サエイレム専制公
ユーリアスにサエイレムの独立自治を認めさせたフィル。
残る相手はボルキウスのみ。
宴席の翌日、離宮の広間には元老院の議長ボルキウス、サキア総督ビルス、サエイレム総督フィル、そして皇帝ユーリアスが集まっていた。
広間の正面奥に玉座に座ったユーリアス、その前、玉座に向かって右側にボルキウスとビルスが立ち、それと向かい合うように左側にフィルが立っていた。
右側の壁際には近衛軍団の兵、左側の壁際にはエリンに率いられたエルフォリア軍の兵が並び、リネア、メリシャ、パエラもフィルの後ろに控えている。
「ボルキウス、まずはエルフォリア卿の配下に関する嫌疑の件だ。そなたたちも聞いていた通り、余の裁定により嫌疑は晴れた。異存はないな?」
ユーリアスは、玉座の肱置きに頬杖をつきながら、ボルキウスにたずねる。
「はっ……訴えは取り下げたい存じます。陛下も仰せの通り、帝国で内戦など起こしては民が苦しみます。エルフォリア卿が反乱も辞さずとまで仰る以上、止むを得ません」
苦々し気な表情でボルキウスは言った。それでも訴えを取り下げるという体裁を取り、パエラの無実を認めないあたり、相変わらず往生際が悪い。
「そうか。では、エルフォリア卿が望む、サエイレム属州の独立自治についてはどうか」
「それは…!」
ボルキウスは、口ごもる。もちろん、本音で言えばそんなことが認められるはずがない。帝国の領土が2割も削られる上、元老院側のものだったベナトリアを取り戻すことがほぼ不可能になるのだから。
「ボルキウス、エルフォリア卿は独立した後も、引き続き帝国との良好な関係を望むそうだ。…そうだな?エルフォリア卿」
「はい、仰せのとおりです。自治を認めて頂いた後も、皇帝陛下の臣としてお支えする所存」
ユーリアスの問いかけに、フィルは軽く頭を下げて応じた。
「陛下の臣…」
「おぉ、ならば結構ではありませんか。異なる法を敷くとは言え、その主が帝国の臣として従うのなら、実質的に帝国は領地を失うわけではない」
難しい顔でつぶやいたボルキウスに対し、ビルスは表情を明るくした。フィルが帝国に従うのなら独立など名目上のことに過ぎない。それで自分の命すら危ういサエイレムとの内戦が避けられるのなら些細なことだ。
ビルスの言葉に、ボルキウスは益々顔をしかめ、何が結構なものか…と内心吐き捨てた。
フィルは「皇帝陛下の臣」と言った。「帝国の臣」ではない。ビルスは完全に混同しているが、そのふたつは似ているようで全く違う。
属州総督を任命する権限が皇帝と元老院に分かれている通り、帝国の政治は皇帝と元老院の二重権力構造であり、裏では常に勢力争いが繰り広げられている。その力関係によって政治の方向性も変わる。
フィルがあえて「皇帝の臣」と言ったのは、皇帝には味方するが、元老院には従わないという意思表示だ。
帝国の2割を領有し、帝国軍とも正面からぶつかることができる戦力を持つ。その実力者が常に皇帝側に付くとなれば、元老院の発言力が大きく低下するのは間違いない。
それどころか、フィルは今後も折に触れて元老院の邪魔をするだろう。帝国の内にいながら元老院の権力が及ばない存在、完全に独立されるよりも、むしろ面倒極まりない。
…ボルキウスは、ハッとして目を見開く。結果として、フィルは自領の独立自治を勝ち取り、皇帝はそれを認める代わりに盤石な支持基盤を得た。……不利益を被ったのは元老院のみだ。
昨夜の宴席では、皇帝は元老院の意見を汲んでフィルと対立したように見せかけてはいたが、…ふたりが最初から示し合わせていたとしたら……
だが、ここで拒否してフィルが実力行使に出れば、元老院属州の乏しい戦力など簡単に粉砕される。サエイレムの戦力が、決してハッタリではないのが忌々しい。
元老院属州の中で最も大きな兵力を備えていたのはベナトリアだった。ベナトリアをフィルに奪われるという事態がなければ、こんなことにはならなかったと思うと、…今さらながらグラウス親子の軽挙が悔やまれる。
「…陛下、甚だ不本意ではありますが、認めざるを得ないと存じます」
絞り出すようにボルキウスは言った。
前に立つフィルの口角がゆるりと上がる。それに気付いたボルキウスは、全て仕組まれていたと確信した。だが、もう遅い。
「わかった。ではエルフォリア卿の申し出を受け入れ、サエイレム属州の自治独立を認めたい。元老院としても、その方向で意見をとりまとめるよう議長に要請する」
「はっ…!」
ボルキウスは固い表情で、両手の拳を握り締めた。
…領地のことはもう仕方がない。こうなってしまったからには、せめて帝国におけるフィルの発言力を削がなくてはならない。名誉職のような地位に祭り上げ、帝国の政治に対して口出しできないようにしなければ。
「ボルキウス議長にも認めて頂き、感謝申し上げます。私は今後も陛下の治世をお支えするため、協力を惜しまぬつもりです。どうぞ、ご懸念なきよう」
フィルはいかにも芝居がかった口調で言い、ボルキウスにも軽く一礼した。
…ふん、白々しいわ、小娘が…!
