アルテルメの街歩き
離宮での幽霊騒ぎはさておき、フィルたちはアルテルメの街へ遊びに出ます。
幽霊のことはさておき、朝食後は、昨日の約束どおり町歩きである。
しかし、ユーリアスが本当に護衛なしでついてきたのには驚いた。近衛達をどうやって納得させたのかは謎だ。
「ユーリお兄ちゃん!メリシャね、広場の泉に行ってみたい。昨日、馬車の中から見たの」
「よし、それならまずは広場に行こうか」
メリシャは笑いながらユーリアスの手を引く。
メリシャは、ユーリアスに遊んでもらっていた頃のフィルと同じくらいの歳だ。もちろん、顔立ちが似ているわけではないし、髪も目の色も違う。でも、ユーリアスの目には懐かしい子供の頃のフィルと重なって感じられた。
行き交う市民や観光客に混じって、広場を目指す。
ユーリアスも特に顔を隠したりはしていないが、直接顔を知っているような高位の貴族と出くわさなければ、皇帝だとばれることはないだろう。
むしろリネアやパエラの姿の方が目立つのだが、裕福な市民や貴族御用達のこの街では、主人に連れられた魔族の奴隷を見る機会もそれなりにある。奴隷と見られるのは甚だ不本意だが、フィルたちと一緒ならそうあからさまな差別を受けることはないはずだ。
「リネア、そういえば夕べの幽霊って、音を聞いただけだったの?」
隣を歩くリネアにふとフィルは尋ねた。
「幽霊かどうかはわかりません。お皿が割れる音に気付いたくらいで…でも、その音が聞こえた時に、何て言うかすごく嫌な感じがしたんです」
「嫌な感じ?」
「何て言ったら良いのか…とにかく嫌な感じなんです。そのままベッドに潜り込んで、頭を抱えたくなるというか…パエラちゃんも感じたみたいですけど」
「そうなんだ…」
いまいちピンとこないが、フィルはそれ以上訊かなかった。リネアもこれまで感じたことのない感覚なのだろう。
もしまた同じことが起こるのなら、自分自身で感じてみるのが手っ取り早い。
「リネアは、調子が悪いとかない?パエラも平気?」
「はい。私は大丈夫です」
「あたしも平気だよ。でも、あたしもあれが何だったのか、よくわからないんだよね。重苦しいっていうか、よくわからない不安を感じるっていうか、そんな感じ」
パエラは、うーんと唸りながら言う。
「エリンはどう?」
「申し訳ありません。私としたことが、何も気付きませんでした…」
「そっか」
フィルも気が付かなかった。ではなぜリネアとパエラだけ感じたのだろうか。単に、音に敏感というだけではないような気がした。
「フィルー」
「どうしたの?」
自分を呼ぶメリシャの声に、フィルは幽霊について考えるのを中断した。
「見て見て、お湯が白いの」
ふと見れば、すでに広場の中だった。すぐ近くに、昨日見た温泉の泉。メリシャは、ユーリアスの手を引っ張って、泉に駆け寄った。豊かに湧き出すお湯が、湯気を上げて泉を満たしている。
「このお湯、色がついていたのね」
泉をよく見ると、湯はメリシャの言う通り白濁していた。
フィルは、泉の側にしゃがんで手のひらに湯を掬う。水盆から流れ落ちる湯や手で掬った湯は一見透明に見えるが、泉全体は白く染まっている。泉自体が白い大理石でできているので、馬車の中からは気が付かなかった。
「いいや、ここの湯は元々透明だったんだ。濁ったのはこの一月ほどだよ」
フィルのつぶやきを聞いて、近くにいた老人が言った。
「そうなんですか?」
「ああ、しかも時々、湧き出す量が増えたり減ったりするんだ。しかも、何日か前には地揺れもあったしなぁ。温泉が涸れる前兆なんじゃないかって、街の者は皆心配しているよ」
老人はやや不安げに泉を見やる。アルテルメは温泉で有名な保養地。その温泉がなくなったりしたら一大事だ。
フィルの隣では、メリシャが手を湯に浸けてパシャパシャと音を立てている。ユーリアスは老人の言葉が気になったのか、顎に手を当てて泉の様子を眺めていた。
「メリシャ、気持ちいい?」
「うん」
心地よい温もりのお湯。これが涸れてしまうのはいかにも勿体ないと思う。…枯れると決まったわけではないが、急な色の変化は何が原因なのだろう。
湯から手を上げ、軽く振って水気を切る。
「フィル様、どうぞ」
振り返ると、リネアがハンカチを差し出していた。
「ありがとう」
ハンカチを受け取り、手を拭う。メリシャの手も拭ってやろうとすると、ユーリアスがメリシャの手をハンカチで拭ってやっていた。
「うわー、このお姉ちゃん、蜘蛛だよ、蜘蛛ー!」
子供の声に、フィルは反射的に振り返った。後ろにいるパエラのそばに、メリシャと同じくらいの男の子と女の子がいる。
「蜘蛛怖い…」
興味津々という感じの男の子に対し、女の子の方は男の子の後ろに隠れている。兄妹か幼馴染といったところだろうか。
パエラは、身を屈めて視線を落とすと、ニッと笑って答えた。
