表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/17

名探偵 vs 有能

 穏やかな雰囲気は突如、若い女性の悲鳴によって破られた。

 始めにそれに気がついた男が、乱暴に扉を開け、急いで叫び声のする方へと走り始めた。部屋でくつろいでいた他の面々も、慌てて後を追った。


「何事!?」

「分からないわ。さっきの悲鳴は……」

「二階からだ!」


 階段を駆け上る足音が、夜の闇に染まった洋館の中に、何重にも響いた。悲鳴は途絶えることなく、ずっと奥から聞こえ続けていた。先頭を走っていた男は、二階の、一番端の客室まで辿り着き、勢いよく扉を開けた。

「おい! 大丈夫か!?」

「……ぁあああああ……!!」

 彼が部屋の扉を開け放っても、悲鳴は止まなかった。男は鋭く客室の中に目を走らせた。荒らされた様子もなく、窓ガラスは割れていない。ただ昨晩から島を覆う不穏な暗雲が、外から激しく大粒の雨を窓に叩きつけていた。部屋の中央では、叫び声の主が、長い髪を振り乱し尻餅を着いている。やがて彼の後を追って、次々と人々が客室へと雪崩れ込んで来た。

「ひっ……!」

 その光景に、誰もが息を飲んだ。


 青を基調に造られた、十九世紀末のウィーンを思わせる荘厳な客室。


 今やその客室は、止め処なく溢れ出る血によって、大部分が青から赤へと染まっていた。人々の視線の先にあったのは、身体中をメッタ刺しにされた、変わり果てた宿泊客の姿だった……。


□□□


「なるほど……シアン化物ですね。所謂”青酸カリ”ですよ。ミステリィ小説にもよく出てくる、アーモンドや煙草、りんごの種などにも含まれる超身近な毒物です」


 男はそう言って、死体から顔を上げた。

 男の名前は、伊佐使伎(いさしき)(おさむ)

 とある大学に務める教授であり、化学者である。伊佐使伎(いさしき)は皺一つない白衣に身を包み、丸眼鏡を光らせて、近くにいた少女に話しかけた。


「簡単に言うと、炭素原子の横に窒素原子が三つ結合し、自身のミトコンドリアの中にあるたんぱく質を閉じ込めたんです」

「毒殺……じゃあ、ナイフは偽装ですか?」

 学校のテストはいつもギリギリ赤点だった探偵・嵯峨峰(さがみね)岬岐(みさき)の、分かっているんだかいないんだか曖昧な表情を前に、伊佐使伎(いさしき)は気難しそうな顔で頷いた。


「その可能性が高いですね。何れにせよ、死因は青酸カリと見て間違い無いでしょう」

「岬岐ちゃん。被害者は昨日の夜、ロビーにあるソファで酒を飲んでいたみたいよ。さっき全員に事情聴取したわ。アリバイがないのは泊まっていた客二十三名中、四名だけね」

「ミチルさん」


 またある背の高い少女が、岬岐の元へと近寄って来て、そっと小声で耳打ちした。

 彼女の名は、汐汰(しおだ)海池流(みちる)

 何でも彼女、今まで全国を飛び回り数々の難事件を解決してきた、警察の間では有名な敏腕弁護士らしい。海池流(みちる)は、まるでシャンプーのCMみたいにサラリと艶のある黒髪を靡かせ、凛と澄ました顔で岬岐を一瞥した。


「なるほどですね……じゃあ容疑者は、四人ですか」

 そう言って岬岐はそわそわと、ピンと天井に跳ねた自分の寝癖を押さえつけた。

嵯峨峰(さがみね)。凶器は毒物みたいだが、身体中に打撲の痕があるな。被害者は、何処からか突き落とされた可能性が高い。宿の外に崖があったろ。彼処(あそこ)かもな……」

 すると、またとある男性が、部屋の窓から外の景色を覗きながら岬岐にそう呟いた。

 男の名前は、鮎鮑(あゆあわび)(あさり)(さんしょううお)

 名前に魚がたくさん付いている人である。名前に魚がたくさん付いている人は、岬岐に向かって渋い顔をして見せた。


「もしかしたら犯人は、打撲の痕を隠すためにわざとナイフでメッタ刺しにして、外部の犯行に見せかけたのかもな」

「なるほどですね。じゃあ後で崖を調べに……」

「みんな、証拠を見つけたぞ。犯人が残したと思われる手帳が、ちょうど崖の上に落ちていた」

 さらに、今度は先ほどから外を調べていた資産家の焔燈(えんどう)煌煇(こうき)が、嬉々として部屋に戻ってきた。

「慌てて逃げた時、残されていたんだろうな。どれどれ? 犯人の名前は……」

「ちょっと!! ちょっと待ってください!!!」

 焔燈(えんどう)が手帳に書かれた名前を読み上げようとしたその時、部屋に岬岐の叫び声が響き渡った。集まった人々は驚いたように動きを止め、キョトンとした目で岬岐を見つめた。


