噴火の始まり
ついに噴火を始めるヴィスヴェアス山。巨大噴火から街を守り切れるのか。
外輪山の山嶺の上、ティフォンと九尾は寄り添ったまま彫像のように身動き一つしなかった。ただ、今この時も、膨大な量の地脈の力が九尾を経てティフォンへと流れ続けている。
「ティフォンって、どれだけ力を飲み込めるのよ」
呆れたように妲己がつぶやいた。
「さすがは神殺しの巨竜、といったところかの」
応ずる玉藻も、呆れたように首を振っている。ティフォンに流れ込んでいる地脈の力は、すでに玉藻の想定を超えていた。
「メリシャ、起きてくれぬか?」
九尾の背中でうつらうつらしていたメリシャが、玉藻の声にむくりと起き上がった。
「んん?たまも?」
メリシャは、玉藻の顔を見上げ、そして九尾とティフォンに目を向けた。
「ごめんなさい!フィルもリネアも頑張ってるのに、メリシャ寝ちゃった!」
「そんなことは気にするでない。休める時に休んでおくのも大切なことじゃ。…すまないが、力を貸してくれんか?」
玉藻は、メリシャの頭を撫でる仕草をした。むろん、触れることはできないが、メリシャは仄かな温もりを感じたような気がした。
「メリシャ、何をすればいいの?」
「あぁ、眠いかもしれんが、『見て』くれぬか。…今のティフォンの力で、ヴィスヴェアス山を崩せるか?」
メリシャは、迷うことなくこくりと頷く。そして、メリシャの小さな身体にくまなく百の目が浮かび上がり、大きく見開かれた。
メリシャの脳裏に次々と未来の様子が映り込む。しばらく集中していたメリシャは、この状況に似合わぬ楽しそうな笑みを浮かべた。
「玉藻、大丈夫だよ。リネアの中にある力は十分。…だけど…」
「だけど…って、どういうこと?まさか、ティフォンの全力でも足りないとか…」
妲己がメリシャに詰め寄る。
「リネアがフィルからもらった力を使ってブレスを撃てるようになるまでには、少し時間がかかるみたいなの。噴火の始まりには間に合わないかも…」
「なんじゃと…」
玉藻まで呆然とした表情を浮べた。しかしメリシャは笑顔のままで言う。
「でも、大丈夫だよ。撃てるようになるまで、メリシャとフィルでリネアを守るの!」
そして夜明け。
リネアに力を注ぎ終わったフィルは、じっとヴィスヴェアス山の姿を見つめていた。徐々に藍色から茜色へと変わっていく空を背景に、黒々とそびえたつ山は、山頂から一筋の噴煙を上げ続けている。
その隣にいるティフォンは、元の数倍、サエイレム港にやってくる最大級の外洋商船よりもさらに巨大な大きさになっていた。
フィルから受け取った地脈の力を存分に吸収し、最大火力に耐える身体をつくり、そして今は、体内に蓄えた力の大半をただ一撃に注ぎ込むべく、静かに意識を集中している。
「申し訳ありません。フィル様、もう少し時間をください」
初めて扱う莫大な量のエネルギーの制御に、リネアは苦心しているようだ。だが、ここで焦っては全てが水泡に帰す。フィルはいつもと変わらない口調で応じた。
「大丈夫。リネアの準備が整うまで、わたしが何としても街とリネアを守る。安心して任せて」
「はい」
リネアは安心した様子で軽く目を閉じた。
東の丘陵の先から姿を現した朝日が、徐々にヴィスヴェアスの山肌を照らし始める。山肌がピンクを帯びた赤色に染まり、山が最も美しく見える時間帯の一つだ。だが、この朝はただその美しさに浸っていることはできなかった。
前触れは、激しい地面の振動だった。地揺れと言うにはかなり小刻みに、文字通り大地が震えている。
その直後に、ポッとヴィスヴェアスの山頂から真っ黒な煙の塊が噴き出した。見た目だけで言えば、呆気ないと言ってもいい光景。だが、数瞬して、耳を破るかのような大きな爆発音が辺り一面を圧して響き渡った。
黒い煙の塊は、噴水のように天高くにまっすぐ吹き上がり、その周囲には稲妻をまとっている。
「フィル!石が降ってくるよ!」
メリシャが叫んだ。そして、フィルの脳裏にメリシャの百の目が見ているものが流れ込んでくる。
「メリシャがちゃんと見てるから、フィル、お願い!リネアを守って!」
「任せて!」
九尾の身体が軽い足取りで空中へと駆け上がる。
脳裏に映るメリシャの視界には、天高く吹き上がる噴煙の中から飛び出してくる、赤熱した火山弾の姿が見えた。バラバラの軌道を描いて飛んでくる火山弾を、百の目がそれぞれ一つづつ見つめ、それを追い続ける。フィルたちのいる外輪山の付近に落ちてくるもの、そして遠くアルテルメの街に向かって飛んでいくものもあった。
