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2 大陸鉄道とメイド少女

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「ルーク様、ルーク様……?」


 遠く離れた暗黒世界の何処から、誰かが彼を呼んでいる。呼び止める声は淡泊で落ち着いていたが、やや焦りを含んでいるような声音。そしてその音の距離は彼のもとに近づいてくる。


「どこか具合が悪いのですか? 苦しいのですか?」

「……ッ!」


 意識は突然覚醒した。重く腫れた瞼が瞬時に目一杯開く。眼前には辺り一面見慣れない木目調のタイルが広がっている。そこにぽつりと一滴汗のようなものが滴り落ちた。


 さらに酷い過呼吸が彼を襲う。


「ルーク様……?」


 暗闇からルークを引き戻した少女の声で彼は全てを理解した。ここはどこで、声の持ち主が誰で、何が起きたのかを。


 そのまま下を向いたまま、ルークは大きく息を吸って、いつも通り(・・・・・)口を右手で全て覆い隠して強引に精神状態を安定させる。そして沈んでいた上体をゆっくりと起こしていく。


 エルドラド大陸鉄道。通称大陸鉄道の車窓から漏れ出る光がルークをより一層現実世界に引き戻す。


「とりあえず、お水を」


 まだ視界がぼやけて目の前の人物がはっきりと映らないが、ルークを現実に引き戻した少女であることは声でわかる。


 少女は手持ちのペットボトルの蓋を開けてルークに手渡した。多量の発汗で失った体内の水分を取り戻すべく、ルークは五百ミリリットルの水を流し込むように飲み干す。


「……はあ、助かったよ」


 顔全体に滲む汗を袖で雑に払う。


「大丈夫ですか?」

「いや、なんでもないんだ」


 ルークは目の前で心配そうな表情を浮かべる少女に微笑んだ。そして凝り固まった眼筋を働かせるべく、彼は車窓に映るどこまでも続く田園風景にピントを合わせる。


「悪い夢でもご覧になったのですね」

「……ッ、ああ、そんなところだな」


 内容を言い当てられたルークは驚きながらも平静さを保った。ただの悪夢ならどれほど幸せだったことだろうか、という言葉は心の中にしまっておいた。


「それで……」

「はい」


 少女は瞬時に切り返す。


 長時間曲げていた腰を少しでも癒すためルークは背もたれに体を預ける。大陸鉄道の一等席には柔らかい素材でできたシートが敷かれていた。


 高級素材に体を預け、彼は今一番聞きたいことを、眼前にいる一ミリたりとも動かぬ冷たくも美しい顔の中に、今にも落ちてしまいそうな気だるげな瞼の下に輝く暗い瞳と、艶はあるが小さく控えめなピンク色の唇を加えた、ショートボブで栗色の髪型をこさえた日本産メイド衣装の女の子に聞こうか躊躇していた。


 けれど聞かないと先に進めないのではと本能的に考えた彼は、やはり聞いてみることにした。


「えっと、名前は」


 なぜか数秒沈黙が続いた。そののち。


「そうですよねまずそこからですよねまさか自己紹介を済ませる前に、座席に座ったと同時に寝てしまうとは私も人生で初なので大変驚きました。ちなみにもう藍賀(アイガー)駅も過ぎましたよ」


