名探偵 vs 常識
「教えてください、どうして貴女は愛する旦那さんを……」
つぶらな瞳をスッと細め、探偵が小さくため息をついた。大広間には、大勢の関係者達が集められていた。チロチロと揺れる暖炉の火が、四方の壁に人々の影を映し、ゆったりとスローテンポで踊らせている。今宵の舞踏会の主催者は、嵯峨峰岬岐。爽やかな白いカッターシャツに、淡い水色のスカート。少女は探偵だった。
T県の山奥にある観光施設・通称『殺人館』で起こった惨劇の一部始終。推理は踊り、真実が笑った。すでに舞踏会は終演へと近づいていた。
奇想天外なトリックは白日の元に晒され、後は犯人の動機の告白を待つばかりである。黒のジャージに、黒のジャージ。黒の目出し帽。女は犯人だった。嵯峨峰はキャスケット帽を深く被り直し、目の前で項垂れるジャージ女に、そっと問いかけた。
「どうして旦那さんを殺してしまったのですか?」
「それは……」
「ちょっと!」
重たい口を開きかけた女に、取り囲んでいた観客から鋭い声が飛んだ。
「何貴女、タバコ吸ってんよ!?」
「え?」
「そうよそうよ! ここは禁煙って書いてあるでしょ!? 貴女、一般常識ってものがないの!?」
「あ……ごめんなさい」
女性陣から口々に非難の声が上がる。女は手に持っていたタバコを慌てて灰皿に押し付けた。薄暗い天井に紫煙が薄く広がって行く。白い煙の向こうに、青ざめた犯人の顔がぼんやりと浮かんでいる。少女探偵は改めて女に問いかけた。
「どうして貴方は旦那さんを……」
「君ぃ! その前にだなァ!」
すると今度は、右端にいた老人から罵声が上がった。どうやらこの『殺人館』の管理人のようだ。
「今朝、館の前に駐車違反があった! アレ君だろう!?」
「はぁ……すいません」
「何を考えとるんだ君は。ちゃんと有料駐車場があるんだから。法律違反だろう! いくら犯人だからって、常識を欠いちゃいかんよ、常識を」
「おじいちゃん、あの、今推理中ですから……後で、ね?」
憤る管理人を、岬岐がやっとの思いで押し返し、ようやく犯人へと向き直った。
月は昇り、雲に隠れ、ポツポツと雨が窓を叩き始めている。悲劇の物語は、今まさに佳境を迎えようとしていた。
「何故貴女は旦那さんをあんな目に……」
「キャアアッ!?」
その時、悲鳴が上がった。
「あの人、携帯の電源がオンのままになってる!」
「何だと……あ! ほんとだ!」
犯人が手に持っていたスマホを眺め、人々は驚愕の表情を浮かべた。
「なんてこった! 推理中に電話がかかってきたら、一体どうするつもりなんだよ!?」
「聞き取りにくくなったらどうするの!?」
「オイオイ、彼女には常識ってもんがないのか!?」
「電源は切っておいてください」
これじゃ、話が先に進まない。岬岐が少し苛立ったように先を促した。女は黙ってスマホの電源を切り、改めてがっくりと項垂れた。
「何故貴女は愛する旦那さんを殺したのですか?」
「あの人が……あの人が悪いのよ! あの人が裏切ったの、私に隠れて、裏でこっそり不倫して……」
「え……不倫?」
「そんな……」
大広間はたちまちざわつき出した。
「それだけじゃない。私や娘の誕生日に、あの人は仕事があるからって嘘をついて……挙句、不倫相手と私の部屋で……」
「ああ……そんな!」
女が苦悶の表情を浮かべる。それは聞くだけで耳を塞ぎたくなるような所業であった。嗚咽交じりの告白で、悲劇に至るまでの、様々な家庭のすれ違いが語られて行く。観客達はポケットからハンカチを取り出し、大粒の涙を零し始めた。
「それは、酷いわ!」
「なんて哀しい事件……そんな理由があったなんて!」
「彼女は悪くない、悪いのは殺された旦那の方じゃない、きっとそうだわ」
犯人への哀れみや同情が、波紋のように広がって行く。ようやく犯行を認めた女を前に、岬岐は小さくため息をついた。良かった、私の推理、間違ってなかった……。
「だけど……だけどやっぱり、殺人はいけないことです」
「何よ!」
観客の一人が叫んだ。
「犯罪、犯罪って……彼女だって仕方なくやったのよ! さっき動機を聞いたでしょう!? 彼女は悪くないわ!」
「そうだそうだ! 確かに殺人は悪いことだ、だけど人それぞれ、立場や事情は違うんだから。何もそんな強く責めなくたって良いじゃないか! きちんと理由を聞いてだなァ……」
「全くだ。最近の探偵とやらの、融通の利かなさには辟易するよ」
「そんな……」
非難轟々である。蜂の巣を突いたように、唸り声が部屋を渦巻いた。岬岐は悲しげな顔をして途方に暮れた。殺人を暴いて怒られるなんて、じゃあ一体どうしろと言うのだろう。
犯行を自白した女は、全てを吐き出し、すっきりしたようだ。晴れ渡った顔で、タバコに火を点ける。すかさず観客の一人が怒鳴った。
「オォイッ! 君ィ!! ここは禁煙だと、何遍言ったら分かるんだね!?」
「全くだ。それ、法律違反だぞ! いくら犯人だからって、常識でものを考えたまえ、常識で!」