「行っけぇぇっ!」
フィルの叫びと同時に、九尾の周囲に多数の狐火が出現し、百の目が見つめる火山弾に向けて飛んでいく。細く絞り込まれた狐火の矢は、火山弾の軌道を予測していたように、一直線に、弧を描いて、そして火山弾に追いすがり、一発の外れもなく正確に火山弾を射抜いた。
狐火が突き刺さった火山弾は爆砕され、細かな破片となって空中に散っていく。そして、迎撃に成功するとメリシャの目は自動的に新しい目標へと視線を向け、追跡を始めていた。
「メリシャの目、すごいね!」
「フィル!大きいのが来る」
一際大きな火山弾が、視界に映った。さすがに小さな狐火の一発で爆砕するのは難しい大きさだ。
「フィル、大丈夫?」
轟音を上げて向かってくる巨大な火山弾を見上げ、メリシャは怯えたようにぎゅっとフィルの首に抱き着いた。
「もちろん。心配ないよ」
風になびく9本の尻尾が扇状に広がり、その先端がバチバチと放電を始める。玉藻が教えてくれた東洋の五行という思想によれは、九尾の性質は『土』。そして『土は金を生ず』、土が生み出すとされる金気は、雷を引き寄せる。
「メリシャ、しっかり掴まって!」
言った途端にフィルは前へと駆け出す。そして、迫りくる火山弾の下をギリギリですり抜けた。
尻尾の先端が紫電を引き、そして真上から太い稲妻が火山弾に『落ちた』。
山頂から立ち上り、空を黒く染め始めている噴煙。その内部では火山弾と火山灰が激しくぶつかり合って稲妻の嵐が起こっている。フィルは自分に向けて稲妻を引き寄せ、火山弾に落雷を直撃させたのである。
落雷の衝撃で飛散する火山弾の破片を大きく避けて、フィルは再びリネアの側に戻る。
一息つく間もなく、フィルは頭上に飛んでくる火山弾を防いでいくが、時間がたつにつれて飛んでくる火山弾の数が多くなってきていた。
山麓の森林や街の外に落ちる軌道の火山弾は無視し、自分達の周りやアルテルメの街に届きそうなものだけの迎撃に集中する。火山弾の軌道を負い続けてくれるメリシャの目のおかげで、今のところ取りこぼしはない。
神話に語られる、ありとあらゆる邪悪・災厄を払う神の盾の如き働きであった。
「メリシャ、まだいける?」
「うん、未来を『見てる』わけじゃないから、まだ平気。フィル、頑張ろうね」
九尾の首にしっかりと掴まりながらメリシャは答えた。自分のできることで共に戦おうとする愛娘の姿に、フィルは軽く口元に笑みを浮かべる。だが、これ以上火山弾の数が増えては、いずれ取りこぼしがでてしまう。
…リネア、お願い。頑張って!
フィルは、じっと動かないティフォンの姿に、かすかな焦りを感じ始めていた。
「リネア、行けるか?」
焦りを感じていたのはフィルだけではなかった。リネアの側に付いていた玉藻が、固い声で尋ねる。
「火山弾の数が増えてる。このままじゃ、いくらフィルとメリシャでも、いつか捌ききれなくなるわね」
空を見上げて妲己がつぶやく。だが、玉藻は首を振った。
「いや、本当に恐ろしいのはこんな焼け石の雨ではない…あの噴煙の柱を見よ」
玉藻の言葉に、妲己もフィルも、空を見上げる。山頂から吹き上げた巨大な噴煙の柱の頂上は天に届かんばかりとなっており、大樹が枝を広げるようにゆっくりと横に広がり始めている。
「まもなく、あの噴煙の柱が自らの重さに耐えきれなくなり、一気に崩れ落ちる。そうなれば、無数の焼け石を含んだ灼熱の嵐が、空を飛ぶ鳥よりも速く、堰を切られた濁流の如く地上の全てを飲み込む。そうなれば誰も防ぎきれない」
直径1km、高さはその10倍以上にも達している噴煙の柱が一気に崩壊する。その光景を想像し、さすがのフィルもゴクリと喉を鳴らした。確かにそれを防ぎきれるとは思えない。それどころか九尾である自分とて巻き込まれれば無事には済まないだろう。
「その前に、ティフォンのブレスで全てを吹き飛ばさなければならないのじゃ」
もどかしげな表情を浮べ、玉藻はティフォンを見上げる。
「お待たせしました」
その時、閉じていたティフォンの目がゆっくりと開いた。
次回予定「ふたりの光」
満を持し、ティフォンのブレスが撃ち出される!
メリシャの誘導で火山弾を迎撃するフィルは、イージスシステムのイメージ。本文でも触れていますが、ギリシア神話に語られる、ありとあらゆる邪悪・災厄を払う神の盾です。
紀元79年のベスビオ山の噴火で亡くなった古代ローマの博物学者プリニウスの名を取った「プリニー式噴火」では、噴煙柱の崩壊によって大規模な火砕流が発生し大きな被害をもたらします。