名探偵 vs 製作委員会
「俺が犯人だって?」
窓辺をしとどに濡らす五月雨の向こうで、淡い色合いの紫陽花が見事に咲き誇っている。無造作のようで緻密に計算されて置かれた景石には、深緑色の苔が生え、白い砂場の陰で雨宿りしている蛙の姿があった。
由緒ある日本庭園の様式・枯山水である。
庭園はこんなにも美しい姿をしていると言うのに、窓ガラスのこちら側で行われている会話は、どうしてこうも血腥いものになってしまったのだろうか。ほんの束の間、少女はガラス越しに映る至上の風景にしばし見惚れたあと、それから室内で自分に牙を剥いている男に向き直った。
「証拠でもあるのか? 探偵だか何だか知らないけどよ、人を犯人呼ばわりするってんなら……」
「もちろん、あります」
男の言葉を遮って、探偵と呼ばれた少女はやや緊張した面持ちで頷いた。それから少女は白い手袋をはめた右手で、徐にポケットからカッターの刃の入ったビニール袋を取り出して見せた。
「この”カッターナイフ”に見覚えがありますよね、タナカさん。貴方は凶器を上手く隠したつもりだったんでしょうが……庭園の砂場の中にちゃんとありましたよ」
「う……!」
「伝統ある庭園なら、素人は迂闊に踏み込めないと思ったのでしょうが、生憎そうはいきません」
訥々と紡がれる言葉と共に、男の顔が見る見るうちに青くなっていく。集められた関係者たちは、先ほどから固唾を飲んで見守り、一言も喋らなかった。最早余計な茶々は不要だった。何よりも狼狽した男の表情こそが、事件の犯人が果たして一体誰なのかを、何よりも雄弁に物語っていたのである。
良かった。わたしの推理、間違ってなかった……。
自らの推理が当たっていたことを確信した岬岐は、心の中でそう呟き、小さく息を吸い込んだ。
「すでに指紋は取れています。貴方の用意した、時刻表を利用したアリバイトリックだって、崩れるのも時間の問題でしょう。あとは動機の問題ですが……タナカさん、貴方と殺された被害者のスズキさんの間には、多額の借金があったようですね」
「……っ!」
矢継ぎ早に攻め立てる探偵少女に、男は何も言い返せないまま、苦悶の表情を浮かべるのが精一杯だった。
男は突然唸り声を上げ、それから糸の切れた人形のようにその場に膝をついた。野に解き放たれた獣のような犯人の姿に、その場にいた関係者たちの間にどよめきが起こった。
「……やっぱり。犯人はタナカさん、貴方だったんですね。これで、事件解決……」
「待ってくれ」
岬岐がタナカの慟哭を見下ろし、ホッとため息を付きかけた、その時だった。
少女の前に、シックなビジネススーツを身に纏った眼鏡の男が現れた。
「え?」
岬岐が目を白黒とさせていると、七三分けの男は黒縁眼鏡を右の人差し指でくいっと持ち上げ、レンズをキラリと光らせた。
「凶器が”カッターナイフ”と言うのは……あまりにも弱いんじゃないでしょうか?」
「はい? 何ですって? 弱い??」
岬岐は言葉の意味が分からず、ポカンと口を開けてその場に立ち尽くした。すると、集まった人々の輪の中から、さらに同じような服装をしたもう一人の男が一歩前に歩み出た。
「そうだな。それに、アリバイのトリックが”時刻表”と言うのも、言っちゃ悪いが”在り来たり”だ。せっかくデジタルの時代なんだから、もっと”ハッキング”とか、”サイバーテロ”みたいなド派手な奴の方がウケるんじゃないか?」
「うむ。それに”時刻表トリック”は根強いファンがいるからこそ、緻密に練らないとトリックのアラを根掘り葉掘りほじくり返されてしまうぞ」
「うーむ……」
「ちょっと! ちょっと待ってください。『うーむ……』じゃないですよ!」
唖然とする岬岐を置いて、一体どこに潜んでいたのか、ぞろぞろと次から次にスーツ姿の眼鏡男たちが人混みの中から前に出てくる。岬岐は慌てて両手を振った。
「貴方たち、何なんですか!? さっきから、”弱い”とか”ウケる”とか……一体何の話をしてるんですか!?」
「何って……この殺人事件の製作会議だよ」
「製作会議?」
「我々は今回起きた『地味にカッターで殺人事件』の、製作委員会の者だ」
差し出された名刺を、岬岐は唖然とした顔で受け取った。
「殺人事件の製作委員会って……一体何をするところなんですか?」
「何って、宣伝とか、資本出資とか色々だよ」
「宣伝!?」
「探偵が殺人事件を解決したら、新聞にデカデカと載るだろう? 一面に、『花の高校生探偵、華麗に事件を解決! 鮮烈デビュー!!』みたいな。実はアレ、我々が新聞社側に売り込んで載せてもらっているんだ」
「そうだったんですか!?」
岬岐が目を丸くして、七三眼鏡の男は静かに頷いた。
「他にも、新人の探偵が容疑者を絞りやすいように、わざと吊り橋を落とし密室を作ったり……」
「新人が閃きやすいように、さりげなくそれっぽいことを呟いてみたり、ね」
「え? え?」
