リネアのお使い
魔族街の北側、ラミア族が住む地区は、少し緊張していた。
武装した兵の一団が、総督府を出てこちらに向かっていると、総督府を見張っていたハルピュイアから報告があったからだ。
10人ほどの兵士たちはフード付きのマントをまとった小柄な人物が乗った馬車を守っていた。一団は、大通りを抜け、ラミア族の住む街区に入ると、その長の館を目指した。
通りにはラミア族をはじめとする魔族たちの姿はあったが、不安げに、または訝し気に見る者はいても、誰一人として一団の邪魔をする者はいない。
「リネア殿、到着しました」
館の門の前に到着すると、馬車の前を歩いていた百人隊長が、さっとリネアに手を差し出し、馬車から降ろす。
「ありがとうございます」
少し緊張した声で礼を言うリネアの表情を、百人隊長はそっと伺った。
まだ年端も行かない狐人の娘、軍団長のエリン様から、彼女の護衛をしろと命じられた時は、正直驚いた。しかし、悪い気はしなかった。
フィル様が街に連れてきた娘で、そのまま側付になったと聞いた。フィル様がエリン様のところに来られるときには、いつも一緒に付いてくるので、よく見かける。
魔族である彼女にしてみれば人間の兵は怖いだろうに、目が合うと微笑んでペコリと頭を下げてくれる。部下の間でも、意外に人気があると最近気が付いた。
緊張で落ち着かない様子のリネアに、百人隊長は力強く言う。
「館の中には、俺が付き添います。館に入口にも兵を待機させますので、ご安心を」
「はい。フィル様に頼まれた仕事です。私も頑張らないと」
リネアは、きゅっと唇を引き結び、肩から下げたバッグを撫でた。
ほどなくして館の扉が開き、一人のラミアが現れた。
「こちらはラミア族の長、アマトの館でございます。総督府の方々が、どのようなご用件でしょうか」
「こちらは、総督からの使者である。長の娘、テミス殿に、総督からの手紙を持参した。取り次ぎ願いたい」
百人隊長が答えると、ラミアはちらりとリネアに視線を向ける。リネアはフードの下で少し顔を伏せ、黙っている。
「承知いたしました。どうぞこちらへ」
館の中へと案内された。ラミアの身体のサイズに合わせ、廊下も扉も人間の屋敷よりも一回り大きい。
案内するラミアの後にリネアが続き、後ろに百人隊長が付いてくれている。
屋敷の奥、観音開きの扉が開かれ、豪華な内装の部屋に通された。フィルと百人隊長が部屋に入ると、案内してきたラミアは扉を閉じて退出する。
部屋には、すでに二人のラミアが待っていた。一人はリネアも知っているテミス、もう一人は知らない顔、おそらくラミアの長、アマトだろう。
「リネア殿、部屋の奥へ」
そっと百人隊長が囁く。リネアは小さく頷き、部屋の一番奥へと進むと、二人と向かい合った。フードを深く被っているので、テミスもまだリネアのことに気付いていない。
百人隊長は、リネアの横に控えている。
リネアが前に立ったのを見て、テミスとアマトは身をかがめて頭を垂れた。それでもリネアより二人の方が頭の位置が高い。種族としての体格が違うので仕方のないことだが。
「お二人とも、顔をお上げください」
静かにリネアが言う。聞き覚えがあるその声に、テミスはハッと顔を上げた。
そして、リネアは二人の前でフードを脱いだ。押さえられていた狐耳がピコリと立つ。
「…リネア、さん?」
テミスの目が驚きに見開かれる。そこにいたのは先日会った狐人の娘。総督府で働いているとは言っていたが、総督の使者として彼女が来るなど、想像もしていなかった。
リネアは、数歩進み出てテミスの前に近づいた。
「はい。テミス様、先日はありがとうございました」
にこっとテミスに笑いかける。そして、隣のアマトにも軽く頭を下げた。
「ラミアの長、アマト様とお見受けします。私はリネアと申します。総督の代理として、テミス様へのお手紙を預かって参りましたので、先ずはテミス様とお話させて頂きます。しばしのご無礼、ご容赦ください」
まだ子供と言っていい年頃の狐人の娘なのに、きちんとした物言いで挨拶するリネアに、アマトも呆気にとられる。
「テミス様、こちらが総督からのお手紙です。どうぞお受け取り下さい」
リネアは赤いリボンが巻かれた手紙を取り出し、テミスに差し出した。
「は、はい。確かに受け取りました」
手紙を差し出すリネアの服の袖に赤い縁取りが入っているのを見て、テミスの動揺がさらに一段、激しくなる。
赤い縁取りは帝国高官の印。その服を貸し与えるということは、リネアは単なる使者ではなく正式に総督の代理ということになる。魔族にそんな格式を与える帝国高官なんて、有り得ない。
先日会った時のテミスの見立てでは、フィルの方が地位が高く、リネアはそのお供だと思っていたが、実際には、リネアの方が総督に近い人物だったのか…
「あの、テミス様、どうかされましたか?」