「どうした?」

「皆さんちょっと、()()()()やしませんか!?」

 岬岐が焦った顔で人々を見渡した。

「早すぎです……! いくら何でも、これじゃすぐ事件解決しちゃうじゃないですか!?」

「ダメなの?」

「ダメって訳じゃないんですけど……何だか納得行かないって言うか……」

「そうね……確かに、岬岐ちゃんの言う通りかも」


 困り顔を浮かべる岬の隣で、海池流(みちる)が、関係者からヒョイっと手帳を取り上げ窓から放り投げた。

「ああっ! 何てことするんだ!?」

「ねえ皆。私たちちょっと、でしゃばりすぎたと思わない?」

 海池流(みちる)の言葉に、その場にいた全員がハッとなって、気まずそうに顔を見合わせた。


「もっとこう……ミステリィにしたって、()()()()()ってものがあるでしょう?」

「確かに。俺たちちょっと、先走りすぎだったかもな」

 (名前に魚がた)(くさん付いている人)が、頭をポリポリと掻いた。


「これじゃ、折角十万字超の大事件も、五千字足らずで終わっちゃうよ」

本職(その道)探偵(プロ)がいるのに、目の前で本物の殺人事件が起きて、はしゃぎすぎましたかね……」

「ねえ。ここは改めて、皆で事件を最初からやってみましょうよ!」

 海池流(みちる)が皆を見渡して、顔の前で両手をパン! と叩いた。

「え??」

「そうだな……それが良いかも知れない」

「うん、やろう! 俺たちならきっとできるよ!」

「よし、やってみようか!」

「え? え??」


 今度は岬岐がキョトンとする番だった。

 戸惑う岬岐を置いて、それぞれが殺人事件発生の状況を再現するために、元いた位置へと戻って行った。


□□□


 穏やかな雰囲気は突如、若い女性の悲鳴によって破られた。

 始めにそれに気がついた男が、乱暴に扉を開け、急いで叫び声のする方へと走り始めた。他の面々も慌てて後を追った。


「何事!?」

「分からないわ。さっきの悲鳴は……」

「二階からだ!」

 男が叫び声のする部屋へと辿り着き、やがて彼の後を追って、次々と人々が客室へと雪崩れ込んで来た。

「ひっ……!」


 その光景に、誰もが息を飲んだ。

 客室は赤へと染まっていた。人々の視線の先にあったのは、身体中をメッタ刺しにされた、変わり果てた宿泊客の姿だった……。


□□□


「なんだろうこれ……さっぱり分からない。さっきから独特のアーモンド臭がするけど、一体『何酸』カリなんだ!?」

「青酸カリじゃないんですか?」

「誰か、被害者のアリバイを確認した方がいいんじゃないかしら。犯行時刻や死亡推定時刻が割り出せれば、容疑者の数も絞れる気がするわ。あぁ、誰か調べてくれる人はいないかしら……」

「ミチルさん、さっき四人って言ってたじゃないですか」

「サンショウウオって、敵に襲われると白い毒性の粘液を皮膚から出すんだよ。粘液の匂いが山椒に似てるから、この名になったんだってさ」

「はぁ……。でも、それと事件の何の関係が……」

「あぁ、証拠がどこかに落ちてないかなぁ。犯人が残したと思われる手帳が、ちょうど崖の上に落ちてないだろうか。慌てて逃げた時、残されていたりして。なぁ、一回外を見に行って見ないか」

「おぉ、それは名案だ」

「あまり期待はしないけど……やってみる価値はあるわね」

「そうだな。行ってみるか」

「ちょっと!! ちょっと待ってください!!!」

 ゾロゾロと現場から出て行こうとする関係者たちに、またしても岬岐が叫んだ。

 

