海賊王の情報屋
「海賊王の話をしよう。神代の時代の海賊王の話も良いが、今話すべきはやはり第二の海賊王。世界の始まりの国を築いた、我らの王の話、左六指の海賊王、ラースタチカの話をしよう。
海賊王ラースタチカの話で有名なのは、もちろん相棒であった王の技術者メーヴォとの出会いと冒険の日々のエピソードだ。でも忘れちゃあいけない。海賊王を支えた多くの仲間たちの話もしようじゃあないか。
私は海賊王の編纂者の孫、海賊王ラースタチカの物語を語り継ぐ詩人さ」
海賊寓話外伝
第一話『海賊王の情報屋』
「彼は魔族だった。魔族は、平行する影の世界、魔界に住む者たちだ。此方の世界と共に魔界は成り立ち、この世界、人間界に魔族は干渉する。彼は影の世界から表の世界に干渉する者だ。刻絃街と呼ばれる魔界の街で生まれ育った彼は、修行の一環で人間界へと訪れた少年だった」
こんにちは、ぼくはレヴ。レヴニード=ヴィルヘルム=ヴィンツェンツ。魔族の生まれです。
お祖母様が一代で財を成した、それなりに裕福な家の出身です。五人兄姉の末っ子で、一時は引きこもり生活をしていました。お恥ずかしい。
末の生まれで、能力の開花が遅く、それを理由にぼくはあまり活動的ではありませんでした。そんなぼくに、お祖母様は決して大げさではなく、静かに支援して下さいました。
魔界チェスのルールを教えてくれたり、たくさんのボードゲームで遊んで下さいました。お祖母様に勝てた事が嬉しくて、ぼくはチェスにのめりこみました。一人でも遊べるようにと、魔法の力で影を操って、一人で二人分を指しました。一人二役でチェスを指す遊びを繰り返すうちにぼくは魔界チェスの有段者になりました。
そうして小さな自信を得た事をきっかけに、お祖母様はぼくに人間界へ行く事を進めて下さいました。かつてお祖母様も人間界で修行したのだとおっしゃって、人間界でならぼくも能力に目覚める事が出来るだろうと、推薦して下さったのです。
家族たちからも了解を得て、ぼくは一つの鍵をお祖母様から引き継ぐ事になりました。この時ぼくは十五歳(人間換算で)。人間界へと繋がる扉を開ける鍵を、ヴィンツェンツ家の者として、自分が管理する扉を任される事になったのです。
それが、海の世界へと旅立つ始まりになり、お頭と、海賊王ラースタチカと出会い、成長するきっかけになったのです。
人間界への扉をくぐったぼくは、小さな集落の外れにある廃屋へ出ました。ひとり旅は初めてでしたが、お祖母様から頂いたアドバイス通り、集落の酒場に行って仕事を探そうとしました。
しかし、そこでぼくは気づいたのです。
「あの、すみません……あの……」
ぼくが声を掛けても人々はぼくに気付かず、素通りしてしまうのです。道でぼくにぶつかっても、みんな見向きもしなければ、転んだぼくに気づく事はありませんでした。
ぼくの存在を、人間たちは知覚出来なかったのです!
正直パニックでした。人々に知覚されなければ、仕事をもらう事も何も出来ません。どうして過ごせばいいのか、どうやったら人々に認識してもらえるのか。何も分からなかったし、何にも頼れなかったのです。
扉を戻って帰る事も考えましたが、一度開けた時空の扉はそう簡単に何度も開ける事は出来ないのです。
先に持って来た食料は数日分。どうしたら良いのか、策を練らなくていけなくなりました。
最初は人々の仕事を観察し、それをこっそり片付けて賃金を頂くやり方をしましたが、まどろっこしくなったのはすぐでした。
人々の観察をする内に、彼らはとても狡猾でずる賢く、愚かであると知れました。人は人を騙してお金を稼ぎ、人をいいように使って自分は楽をする。そんな悪党だらけであると、ぼくは知る事になります。
そしてぼくは気付きました。弱肉強食は魔界でも常識。ぼくは守られて育ちすぎたのです。両親にお祖母様が、ずっとぼくを守って、養ってくれていた事に気付きました。
魔界でひとりで旅立てば、魔物に喰われてぼくなど数日と保たなかったでしょう。人間界ならば、狡賢さを飲み込んでしまえば、生き抜くだけならば出来ます。
後の話は簡単です。
ぼくは知覚されないのを良い事に、窃盗を繰り返しました。出来る事ならその対価を残す事はしましたが、それが出来るのは稀でした。
そうして何とか食を繋ぎ、しかし仕事を探せぬまま、ぼくは集落を転々と渡り歩きました。移動は商人の乗る馬車にこっそり紛れ込んで行きました。
魔界から人間界に来て一月くらいの頃だったと思います。
少し大きめの集落に辿り着いたぼくは、そこでも酒場に行き、配達などの仕事を探そうとしました。結果はお察しの通り、やはりぼくの存在に大人たちはおろか子供も気付いておらず、ぼくはそこでも途方に暮れる事になりました。
路銀もなくなっていたぼくは、雑貨店で人混みの隙間からパンと水を拝借し、路地裏で昼食にしました。
その時です。
「おい小僧、代金は?」
「んぐっ!」
パンに齧り付いた瞬間、突然声をかけられてパンを喉に詰まらせるところでした。
「おっ、わりぃわりぃ、大丈夫か?」
水でパンを胃へと押し流し、声の方へ視線を向けると、緑のバンダナが特徴的な男の人が、人の良さそうな顔でぼくを見ていました!
