総督の使い
森の中で寛ぐパエラとメリシャ。そこに現れたのは…?
「サエイレムに新しい総督が来たら、きっと魔族はみんな奴隷にされると思ってた。だから、あたしはサエイレムから逃げるつもりだったんだ」
かつてを思い出しながら、パエラはメリシャに語る。思ってみれば、あれからまだ数か月。…フィルと出会ってからの毎日が濃すぎて、それ以前のことがずいぶん昔のように感じた。
「総督ってフィルのことだよね?…フィルはそんなことしないよ?」
「その頃のあたしは、まだフィルさまのことを知らなかったからね…すごく不安だった」
首を傾げるメリシャに、パエラは苦笑する。
「あたしが初めてフィルさまに会ったのは、サエイレムの闘技大会で対戦した時だった。中身は妲己ちゃんだったけどね。あたしは人間相手に負けるはずないって思ってたんだけど…全然、歯が立たなかった。…だけど、大会が終わった後で、フィルさまはあたしを自分の護衛にしたいって言ってくれた。最初は、何を言ってるんだって思ったよ。あたしはフィルさまに負けたし、そもそも魔族を自分の命を預ける護衛にしようなんてね…」
最初は、単純に面白そうだと思って護衛を引き受けた。フィルのことにも興味があったし、どんな人間なのか知りたいと思った。
「ほんと、フィルさまみたいな人間、見たことなかった…あ、人間かどうかはよくわからないけど…」
フィルはパエラと友達のように接してくれた。本当に嬉しかった。…何よりフィルの側はとても居心地がいい。この居場所を手放したくないと思うようになった。
「…パエラもフィルが大好きになったんだよね」
にぱっと笑ったメリシャに、パエラは、ぐっと声をを詰まらせ頬を染める。だが、しばらくして恥ずかしそうに口を開く。
「そうだよ。あたしはフィルさまのことが大好き。……でも、フィルさまは、リネアちゃんのことが一番なんだよね」
パエラもリネアのことは好きだ。けど、少しだけ羨ましい気持ちもある。
「…フィルさまの一番になれないのはちょっと寂しいけど、それでもあたしは、ずっとフィルさまの側に居させてもらうつもり…」
「うん、メリシャもパエラのこと好きだよ。一緒にいてほしい」
「ふふっ。メリシャとも、まだまだ長い付き合いになるね」
顔を見合わせて笑い合い、パエラとメリシャはしばらくの間、森の中でのんびりした時を過ごした。
「さて、そろそろ村に帰ろうか。…こうして待っていたら、フィルさま達が帰ってくるんじゃないかと思ったんだけどな…」
その時、パエラの耳に森のざわめきとは違う音が聞こえてきた。ドドッ、ドドッ、という力強く規則的な音、疾走する軍馬の蹄の音だ。村にはそんな立派な馬はいない。まさか、奴隷商の仲間が…!
「メリシャ、あたしにしっかり掴まって」
「う、うん!」
メリシャを背に乗せ、パエラは真上に跳躍した。太い枝の上に着地し、生い茂る葉の中に身を隠しながら、道の先に見つめる。ほどなくして、道の向こうに黒い点が現れた。それはだんだん大きくなり、立派な馬体とそこに跨がる人影の輪郭になっていく。
よく見れば馬の背に乗っているのは2人だった。それでもあれだけの速度で走れるのだから、相当に素晴らしい馬なのだろう。もしも敵であれば、厄介だ。
だが、目を細めて向かってくる馬を睨んでいたパエラの目は、驚きに大きく見開かれ、また嬉しそうに細められた。
「エリンさまとリネアちゃんだ!」
バッと枝から飛び降り、パエラは道の真ん中に立って、近づいてくるエリンたちに大きく手を振った。
「リネア、おかえり!」
ゼラの背から降りたリネアの胸に、メリシャはパエラの背から直接飛び込んだ。
「ただいま!メリシャ」
リネアも嬉しそうにメリシャを抱き留め、そのまま強く抱き締める。
「フィルは?一緒じゃないの?」
だが、フィルの姿がないのに気付いて、メリシャはやや不安そうにリネアを見上げる。
「大丈夫ですよ。フィル様は、助けた奴隷の子たちと一緒に馬車でこちらに向かっています。明日にはフィル様も帰ってきます」
リネアはメリシャに微笑む。メリシャは安心したように息をつき、ぐりぐりと顔をリネアの胸に擦り付けた。
「エリンさま、村の子たちを奴隷にしていた犯人、わかったの?」
村へと向かうゼラの隣を歩きながら、パエラはエリンに尋ねた。メリシャはリネアに抱かれているので、パエラは身軽になっている。
「ああ、エンケラの警備隊が黒幕だった。おそらく、偶然に村を見つけた者からの通報を握りつぶして、利用したんだろう。……それにしても、まさかフィル様とリネアが奴隷になりすまして潜り込んでいるとは思わなかった。警備兵を殴り倒しながら私たちの前に飛び出してきたぞ」
苦笑するエリンに、パエラも肩をすくめる。
「あー、フィルさまならやっちゃうね」
「建物の中はリネアが足止めしていたらしいんだが、そっちも全滅だ。死んだ者はいないが、なかなかの惨状だった」
少し声を潜めて、エリンは言う。
