ふたりの光
噴火が始まる中、ついにティフォンの準備が整う。
「リネア!」
駆け寄ったフィルに、リネアは太い首を曲げて顔を寄せた。見た目は厳ついティフォンの顔だが、フィルたちにはいつものリネアの声がはっきりと聞こえる。
「フィル様、ありがとうございました。フィル様から頂いた力、十分に練ることができました」
「無理…してないよね?」
「もちろんです。これが終わったら、フィル様のお誕生日をお祝いするんですから、早く済ませてしまいましょう」
クスッと楽し気に笑ったリネアの声に、九尾の口元にも笑みが浮かんだ。
「よし、やろう。リネアはブレスを撃つことに集中して!」
「はいっ!」
再び空中へと駆け上がった九尾は、ティフォンのやや右上方に位置を取った。
ティフォンは、後足の爪をしっかりと地面に食い込ませ、尻尾も地面に押し付ける。そして、前脚でも地面を掴んで首を伸ばし、尻尾から頭まで1本の直線になるような姿勢をとった。
力を溜め込み、今や全長100m近くに達するティフォンの巨体が、噴煙で太陽が隠されて辺りが薄暗くなる中で、淡い金色に発光していた。
その頭の向く先は、轟音と共に噴煙を吹き上げるヴィスヴェアスの山頂部。
「リネア、出し惜しみはなしじゃ。あの噴煙の柱ごと山を吹き飛ばすつもりで撃て」
玉藻の言葉にティフォンはゆっくり頷くと、その巨大な顎を大きく開き始めた。その喉奥に眩い光が生まれ、徐々に大きさと光量を増していく。
(フィル様、私の後ろへ!)
リネアに向かって飛んでくる火山弾を撃ち落としていたフィルは、リネアの背後に飛び退いた。
「天が、落ちる…」
妲己のつぶやきが聞こえた。
巨大な噴煙の柱は、遥か頭上で大きく広がり、まるで巨大なキノコのようになっていた。その笠の端が、ゆっくりとしなるように垂れ下がり始めていた。
時を同じくして、噴煙の柱の根元付近も決壊した。上層の重さに耐えきれなくなった噴煙柱が、勢いよく屹立していた姿を失い、ヴィスヴェアス山に覆いかぶさるように崩壊を始める。
あれが『真っ黒な煙の塊が押し寄せて、メリシャも…フィルとリネアも飲み込まれる』という予知の正体か…
フィルは背中に乗るメリシャに言う。
「メリシャ、わたしの背中にしっかり伏せていなさい。何も怖くないよ。わたしもリネアも絶対に死んだりしない」
「うん」
金色の毛皮に顔を埋めて、メリシャが頷くのを感じた。
「リネア!」
「はいっ!」
…瞬間、世界は真っ白に染まった。
音が消え、闇が消え、ただ白い光が全てを満たした。
大きく開いたティフォンの顎の中に、真っ白な光の球が生まれた。
押し出されるように顎の外へ飛び出した光の球は一気に膨張し、そして弾ける。
地脈からフィルが吸い上げ、リネアに渡した膨大な量のエネルギーは、球状に圧縮されていた状態を解き放たれ、眩しく輝く光の槍となった。青白い雷光をまとい、ヴィスヴェアス山に向かって一直線に伸びていく。その大きさと勢いは、試し撃ちした時の比ではない。
その頃になって、ようやく周囲に音が戻る。空気を震わせるような噴煙柱が立てる低い轟音と、ブレスを吐くティフォンの甲高い咆哮が響き渡っていた。
崩壊を始めた噴煙柱が姿を変えた、黒い濁流。その正面にティフォンのブレスが突き刺さった。
キュボッ!と音を立てて、ブレスに触れた濁流が飛び散り、白く塗りつぶされて消滅する。壁のように押し寄せる濁流を吹き飛ばしながら白い光の槍が直進していく。
これなら、と思ったフィルだったが、噴火の力は侮れない。
天が降るように落ちてくる噴煙の塊は、突き進むブレスの光にまとわりつき、押し包むようにブレスを阻む。邪魔はさせないとばかりにリネアも吐き出すブレスに力を込め、噴煙の濁流に立ち向かう。
ティフォンの巨体に匹敵するほどの太さを持つ光の槍、それは触れたもの全てを消し去る破壊の槍。
まともに直撃すれば、同じ神獣である九尾ですら耐えられるかどうかわからない、まさに神殺しの兵器であった。
「リネア、いいぞ。そのまま押し通すのじゃ」
玉藻も興奮した様子で扇を振り下ろした。
だが、天に届くほどの巨大な噴煙柱の物量は想像以上だった。
ヴィスヴェアス山の噴火によって吹き上げられた火山灰や噴石などの総量は少なくとも10億トンを超える。それが絶え間なくブレスを阻み続ける。
尽きることなく押し寄せる噴煙との終わりのない戦いは、やがて拮抗し、ティフォンのブレスも徐々にその勢いを失い始めた。
九尾を経由してティフォンに注いだ力は膨大なものだが、無限ではない。
目の前で起こっている噴火は、荒れ狂う地脈の力そのものと言っていい。早く封じ込めなくては、さしものティフォンもいつか押し負ける。
「リネア、頑張って!」
九尾の背に乗るメリシャが声を張り上げるが、ティフォンの表情にも焦りが浮かび始めた。
