守護竜の凱旋
噴火から街を守ったフィルたちの凱旋です。
「フィル様は、大丈夫なのですか?」
そっと横たえたフィルを膝枕しながら、リネアは確認するように玉藻に訊く。
フィルの様子を詳しく観察し、玉藻は笑みを浮かべた。
「体内の力が枯渇しておるな。ギリギリのところまでリネアに力を注いだのじゃろう。それで眠り込んでしまったのじゃ」
本来、神獣は眠る必要はないのだが、極端に力を消費した時にはこういう状態になるのだという。
「心配ない。九尾は力の回復が早い。ぐっすり眠れば朝には目を覚ますじゃろう」
ほっとした様子のリネアに、メリシャもそっと抱き着いてきた。
「メリシャも、大丈夫ですか?」
「うん、平気。リネアも大丈夫?」
メリシャは、言いながらリネアの背中にすりすりと甘えるように顔を押し付ける。フィルが無事とわかって、メリシャも急に疲れを感じていた。
「はい。力のほとんどを使ってしまいましたから、さっきのようなブレスは撃てませんけどね」
「リネア、もういいよ。あんなの…」
さっきまでの光景を思い出したのか、メリシャの声が途切れる。リネアは、その身体が少し震えているのを感じた。自分が見た未来であっても、いざその場にいたら怖かったはずだ。
リネアは、自分の身体に回されたメリシャの手に、そっと自分の手を重ねた。
「メリシャも、眠いでしょう。少し寝ましょうか」
「うん」
フィルにくっつくようにしてメリシャも横になり、リネアの太ももに頭を載せる。その頭をそっと撫でながら、リネアはふわりと微笑んだ。
「リネアも疲れているんじゃない?」
妲己が言う。
「はい、少し眠いです。でも、…こうしていたいんです」
アルテルメは守られ、フィルもメリシャも、自分も無事だ。こうしてフィルとメリシャの寝顔を見ているだけで、とても幸せな気持ちになる。
「街に帰るのは、夜が明けてからにしましょう…妾も少し休むわ」
「はい」
苦笑じみた笑みを浮かべて、妲己はするっとフィルの中に戻る。
「…フィル様、本当にお疲れ様でした」
リネアは、そっと腰を折り、すやすやと寝息を立てるフィルの頬に唇を寄せた。
闘技場をぐるりと囲む観客席の一番上、外壁に沿った通路に立ち、パエラとエリンは北を見つめていた。
「…エリンさま、…あれ…!」
「あぁ…」
しばらく前、ヴィスヴェアス山から大きな黒い柱のような噴煙が立ち上り、やがて空気を震わせる轟音と、地面の振動が伝わってきた。
「噴火が始まったな」
時折、赤く焼けた光の点が炎を引いて空を飛んでいたが、どれもがこちらに来る前にパッと瞬いて消えていく。
ユーリアスは、パニックに陥りかけた民衆の前に自ら立ち、これがヴィスヴェアス山の300年振りの噴火であること、そしてそれは予測されたことであり、大いなる守護者が、すでに街を守るために山へと向かったことを告げた。
フィルやリネアの名は出さないものの、人を超えた力の持ち主が街を守ってくれるとでも言わなければ、民衆の恐怖は抑えられないと考えたからだ。
そして、突如立ち上った真っ白な閃光が、夜の闇を、夜空に広がった真っ黒な雲を払いのけた。
きっとティフォンのブレスだと、ふたりはすぐに気が付いた。いよいよ始まったのだ。フィルとリネアが、最前線で噴火と戦っている。
「悔しいな…」
エリンはパエラの肩に手を置いた。パエラも、噴火と戦うフィルたちを手助けする術がないことを悔しく思っているだろう。どれだけ優れた戦士であっても、神獣と肩を並べることは無理だ。
しかし、パエラはエリンに同意しなかった。
「エリンさま、あたしはもう気にしないよ。リネアちゃんは竜の力を得たけど、あたしにしかできないこともあるから。リネアちゃんはリネアちゃん。あたしはあたし」
「そうか」
少し意外そうにエリンは言った。パエラはリネアを羨んでいると思っていた。…だがどうやら、それは自分のことだったようだ。
「エリンさまだって、軍団を率いて戦ったらすごいじゃない。それはあたしにもリネアちゃんにもできないことだよ」
戦争中、間諜としてエルフォリア軍の情報を探っていたパエラは、エリン率いる第二軍団の戦いぶりを何度も目にしていた。
「…私が、パエラに気を使われるとはな…」
はぁとため息をついたエリンに、パエラは顔をしかめる。
