら半分振り返って、リネアが言った。

「ずいぶんと手厚いですね。呼び出した魔族への対応とは思えません。総督は、一体何をお考えなのやら」

 あまりにも行き届いた対応に何か裏があるような気がして、逆にテミスは居心地悪く感じる。

「テミス様、もうすぐわかりますよ」

 リネアの笑みすら何か意味深なものに見えて、テミスは軽くため息をついた。


 建物の奥、両開きの大きな扉の前で、リネアは立ち止まった。軽く扉をノックする。

「リネアです。アマト様とテミス様をお連れしました」

「ありがとう。お通ししてください」

 部屋の中から返事が聞こえる。その声に聞き覚えがあるような気がして、テミスは首をかしげた。昨日も似たような体験をした気がするが、まさか。

「どうぞ」

 二人が入りやすいように、リネアは両方の扉を開く。

「失礼いたします」

 リネアに促されて、アマトとテミスは総督執務室の扉をくぐった。

 室内にあるテーブルは、ラミア族の来訪に合わせて片側の椅子が片付けられていた。部屋の中にいたのは、奥の執務机の横に立つ小柄な人物が一人。

「お待ちしておりました。急な召喚に応じていただき、ありがとうございます」

 テミスたちの方に歩み寄りながら、彼女はにこやかに話しかけた。

 赤い縁取りの入った衣装に、金のブローチで止めたケープをまとった少女。テミスは彼女の顔から目を離せなかった。耳と尻尾こそないが、リネアと一緒にいた狐人の娘、フィルにあまりにもよく似た、いや、そうとしか思えない。

 アマトが身をかがめて一礼するが、テミスは呆気にとられたままフィルを見つめている。


「アマト殿、お初にお目にかかります。ようこそお越しくださいました」

「いえ、こちらこそ召喚もなく不躾に参上したことをお詫びいたします」

 軽く言葉を交わす。そして、彼女はテミスに顔を向けた。

「テミス殿」

「は、はい!」

 呼びかけられ、慌てて返事をする。

「先日は美味しいパティナを頂きました。ごちそうさまでした」

「?!」

 頭の上に狐の耳が生えていた。まぎれもなく先日会った狐人の娘…この娘は一体何者だ、人間?魔族?一体何がどうなっているのかわからない。

「申し遅れました。わたしがサエイレム総督、フィル・ユリス・エルフォリアです。どうぞフィルと呼んでください」

 驚きのあまり絶句したテミスに、フィルは悪戯に成功した会心の笑みを向けていた。


「さぁ、こちらへ」

 フィルは、すいっと耳と尻尾を引っ込めて人間の姿に戻る。

 アマトとテミスがとぐろを巻いてテーブルに着くと、フィルはその向かい側に座った。

「テミス殿、先日虐められた仕返しに、少し悪戯させていただきました。驚いて頂けましたか?」

 にこっと笑って言うフィルに、テミスはまだ半信半疑な表情だ。

「…フィル様、でよろしいですか?」

「えぇ、そう呼んで頂けると嬉しいです」

 テミスの言葉に笑顔のまま頷くフィル。

「フィル様、あなたは何者ですか?」

 つい、直球で尋ねてしまった。今なら、答えてもらえそうな気がした。

「わたしは帝国出身の人間です。たぶん」

「たぶん?」

「はい、今は自分がまだ人間なのか、わかりません。先ほどご覧になったとおり、わたしは狐人の姿になることができます。…と言っても、耳と尻尾が生えるだけですが。それと、ここでは狭いのでお見せできませんが、狐の神獣の姿になることもできます」

 フィルはかいつまんで事情を話した。サエイレムに向かう途中に何者かに襲撃され死にかけたこと。そして、狐の神獣に食べられてその力と知識を譲り受けたこと。妲己や玉藻のことはまだ話さなかったが、それ以外は正直に話した。

「…にわかには信じ難い話ですね」

 アマトも驚きを隠せない。魔族の間ですら、そんな話は聞いたこともないし、そもそも神獣など神話や伝説で語られる存在だ。

「そうでしょうね。サエイレムに着いて、わたしを幼い頃から知っている家臣たちに事情を説明した時も、はじめは偽物かと疑われましたから」

「リネアさんは、知っていたのですね?」

「えぇ。知っていたというより、リネアも当事者です。リネアは、森の中で死にかけていたわたしを見つけ、助けようとして、その後に起こった出来事に巻き込まれてしまったんです」

 フィルは、後ろに控えるリネアにちらりと視線を向ける。

「だから、リネアはわたしの命の恩人で、大切な家族なんです」

 …だからあの時、フィルは、リネアを締め上げたラミアの店員に、あれほどの殺気を放ったのか。テミスは納得する。


「まさか、フィル様が総督ご本人だったとは、すっかり騙されてしまいました」

「ごめんなさい。さすがに、あの場で『総督です』とは言えなくて…」

「そうでしょうね。それにそう自己紹介されても、私の方が信じなかったでしょう」

 先に出会ったときと同じように話すフィルに、テミスも気を取り直して応じる。

「ところで、西門を一撃で破壊したという噂も聞きましたが、それも本当なのですか?」

「はい。もちろん、元々のわたしの力ではありません。神獣の力を利用した結果です。先日お話しした、エリンに勝ったというのも本当です。それも厳密には神獣の助けを借りたズルですけどね」