「そうだぞー、悪い子は糸でぐるぐる巻きにしてお尻ペンペンしちゃうぞー。でも、いい子なら…そうだなぁ…」
んー、と一瞬考えたパエラは、しゅるしゅると糸を繰り出して丸く団子を作った。粘着分のないふわふわとした糸の団子は、すぐに子供の頭ほどの大きさの、柔らかいボールになった。
ポムッ、ポムッと、ボールをついて感触を確かめる。地面で弾む糸のボールを、二人の子供は不思議そうに見ていた。こんな風に柔らかくて良く弾むボールは、帝国にはない。
「メリシャ、いくよ」
「はーい」
テテッと駆け寄ったメリシャが、パエラがふんわりと投げたボールを受止め、パエラに投げ返す。
「いいよー。ほら、もう一回」
もう一度メリシャにボールを投げてやると、男の子が自分にも投げてほしそうに、そわそわしながら両手を広げた。
「メリシャ、投げてあげて」
「はーい」
メリシャが投げたボールを男の子がキャッチするが、手から弾んで落としてしまう。ポンポンと弾んで転がるボールを追いかけて拾い上げ、パエラの方へ投げる。
だが、柔らかいボールの扱いに慣れないのか、ボールはパエラのいる所から少し逸れ、途中で落ちたボールは、コロコロと転がって女の子の足元にやってきた。
「あなたも投げてみる?」
優しい声で尋ねるパエラに、女の子はこくりと頷いた。
「拾ってメリシャに投げてあげて」
パエラが言うと、女の子をボールを拾った。だが、どうやって投げていいのかわからないようで、困ったようにパエラを見上げる。パエラは女の子に近寄ると、手を添えてやる。
「やってごらん」
「えいっ」
女の子は真剣な表情でメリシャの方へボールを投げる。ボールは前に飛んだが、力が入り過ぎたのか、女の子の身体がバランスを崩す。
「おっ、と」
転びかけた女の子を、パエラが両腕でひょいと抱き上げた。
「大丈夫?」
パエラは女の子をそっと地面に降ろす。女の子は少し恥ずかしそうにパエラを見上げ、にこりと笑った。
「うん、大丈夫」
最初は怖がっていたパエラに笑顔を向けた女の子に、少し不安な気持ちで見守っていたフィルたちもホッと息をつく。
「どういたしまして」
メリシャは足元まで転がってきたボールを拾い上げ、そのまま女の子のところに持ってきた。
「はい」
「……くれるの?」
「うん」
「……ありがとう」
女の子はメリシャからボールを受け取り、ぎゅっと抱き締める。どうやら感触が気に入ったようだ。
「エルト、クラウ!あなたたち、こんなところにいたの?!」
声に目を向けると、一人の若い女性がこちらへ駆け寄ってきた。
『お母さん!』
この男の子と女の子、エルトとクラウの母親らしい。
「もぅ、ちょっと目を離したらいなくなるんだから」
「ごめんなさい…でもね、でもね、蜘蛛のお姉ちゃん、すごいんだよ」
素直にパエラのことを母親に話すエルトに、女性は困惑した表情を浮べ、ちらりとパエラを見る。
「あなたたち、あれは魔族よ。近づいたら何をされるか」
「魔族……?」
「でも、お姉ちゃん優しかったよ?」
「いいから、来なさい!」
女性は、不思議そうに顔を見合わせるエルトとクラウの手を引いて、逃げるように背を向けた。
その様子を横目に見て、フィルは小さく首を振った。
「…行こうか」
パエラの隣に立ち、そっと言う。
「うん、そうだね」
パエラは、心配そうに見上げるメリシャの頭を、くしゃくしゃと撫でた。
「メリシャ、せっかく遊びに来たんだから、もっと色々なところを見てみよう」
メリシャを抱き上げて肩車する。
フィルたちと一緒に立ち去ろうとしたパエラに、後ろから声がした。
「蜘蛛のお姉ちゃん!またね!」
「お姉ちゃん、ありがとう!」
パエラが振り返ると、エルトとクラウがこちらに向かって大きく手を振っていた。クラウの手には、パエラの作ったボールが大事に抱えられている。
「またね!」
さすがに、もう会う機会はないだろうと思ったが、パエラは笑って手を振り返した。
「パエラ、すまない。帝国の者たちは、まだ魔族のことを…」
「ユーリアスさまが謝ることじゃないよ。帝国ではこれが普通なんだってことくらい知ってるから。それに、あの子たちは手を振ってくれたし」
パエラは、さして気にした様子もなく言った。
「そうか…」
つぶやくように言ったユーリアスに、パエラはニッと悪戯っぽく笑う。
「フィルさまは、百年くらいかけて、帝国の人間を変えるつもりみたいだよ。その頃には、ユーリアスさまはお爺ちゃんになっちゃうね」
「……百年か。確かに、そのくらいかかるかもしれないな」
ユーリアスも苦笑した。
次回予定「幽霊の噂」
街歩きを続けるフィルたちでしたが、幽霊騒ぎは離宮だけではなかったようで…。
※今年の更新は今回で最後です。ご愛読いただきありがとうございました。
来年も引き続きよろしくお願いいたします。次回は年明け1月3日(月)の更新です。




