棚からぼたもち
戦が終わって世の中に平和が訪れた頃のお話。
ある商人の家に一匹の野良猫が住み着いた。
怪我で右目が見えなくなっていたその猫は狩りが苦手で、満足な食事にありつくことができていなかった。
汚い格好で家の周りを鳴きながらうろつくので、大人は猫を追い払っていた。
そんな猫をかわいそうに思った商人の子供、洋次郎は自分の茶碗に盛られたごはんを少しそでに隠しもって、だし汁をとった後のかつおぶしと合わせて猫まんまのおにぎりを作って猫にやっていた。
「うまいか。ごめんな、つめたくてかたいごはんしかやれなくて。大人はおまえのことがきらいみたいだから気をつけるんだよ」
洋次郎はその猫をカタメと呼ぶようになった。
洋次郎とカタメは暇を見つけてはよく遊んだ。
カタメは狩りが苦手だったが、洋次郎がネコじゃらしを使って遊んでやるうちに少しずつマシになっていった。
カタメはごはんをくれて遊んでもくれる洋次郎に恩返しがしたかった。
棚の上にぼたもちが置かれると、洋次郎がそれをしきりに見ているのにカタメは気付いていた。
商人の家では、あるお客様の大好物のぼたもちを用意してあることがあったのだが、洋次郎の手の届かないところへと棚の上に置いていたのだった。
カタメは棚の上に置いてあるぼたもちを洋次郎のために落としてやろうと思った。
カタメは洋次郎が棚に近づくのを待って、ちょうどいい時ににゃあと鳴いた。
アッと洋次郎が上を向いて口を開けた瞬間、カタメはぼたもちを下へ落した。
だがぼたもちは洋次郎の口の中には納まらなかった。
どんくさいところがある洋次郎には、とっさに落ちてきたぼたもちを口に入れる器用さはなかったのだ。
猫は棚から降りると悲しそうにぼたもちと洋次郎とを交互に見ている。
そこでようやく洋次郎もカタメの意図に気づいた。
「こいつ、ぼたもちを台無しにして! 三味線にしてくれる!」
家のものが猫を追いかける。
洋次郎は、猫が落としてくれたぼたもちを受け取ってやれなかった自分の不甲斐なさに落ち込んでいた。
「ちくしょう。くやしいなあ。せっかくおいらのためにぼたもちを落としてくれたのに」
そこで洋次郎は棚からぼたもちを口に入れるための特訓をはじめた。
お手玉袋をぼたもちに見立てて高いところに置く。
軽業をしながらお手玉袋に引っかけた糸を引いて、落ちてきたそれを口にくわえる。
次にカタメがぼたもちを落としてくれてもちゃんと受け止めてやれるように、洋次郎なりに様々な事態を想定して練習した。
棚のそばでぐるぐると回転して目を回したところでお手玉袋を落とす、竹馬に乗りながら上を向いて口をあけっぱなしにしながらお手玉袋を落とす、拝借した傘の上で茶碗を回しながらお手玉袋を落とす…………
口を開けっぱなしにする練習もしていた。
あまりに口を開けっぱなしにしていたので、近所の子供が洋次郎の口の中へ布切れの丸めたのを放り込んでくる遊びを思いついた。口の中に雀が入ってきたことさえあった。
周りから見れば、ただぼたもち惜しさに馬鹿げたことに全力を尽くしている洋次郎は商人の家の恥となった。
評判を聞きつけた殿様が実際に一口大のぼたもちを用意して様々な格好でぼたもちを食べさせることもあった。
最初のうちは殿様も家臣も大笑いしていたのだが、ただぼたもちを食べるだけの芸だったので皆飽きてしまい、三度目に呼ばれることはなかった。
殿様が飽きると、今度は間近で芸を見れなかった町人たちの前で披露することになった。
手伝いもせずに遊んでぼたもちばかり食べている洋次郎は商人の家では疎まれるようになり、外へ良く出ていきお寺でこっそり寝ることが多くなっていった。
洋次郎は落ちてきたぼたもちを全て腹の中におさめていったが、それでも自分が世話を焼いたカタメが落とした大きなぼたもちを食べるまでは満足しないと決めていたのでますます練習に励んだ。
