名探偵 vs ハラスメント
「そう、犯人はこの旅館のご主人、貴方で……」
「ちょっと待ってくれ」
「へ……!?」
新米探偵・嵯峨峰岬岐が、その右手を振り下ろそうとしていた、その時。
目の前にいた男から、突然「待った」が入った。
「な、何ですか……?」
問題の事件は旅館で起こった。犯人の仕掛けた不可解なトリックを鮮やかに解明し、後は肝心の犯人を名指しする、今まさにその瞬間だった。容疑者の男がしかめっ面で呻いた。
「これってハラスメントじゃないですか?」
「はい?」
広間に集まった関係者たちが騒つく。男は岬岐をキッと睨んで反論した。
「いくら探偵だからって、勝手に見知らぬ誰かを犯人と名指しするなんて……それってハラスメントにあたるんじゃないですか?」
「ハラスメント??」
岬岐は右手を振り上げたまま、ぽかんと口を開けた。中央に備え付けられた暖炉の火がパチパチと鳴る。男が頷いた。
「だってそうでしょう? 『犯人ハラスメント』だ、こんなもの!」
「犯人ハラスメントって何ですか?」
「だから人を勝手に犯人だって決め付けて……そんなの精神的苦痛だよ! 『犯ハラ』だ!」
「『犯ハラ』……」
岬岐は目を瞬かせた。この人は一体何を言っているんだろう。
「推理ショーだか何だか知らないけどさ……関係者全員を広間に集めて。みんなの前で、私を犯人扱いしようだなんて! ハラスメント以外の何物でもないよ!」
「そんなこと言われても……」
岬岐は困り顔で腕を下ろした。
「推理って元々そういうものじゃあ……」
「とにかく私は納得できない! 証拠を見せてくれ、証拠を!」
「証拠なら、その凶器についた指紋が……」
「ちょっと待ってくれ」
順を追って説明しようとした岬岐だったが、またしても容疑者から横槍が入った。
「そもそも何でこの花瓶が凶器だって言えるんですか?」
「え? いやだから、その花瓶には被害者の血痕と犯人の指紋が……」
「だからって、まだ正式に凶器って決まった訳じゃないでしょう。これは花瓶っていう、立派な固有名詞があるんだから。それを”凶器”だなんて乱暴な言い方……これは『凶器ハラスメント』ですよ」
「凶器ハラスメント」
「そう。貴女はこの花瓶を無理やり凶器と決め付けているんだ! それこそ探偵の傲慢、『凶ハラ』以外の何物でもない!」
「そんなこと言われても……」
岬岐は困り顔で血の付着した花瓶を見つめた。これを凶器と呼ばずして、一体何と呼べばいいのだろう。
「だってこの花瓶には、犯人の指紋が……」
「貴女、私の指紋を見たことあるんですか?」
「それはさっき確認しました。花瓶に付着した指紋は、貴方のとぴったり合致しています」
「あぁ……」
男は少しがっかりしたように自分の指を見つめた。大方、『指紋ハラスメント』とでも叫ぶつもりだったのだろうか。
「だけど、証拠は他にもあるかもしれない。全てが明らかになる前に、こんなものを証拠だなんて決め付けて、もし犯人の用意したミスリードだったらどうするんだ?」
「え? そうなんですか?」
「いやそうじゃないけどさ」
「じゃあやっぱり貴方が犯人なんじゃないですか!」
「いや違うよ! とにかく私が言いたいのはね、これは『証拠ハラスメント』……いや、『逆・証拠ハラスメント』だよ!」
「まず『証拠ハラスメント』がよく分かりません」
『ハラスメント』と言いたいだけではないのか。岬岐がジロリと男を睨んだ。
「大体、探偵は証拠を探すものでしょ? 事件を解決しないで、他に何をするんですか」
「それこそ探偵に対する偏見、『探偵ハラスメント』だよ。推理小説の中には、事件を解決しないものだってたくさんあるんだから。『探偵はこうあるべきだ』という、探偵に対するハラスメント、いわゆる『探ハラ』……」
「いい加減にしてくださいっ! 人が死んでるんですよっ!」
岬岐はとうとう声を荒らげた。広間がシン……と静まり返った。
「さっきからハラスメントがどうのこうのって……私は謎を解きに来てるんです! 貴方こそ、被害に遭われた方々の気持ちを考えたことあるんですか!?」
「探偵さん……」
「岬岐ちゃん」
男はバツが悪そうにうな垂れた。岬岐の推理を心配そうに見守っていた事件の関係者たちも、溜飲を下げた。岬岐の目に、じんわりと光るものが浮かぶ。その時、推理ショーの様子を見守っていた岬岐の叔父・茂吉がスッと前に出てきた。
「いい加減にしないか、みんな」
「おじさん……」
「そりゃ確かにこの子はまだ、至らない部分があったかもしれない。私も第一話で、セクハラで逮捕されたことがあったかもしれない。だけどそれはそれとして、岬岐ちゃんは事件を解決しようと一所懸命になってるんだから!」
「…………」
「見守ってあげよましょうよ。生きてる限り、不快なことだってたくさんあるんだから。ましてやこんな血なまぐさい殺人事件……ギスギスするのも分かるけれども。なんでもかんでもハラスメントハラスメントじゃ、何にも言えない世の中になっちゃうよ」
「そう、ね……」
「俺も言い過ぎだったかもしれない。ごめんな、探偵さん」
「……自首します、私」
すると、それを見ていた容疑者の男が、がっくりと膝をついた。
「……本当は、言い逃れも色々考えてた。だけど、いざ探偵さんを目の前にしたら、用意していた反論が全部吹っ飛んじゃって……」
男は、泣いていた。
広間の窓からは、橙色の夕日が仄かに差し込む。
「やっぱこう、探偵と犯人の駆け引きって言うか、掛け合いって言うか、そういうのあるじゃないですか。マズイ、これじゃ『推理ショー』にならないと思って。とりあえずハラスメントで押し切れるかなと思っていたんだけど……」
「押し切れたらすごいよ」
「犯人側にも色々葛藤があるのね……」
「とにかく、これで一件落着だ!」
茂吉おじさんはそう言って笑い、隣にいた女性に無理やり抱きついた。
「良かったな、岬岐ちゃん!」
「おじさん……」
岬岐もホッとため息をついた。
こうして、事件の幕が閉じた。翌日の新聞には岬岐の顔写真付きで、解決した事件の詳細と、茂吉おじさんがまたしてもセクハラで逮捕されたと言う記事がきちんと載っていた。