ぼくを!見ていたんです!声をかけてくれたんです!
「あ、あの!ぼくの事が、分かるんですか?」
「分かるも何も、雑貨店からパンと水のボトルを掻っ攫っていくのまでバッチリ見てたぜ」
「見て、た、あっ……!」
見られていた。きっと雑貨店で働いている人でしょう。窃盗がバレた!怒られる!と血の気が引くのが分かりました。
「あ、あの、今お金が無くて、えと、あの、その分は、は、働いて返しますから!」
「おかしな坊主だな。俺は店員じゃあねぇよ。あれだけ堂々と物を持って店を出たって言うのに、何でそんなにビビッてんだ?慣れっこなんじゃねぇのか?」
慣れていると言う程度には窃盗行為の数はこなしてしまったかも知れませんが、見られていたと言う事実の方が驚きでした。
「あの、あの、それよりも、本当に、ぼくの事が、見えているんです、ね?」
「なんだぁ?透明人間の妄想でも抱えてんのか?変なヤツだな」
「あの!説明させてください!ココに来て、初めてぼくが見える人間に出会えたんです!妄想とかじゃないんです!」
ぼくの必死の訴えに、相手の男の人は少したじろぎ、しかし困ったような顔をしつつも、苦笑で返事をしてくれたのです。
「そんじゃ仕方ねぇ、ちょっと飯屋にでも行こうぜ。俺も昼飯がまだなんだ」
「は、はい!ありがとうございます!」
これが、ぼくとお頭、ラース船長との出会いでした。
食事処に入って、彼は二人前の食事を注文してくれました。隅の方の席へと座って、食事を待ちました。
パンにレタスとハムを挟んだ安いサンドイッチと薄めのコーヒーが二人分。彼の前に二人分の食事が並び、目を丸くして肩を竦めた彼が、ぼくの方へと一人前の食事を並べ直してくれました。
「俺も金欠でな。一番安いサンドイッチだけど、奢りだから良いにしてくれ」
「いえ、十分です」
「お前、名前は?」
「ぼくはレヴニードと言います」
「俺はラースタチカだ。ラースで良い。海賊船長やってる」
「ぼくも、レヴと呼んで下さい」
「本当に俺以外に見えてねぇんだな」
先ほどラース船長の前に二人前の食事が並んだ事を言っているのでしょう。
「きっと、ウェイトレスさんには、ぼくが見えて居なかったんだと思います」
「本当に透明人間か?」
「あの、ぼくは魔界から来た魔族で、ぼくの体質とか、なにかが人間界に合わないんじゃないかと思ってはいるんですが、実際のところ原因は不明で……」
ラース船長は感心したように「初めて魔族を見た」と驚きの表情を見せます。
「魔族ってのは人間を相手に色々と干渉をしてくる存在だとか、契約をした人間に力を与える代償に命を奪うとか、そう言うもんだと思ってたぜ」
「そうですね。人間たちの肉体や魂を集めて魔石を作るとかしますから、間違いでは無いです。ぼくは、そんな大それた事は出来ませんが……」
「魔族によっても出来る事出来ない事があるんだな。お前の人間に見えないってのも中々すげぇと思うけどよ」
人間に姿が見えない、声が聞こえない、存在が認識されない。それの何処が凄いのでしょう?精々こうして日々の食料を窃盗するくらいしか、ぼくには思い付きません。