だがあの日以来、カタメが洋次郎の前に姿を現すことはなかった。
そんなある日、お寺の境内で練習していた洋次郎の前に仏様が現れた。
洋次郎は見慣れない人が現れたと思ったが、練習に集中していたので特に驚きもしなかった。
「棚からぼたもちが落ちてくることなど一生のうちにそうそうあることではない。人為的にとはいえ、お前は高いところから落ちてきたぼたもちを食べすぎた。実はな、ぼたもちを受け止めた時に周りの運気も集まってしまうのだ。このまま周りの者が面白がってお前にぼたもちを食べさせると、このあたりの運気はお前に集まりすぎていき、皆が不幸になってしまう」
思いもしなかった事実に驚いた洋次郎は口にくわえていたお手玉袋を落とした。
「どうすればよいのでしょうか」
「棚からぼたもちが落ちてきても幸せではない時代まで待てばよい。ただし、それまでお前は地蔵になってもらう。少しずつため込んだ運気をこの辺りに返していくためにもしばらく地蔵になる必要がある」
カタメに会えなくなるのは寂しかったが、カタメも不幸にしたくないと思った洋次郎は覚悟を決めた。
「分かりました。おいら、お地蔵さんになります」
生き別れになったカタメのことを思いながら地蔵になった。
地蔵になってしまった洋次郎を見て人々はぼたもちを食べすぎた罰が当たったのだと噂した。
不憫に思った一部の者がぼたもちをお供えすることもあったが、そのうち忘れられていった。
◇◇◇
四百年ほどたったある日、気付くと洋次郎は動けるようになっていた。
ついにぼたもちが落ちてきても幸運ではない時代になったのだと悟った。
「このあたりはあまり変わってねえなあ」
お寺の住職に見つけられた洋次郎は、とりあえず近くの交番に連れていかれた。
だが四百年も前の人間だという洋次郎の話は全く信用されなかった。
「住職困りますよ。お寺で預かってくれませんかね」
だがお寺も経済的に余裕があるわけではない。
住職は古い付き合いになる津辺という老夫婦に洋次郎の世話を頼んだ。
「おいらはぼたもちを食べることくらいしか取り柄がねえ」
洋次郎は裏表のない性格をしていたので、老夫婦の孫や近所の子供が集まってきてよく遊んだくれた。
現代文明を全く知らず、古風な言葉遣いの洋次郎を皆からかったが、そんな洋次郎の唯一の特技を動画におさめて投稿しようといい始めた。
「ウチらが洋ちゃんを有名にしてあげるよ!」
洋次郎はどんな格好でもお菓子を食った。
一輪車やスケートボードといった新しい時代の道具にもすぐに適応し、芸のレパートリーはどんどん増えていった。
江戸時代の頃の記憶を持っている奇抜な児童が、一口大のものならなんでも曲芸をしながら食べられるというので話題になり、その特技とキャラ設定とで動画サイトでも記録的な再生回数を稼ぎ出した。
一時期お菓子のテレビCMにもひっぱりだこになった。
洋次郎には使いきれないくらいたくさんのお金が入ったがお寺に寄付し、お世話になった住職に今後の生活についてアドバイスをもらうことにした。
洋次郎は字を練習し始め、それまで教えてもらっていなかった小学校での勉強を住職に教えてもらった。
そして同世代のレベルに追いついた頃から小学校に通うことになった。
「おいらこの時代のことはよく分かんなかったけど、カタメのために練習した軽業のおかげでなんとかやっていけてるよ。ありがとうなあ。ぼたもちを食べられるのが幸せじゃなくて、ぼたもちを食べているおいらを見ているのが幸せな人が多い時代なんてカタメは想像できたかい? 世の中何が人様の役に立つとか分からねえもんなのよ」
お寺に捨てられていた子猫を拾ってウインクと名付けて、津辺洋次郎の新しい生活が始まった。