内心毒づくボルキウス。こんなことなら、ブラーノスの訴えなど無視し、静観していた方がまだ傷は浅かった……口惜しい。
「陛下、帝国におけるエルフォリア卿のお立場については、帝都に戻ってから改めて議論したく思います」
ボルキウスは、何とかそれだけ言うのが精一杯の抵抗であった。
「わかった。余も考えておくとしよう」
「では、これにて失礼いたします」
一礼したボルキウスは、最後まで固い表情のまま、ビルスを伴って広間から退出した。
ボルキウスたちを見送ったフィルたちは、広間からユーリアスの執務室に移った。
「フィー、まずはこれでいいかい?」
「はい、兄様。ありがとうございました」
一同は、ようやく緊張を解く。
「フィー、帝都のティベリオに頼んで、皇帝派の高官たちには根回しを済ませてある。サエイレムの独立自治に大きな反対はないだろう」
「よくこんなに早く根回しできましたね。…ティベリオ様も驚かれたのではありませんか?」
サエイレムに帝国の領地を割譲するようなものだ。いくら皇帝にも利があるとは言え、皇帝派からも反対論が出るのが当然。それをあっという間にとりまとめたところに、ティベリオの老練な手腕が伺える。
「だろうな。だが、即座に手回しをしてくれた。さすがだよ…」
ユーリアスはそこまで言って、困ったような表情を浮かべた。
「どうしました?」
「やけに仕事が早いと思ったら、その褒美を要求されてね」
「褒美ですか?…ティベリオ様が役職や金銭をお望みとは思えませんが…」
軽く首を傾げたフィルに、ユーリアスはため息混じりに言った。
「帝国の全権大使として、サエイレムに駐在させろと。…余生はサエイレムで送りたいそうだ」
フィルはくすっと笑う。
「ティベリオ様なら、サエイレムとしても大歓迎です」
「お爺ちゃんが来てくれるの?」
フィルの腰にまとわりつきながら、メリシャが嬉しそうな声を上げる。
「うん、そうみたいよ」
嬉しそうなメリシャを見ると、ユーリアスも派遣しないとは言えない。
「元老院の発言力が弱まったとは言え、ティベリオにはまだ帝都で手伝ってほしかったんだが……むしろティベリオに皇帝を代わってもらって、僕がサエイレム大使になりたいくらいだよ」
ぼやくユーリアスに、フィルはリネアに視線を送って笑みを交わす。
「兄様には、まだまだ頑張って頂かなければ困ります。そのために、わたしは帝国ではなく兄様に従うのですから」
「フィーは厳しいな」
ユーリアスは苦笑しつつ、思い出したように軽く手を打った。
「そうだ、フィーの新しい称号なんだが」
「称号?…あぁ、帝国から独立するともう総督ではなくなるんですね。では、何と名乗りましょうか?」
「専制公、ではどうかな?」
「せんせいこう、ですか…?」
聞いたことのない称号に、フィルはきょとんとした表情を浮かべる。
「帝国の成立よりも以前に、東方地域、現在のサエイレムを含む一帯で『君主』の意味で使われていた称号だそうだ。それもティベリオが調べてくれた」
「なるほど…」
フィルは、顎に指先を当てる。
少し堅苦しく感じるが、称号を新たに創作するよりも、かつて存在した称号の方が帝国では受けがいいだろう。それに、下手に『王』などと名乗って、皇帝派の側から反感をもたれるのもよくない。
「わかりました。今後は、サエイレム専制公を名乗らせていただきます」
「では、皇帝の名で専制公の称号を贈ることにしよう。……サエイレムは帝国領ではなくなり、専制公領となる。帝国の法はサエイレム専制公領には適用されず、その内政に一切の干渉をしない。ただし、専制公は自発的に皇帝に臣従し、帝国の大貴族を兼任する。それでいいかい?」
「はい。十分です。ありがとうございます…兄様」
フィルはにっこりと笑った。
「それで…だ。ティベリオからはもうひとつ条件があってね」
「条件、ですか?」
「帝国内部で後から異論が出ないよう、帝都で公式に式典を開いて、サエイレム専制公領の成立と皇帝への臣従をフィーの口から宣言してもらいたいと」
皇帝派、元老院派、双方の貴族・高官たちが集まる中で既成事実を作ってしまおうということだ。
「はい、わたしもそうするのが良いと思います」
帝国と敵対するのならともかく、今後の帝国との関係を保つためにも、フィルの意思を明確にしておくことは必要だろう。
「すまないな。式典はしばらく先になると思うが、その時はまた帝都に来てほしい」
「…それは構いませんが…」
返事をしたフィルは、ふとリネアに視線を向けた。
「兄様、式典の時は前回のように我が軍の兵たちを連れて行った方が良いでしょうか?」
「いや、今回は閲兵の必要はないよ」
ユーリアスは、フィルが襲撃などを警戒しているのだと思った。
「フィーの周りは近衛軍団に警護させる。元老院が何か企てたとしても、心配ないようにするよ」
「あ、いいえ、そうではありません。帝都には、リネアとメリシャだけを連れて3人で行こうかと」
「3人だけで?」
ユーリアスは驚いた。フィルとリネアに護衛が必要ないのはわかる。だが、海路を使えば帝都まで数日とは言え、身の回りの世話や荷物の運搬はどうするというのか。
「大丈夫です。早朝にサエイレムを出発して、式典が終わったらすぐ帰りますから」
「フィー、まさか…!」
サエイレムから帝都を日帰りするというフィルの言葉に、ユーリアスもようやくフィルの意図を察した。
「はい。宮殿前の広場に直接参りますので、先触れをよろしくお願いします!」
にこりと笑ってフィルは言った。
次回予定「再びの帝都」
サエイレムの独立式典のため、フィルは再び帝都へ。