齧り付いたサンドイッチは、マスタードバターが利いていて少し辛くて。ツンと鼻に辛味が刺さって、ぼくはちょっとだけ泣きそうになりました。
すんっと鼻を啜って苦笑で誤魔化し、小さく反論しました。
「凄くは、ないです。ぼくは、何も出来ませんから……」
その反論を、ラース船長はいとも容易く、蹴散らしてくれたのです。
「何も出来ねぇってのは経験が少ねぇからだ。運用方法が分からねぇって事さ」
「運用、方法……ですか」
「レヴ。お前、俺と出会えてラッキーだぜ。お前は今のところ俺以外の人間から見えもしないし、その声を聞かれる事も無い。お前は何処にでも行けるし、何だって出来るんだぞ」
何でも出来る。ぼくが言った言葉の真反対のその言葉に、心臓が高鳴りました。
「出来るんでしょうか、ぼくに」
「出来るさ。道具を上手く使うのと同じで、人間だって得手不得手がある。得意な所に得意な人材を配置するのが船長の仕事だぜ」
サンドイッチの食べカスを口元からぬぐい、冷めてしまったコーヒーを飲み干し、ラース船長はニヤリと口端を上げて、お前に仕事をくれてやるぜ、と笑いました。
ラース船長に連れられてやって来たのは、集落にある海軍兵士の駐屯所でした。
「駐屯所には必ず近隣海域を行く海軍の偵察艇の情報や、指名手配者の更新情報があるのさ。そいつを見て、情報だけを頂いて来い」
持たされたペンと紙切れを手に、ぼくはぎゅっと唇を結びました。
確かにコレまでぼくの姿は人間たちには知覚出来ていないようでしたが、それが偶然だったとかで、突然兵士に見つかってしまうかも知れません。でもラース船長は大丈夫だとぼくの背を押してくれました。
駐屯所から少し離れた木の上にラース船長が隠れ、そこからぼくは一人で歩き出します。
張り裂けそうな胸の前に、渡されたペンと紙切れを抱え込んで、ぼくはそっと駐屯所の前に立ちます。
見張りの兵士はぼくが目の前に立っていると言うのに何も言わず、空を行く雲を見上げています。その横をそろりそろりと歩き、駐屯所の中へと足を踏み入れます。駐屯所の中はラース船長が予め地面に見取図を描いてくれたのと同じ構造をしており、迷う事無く事務室へと潜入しました。
事務室の壁には無造作にいくつもの書類が張り出されていました。その中から巡回航路についての書類をぼくは紙へと書き出します。
心臓が落ち着いて来るのが分かります。息をするのが楽になって、ぼくは少しずつ新しい感覚に馴染んでいくような気がしました。
こんな事が出来ている。この情報を持ち帰れば、ラース船長は次の航海が楽になって、仕事がしやすくなると言いました。ぼくが、誰かの役に立っているんだ、と思うと、別の意味で心臓が高鳴りました。
「はぁっくしょん!」
「ぅっわぁ!」
心臓が破裂しなかったのが嘘のようです。廊下から兵士のくしゃみが聞こえて、ぼくは驚きに声を上げてしまいました。
「うぅー……ちくしょう、風邪かなぁ」
結構大きな声が出てしまったと言うのに、それでも兵士はぼくに気付く事無く、廊下を歩いて行きました。
本当に、ぼくの姿が見えていない、と言う事なのでしょう。
ほっとしたのも束の間、巡回航路の内容を書き写そうとペンを走らせるも、今度はペンが写りません!インク切れです!