 フィルは、あっけらかんと話す。


「総督、お伺いしたいことがあります」

 アマトが口を開いた。

「私はラミアの長です。長として話がしたい。あえて総督とお呼びすることをお許しください」

「わかりました。なんなりとお聞きください。偽りなくお答えすると約束します」

 フィルも笑みを消して応じる。

「今日、一族の長たる私ではなく、テミスを召喚されたのはなぜでしょうか。正体を明かしてテミスを驚かすためだけではありますまい?」

「長に断りなくテミス殿を召喚したこと、無礼と感じられたのでしたら、お詫びいたします。しかし、どうしてもテミス殿にお願いしたいことがあるのです。そのためには、直接お会いして話すべきだと思いました」

「お願い、というのは?」

 フィルは、アマトに向けていた視線をテミスに移した。


「テミス殿に、サエイレム総督府の政務官の職に就いていただきたいのです」

「政務官とは、どういった役職なのでしょうか?」

 アマトが尋ねた。テミスは一族とって大切な次代の長だ。適当なお飾りの役職に就けて、体の良い人質や魔族支配のための道具にするつもりではないのか。

「政務官は、総督と総督補佐官の下で、行政全般を取り仕切る役職です。序列としては、財政を統括する財務官や各軍団長と同格になります」

 アマトは耳を疑った。サエイレムで人間と魔族が共に暮らすようになって、数十年以上はたつが、魔族街のことならともかく、例え下級の官吏であっても行政官に魔族の参加が許されることはなかった。ましてや今のサエイレムは、人間の国である帝国の領地になったというのに、魔族をそんな高位の役職に就けるなど…

「人間と魔族の両方が暮らすこの街を治めるのに、わたしは帝国育ちで、魔族のことをよく知りません。先日、テミス殿とお会いして、テミス殿こそ適任だと感じました。ぜひわたしに力を貸してください」

 フィルは、アマトとテミスに頭を下げた。

 テミスは、先日話をした時のフィルの様子を思い出す。あの時フィルは、魔族街の統治をどうすればいいか、人間や種族の間で無用な争いを避けるにはどうしたらいいか、真剣に考えていた。


「魔族に、そのような権限を与えて下さるのですか?」

「もちろん。必要な権限は、わたしが保証します。誰にも文句は言わせません」

 テミスの視線に、アマトは小さく頷く。

「フィル様、頭を上げてください。総督たる者が臣下に軽々しく頭を下げるものではありません。今後はテミスとお呼びください」

 テミスはそう言って、テーブルから少し後ろに下がり、身をかがめた。 

「政務官の役目、引き受けさせて頂きます。よろしくお願いいたします」

「ありがとう、テミス。これから存分に働いてもらいます」

 フィルも椅子から立ち上がり、嬉しそうに微笑んだ。

 

 アマトが先に帰り、執務室にはテミスが残った。

「フィル様、あなたはどうして魔族に抵抗がないのですか?」

 ん?とフィルは首をかしげる。

「獣人の姿にもなれるし、半分魔族みたいなものだから?」

 アマトが帰ったので、フィルの話し方も普通に戻っていた。

「からかわないで下さい。人の価値観はそんなに簡単に変わるものではありません。まして、帝国育ちのフィル様は、これまで魔族と関わることもほとんどなかったと思いますが」

「帝国育ちのわたしは信用できないってこと…?」

 わざとらしく悲しげな表情を作って、フィルは上目遣いにテミスを見つめる。

「そうではありません。フィル様のように、最初から魔族に抵抗のない人間は見たことがなくて…この街の人間たちですら魔族を敬遠する者がいるのに」

 フィルは、少しの間目を閉じた。そして、つぶやくように答える。

「…たぶん、初めて出会った魔族がリネアだったから」

 そして、やや悲し気な表情で続けた。

「どちらかっていうと、わたしは人間が嫌いなんだと思う。…父が亡くなってから、帝国では散々嫌な思いをさせられたから。それこそ、父と一緒に死ねば良かったと思ったことだってある」


 総督になるはずだった父が亡くなり、フィルが総督を引き継ぐと決まるまでには、様々な利害や思惑がフィルの側で蠢いていた。陰湿な嫌がらせもたくさん受けた。しかし頼みの家臣や自軍はサエイレムに釘付けで、フィルの周りに味方はほとんどいない。

 そんな状況でフィルがどんな思いをしたか。歳に似合わぬしっかりとした思考力も、嫌でも身に着けねばならないものだったのだろう。


「ようやく本国を離れられたと思ったら、サエイレムに行く途中でも殺されそうになって…本当に絶望したわ。でも、そんな時に出会ったのがリネアで、リネアは見ず知らずのわたしを助けるのに命を張ってくれた。本当に嬉しかった。だから魔族に対して悪い印象がないんだと思う」

 フィルは、隣に控えるリネアを見上げて、穏やかに笑う。

 こほん、とテミスが咳払いした。

「正直、新しい総督が魔族を『人』として扱ってくれるのか、とても心配でした。帝国は人間の国。魔族は『人』ではなく奴隷や家畜と同様だと言われてもおかしくありません。実際、帝国の将軍の中には、そう声高に言う者もいましたから」

 テミスは、まっすぐにフィルを見つめた。


「フィル様がサエイレムの総督になって下さって良かった。…魔族も安心して暮らせるよう、この街をよろしくお願いします。私も精一杯お手伝いさせて頂きます」

「もちろんそのつもりだけど、期待が重いなぁ…」

「はい、期待しております。悠々自適に暮らしていた私を総督府に引き抜いたんですから、責任はとっていただきますよ」

 テミスは口元に手を当てて品良く笑う。

「もぅ、わかりましたっ!…場合によっては、多少強引な事をするかもしれないけど、それでもいい?」

「はい。フィル様が必要だと判断されるのでしたら、構いません」

「…でも、やり過ぎだと思ったら、ちゃんと止めてね」

 フィルは、少し照れたように笑った。

次回予定「サエイレムの錬金術」

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