割り切れぬ気持ち
魔族であるリネアとパエラがフィルと一緒にいることに、アーシェは…
アーシェは、保護院から害獣駆除に参加している子たちの隊長役だった。
いずれエルフォリア軍に入ることを目指していたアーシェは、今回の隊長役に張り切っていた。相手は獣、部下は保護院の子たちではあるが、初めて部隊を任せてもらったのだと。
アーシェたちが、郊外の畑や果樹園を荒らす獣の駆除のために、保護院を出発したのは4日前だ。今回の駆除隊は総勢25人。森の近くに野営地を設けて、5日の予定で見回りと獣を駆除を行う予定だった。
最初は、予定どおり野営地を定め、5~6人づつが班になって見回りを行った。
単体の獣なら、ハイイロモリグマやマダラオオカミといった肉食獣でもなんとか対応できる。多数の群れで現れた場合は、身を守りながら呼子を吹き、近くの別班に援軍を求める手はずだった。
実際、その方法はうまくいった。
だが、順調に駆除を進め、畑の農夫達からも礼とともに差し入れをもらったりしているうちに、油断とまでは言わないが、なんとなく獣たちを甘く見る雰囲気が生まれていたのかもしれない。
別の班からの呼子を聞いて駆け付けたアーシェたちは、狼の群れを見つけた。すでに何頭かは倒され、地面に伏している。
踵を返した狼たちを追いかけて数人が森の中へと分け入ると、残りもそれに続いた。勢いのついた子たちを止める機を逃し、止むを得ず自分も森へと入ったアーシェは、かなり森に入り込んでしまってから、それが間違いだったことを悟った。
見通しが悪く、足下も悪い森の中は、四つ足の獣に有利な場所だ。そして、身体能力で言えば、人間よりも獣の方が高い。人間は武器と戦い方の工夫でそれを覆しているが、戦う場所自体、相手に有利な場所となれば、アーシェたちが苦戦するのは当然だった。
それに、狼には集団で狩りをする知能がある。つまり…誘い込まれたのだ。
木の影や茂みから飛び出してくる狼たちから逃れるうちに、班はバラバラになり、アーシェを庇った少年が狼に左腕を食いちぎられてしまった。出血のショックで意識をなくし、逃げる仲間たちから取り残されてしまった少年を背負い、アーシェは死に物狂いに逃げて逃げて……そして、幸運にもフィルたちの前に飛び出した、というわけだ。
「本当に、わたしたちの所に逃げてきてくれて良かった」
疲れて眠ってしまったアーシェを見下ろしながら、フィルはつぶやいた。アーシェ一人で狼の群れを撃退することは不可能だ。あのまま逃げ続けていたら、すぐに力尽きて狼の餌食になっていただろう。
あれだけの数の狼がこちらに来たということは、狼の群れは、一番傷が深いと見たアーシェたちに狙いを定めて追ってきたのだろう。アーシェたちは気の毒だったが、他の子たちは何とか逃げおおせているはずだ。
「この子は、フィル様のお知り合いですか?」
大刀の刃についた血を川で洗いながら、エリンが訊いた。
「えぇ。保護院の子でね、こっちにいた時は、剣の練習も一緒にしてた。普通の人間だった頃のわたしくらいには強いよ」
普通の人間だった頃のフィルくらい、とは、平均的な帝国軍兵士と戦って勝てるレベルである。
「ほぅ。それはなかなかですね。できたら第二軍団に欲しいです」
「そうだね…」
フィルは少し微妙な返事をして、寝息を立てるアーシェの顔を見つめた。
しばらくして、パエラと玉藻が戻ってくると、フィルは森から一旦出ることにした。さすがに、アーシェに大妖狐や巨竜の姿は見せられないので、少し時間はかかるが、人の姿のまま歩くことにする。
アーシェを起こし、まだ意識の戻らない少年はパエラが背負って移動を始める。
途中、獣が近づいてくる気配はあったが、フィルとリネアが視線で威圧すると、それ以上近づいてこようとはしなかった。
「あの……フィル様、どうして魔族と一緒なのですか?」
フィルの隣を歩きながら、小さな声でアーシェが尋ねた。先ほどから、後ろを歩くリネアやパエラをちらちらと見ているな、とは思っていたが。
「詳しいことは森を出てからにしよう。今は、早く森の外に出た方がいい」
「はい…」
やや強い口調で言うフィルに、アーシェも黙り込んだ。
