名探偵 vs 専門家
狭く薄暗い部屋の中。橙色の暖炉の灯が、チロチロと、石造りの壁や天井に集まった人々の影を踊らせる。電灯は消えたままだ。少女探偵・嵯峨峰岬岐が、暗闇を切り裂くように正面の男を指差し、大きな声を張り上げた。
「つまり犯人は……田中さん! 貴方ですね!」
「う……っ!」
田中と呼ばれた男は一瞬声を詰まらせたが、やがてその表情も、黒と橙のコントラストの中に飲まれるように溶けて行った。誰も声を発さない。しばらく沈黙が続き、暗闇の中で泳ぐギラギラと血走った田中の目を、岬岐は逸らさずに射抜き続けた。やがて、彼の唇が、ゆっくりと三日月型に歪んでいった。
「……証拠はあるのか?」
田中の唇からこぼれた言葉には、まだ勝負を諦めていない、そんな色が含まれていた。
「証拠なら……」
「私は『証拠専門家』なんだぞッ!」
「『証拠専門』……?」
ぽかんと口を開けた周囲を見渡して、田中が両手を「バンザイ」の形に大きく広げた。
「そうだッ! どんな事件の証拠だって、私はたちどころに、それが本物か偽物かどうか見極めることができるッ! 探偵サン、アンタの言う証拠って言うのは……ッ」
「私が持っている証拠は、【指紋と血のこびり付いた包丁】ですけど……」
「指紋なんていくらでも偽装できるさァッ!!」
田中が勝ち誇ったように吠えた。
「指紋なんて! 映画でもよくあるだろ、予め誰かの指紋を用意しといて、ソイツに罪を着せる為に偽装するトリックだよ! 誰にだって簡単にできる!」
「そうなの?」
「さあ……」
「私は子供の頃から『初心者証拠入門』をずっと読んでてねェ! 証拠に関しては一家言あるのさ! その返り血だってそうだ!」
田中は岬岐が持っていた透明のビニール袋を取り上げて、暖炉の中に投げ込んだ。
「あぁっ!? 何するんですか!?」
「シッ。ちょっと静かにしててくれ。私は『返り血専門家』でもあるんだよ」
「『返り血専門家』って何ですか?」
「返り血のついたものを燃やすことで、それが本物か偽物か見極めることができる……」
田中は真剣な表情で周りを黙らせ、燃え盛る炎をじっと見つめた。
「んなバカな……」
「オイ。コイツ、証拠を隠滅しようとしてないか?」
「黙って……待って……出たぞ! 結果が出た!」
「それで、結果はどうだったんですか?」
田中がニンマリと笑った。
「結果は……『陰性』だ。残念ながらコイツは証拠にはならない!」
「そりゃならないだろ。お前が今燃やしたんだから」
「フフ……それに、だ。何を隠そう、私は中学の頃『アリバイ部』に所属していた」
「『アリバイ部』」
「今回の事件、確かに私にはアリバイはないが……『アリバイ部』の力を借りれば、そんなものはあっという間に出来上がるだろうな」
「ねえ、彼は罪を自供しているの?」
「それに高校生の時は『動機研究会』。大学では『犯罪心理学』を専攻していたよ。社会人になって、合鍵工場に数年勤めて……他にもあるが……とにかく全ての専門的な見地からして、私は、断じて犯人ではない!!」
田中の叫び声が、部屋中に響き渡った。
「フフ……! 私を犯人だと名指しする以上……何か確たる証拠があるんだろうなァ! 探偵サンさぁ!!」
「いやあの……」
岬岐は少し困った顔で炭になった証拠品を見つめた。
「それを調べるのが、私たちの仕事ですので……」
「続きは署で聞かせてもらおうか」
タイミングよく部屋に入ってきた、二人の屈強な刑事が、高笑いする田中を羽交い締めにした。
「待て、やめッ……離せ! 警察は証拠もなしに、善良なる市民を拘束するのかァ! 実は私は『善人専門家』でもあ」「黙れ! 証拠を暖炉に投げ込む善人がいるか!」
「まずはその話から、ゆっくり聞かせてもらおうかねえ。ナニ、心配するな。私たちは尋問の専門家だから」
「本物の専門分野の力って奴を、じぃっくり、味わわせてやるよォ」
「やめ、離、離せェ! うわぁぁぁぁああッ」
それから田中はパトカーで連行されて行き、数時間後には犯行を認めた。田中は盛りに盛るので、話を聞いているだけでは、奇想天外で大胆不敵、荒唐無稽で難攻不落な大事件に思えるが、なんてことはない、真実はチンケな物盗り失敗譚である。老婆の家に押し入り、しかしおばあちゃんが鉈で襲いかかってきたので慌てて逃げ、その際に自分で自分の指を切って血を流し、それが証拠となって御用となった。この事件のことを、岬岐は、何年経っても思い出す……なんてこともなく、数時間後にはもう忘れた。