「す、すみません昨日は緊張で寝れなくて今日は朝から送別会で……怒ってる?」

「いいえ。そして一瞬だけ目を閉じてフカフカの背もたれに身を任せたら眠ってしまったと?」


「うっ。どうしてわかった……」

「……そんなことだろうと思ったからです」


 感情があまり顔に出るタイプではなさそうではあるが、少しだけ眉間にしわが寄っていたのは幾ら鈍感なルークであってもすぐに読み取ることができた。


「実は一等席に座るのって初めてでまさかこんな気持ちいいなんて思ってなくて……いや、はい、すみませんでした」


 眼前の少女に深々と頭を下げた。これ以上の言い訳は彼女を逆撫でするだけだと、本能が語り掛けている。


「顔を上げてください。……私はシアン・シエールと申します。普段は帝都対勇者警察隊のメイド係を務めております」


 なんだそのよくわからない部署はと突っ込む前に、とりあえずルークは頭を上げる。


「それで今日は新入隊員のお迎えに来た、と」

「さようでございます」


 毛先を散らした、淡い栗色の小さい頭がこくりと頷く。


「メイド、というのは」

「仕事は多岐にわたりますが、基本的には皆さまの日常のお世話係ですね」


 ルークはメイドなる者を知らないわけではない。むしろ一般人よりは造詣がある方である。かつてクラネス領の喫茶店に対勇隊の同僚と行ったことがあるからだ。


 確かそこにはシアンと同じく白と黒のコントラストが特徴的でフリルをつけたいかにも少女趣味な服、そしてカチューシャを装着したハキハキした女の子がいて、おかえりなさいませご主人様とかなんとか言われた記憶がある。


 ただしシアンという少女はそのような一般的なメイド風情のイメージとはややかけ離れている。少なくとも、おかえりなさ(以下略)は言ってはくれなさそうである。


「ふうん」


 世の中は広いんだな、という結論でひとまずは納得しておくことにした。


「時間もなさそうなのでこの調査書についていくつか確認を」


 シアンはそう言うと手提げバッグから『ルーク・ブライトウェルの調査書』と書かれた数枚の紙束を取り出した。どうも戸籍情報や経歴が載っているらしい。


 シアンはポケットからペンを取り出して、調査書の一ページ目を捲る。


「ルーク・ブライトウェル。歳は十八。クラネス領のコルトー? の出身で間違いないですか?」

「ああ、そこで合ってるよ。育ちはもちろんシショーのいるマルク村だけど」


 シアンはそんな場所あったかなと言わんばかりの疑問口調。必要以上に語らない彼女からは、コルトーという地のことをあまりに田舎の地名過ぎてしらないのか、すでにその地が地図から消滅したため知りえないのかどうかは判断がつかなかった。


 ルークはコルトー村から脱出したあと、マルク村の村長――かつての大英雄神谷雄一(シショー)とその妻リーファ・ティンジェルによって救出され、その後は師匠と弟子という関係が続きながらも養子として迎えられることとなる。


 よって生まれはコルトーではあるが、それ以上にマルクで大英雄の弟子として生活していた期間が長い。


「そしてクラネス領対勇者警察隊に五年間所属し、本日付けで帝都対勇者警察隊に異動、と」

「そうだな」


「お噂は聞いていましたが、本当に『天恵』は所持していないのですか?」

「無いよ。シアンと同じく純血のエルドラド人だ」


 事実混血でないことはその髪色が証明している。銀色の髪は勇者である日本の血統ではありえない髪色らしい。


 黒髪が最も多いとされる日本人と比べエルドラド人の髪色は多種多様であり、中でも銀髪は特にエルドラド人の純血として見分けがつけやすい。それゆえルーク以外勇者とその血族しかいない対勇隊に所属しながらも、一度も純血であることを疑われたことがない。


「だから残念ながら俺にはアリスみたいな力はないんだ。あ、アリスはわかるよな?」


「ええ当然です。帝都警察隊長ですから。ルーク様のお出迎えもアリス様のご命令です。『あのバカは放っておくとすぐに道草くうんだから』と今朝もおっしゃっておられました」


 酷いセリフを音程の幅が全く上下しない棒読みするシアン。


「言い方酷えなあ。一応生まれ月的には俺の方がお兄ちゃんなんだけどな……」


 アリス・神谷・ティンジェル。大英雄とその妻の間に生まれた日系二世の天恵保持者。ルークと同じ十八歳で、血縁関係のない双子という関係性になる。


 そして弱冠十八ながら、史上最強クラスと呼び声高い天恵を使いこなし大英雄の娘の名に恥じぬ功績を上げ、今では対勇隊を含めた帝都警察隊の長として君臨している。


「確認は以上です。……どうやらそろそろ到着のようですね」


 一等席車両に車掌が入り、タイミングを見計らってチャイム代わりのベルを数度鳴らす。


「本日はエルドラド大陸鉄道をご利用頂き誠にありがとうございます。当列車はあと五分ほどで帝都に到着致します。忘れ物にはご注意ください。帝都を出ますと次は、桜蘭戸(オーランド)に停まります」


 アナウンスが終わると一礼して、車掌は扉の向こうへと消えた。


 帝都は巨大な三角州の上に建設された城壁都市だ。よって周りを海と川に囲まれているため帝都へ入る手段は大陸と結ばれた三か所の橋と、この大陸鉄道のみである。そのおかげか、大陸平定後は一度も帝都に敵が攻め入った前例がない。