半日ほどかけて森の外に出ると、革鎧を着けた兵士たちと、その足元に座り込んだり、必死に兵士たちに何か訴えている子たちの姿があった。
「フィル様も森に入っておられたのですか?!」
慌てて駆け寄ってきたのは、リフィアの街に入る時に迎えてくれた門兵の一人だった。今日は門の担当ではなく、害獣駆除の方に回っているようだ。
「えぇ。保護院の子を2人連れて帰ったけど、あとの子たちは、大丈夫?」
「はい。軽い怪我をした者はおりますが、全員戻っております。どうやら、狼どもを深追いして、逆襲されたようですな」
「そうみたいね。…とにかく、死者が出なくて良かったわ」
肩をすくめるフィルの後ろで、アーシェがしょんぼりと俯いている。
「この子をお願い。治療はしてあるから、安静にしておけば大丈夫」
パエラが背負っていた少年を降ろして、兵士に引き渡す。
「はい。承知しました。保護院まで送ります」
別の兵に背負われて運ばれていく少年を見送り、フィルはアーシェと無事を喜びあっている保護院の子たちに目を向けた。
「フィル様、改めてお礼を申し上げます。私とバルを助けて頂いて、ありがとうございました」
フィルの前に跪き、アーシェが頭を下げた。あの少年はバルという名らしい。他の保護院の子たちも整列して、跪いている。
「それはもういいわ。みんな、顔を上げて」
そしてフィルは、リネアたちを紹介する。
「紹介します。エルフォリア第二軍団長のエリン、狐人族のリネアと、アラクネ族のパエラです」
リネアとパエラを紹介した瞬間、子供たちの目がわずかに険しくなる。警戒、恐れ、憎しみ…あからさまではないが、そんな視線が向けられた。
リネアとパエラはもちろん、フィルとエリンも気付いていたが、顔には出さない。
リネアとパエラが一礼すると、保護院の子達も軽く頭を下げる。だが、警戒するような雰囲気は拭えない。
彼らの気持ちはフィルもわかっている。保護院は、戦争で親を失って身寄りのなくなった子たちの養育施設。つまり、この子たちの親は魔族との戦争で戦死しているのだ。魔族に対して、良い感情を持てないのは仕方が無いのだが。
「アーシェ、正直に言って。わたしがリネアやパエラと一緒にいることが不満?」
「い、いえ…その…」
フィルからじっと見つめられ、アーシェはぐっと奥歯を噛んだ。そして、口を開く。
「はい、魔族をお側に置かれるのには納得できません。魔族は先の戦争の敵ではないですか。フィル様の父君、アルヴィン様がお亡くなりになったのも、戦争で受けた傷が原因と聞いています。それなのに、なぜ、魔族を…!」
黙って聞いていたフィルは、予想した通りの意見に小さく息をつく。
「アーシェ、リネアがわたしの命を助けたという話は聞いている?」
「はい。総督代行のフラメア様がそのようなお話をされていましたが……ですが、フィル様はサエイレム総督です。その命を助けたとなれば、相応の見返りがあると考えても不思議ではないでしょう?」
フィルは小さく首を振る。
「違うの。リネアがわたしを助けてくれた時、リネアはわたしが総督だなんて知らなかったんだよ。リネアは見返りなんて考えずに、戦争では敵だった人間のわたしを助けてくれたの」
フィルは、アーシェとその後ろの子たちに見回して、言葉を続けた。
「わたしは、帝国の人間が放った刺客に殺されかけた。そして、リネアの両親は、戦争中に魔族の軍勢によって殺された」
ざわりと驚きが広がる。
「それでも、人間の敵は魔族で、魔族の敵は人間だと言えるのかな?」
「……」
アーシェは黙り込む。
さっきだって、リネアは自分達を守って狼の群れと戦ってくれた。パエラは意識のないバルを背負って森の外まで運んでくれた。彼女たちが自分たちの敵でないことは分かっている。しかし……。
「…アーシェ、みんな、今日はもう解散にします。保護院に帰って休みなさい」
「はい。わかりました」
アーシェは立ち上がってフィルに一礼すると、保護院の子たちをまとめて街の方へと帰っていった。
次回予定「リネアの気がかり」
魔族に対するアーシェたちの気持ち。
フィルは仕方ないと思っているが、リネアは…