「リネアさん、無礼は承知でお尋ねします。どうしてあなたが総督の代理なんですか?」
思い切って、テミスはリネアに尋ねた。
「私は総督の側付侍女を務めております。先日、私がテミス様にお会いしたことも総督はご存知ですので、私に手紙を届けるようにと」
すらすらと答えるリネア。嘘を言っているようには見えない…先日の様子だと、嘘をつくのは苦手そうな娘だと思ったが、さすがに信じてよいものかテミスは悩む。
側付侍女と言えば、常に主の側に控え、身の回りの世話全般を行う役目だ。それだけに余程の信用がなければなれるものではない。その役目を魔族の娘に与えているというのはどういうことだ。
もっと詳しく事情を聞きたいが、相手は総督の使者だ。横には軍の百人隊長も控えている。テミスは煩悶としながら、言葉を飲み込む。
「…テミス様、手紙の内容を確認頂き、お返事を頂きたいと総督から言付かっております。お願いできますか?」
「わかりました。拝見させていただきます」
リネアに言われ、テミスは手紙のリボンを解く。
書かれていた内容は極めて明快。明日の正午に総督府へ来てほしい、という召喚状であった。
「わかりました。明日、必ず総督府へ参上いたします。総督によろしくお伝えください」
テミスは覚悟を決める。総督が来いというなら、応じるまで。むしろ良い機会だ。総督がどんな人物なのか、あれこれ想像するよりも会って確かめる方が手っ取り早い。
「はい、確かに承りました。総督にお伝えいたします」
にっこりと笑うリネア。
「使者殿、ラミアの長は私です。テミスを呼び出して、どうなさるおつもりなのか?!」
アマトが少し厳しい声でリネアに言った。長ではなく娘を呼び出したことに対する不満ではなく、呼び出された娘が何かされるのではないかという心配だった。
「お母様、私は大丈夫です。この娘に総督代理の格式まで与えて寄こしたのは、総督の気遣いです。ご心配には及びません」
「しかし…」
アマトは、やはり人間を信用しきれない。テミスは気遣いと言ったが、使者に狐人の娘を差し向けるなど、ラミア族を軽んじているという気持ちが拭えない。
戦争中、確かにエルフォリアの軍隊はサエイレムの魔族に対して不当な扱いはしなかった。しかし、戦争中に軍を指揮していた将軍は亡くなり、総督となったのはその娘だ。帝国育ちだという彼女が魔族を扱うのか、いきなり奴隷にはしないとしても、前の領主のように放置はしないだろう。
「アマト様、私が使者に立てられたのは、テミス様を見知っている者が届ける方がいいだろうという総督のお心遣いで、他意はありません。私如きの言葉では不足かもしれませんが、どうか信じて頂けないでしょうか?」
しっかりとアマトの目を見つめて訴えるリネアに、アマトは軽くため息をついて言う。
「では、私も一緒に参上させて頂く。それでいかがか?」
誰が持ってきたにしろ、総督の召喚状を無視するわけにはいかない。テミスはそれなりに総督を信じることにしたらしい。ならば、自分の目でも確かめてみようとアマトは思った。
「お母様?!」
「私も総督に興味がわきました。まだ成人前の娘で、城門を破壊したり軍団長を圧倒する強さを持ち、魔族の娘にを側付にすることも厭わない。どれ一つとっても、私どもが知る帝国の総督とは思えない」
「どれも本当の話です」
リネアが誇らしげに胸を張った。
「だから、お会いしてみたいのです。本当にそんな面白い人間がいるのなら、このサエイレムをお任せするのにふさわしい」
会ってみたらつまらない人物で落胆するかもしれない。しかし、本当に噂通りの人物なら、一族にとっても大きな転機になるかもしれない、とアマトは思う。
「わかりました。テミス様とともにアマト様もお越しになると総督にお伝えします」
アマトの言葉に、迷うそぶりも無くあっさりとリネアは頷いた。
「リネアさん、総督に確かめもせず、勝手に了承していいのですか?」
テミスが心配そうに言う。リネアは総督の代理とは言え、手紙を届けに来ただけの使者だ。召喚した者以外の同行を勝手に認めて、総督の怒りを買いはしないだろうか。
「大丈夫です。私の判断でお答えして良いと言われておりますので。それに、総督はアマト様が来られるのを歓迎されると思います」
テミスの懸念をよそに、リネアは当たり前のように言う。リネアはそこまで総督と親しいというのか…テミスの疑問は深まるばかりだった。
…明日、フィル様が総督だと知ったら、テミス様はどんな顔をされるだろう。フィル様の味方になってくれるといいな…リネアは、そんなことを思いながら、再びフードを被る。
「では、私はこれにて失礼します」
百人隊長を従えて部屋の扉へと向かう。外で様子を伺っていたのか、ここまで案内してくれたラミアが、扉を開けてくれた。
「アマト様、テミス様、明日、総督府でお待ちしております」
部屋の中のアマトとテミスに一礼し、リネアは館を出た。
次回予定「玉藻のお説教」