名探偵 vs 審査員
「犯人は貴方ですね……田中さん!」
シン……と静まり返った大広間の一室に、探偵のよく通る声が響き渡った。
大の大人の、胸の高さくらいしかない上背。
おじいちゃんからもらった、お気に入りの灰色の帽子。
ブカブカのカーディガンが余計に幼さを際立たせている。
少し緊張気味の、新米少女探偵・嵯峨峰岬岐の姿がそこにあった。
「どうなんですか? 田中さん……」
集まった人々の恐怖と好奇の目が、一斉に一人の女性の方に向けられる。名指しされた女性は、しかし顔を能面のようにして、身じろぎひとつしなかった。不気味な静寂が部屋を包み込む。痺れを切らした岬岐が、さらなる証拠を突き付けようと一歩前に出た。その時だった。誰もが固唾を飲んで次の一言を待つ中、突如何処からともなく大声が部屋に飛び込んできた。
『それでは審査員の皆様、点数をお願いします!』
「え……?」
「何だ?」
全員が戸惑う中、広間の中央、暖炉の上の巨大電光掲示板に次々と数字が表示されていく。
【嵯峨峰岬岐】
89点!
88点!
67点!
94点!
85点!
「これは……?」
『これは! これはバラけてしまいましたね〜! 合計は……』
合計 423点
『合計423点! それでは先ほどの推理について、審査員の方々に感想を聞いてみましょう!』
「え? え?」
そう高らかに宣言されたかと思うと、部屋の扉がガラッと開き、見知らぬ男たちが乱入してくる。あまりの出来事に、岬岐は目を白黒とさせたままその場に固まってしまった。
「な、ななな何なんですか貴方達!?」
『ではまず、殺人事件制作委員会・松井会長!』
スーツ姿の男が、明後日の方向にマイクを向けた。するとそこにはいつの間にか、巨大なセットが組まれ、五人の重鎮達が鎮座していた。
『会長。今回の殺人事件、89点ですか』
話題を振られ、会長と呼ばれた七三眼鏡の男が重々しく口を開く。
『えぇ〜。89……本当は90でも良かったんですがね。いや良かったですよ。推理自体はとても良かった。ただもうちょっと後半の展開、第二・第三の殺人に、勢いと工夫が欲しかったですね』
『なるほど』
『いやでも全体的に、若々しさも感じられて、完成度の高い殺人事件だと私は思いました。素晴らしかった、素晴らしい殺人をありがとう!』
『ありがとうございます。素晴らしい殺人でした。それでは次、67点と、ちょっと低い点数になってしまいました。大ヒット映画『明るく楽しく殺人事件』でおなじみの、徳永監督!』
続いて隣に座っていたサングラスの男が、口をへの字に曲げた。
『私はねえ、こういう流行りに乗っかってくる殺人、あんまり好きじゃないんですよ』
『これは手厳しいお言葉』
『最近良く観るでしょう? 同じような手口。猫も杓子も、馬鹿の一つ覚え。でもそれって本当に、自分たちが殺りたかった人を殺しているのかしら? 疑問ですね』
『良く言えば王道、悪く言えばマンネリ』
『テンポは良いですよ。凶器の隠し方も、実にスマート。だけどその卒のなさが、何だかこなれた感じに見えちゃって……殺人に対する自信というよりも、決まり切った台本、流れ作業のように感じちゃったんですよね』
『ありがとうございます。求められるレベルも、年々高くなっております。それでは最後にもう人方……94点! 高得点でございました、日本殺人大学教授・伊佐使伎先生!』
『はい。感動しました』
『感動……ですか』
『かの有名なコナン・ドイルの『緋色の研究』をオマージュしたトリック、
アガサ・クリスティーの『そして誰もいなくなった』をリスペクトした動機、
エラリィ・クイーンの『Yの悲劇』を彷彿とさせる現場、
『D坂の殺人事件』のパロディでもある登場人物、
『点と線』にインスパイアされた凶器……全てが完璧だったと思います。唯一残念だったのは、オリジナル要素であるアリバイの作り方……」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
ようやく我に返った岬岐が、慌てて叫んだ。
「殺人事件を点数で評価しないでください!」
『それでは嵯峨峰岬岐さん、暫定3位ということで、あちらの方で待機を……』
「待機しませんから! 3位って何ですか?」
『大丈夫です、まだ決勝にコマを進める可能性は十分残っておりますので、ご安心を』
「全然安心できません! 殺人事件ですよ? これ以上何があるって言うんですか!?」
岬岐の取り乱し方に、マイクを持った男の方が困惑した。
『どうされたんですか? 3位だから、上々じゃないですか。嬉しくないんですか?』
「嬉しいわけないでしょう、人が殺されてるのに……」
『でも君ィ、これで優勝すれば、たんまりと賞金がもらえるんだよ?』
セットの方から、重鎮の一人がヒゲを撫でながら唸った。
『賞金は欲しいだろう? そうすれば事件がドラマ化されたり書籍化されたり。”ナントカカントカ、1位!”とか喧伝されて。君も有名になる』
『何をためらうことがある。全国の探偵たちはみんな”優勝できる殺人事件”を目指して、トリックや動機に創意工夫を凝らし、切磋琢磨しているんだぞ』
『人が殺されて、その様子を面白おかしく吹聴してそれでお金がもらえるなんて、探偵とは実に素晴らしい商売じゃないか』
「別に……私は……面白おかしくなんて……」
全員の視線を集め、岬岐は俯いた。その瞳がじんわりと滲む。
「私は……順位だとか……高得点を取るために推理してるわけじゃ、ありません」
「探偵さん……」
「やめろ、もう良いじゃないか」
すると、その様子を見かねた関係者たちが声を張り上げた。犯人の田中だった。
「何が順位だ、何が高得点だ。みすみす人が殺されている時点で、ここにいる全員0点じゃないか。そうだろう?」
「田中さん……」
『素晴らしい……見上げた犯人だ!』
おおっ、と審査員席からどよめきが聞こえ、やがて万雷の拍手へと変わった。
『君のような立派な犯人がいれば、日本のミステリーの未来も明るい!』
『今度是非私の映画に出てくれ給え、連絡先は……』
『待て待て、私の大学の講義に出る方が先だ、君はきっと人気が出る……』
重鎮たちが審査員席から飛び降り、犯人に群がり始めた。岬岐はそっとその場を離れた。中の喧騒を扉が隔て、静寂が彼女の体を包み込む。思わずその場にへたり込みそうになる。事件は無事解決した。だけど、この虚しさは一体なんだろう……?
「あの……探偵さん!」
トボトボと薄暗がりの廊下を歩いていると、岬岐を呼び止める声がした。立ち止まると、置き時計の裏から小さな影が飛び出してきた。岬岐の腰ほどの高さの、まだあどけない小さな男の子だ。
「あの……お父さんを殺した犯人を捕まえてくれて、ありがとうございます!」
どうやら殺された被害者の息子のようだった。岬岐は返事ができなかった。彼女が言葉に窮していると、その子は廊下を走って何処かへ行ってしまった。どれくらいそうしていただろうか。その背中を見送り、しばらくその場に突っ立っていた岬岐は、やがてゆっくりと出口に向かって歩き始めた。