「何を書いてるんだ?」


 調査書を手提げバッグにしまったシアンは、先ほどからメモ帳を取り出して何かを記し始めた。


 意図的にルークには見えない高さと角度で書いているものだから、ルークは変な好奇心に駆り立てられ、ついには聞いてしまった。


「ルーク様の批評を記しているのです。すぐに寝てしまう、とか」

「それは……」


「冗談です。しかし批評は本当です。定期的な皇帝陛下への提出義務があるので」

「まさか批評次第で左遷もあり得るのか……?」


 小さなメイドから放たれた唐突な一言に、思わずルークの背筋がぴんと張り詰める。すでにこのメイドの前で一度やらかしてしまっているのだ。そうなることも仕方がない。


「ご安心を。よほどのことをやらない限りマイナスなことは書きませんから」


 よほどのこと、というのがどのレベルに当たるのかはシアン本人しか知りえないが、きっと今回のことは見逃してくれるのだろうとルークは一息ついた。


 そして同時にシアンには絶対に逆らわないと誓うのであった。


 何かに気づいたように、シアンはふと記述をやめる。


「ルーク様、帝都に来たことはございますか?」

「いや、今日が初めてだ」

「ならば生で見る帝都の景色にきっと驚くはずです。折角ですし、窓を開けましょう」


 シアンはペンをメモ帳に挟んで閉じて立ち上がると、窓上部のつまみを一番下まで下ろした。柔くて温い潮風がぶわっと車両に入り込んできて、二人の髪を優しく靡かせる。


 彼女はもう一度メモ帳を開くと、何度か視界を邪魔する靡いた髪を払いながら、またつらつらと何かを記し始めた。


 橋梁を越したところで突然車窓が暗転する。城壁のトンネルに入ったのだ。


 そして、もう一度日光が差し込むとき、世界は一変した。


「すげえ……」


 思わずそんな平易で稚拙な表現が口からこぼれていた。


 そこには、ルークが初めて見るような建物群が広がっていた。


 ルークの瞳に最初に入ってきた建物は、帝都のシンボルである巨城。本日から職場となる建物でもある。地理的にも帝都の中心地にあるそれは、未だに遠くともはっきりと視認することができた。


 視線が巨城から沿線に建つ高層建造物に移る。


 各建物は石材だけではなく木材や土材も使用されているため、色に飽きがなく、絵の具が付きやすい木材は艶やかに彩色され店舗の看板としての役割を充分に果たしている。


 驚くのは色だけではない。


 クラネス領では三階建て以上の建物を見たことがなかった。しかも一番高い三階建ての建物は領の中心地クロスディグレーから少し離れた丘に建つクラネス領主の邸宅のみであった。


 その為ほぼすべてが二階建てで、何の凹凸もないつまらない町並みが当然の物と考えていた。


 しかし帝都の建造物は高さ、さらには敷地面積ですらクラネス領のものをはるかに凌駕している。


 鉄道駅と城のある中央に近づけば近づくほど徐々に建物は高くなっていき、ルークの眺める沿線の建物はどこも五階以上のものが増えてくる。


 天気の調子を見ること以外で首を思いきり上に曲げたのは初めてのことかもしれないと、あまりの高さにルークは首が凝るのも忘れて、夢中で流れゆく車窓を楽しんでいた。



 そんな希望にあふれた目をしながら無邪気に景色を眺める青年をメイドは見つめて、考えに耽る。


 そして、批評の最後にこう書き記した。



『――だが、ルーク・ブライトウェルは明朗で外向的な性格であるようだ。』


【tips】

 エルドラド大陸鉄道は鉄道技師であった勇者が中心となって敷設した、文字通りエルドラド大陸を東西南北に結ぶ鉄道です。なぜ駅名が漢字表記かと言いますとその鉄道技師の勇者が日本にいたころ、とある路線の新しい駅にカタカナが入る駅名が採択されたらしいのですが、駅名漢字表記信者であったその勇者は憤慨。せめてこの世界では漢字表記にさせてくれ!でなければ鉄道は作らん!ということで帝国は渋々漢字表記に許可を出しました。

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