「エリンさま、それ、ひどくない?」
「褒めてるんだ。気にするな」
むぅとパエラが唸った瞬間、空を照らしていた白い閃光がカッと更に明るくなった。足元に感じる振動が激しくなり、重々しい轟音が響き渡った。
エリンとパエラは顔を見合わせ、厳しい表情で山を見上げる。
しばらくそれが続いた後、フッと唐突に閃光が消えた。響き渡っていた轟音もおさまり、最後まで続いていた地面の振動も、ほどなくしておさまっていった。
「…終わった、のかな」
パエラのつぶやきに、エリンも答えることかできなかった。噴火は終わったのか…フィルたちは、無事なのか…
エリンとパエラの眠れぬ夜は、もうしばらく続きそうだった。
……空が静かになって、どれくらいたっただろう。地平線が徐々に明るくなり、やがてオレンジ色の帯が空に現れる。夜空にきらめいていた星々は、暁の光に溶けて見えなくなり、やがて眩しい太陽が姿を現す。
空を覆っていた黒い噴煙はすでにない。ヴィスヴェアス山があった場所からは、白い蒸気がひとすじ、空へとたなびくのみ。外輪山の底は、山体が崩壊した衝撃で地下のマグマ溜まりの跡が陥没し、大きなクレーターができていた。
今は黒くゴツゴツとした噴石の破片や冷えたマグマの残骸が転がっているが、他の火山でも例があるとおり、いすれ水が溜まり大きな火口湖になることだろう。
朝日の差す空を、大きく翼を広げた赤い竜が、悠々と飛んでいた。もちろんティフォンである。力の消費により体長20mほどのサイズに戻っているが、それでも十分な巨体だ。
その背には、目を覚ましたフィルとメリシャが乗っている。
ティフォンの姿で街に戻ることを言い出したのは、フィルだった。フィルの力が十分に戻っておらず、まだ九尾の姿になれないせいもあるが、噴火を見事防いだこのタイミングが、ティフォンの存在を公表する好機だと考えたのだ。
「フィルさま、まもなくアルテルメの上空ですが、どこに降りましょうか?」
「闘技場の上で、空中に止まることはできる?」
「はい。できますが…」
「じゃ、お願いね」
フィルの指示どおり、リネアは闘技場に向かってゆっくりと高度を下げ始める。
「フィル!あそこにパエラとエリンがいるよ」
メリシャが指さす方を見れば、闘技場の外壁の天辺で、ふたりが大きく手を振っていた。
「ただいまー!」
フィルは声を張り上げ、大きく手を振り返す。
エリンとパエラの頭上を通過し、闘技場の上に差し掛かる。闘技場の観客席とアリーナにぎっしりと詰め込まれた市民たちが、驚愕の表情でティフォンの巨体を見上げていた。
ばさりと大きく翼を一振りして制動をかけ、ゆっくりと翼をはためかせながら、ティフォンは闘技場の上の空中に停止する。
「聞け!噴火はすでにおさまった!このサエイレムの守護竜ティフォンがこの街を守り抜いた!」
ティフォンの背から、フィルが大きな声で言い放つ。
(フィル様?!)
驚いたのはリネアだ。噴火から街を守ったことは、皇帝であるユーリアスの功績するのだと思っていた。まさか大々的にティフォンの名まで出すなんて…
(大丈夫。わたしに考えがあるの。リネアも少し偉そうにしてくれない?)
少し笑みを含んだ口調でフィルは言う。
(わかりました)
フィルの考えならとリネアも納得し、眼下の人間たちを睥睨するように首をめぐらせる。
(うん…こんなものかな。さ、どこかに降りましょうか)
(離宮に戻りますか…?)
(中央広場でいいよ。エリンとパエラも、そっちに来てくれるでしょう)
(はい)
再び動き出したティフォンは、闘技場の上でくるりと旋回して温泉の泉が置かれている中央広場に降り立った。脚が地面に着く寸前に巨体が掻き消え、狐人の姿になったリネアとメリシャを抱いたフィルが石畳の上に着地する。
「フィルさまーっ!」
近くの建物の上から飛び降りてきたパエラが、満面の笑顔でフィルに駆け寄ってくる。
「フィルさま!おかえりなさい」
獲物に飛びつくようにフィルを捕まえたパエラは、ぎゅぅっと抱き締めた。
「ただいま。パエラ」
首筋に感じるパエラの頬が少し濡れているのに気付いて、フィルはパエラの頭をそっと撫でた。
次回予定「宣戦布告?」
アルテルメを守り抜き、問題は全て片付いたと思いきや…