名探偵 vs 良心
「……被害者は鈴木ハナエ21歳、自宅の浴場で死体となって発見された」
「これは……」
猪本警部の報告を受けながら、岬岐は表情を強張らせた。
現場にはまだ死体が残っている。バスタブから溢れる白い泡に、真っ赤な血の色が滲んでいた。
「第一発見者は彼女の父、鈴木ケンイチ45歳。帰宅して、娘がいないことを不審に思い……」
「ケンイチさんは犯人じゃないでしょう」
岬岐は、湯船に沈んだ凶器を覗き込みながら、静かにそう呟いた。
「どうしてそう思う?」
警部は、居間で肩身を狭くして座っている容疑者をジロリと眺め、唸るように尋ねた。岬岐は自信満々と言った顔で答えた。
「だって、実の娘でしょう。まさか血の繋がった家族を殺したりしませんよ!」
「どうかな……家の中は荒らされた様子もなく、物取りの犯行ではなさそうだが……」
「まさか。きっと何か盗まれているでしょう」
岬岐が笑った。
「何の目的もなく人を殺すだなんて……そんなのいくら何でも」
「もういい、わかった! もうたくさんだ!」
彼女の言葉を遮って、不意にケンイチが立ち上がった。
「私だよ! 犯人は私だ。ハナエは私が殺したんだ!」
「ケンイチさん?」
「さぁ、逮捕してくれ。理由かい? 理由は、特にないのさ。ただ娘の後ろ姿を見ていたら、急に殺したくなって……気がついたら、何の目的もなく殺していたのさ! これで満足かい?」
やけくそになって喚き散らす犯人を、警察官たちが素早く取り囲む。唖然とする岬岐を置いて、自白した犯人はあっという間にパトカーで連行されて行った……。
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「はぁ……」
「どうしたの? ため息なんかついちゃって」
「あ……海池流さん」
事件後。
岬岐が『探偵専用BAR』でりんごジュースを飲んでいると、見知った顔が彼女に声をかけてきた。有能弁護士・汐汰海池流であった。
「どうしたんですか? ここは探偵専用ですよ?」
「うん……でも、岬岐ちゃんが何だか落ち込んでるって聞いて」
グレーのスーツに身を包んだ海池流は、岬岐の隣に腰掛けると、自分も飲み物を注文した。その飲み物の名前と、注文の仕方が格好良くて、岬岐は再び深いため息をついた。
「岬岐ちゃんこそ、どうしたの? こんなところで一人飲んだくれて」
「一人じゃありません。茂吉おじさんと一緒です」
岬岐は弱々しく笑い、隣の、ジョッキが置いてある空席を横目見た。穏やかなジャズの曲が、カウンターに座る二人の間で踊る。やがて岬岐の方がゆっくりと口を開いた。
「私……私探偵をやめようかと思ってて……」
「え? どうして!?」
「だって、向いてないし……」
岬岐がグラスに手を伸ばし、りんごジュースを一気に飲み干した。
「岬岐ちゃん、そんなに焦って飲んじゃ……」
「いいんです、私なんて」
岬岐は頬を紅潮させ、目に少し涙を浮かべていた。
「だって、だって今日も犯人を間違えちゃったんです。今日だけじゃない、このところずっと!」
「まぁ……」
「家族に手をかける人なんて、普通はいないと思うじゃないですか。でも実際は……」
「現実は違った?」
「何か動機があって、目的があって人を殺すなら、まだ分からなくもないですよ。でも現実は、無差別に、特に理由もなく人を殺すことなんて珍しくもなくて」
「そうね。『興味本位』とか、『傘を取られた』とか。くだらない動機の方が、実際ニュースでも目立っちゃうわよね」
海池流がカラン、とグラスを傾けた。
「でもね……そんな岬岐ちゃんだからこそ、解決できるものがきっとあるのよ」
「え?」
岬岐の瞳を覗き込み、海池流は優しくほほ笑んだ。
「ねえ。どうしてその犯人は、急に自白なんかしたのかしら?」
「え……? それは……」
岬岐は悲しげに首を振った。
「分かりません。私がトンチンカンな推理をしていたら、犯人が急に……」
「猪本警部から大体は聞いたわ。岬岐ちゃん。きっと犯人は、あなたが眩しかったのよ」
「眩しい……?」
「そう。岬岐ちゃん、貴女があまりにも真っ直ぐ、家族の愛情や絆を語るから。犯人は思わず良心が咎めた。自分の行いが、あまりにも『人間らしさ』からかけ離れていると、罪悪感に苛まれたんじゃないかしら」
「でも、そんな解決ってありますか?」
岬岐は俯いた。
「だって、トリックも、動機もない。推理も間違ってた。なのに事件解決って……」
「そうね……」
海池流が塞ぎ込む岬岐の髪を撫でた。
「もちろんこの世は良い人ばっかりじゃないし、これからもそんな風に解決することはないかもしれない。でも今回、岬岐ちゃんはそんな素敵な奇跡をやってのけたのよ。私はそんな風に思うわ」
「私、が……?」
「そうよ。善人ばっかりじゃないし、でも悪人ばっかりでもないから……だから岬岐ちゃん、元気を出して? ね?」
「海池流さん……!」
「そうだぞ! 岬岐ちゃん!」
岬岐がようやく顔を上げた。すると、トイレに行っていた茂吉おじさんが、顔を真っ赤にして席に戻ってきた。おじさんが一升瓶を片手に、大声で叫んだ。
「小さいことは、くよくよするな! 名探偵はもっと大きく、ボヨーンと構えていなくっちゃあ! その横の、キレーな姉ちゃんのパイオツみたいになァ! ハーッハッハッハッハ!!」
「おじさん……!」
それから海池流は岬岐と小さく乾杯して、颯爽と『BAR』を後にした。その後ろ姿の格好良さを、岬岐はきっと一生忘れないと思った。翌朝目を覚ました時には、岬岐はすっかり元気を取り戻し、それから茂吉おじさんはセクハラ容疑で逮捕された。