総督の帰還
リネアと一緒に村にやってきたエリンから告げられた総督の来訪。
そして翌日…
「エリンさん、リネアさん!」
人垣をかき分けたアニアが、エリンの側にリネアの姿を見つけて駆け寄ってきた。
「フィル様はどうしたの?一緒じゃないの?…まさか、何かあったんじゃ…」
心配そうに尋ねる。
「アニア、フィル様も無事ですよ。明日、こちらに来られます」
にこりと笑って答えるリネアに、アニアは少し困ったような顔を向けた。
「エリンさんが、帝国の軍団長だなんて…あの、知らなかったとは言え、無礼を許してください」
「アニア、そんなことは気にしなくていい。私はフィル様の護衛、そう思ってくれればいい」
少し俯いて上目遣いに見上げアニアの肩を、エリンは軽く叩く。
「でも、その…もしかして、だけど…フィル様って、すごく偉い人、なんですよね?」
フィルの護衛だと思っていたエリンが、本当は帝国の軍団長だった。そうなると、主であるフィルがただの商人の娘のはずがない。軍団長よりも上の身分の人間、ということになる。アニアを買うのに大金を惜しげも無く支払ったのも、それなら納得できる。
「それは、明日まで秘密です。でも、フィル様も無礼だとか、そんなことを気にされる方ではありませんから、これまでと同じで構いませんよ。安心して下さい」
リネアは、アニアの耳元に顔を寄せて言った。それはフィルが偉い人なんだと認めているのと同じではないか。どうして最初から教えてくれないのかと、アニアは恨めしそうにリネアをみやる。
「パエラさんやリネアさんも、本当は偉い人なんじゃないの?…まさか、メリシャちゃんも本当はお姫様だとか…ないよね?」
「私はフィル様の侍女ですし、パエラちゃんもフィル様の護衛です。エリン様のように偉い役職はありませんから、安心して下さい」
アニアは、ややホッとした表情を浮べて息をつく。だがリネアは、手を繋いで自分を見上げているメリシャに目をやり、悪戯っぽく笑った。
「でも、メリシャがお姫様なのは、正解です」
「…え……?」
自分で言っておいて、アニアは驚きのあまり絶句した。
翌日、村に入ってきたのは、村の者たちが見たこともない豪華な馬車が2台と、それを取り囲む数人の騎兵だった。
村の広場には、ドルグの指示で村に住む者たちがほぼ全員集められていた。馬車は、村人たちの視線が集まる中を広場の中央まで進み、静かに止まる。
護衛の騎兵は広場には入らず、村の入り口近くで待機している。村人たちに無用な警戒を与えないようにとの配慮だった。
馬車が止まると扉が開き、前の馬車から2人の男性、そして後ろの馬車からは2人の少女と5人の子供たちが降りて来た。ラナスとグラム、そしてフィルとエナ、子供たちである。
「村に着いたよ。早く家族に元気な顔を見せてあげて」
フィルはそっと子供たちの背を押してやる。わっと駆け出した子供たちは、親の顔を見つけてその腕の中に飛び込んでいく。
「さ、エナも」
「はい…フィル様、ありがとうございました」
ペコリと頭を下げ、エナも彼女の名前を呼ぶ男女の所に走っていった。多分彼女の両親なのだろう。
それを見送ったフィルは、ドルグの前に立った。
「フィル殿…?」
ドルグは、目の前の少女を見上げる。その頭には狐耳はないし、服の裾から覗いていた尻尾もない。だが、その顔は間違いなく、リネアと一緒に奴隷商に連れて行かれた狐人の娘、フィルだった。
昨日、エリンと一緒に帰ってきたのがリネア1人だけだったため、どうしたのかと気になってはいたが…。
「まさか…フィル殿は…」
フィルは、にこりと微笑む。
「魔族だと偽っていてごめんなさい。でもフィルは本名ですよ。…わたしは、フィル・ユリス・エルフォリア。サエイレム総督です」
ピキリと場の空気が固まる。
「ははぁーっ…!」
数瞬遅れて、村人達が慌てて平伏した。再会を喜び合っていた子供達も、親に頭を押さえられている。
「構いません。皆、顔を上げて下さい」
穏やかな口調でフィルは言った。村の者達が、恐る恐る顔を上げるのを見回し、フィルは言葉を続ける。
「まずは、この村の者たちに謝罪します。この村を脅し、子供達を奴隷として連れ去っていた首謀者は、本来、領民を保護すべき警備隊の者たちでした。配下にそのような悪事を許したこと、この地を治める総督であるわたしの責任です」
フィルは頭を下げた。それに合わせ、フィルの後ろに控えるグラムとラナス、そして村人達から少し離れて見守っていたエリン、リネア、パエラ、そしてメリシャまでも、頭を下げる。
顔を上げたフィルがラナスに目配せすると、一礼してラナスがフィルの隣に立った。そしてフィルの謝罪を引き継ぐようにラナスが言う。