「リネアちゃんにもフィルさまが感染ったんじゃない?」
「エリン様、パエラちゃん、聞こえてますよ」
ピクリと狐耳を震わせながら、リネアは少し拗ねたような表情を浮かべる。
「でも、フィルさまと一緒に戦えて、嬉しかったんでしょ?」
「…っ!…そ、それは、そうですけど…」
正直、フィルの背中を任せてもらえたことが嬉しくて、少々張り切ってしまった。殺さないように気を付けてはいたが、まだまだ戦い慣れしているわけではないので、加減が上手くできていなかったかもしれない。リネアの耳が力なくしおれた。
「…私、やりすぎたでしょうか?」
「いや。警備兵の怪我の具合を見て、リネアが殺さないように気を付けていたのはすぐわかった。もう少し経験を積めば、上手く加減できるようになるさ。今回だって、別にやり過ぎというわけではないぞ。気にしなくてもいい」
エリンからそう言ってもらい、リネアの表情も明るさを取り戻す。しおれていた狐耳もピンと立ち上がっていた。
夕刻前、村に着いてみると、入口あたりに村の男達が集まっていた。馬に乗った人間がやってくるのに気が付いて、警戒していたようだ。
まずはリネアが前に出て、長のドルグに挨拶する。
「ドルグ様、ただいま戻りました」
「リネア殿、無事で良かった…それで、…こちらの方は?」
ドルグはリネアが無事に戻ってきた事には安堵していたが、人間であるエリンにはやや厳しい視線を向けている。
リネアが連れて来たということは、村に害を成すような人間ではないと思うが、それでもやはり人間に対する不信は隠せない。
「こちらはサエイレムを守るエルフォリア軍第二軍団長、エリン・メリディアス様です。エリン様は魔族を蔑むような方ではありません。どうか、警戒しないでください」
「お初にお目にかかる。エルフォリア軍第二軍団長、エリン・メリディアスだ」
ドルグを前にしたエリンは、丁寧に頭を下げた。
「こ、この村の長をしているドルグと申します」
ドルグは、自己紹介しながらもエリンの様子を観察する。軍団長と言えば帝国軍の中でも相当に高い地位のはず。このような若い女性が軍団長というのも驚きだが、どうしてそんな身分の人間がリネアと一緒にやってきたのか。
「私がここに来たのは、我が主であるサエイレム総督が、明日、ここを訪れる事を先触れするためだ」
エリンの言葉にドルグは戦慄する。総督と言えば、属州全体を支配する王のような立場の人間ではないか。その総督本人が、わざわざこんな辺鄙な村にやってくるなど、一体、どういうことなのか。全く見当もつかない。村を潰すつもりなら、一言そう命令すればいいだけのはずだ。
「心配はいらない。護衛の兵は何人か付いてくるが、村をどうこうしようというつもりはない。むしろ総督閣下は、この村の暮らしを心配しておられる」
ドルグの顔が青ざめているのを見て、エリンは軽く笑って言った。
「心配、ですか?」
「その通りだ。サエイレム属州においては魔族も人間と同様の帝国市民として認めている。魔族が帝国領内で暮らしていても咎められることはない。今回、村の子供たちが不当に奴隷にされていた件も、総督閣下の命令で首謀者が捕らえられた。もう村から子供たちが連れ去られることはないから、安心するといい」
エリンの言葉に、周りの男たちから安堵の息が漏れる。
「しかし、残念だがベナトリアの人間たちの間には、まだ魔族への警戒や偏見が強い。すまないが、これをすぐに変えることは難しい…それに、この村の者たちも、まだ人間を信用することはできないだろう?」
「そう、ですな…」
ドルグは、渋い表情で目を伏せる。もう隠れて暮らす必要がないというのは素直に嬉しい。だが、人間との付き合い方はまた別だ。これまでこの村は奴隷商たちに騙され続け、可愛い子供達を奪われ続けてきたのだ。やはり警戒心の方が先に立ってしまう。
ドルグの気持ちを見透かすように、エリンは言葉を続けた。
「総督閣下は、この村の者たちが望むのなら、サエイレムに帰って来てはどうかと仰せだ」
「サエイレムに…?」
ドルグの目が驚きに見開かれた。この村が出来てから生まれた子供達はともかく、この村の大人達はサエイレムでの暮らしを覚えている。戦争が終わって平和になったのなら、サエイレムに戻りたいという気持ちは確かにある。だがその反面、戦争で皆が苦しむ中、自分達はサエイレムを捨てて逃げ出したという後ろめたさ、そしてここまで頑張って築いてきたこの村を簡単には捨てたくないという思いもあった。他の者たちにもざわめきが広がっていく。
「この村の者全員に関わることだ。皆でよく話し合ってほしい。総督閣下も私も、あなた達の選択を尊重する。決して悪いようにはしない」
戸惑いの表情を浮べているドルグに、エリンは軽く笑って告げた。
次回予定「村の選択」
サエイレムへの帰還を提案した総督=フィルに、ドルグたち村人たちはどう答えるのか。
遂に100話目となりました。いつも読んで頂いてありがとうございます。