「例えば、君は今回の事件で、なぜ日本庭園の砂場を調べようと思ったんだい?」
「それは……」
男がニヤリと唇を釣り上げ、岬岐は考え込むように小さく首をひねった。
「……確か、昨日旅館の廊下ですれ違った子供たちが、『砂場にモノを隠したらお母さんにも見つからない』って話してて……あっ! それって、まさか……」
「そのまさか、だよ。その子供たちは我々『殺人事件製作委員会』の者が手配したんだ」
男たちは誇らしげに眼鏡のレンズを光らせた。昨日子供たちの会話をヒントに閃いたと思っていた名推理は、この怪しげな眼鏡の男たちによって作られたものだとでも言うのだろうか。岬岐は驚いて口をパクパクと動かした。
「じゃ、じゃあ皆さんは、昨日すでに事件を解決していたんですか!?」
「いやいや。事件を実際に解くのは、探偵の仕事だよ。我々はあくまでプロデュース、裏方だからね」
「そんな……でも……」
ウインクをする七三眼鏡とは対照的に、岬岐は顔を曇らせ言い淀んだ。その間にも、製作委員会のメンバーたちによる『殺人事件』の会議がテキパキと進められていた。
「……やっぱり、”カッター”じゃ地味すぎる。訴求力がない。もっと女子高生にも有名な、”タピオカミルクティー”とかの方がいいんじゃないか?」
「いいねぇ。よし、凶器はそれで行こう」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
岬岐が慌てて男たちの間に割って入った。
「一体何を言ってるんですか? 凶器を”タピオカミルクティー”にするって……真実を捻じ曲げちゃダメでしょう!?」
「まぁまぁ、考えてみたまえ。真実よりも金になる現実。ブサイクよりも金になるイケメン。カッターよりもタピオカミルクティーの方が、食いつきがいいだろう?」
「そういう問題じゃ……」
眉間にシワを寄せる岬岐の肩に、七三男が眼鏡を光らせポンと手を置いた。
「探偵の仕事が『事件解決』なら、我々『殺人事件製作委員会』の仕事は如何に『事件を魅せるか』だ。その中で見栄えのしない真実を捻じ曲げることは……ままある」
「ままあっちゃダメでしょう!?」
岬岐の叫び声は、だが男たちの喧喧諤諤の中に掻き消され、その間も会議は嬉々として踊った。
「こうなってくると、殺人現場にももっと予算かけて行きたいよな。ベガスとか、ワイキキで派手にシャンパンタワーをドーン!! みたいにさ……」
「手配しときます」
「動機が借金ってのも、堅苦しすぎじゃないか? 今時そんな重たくて気分が沈んじゃうようなモノ、流行らないよ」
「それじゃあ犯行動機は、とびきり明るくハッピーなヤツで行きましょうか。誕生日だから歳の数だけ殺した……とか」
「いいね! その訳わかんねぇパスってる感じ!」
「トリックにしたって、他所の委員会じゃ最新式のスパコン用意して、AI技術を取り入れて殺ってるんですよ。我々だけ未だにアナログでアリバイがどうのこうのとか、これじゃ置いていかれる一方だ」
「そこは要検討ですね。予算的には……」
「犯人も、それから探偵にももっとお金かけて、綺麗目のヤツ呼んだ方がいいんじゃないか?」
「んな……!」
そのうち男の一人に不躾に眺め回され、岬岐はあまりの言い草に、頭にカーッと血が昇るのを感じた。
「いい加減にしてくださいっ! 人が殺されてるんですよ!? もっと真面目にできないんですか!?」
「何言ってるんだ。我々は真面目に議論しているんだよ。こんな、地方の地味な殺人事件が、どうやったら世間の注目を集めていけるか……」
「……勝手にしてください! もうっ、私知らないっ!!」
岬岐はそう叫ぶと、振り返ることもなく旅館を後にした。
事件が解決したというのに、ちっとも嬉しくない。帰りの電車の中で、岬岐は一人、少し泣いた。
□□□
「嵯峨峰さん、お電話です」
「私に?」
翌朝、ほんのりと目を赤く染め、探偵事務所に出勤した岬岐を待っていたのは、新しい仕事の依頼……では無かった。
「はい。嵯峨峰です」
「ああ、探偵さん?」
岬岐が事務の女の子から電話を取り次ぐと、向こうから困り果てた男の声が聞こえてきた。
「私、『ベガスでタピオカハッピー!! 殺人事件』製作委員会の者ですが」
「あぁ……」
何となく聞き覚えのある声に、岬岐は途端に声のトーンを低くした。
「どうしたんですか? 今更私に何の用が?」
「実は……ちょっと困ったことになりましてね」
「困ったこと?」
電話口の向こうで、男がいかにも申し訳なさそうな声を上げた。
「ええ。我々の会議によって、訴求力のある素晴らしい殺人事件が出来たまでは良かったんですが……予算の配分でちょっと揉めちゃいましてね。ベガスとか、あまりにも予算がかかりすぎて。それで委員会の一人が、地味にカッターで殺されちゃったんですよ。それで探偵さんに、この事件を解決していただけないかなー……って」