「私は、この地域を任されている代官のラナス・ベルナートです。今回の悪事に関係していた者は捕らえ、この村には二度と手出しできぬようにしました。どうか、安心してください。そして、この村から連れ出された子供達は、できる限り探し出し、この村に帰すと約束します」
ラナスの発言に小さく頷き、フィルはカチンコチンになっているドルグに穏やかに尋ねる。
「ドルグ、お詫びと言っては何ですが、わたしに望むことはありますか?」
ドルグは金縛りが解けたかのように口をパクパクさせる。その様子に、フィルはドルグに少し顔を寄せ、ゆっくり深呼吸して、そんなに畏まらなくていいから、と周りに聞こえない程度の小声で囁く。
「…いえ、あの…子供たちを助けて頂いただけで十分です!」
言われるとおり何度か大きく深呼吸したドルグだったが、絞り出すようにそれだけ言うのが精一杯だった。
フィルは仕方なさそうに苦笑する。
「わかりました。今後のことは、このラナスに任せます。ドルグ、困ったことがあればラナスに相談してください」
「は、はい!よろしくお願いします。ラナス様」
まだ緊張の抜けないドルグの様子に、クスッと笑ってフィルは頷いた。そして、パンと軽く手を叩く。
「集まって頂いてありがとうございました。どうぞ、皆さんの生活に戻って下さい」
ホッとしたように村の者達が立ち上がり、フィル達の方に一礼すると、それぞれの家へと戻っていく。
そこへ、タタタッと走ってくる足音がした。
「フィル、おかえりなさい!」
そのままの勢いで、ボフとフィルの腰に抱きついたメリシャは、嬉しそうにフィルを見上げた。
「ただいま、メリシャ。帰るのが遅くなってごめんね」
メリシャを抱き上げると、メリシャはフィルに顔を寄せて頬ずりする。
「フィル、寂しかった…もう置いて行っちゃやだよ」
「メリシャ、くすぐったいよ。…甘えん坊だなぁ…」
メリシャの柔らかな髪をくしゃくしゃとなで回しながら、フィルもメリシャに頬を寄せた。
こうして甘えてくるところを見ると、ずいぶん寂しかったようだ。さすがに6日も待たせたのは悪かった、しばらくは存分に甘やかそうとフィルは思う。
相変わらずメリシャ様には甘いですね、と後ろで控えるグラムの視線が告げているが、フィルは気付かなかったことにする。
魔族であるメリシャを抱き、パエラやリネアと屈託のない笑顔で話をするフィルの姿に、村の者たちがフィルに向ける視線も、まだ緊張が抜けきれぬとはいえ、それなりに柔らかなものへと変わっていた。
「パエラも寂しいって言ってたよ」
「…へぇ、そうなの?」
フィルに甘えるメリシャの様子を微笑ましく見ていたパエラは、突然のメリシャの言葉に焦る。
「ちょっ!メリシャ…あ、あのさ、フィルさま、それはメリシャがあんまり寂しそうにしてたから…」
「えー、パエラだってフィルのこと大好きだって言ってたじゃない!」
「…うぅ…」
「ありがとう。パエラ、これからも一緒にいてね」
「もー、フィルさままで!」
顔を赤くして目を逸らすパエラに、フィルはにっこりと笑った。
その後、フィルたちはドルグの家に案内された。村の今後について話し会うためである。
「総督様…」
「ドルグ、フィルで構いません」
「…はっ!…では、その…、フィル様」
「紹介しておきます。こちらはグラム・メルヴィン。わたしがこのベナトリア領の統治を任せている総督代行です」
「総督代行というのは、どのような…?」
「わたしは、サエイレム属州の総督ですが、今のサエイレム属州は、元々のサエイレム領だけでなく、ベナトリア領、リンドニア領まで含む広大なものになりました。さすがにわたし1人では目が行き届かないので、ベナトリアとリンドニアには、わたしに代わって政務を取り仕切る総督代行を置いています。ベナトリアにおけるわたしの権限を代行しているのが、このグラムです」
さらりとフィルは説明する。
「ご紹介に預かったグラム・メルヴィンです。ドルグ殿、よろしく」
グラムは軽く一礼する。
「こ、こちらこそ、よろしくお願い致します」
ぎこちない動作で、ドルグは頭を下げる。相変わらず緊張しっぱなしのドルグに、フィルは仕方なさそうに言った。
「あーっ、もぅ…やめやめ。そんなに緊張されてちゃ、何も話ができないじゃない。ここからは普通に喋るよ。みんなもそのつもりで」
「はっ」
素に戻ったフィルに、当たり前に返事をするグラム以下サエイレムの面々と、唖然とするラナスやドルグだった。
次回予定「村の未来と別れの時」
魔族の村に関わる騒動は、次回で終幕です。(第4部はまだ続きます)