再び心臓がギリギリと鳴り出し、冷や汗で手が湿ります。
どうしよう、どうしよう。今から一度戻って、ラース船長に話をすれば?でも今この時間が、街の巡回に人手を払っていて手薄なのだと言っていました。今しか、ないのです。どうしよう、ともう一度ぼくは考えます。
じわり、と手汗と共に、手に滲むものがありました。
それは、ぼくの『影』でした。
影は、ぼくが唯一使える魔法の力でした。
そうだ、影です。影で、書けば良いんです。
紙の上に指を滑らせ、そこに影を文字の形に残していきます。書ける。そう思ったら、後は慣れたものでした。チェスの駒を取るより簡単に、ぼくは紙切れに影で文字を書く事が出来たのです。
そうして巡回航路と手配書の内容を書き写し、ぼくは急ぎ足で駐屯所を後にしました。
「でかした!」
駐屯所から離れた木の下でぼくを迎えてくれたラース船長は、ぼくが泣き出しそうになるのも構わず、そう大喜びで褒めてくれました。
急ぎ紙片を持って駐屯所から出て、木の下に来る間に、何とぼくの書いた文章の半分がぽたぽたと崩れ落ち、影に戻ってしまったのです。それに困惑するぼくにラース船長は落ち着いた声色で「何か覚えてる情報はあるか?」と聞いたのです。
「えと、えぇと……巡回航路の変更は三ヶ月先までなし。ら、来月、ゴーンブールの巡回船、及び補給船との接触予定。その際に、シャッカルーガ海賊団の動向に注意されたし……です」
それを聞いた途端、ラース船長はにんまりと笑って、満面の笑顔でぼくを褒めてくれました。
「いいぞ、お前かなり貴重な人材だ。飯を一緒にしたのも何かの縁だ。俺の船に乗らないか?」
「え?」
「行く宛てがあるなら強要はしねぇけどよ、ウチの海賊団で情報屋として働けよ。仕事欲しいんだろ?この魔弾のラース様率いるヴィカーリオ海賊団でなら、お前のやりたい事もきっと見つかるってモンだぜ!」
「い、良いんですか?今回だって、影の文字を書くのは失敗してしまったのに……」
「なに言ってんだ!しっかり情報は頭の中に入れて持ち帰ってきただろ?ペンがインク切れしたのは俺が悪かったワケだし、その影で文字を書くのだって、特訓すればキチンと定着出来るようになるだろ!魔族なんて早々にスカウト出来ねぇからな、来いよ、ウチに」
ニッカリ笑うラース船長の顔には自信が満ち溢れていました。それはキラキラと輝いて、ぼくが欲しかった光がそれだったのだと、気付かせてくれました。さっき、自分にも出来る事があるのでは無いかと気付いた時と同じように、心臓がどきどきして止まりませんでした。
「是非、ぼくも、行きます!海賊団に、入れてください!」
「よし、決まりだな!よろしく頼むぜ、レヴ」
「はい、お願いします!えぇと、こう言う時は……」
ほらよ、と言って差し出された大きな左手を、ぼくは握り返しました。
「よろしくお願いします!お頭!」
お頭と来たか、とラース船長は少しだけ照れくさそうに笑いました。
「今日みたいに海軍の駐屯所から情報収集をしてもらうのが一番の仕事になると思うけどよ、もしお前が自在に存在感を操れるようになったら、俺の仲間から情報屋を紹介してもらって、本格的に活動できるようになると良いな」
「は、はい!一度、お祖母様に相談もしたいと思います。そうすれば、きっともっとお役に立てると思います!」
「じゃあまずは、その影で文字を書くやつの練習だな。それがもっと上手く使えれば、ちょっとした金稼ぎに使えそうだ」
「お金稼ぎ、ですか」
「でもまずは、船の奴らにどうやってお前を紹介するか、だなぁ」
ニッシシ、と少しイタズラっぽく笑ったラース船長の後について、ぼくはヴィカーリオ海賊団への入団を決めたのでした。
存在感を自在に操る能力や、影を操る能力、実際は平面状の黒い物質ならば自由に変形出来る能力と。ぼくはヴィカーリオ海賊団でたくさんの事に気付いて、出来る事がたくさん増えました。それはお頭や仲間たちの支えがあったからこその成果です。
ぼくが入団して、みんなに知覚してもらうまで、実は結構掛かりましたが、同時に海賊団に少しずつ馴染む事が出来たのも良かったです。魔族の情報屋が入団した。今はその姿を隠しているけれど、徐々に姿を現すだろう、とお頭が仲間たちに説明してくれました。
それからぼくは定期的に海軍の駐屯地から情報を拝借し、そして影を操る能力で成果を出していきました。
一番面白かった作戦は、そうですね。絶対に当たらない富くじを購入して、その当選番号を偽装した事です。
高額の当選金額を設定しておきながら、実は当選番号のくじを発行していないと言う悪徳富くじです。巧妙なのは一等の当選は出さずに、三等くらいのくじを仲間内で当選させて偽客にしていたのです。
お頭と一緒に富くじを何枚か購入し、当選番号が発表された瞬間にぼくがくじ紙面の番号を偽装して、お頭が当選を声高々に宣言しました。
その時の富くじ屋の主人の顔と来たら!目を丸めてお頭の偽装当選くじを確認し、そんな事は無い!と、思わず口走ってしまった主人の言葉に、周辺で富くじを買っていたお客さんたちが一斉に目の色を変えました。
富くじ屋の主人に大勢のお客さんが押し寄せその真意を確かめる隙に、その売上金の一部を拝借してぼくらは船へと急ぎ凱旋したのでした。
ええ、それから沢山の冒険をしました。海軍提督の開催するパーティーの招待状も偽装しましたし、情報屋さんたちとの交流で人脈も広げる事が出来ました。こうして、お頭の下で、海賊王の情報屋として仕事が出来る。
それが、ぼくの誇りです。
おわり