リネアはジリジリとした焦燥を感じていた。フィルに注いでもらった力は、すでにその半分以上を消費した。しかし、ティフォンにはそれを補う能力がない。神殺しを成した万全の状態のティフォンであれば、こんなことはなかったはずだと思うと、自分の力の及ばなさが悔しかった。
…せっかくフィルに力を注いでもらったのに、自分はそれを無駄にしてしまうのか。
「ここまでか…!」
玉藻も悔しそうに表情を歪める。リネアと繋がっている玉藻も、もはや余力が少ないことを感じていた。それに引き換え、押し寄せる噴煙の濁流の勢いは一向に衰える様子がない。
地脈の暴走とも言える噴火のエネルギーに立ち塞がるなど、いかに神獣と言えど無理だったのか…玉藻は唇を噛む。
「奇跡には、届かぬか…」
メリシャが予知している以上、噴火に打ち勝つ方法はあったはずだ。一体、どこで間違えた?何が足りなかった?…メリシャが予知した未来を掴めなかった。
偉そうに軍師を気取った結果がこれか、フィルにもリネアにも申し訳が立たぬ、玉藻は悔し気に扇を握り締めた。
だが、情けないが、もう打つ手がない。
こうなってはアルテルメは見捨てるしかない…。今すぐにここを離れ、パエラとエリン、そしてユーリアスだけでも救出しなくてはなるまい。玉藻は、次善の策を思案し始める。
「フィルよ…すまんが…」
言いかけた玉藻の目の前で、フィルはティフォンの背に降り立った。
「奇跡は起きる!リネアの頑張りを無駄になんかさせない!」
(…フィル様?!)
そしてティフォンの首の後ろに、自らの額を押し当てた。
「わたしの力、全部リネアにあげる…だから、負けないで!」
九尾からティフォンへと、一気に力が流れ込む。九尾の体内に蓄えていた力を、すべて出し切る勢いでリネアへと送り込んだ。
量で言えば九尾が蓄えている力は、ティフォンの数分の一でしかない。だが、地脈から吸い上げた力をそのままリネアに送っていた先ほどとは違い、今送り込んでいるのは、九尾の中で十分に練られたもの。だから、そのままブレスの威力に上乗せができる。
地脈そのものとも言える噴火と、力の総量で争っても勝ち目はない。
こちらの勝機は、とにかくブレスの一点突破で噴煙の壁を貫通し、ヴィスヴェアス山にブレスを命中させること。そのためなら一時的なブーストでも効果はあるはず。フィルはそう考えた。
「うあぁぁ!」
一際大きな咆哮とともに、ティフォンが吐き出すブレスが二回りも大きくなり、それまでのブレスを後ろから蹴散らすようにして猛然と突き進む。勢いを取り戻した白い光の槍は行く手を阻む噴煙の壁に巨大な風穴を開け、勢いを落とさずヴィスヴェアスの山塊に突き刺さった。
それに合わせて、フィルはリネアに注ぎ込む力の密度をさらに上げた。
フィルの力を受け取ったリネアは、ブレスに最後の一押しを加える。山肌が内部から赤熱し、その表面に無数の亀裂が走り始めた。
…そして、遂にヴィスヴェアス山の向こう側にブレスが貫通し、そのまま虚空へと伸びていく。
どこまでも、どこまでも…遥か蒼穹へ向かって続く道のように。
中心に大穴を開けられたヴィスヴェアス山は、轟音と共に自ら火口を塞ぐように内側へと崩壊を始めた。リネアは首を振ってブレスの軌道を変え、噴煙の塊を薙ぎ払う。山を覆っていた噴煙が吹き散らされ、白い光に触れて蒸発していく。
やがて、フッとブレスが消えた時には、高々とそびえていたヴィスヴェアス山はすでにそこになく、ただ噴煙と砂塵が混じりあった靄の中に、こんもりとした岩と土の丘が残るだけになっていた。
「…リネア、ようやったの!」
玉藻の声に、ティフォンの首がゆっくりと自分の背を振り返る。
きっとフィルも喜んでくれている、そう思った。だが、リネアが見たのは、ぐったりと自分の背に横たわる九尾の姿だった。その姿がすぅっと薄れ、人の姿へと戻っていく。
「フィル!どうしたの?!」
悲鳴を上げてフィルにすがりつくメリシャに、リネアも慌てて人の姿に戻り、フィルの身体を抱き起して胸に抱いた。
「フィル様!しっかりしてください!」
まさか、力の全てを出し切って…恐ろしい不安がリネアの脳裏をよぎる。
…そんなはずはない。九尾は神獣だ。その存在がそう簡単に消えるはずがない…リネアは不安を強く否定し、フィルを抱く腕に力を込めた。
「お願いですから、目を開けてください!」
リネアは今にも泣きそうな顔でフィルに呼びかけた。
「…ん」
リネアの腕の中で小さくフィルが呻いた。寝返りを打つようにリネアの胸に顔を埋める。その口元は安心したように緩んでいた。
「…これは…?」
堪えきれずに頬を伝った涙もそのままに、リネアはぽかんとした表情になる。
「眠っているだけじゃな」
呆れたように玉藻が言った。
「良かった…フィル様、…良かった…」
リネアは大きく息をつき、愛おしそうにフィルの髪の間に指を通した。
次回予定「守護竜の凱旋」
噴火から街を守ったフィルたちは、アルテルメへ。