「今度はどうした?」

()()()()()()()ます!!」

 岬岐は頬を膨らませて怒った。その場にいた全員が、気まずそうに顔を見合わせた。


「こう言う気の使われ方は、嫌です! どう考えても、皆知ってるのにわざと言ってるじゃないですか!?」

「確かに」

「俺たち演技下手くそ過ぎたかな……」

「だって二回目だもんな、死体見るの。そりゃやっぱり、最初の時よりは衝撃度が落ちるって言うか……」

「ちょっと? 私の話聞いてますか、皆さん??」

「もう一回、やってみようよ! 今度はきっと上手く行くかも知れないよ!」

「そうだな……ここで諦めたら、探偵さんに花を持たせて上げられないな」

「ちゃんと事件を発見できるように、頑張りましょう! 私たちが力を合わせれば、きっとできるから!!」

「いや、私のことはいいので……皆さん!? ちょっとどこ行くんですか、皆さぁん!!」


□□□


 穏やかな静寂は突如、若い女性の悲鳴によって破られた。

 始めにそれに気がついた男が、乱暴に扉を開け、急いで叫び声のする方へと走り始めた。他の面々も慌てて席を立った。


「何事!?」

「分からないわ。さっきの悲鳴は……」

「二階からだ!」

 男が叫び声のする部屋へと辿り着き、やがて彼の後を追って、次々と人々が客室へと雪崩れ込んで来た。

「ひっ……!」


 その光景に、誰もが息を飲んだ。

 客室は赤へと染まっていた。人々の視線の先にあったのは、身体中をメッタ刺しにさ「もうたくさんだ!!」

「ちょっと、伊佐使伎(いさしき)くん!?」


 突然頭を抱え、叫び始めた伊佐使伎(いさしき)を、海池流(みちる)が慌てて(たしな)めた。

「ダメじゃない、ちゃんと言われた通りに死体を発見しなきゃ……」

「もういい、もう疲れたよ。これで十四回目じゃないか! 犯人は私だよ」

 伊佐使伎(いさしき)は目の下にクマを作り、やつれた顔で海池流(みちる)を見上げた。気がつくと、時刻は深夜零時を過ぎ、日付はすでに変わっていた。


「ちょっ……いきなり何を言い出すのよ、伊佐使伎(いさしき)くん」

「犯人は私、私なんだよ。彼奴は妻と不倫してたんだ。だから……」

伊佐使伎(いさしき)……大丈夫か? 疲れているなら、一回休憩挟もうか?」

「だから、休憩なんていらないよ。これで事件は解決だ。もう、こんなこと終わりにしよう」

 血の染み込んだ絨毯に跪く伊佐使伎(いさしき)の周りで、海池流たちが戸惑ったように顔を見合わせた。


「……ダメよ」

「え?」

「うん、ダメだね。これじゃあ、事件が解決したとは言えない」

 (名前に魚がた)(くさん付いている人)が頷いた。

「死体を発見した瞬間に名乗りを上げる犯人がいるか? これじゃ、俺たちが目指している殺人事件とは程遠いよ」

「こんなんじゃ、全国で戦えないわよ」

「ぜ、全国?」

「もう一回……もうワンテイクだけやりましょう! 今のはイイセン行ってましたよ……次はもっとイイ死体発見ができるかも!」

「ところで、例の探偵さんは?」

「それが、何だか良く分からないんですけど、『こだわるポイントが違う』って怒ってるみたいで。先に部屋で休んでもらってます。幸い彼女は、発見当時現場にはいなかったですからね」

「そうか。何とかして彼女が目を覚ます前に、全国レベルの『死体発見』を再現したいものだな」

「俺たちの底力を、見せてやろうぜ!」

「そうね……さぁみんな! 十万字目指して、行くわよ! 伊佐使伎(いさしき)くん! こんなレベルで捕まえてもらおうだなんて、百年早いわよ!!」

「ひぃぃ……っ!」

 海池流(みちる)が勢い良く皆の尻を叩いた、その時だった。


 穏やかな雰囲気は突如、若い女性の悲鳴によって破られた。

 始めにそれに気がついた男が、乱暴に扉を開け、急いで叫び声のする方へと走り始めた。部屋でくつろいでいた他の面々も、慌てて後を追った。


「何事!?」

「分からないわ。さっきの悲鳴は……」

「二階からだ!」

 階段を駆け上る足音が、夜の闇に染まった洋館の中に、何重にも響いた。悲鳴は途絶えることなく、ずっと奥から聞こえ続けていた。先頭を走っていた男は、二階の、一番端の客室まで辿り着き、勢いよく扉を開けた。

「おい! 大丈夫か!?」

「……ぁあああああ……!!」

 彼が部屋の扉を開け放っても、悲鳴は止まなかった。男は鋭く客室の中に目を走らせた。荒らされた様子もなく、窓ガラスは割れていない。ただ昨晩から島を覆う不穏な暗雲が、外から激しく大粒の雨を窓に叩きつけていた。部屋の中央では、叫び声の主が、長い髪を振り乱し尻餅を着いている。やがて彼の後を追って、次々と人々が客室へと雪崩れ込んで来た。

「ひっ……!」

 その光景に、誰もが息を飲んだ。


 青を基調に造られた、十九世紀末のウィーンを思わせる荘厳な客室。

 今やその客室は、止め処なく溢れ出る血によって、大部分が青から赤へと染まっていた。人々の視線の先にあったのは、身体中をメッタ刺しにされた、変わり果てた宿泊客の姿だった……。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