名探偵 vs 炎上
「……以上が、貴方が犯人である証拠です」
お洒落な帽子の女の子、新米探偵・嵯峨峰岬岐が、目の前にいる男をじっと見据えながらそう呟いた。男は一瞬驚いたものの、薄ら笑いを顔に貼り付けたまま、切れ長の細い目で彼女を睨めつけた。広間に集められた関係者のうち、気の強そうな女性が、じれったそうに男を見上げた。
「……何とかいったらどうなの? 本当に、貴方が田中君を……」
「…………」
「言い逃れはできませんよ。こっちには現場で発見された動かぬ証拠が……」
それに凶器も発見されました、と言って、岬岐は白い手袋をした手でナイフを掲げた。
「こっちからは、貴方の指紋も検出されています」
もはや誰の目にも明らかだった。
男……いや犯人以外のそこに集まった全員が、彼の犯行を確信した。だが男は、それでもその場に根が生えたように直立不動のまま、くっくと小さく笑い声を漏らした。
「……それで?」
「え?」
「で? それが何だっていうんです?」
「……はい?」
犯人の言葉の意味が分からず、岬岐はぽかんと口を開けた。彼は唇の端を舌でペロリと舐めた。
「私が犯人ねえ。そらそうなんでしょう、現実では。でも、だから何だ? って話ですよ」
「ちょっと。此の期に及んで屁理屈言ってんじゃないわよ!」
「探偵さん。貴女は私を犯人と決め付けましたが、果たしてそれは得策と言えるんでしょうかねえ」
「さっきからこいつは一体何を言っているんだ?」
関係者がざわつく中、男はポケットからスマートフォンを取り出して見せた。
「何?」
「何ですかそれ?」
「これはSNSアプリ、『mystery−tube』。実は今、絶賛ライブ中でね。貴女の推理をこっそり撮らせていただきました。貴女の言動は今リアルタイムで全世界に中継されているんですよ!」
「な……何ですか? SNS?」
「『ミスツベ』ですよ。知らないんですか?」
「さぁ……」
岬岐は首をひねった。
LINEとかInstagramくらいなら聞いたことがあるが、彼女はどうも最近のSNSには疎かった。男が勝ち誇ったように両手を広げた。
「『ミスツベ』はね。全世界50億人のハードコアなミステリファンが加入している、推理実況アプリなんですよ。世界中どこにいても、殺人事件が実況中継できるんです! もしこのアプリで、間違った推理をしてしまえば……たちまち炎上してしまいます」
「炎上……」
「50億て」
「ええ。ミステリファンの目は誤魔化せませんよぉ。出来の悪い幼稚なトリックなんか、根掘り葉堀り整合性の取れない部分を洗い出し、そして黒歴史を未来永劫晒し者にしてネット上で燃やし続けます」
「何か、身に覚えがあるような言い方ね……」
男は何かを思い出したのか、ほんの少し顔を暗くした。
「つまりそれでアンタ、今の推理をこっそり世界中に実況中継してたってわけか」
「そうです! そして嵯峨峰さん! 貴女の今の推理は、『ミスツベ』上では20万いいね! と……」
男が気を取り直して声を張り上げた。
「すごいじゃない! 岬岐ちゃん、20万もいいね! をもらってるの?」
「えへへ……」
「……それから43億いいねの逆! が付いています」
「いいねの逆」
男が岬岐にも見えるように液晶画面を突き出した。岬岐はしぱしぱと目を瞬かせながら、『いいねの逆』と呼ばれた記号がどんどん増えて行くのを見た。それは親指を下に突き出した、badsignに似ていた。岬岐が目尻に梅干しみたいな皺を寄せて尋ねた。
「何ですかこの、『いいねの逆』って」
「それは探偵さん、貴女の推理がファンの支持を得られていないって証拠ですよ」
「はぁ」
「『はぁ』じゃないですよ。意味分かってますか? 貴女は世界中のミステリファンを敵に回しているんですよ!」
液晶画面上では、次々に岬岐を非難するコメントが流れている。それがリアルタイムで中継を見ている、ユーザーの評価だと男は胸を張った。
「私はこのアプリの中でもちょっとした有名人でね。ファンは皆私の意見に毎回”億”は『いいね!』をくれるようになりました。分かりますか? 貴女が敵に回した人物を。貴女が私を犯人扱いするのなら、『ミスチューバー』たちが黙っちゃいませんよ!」
岬岐はちょっと戸惑ったように眉をしかめた。
「いやでも、貴方が犯人だって証拠はあるので……」
「だから証拠があるから何だっていうんですか! 貴女は『ミスツベ』に見放されてもいいんですか? 岬岐さん、そんなんじゃ探偵として『いいね!』してもらえませんよ!」
「でも、事件は『いいね!』よりも証拠なので……」
「わっかんない人だなあ!」
男が半ば呆れたようにため息をついた。
「今の時代、証拠よりも評価でしょうよ! このままじゃ貴女、『ミスツベ』で炎上しちゃいますよ。ていうかもうしかけちゃってます! それでいいんですか!?」
「いいですけど……」
「いいの!?」
岬岐はちょっと顔を赤らめた。
「私はだって……そりゃあ私だって、推理を間違えることだってあるだろうし。仮にも人が殺されている事件を扱っている訳ですから。誰にも恨まれないとか、誰からも後ろ指さされないなんて、それこそ無いと思ってます。それでも事件を解決するのが……探偵の仕事ですから」
「岬岐ちゃん……」
「いーや! そんな、良いわけがない!」
男が躍起になって画面を突き出した。
「ほらほら、見てください! 大炎上ですよ! 貴女このままだと……あぁっ!?」
「うるっさい!」
近くにいた女性が、犯人からスマートフォンを取り上げ、真っ赤なヒールで踏みつけ叩き割った。
「あぁ……なんてことを! 今の場面も、生中継されてますよ。きっと貴女も今頃、画面の向こうで炎上……!」
「だから何だってんの。事件は画面の向こうで起こってんじゃないでしょうがよ」
赤いヒールの女性は、オロオロとひざまずく犯人に『いいねの逆』をして、それから岬岐に向き直った。
「岬岐ちゃん、気にしちゃダメよ。たとえどこのSNSでどんなに非難されようが、私は今回の推理、間違ってないと思う。だから自信を持って。たとえ世界中の人が敵になっても、私は岬岐ちゃんに『いいね!』してあげるから」
「あ、ありがとうございます……っ」
岬岐はちょっと照れた顔で、目の端を拭った。
「それからアンタも」
それから彼女は呆れたように犯人を見下ろした。
「殺人事件まで起こしといてさ。いつまでもネットの評価なんて気にしてないで、いい加減、現実で自分の罪に向かい合いなさいよ」
「現実?」
犯人はひざまずいたまま、キョトンとしたように自分を取り囲む全員を見上げた。
「ネットだって、一つの現実でしょう? 確かに私は現実で動かぬ証拠を突きつけられた。でもネット上では、私を擁護する声でいっぱいだ。『ミスツベ』にいれば、私は”神”でいられるんですよ。現実なんて……」
頭を振る犯人に、現実で銀色の手錠がかけられた。その後、『ミスツベ』では今回の事件が大炎上し、『5000兆いいねの逆』がついたらしい。らしい、というのも、岬岐はその騒動自体知らなかった。次の日にはまた別の事件が発生して、彼女はその捜査に一所懸命だったからである。