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名探偵 vs PTA

田中蓮十郎(たなかれんじゅうろう)……傷害致死及び連続殺人容疑で、お前を逮捕する!」

「勘弁してくれェ……!」


 銀色に輝く手錠を振りかざした警官の前で、容疑者の男が、声を上ずらせ崩れ落ちた。

 その光景を(はた)から見守りつつ、探偵・嵯峨峰岬岐(さがみねみさき)は、小さくため息を漏らした。岬岐は部屋の壁に寄りかかったまま、ずるずると畳へとずり落ちていった。


 よかった。わたしの推理、間違ってなかった……。

 岬岐は、心の中でそう呟き、額の汗を拭うのだった。


□□□


 新米探偵・岬岐にとって、今回が初めて担当した殺人事件になった。

 今年四月に、探偵事務所に入所したばかり。それまで、大掛かりな事件は、ほぼ全て事務所の先輩探偵が担当していた。新人の岬岐に回ってくるのは、落し物の捜索だとか、不倫の調査だとか……言ってはなんだが身の回りの”小さな事件”がほとんどだった。


 もちろん、探偵と言えど、殺人などの”大事件”を担当するにはそれなりの経歴(キャリア)を積んでいかないといけなかった。それでも、子供の頃から憧れだった探偵業の華……いつの日か新聞の一面をドカドカと飾るような、複雑怪奇なトリックにも挑戦してみたいと、彼女はずっと夢見ていたのだ。


 そして、捜査中の先輩が奇しくもインフルエンザにかかり、回ってきた”天国島”連続殺人事件。

 代わりに探偵役に抜擢されたのが、他ならぬ岬岐だった。他のルーキー探偵たちは、そのほとんどがまだ()で探偵としての体幹作りから鍛えられていて、これほどの大事件に遭遇すらしていない。岬岐が一歩も二歩もリードして、名を上げるにはもってこいの事件だった。

 彼女は興奮と緊張を抑えきれず、ただならぬ意気込みで件の島へと乗り込んで行った。



「大丈夫かあ? こんなヒョロイ探偵で……」

 島に着くなり、集まっていた関係者の一人にそんな悪口を言われたりもした。

 学生上がりに何ができる。

 気がつくと、全員が岬岐を”子供”のように見つめていた。岬岐は背が低いこともあって、昔から子供扱いされることが多かった。ふと辺りを見渡すと、全員の口元に、ニヤニヤと蔑みの笑みが浮かんでいる。白けた空気に飲まれないように、岬岐は慎重にヘリから降りて、大きく息を吸い込んだ。

「皆さん! 私たちは今、殺人鬼と一緒に島に閉じ込められているんですよ!」

 岬岐が叫んだ。

「犯人はこの中にいます! 締まっていきましょう!」


 全員が一瞬押し黙った。そうして、嵯峨峰岬岐(さがみねみさき)の担当する初めての殺人事件が幕を開けた。


□□□


「おめでとう、岬岐ちゃん。いや、嵯峨峰探偵」

「おじさん……」


 事件解決後。

 岬岐が現場で一息ついていると、そばにいた中年男性が、柔らかな笑みを浮かべ近づいてきた。

「はい、りんごジュース」

「わあ……! ありがとう、茂吉(もきち)おじさん」


 岬岐の顔が一気に華やいだ。彼の名は嵯峨峰茂吉(さがみねもきち)。岬岐の叔父だった。岬岐が初めての殺人事件に挑むと聞いて、わざわざ現場まで付き添いでやって来てくれたのだ。

「見事な推理だったね。よくやった」

「そんな、まだまだです! 一度、犯人間違えちゃったし……」

 労いの笑みを浮かべる茂吉に、岬岐は慌てて首を振った。

「それでも、二度目の指名できっちり真犯人を上げただろう。一度の失敗くらい、誰にでもあるさ。さすがだよ」

「もっとがんばります……」


 岬岐は頬を薄紅色に染めながら、パタパタと右手で顔を仰いだ。茂吉は姪っ子をほほ笑ましげに見つめていたが、やがてその表情を引き締めた。

「岬岐ちゃん。だけど、これで満足しちゃいけないよ」

「ええ。分かってます。一流の探偵になるために……新聞に名前が載って、これからが勝負ですよね」

「それもだけど……もう一つ」

「え?」


 岬岐は首をかしげた。すると、茂吉の視線の先に、現場に向かって来る大勢の人影が見えた。

「ああ……ホラ。来たよ」

「……マスコミ? ですか?」

「いいや」

 茂吉が少し苦々しげに言葉を吐き捨てた。

「PTAだ」

「はい?」


 PTA?

 凄惨な事件現場に、なぜPTAが来るのだろう。訳が分からず、岬岐が疑問を口にしようとした、その時だった。

「ちょっと!」

 ドカドカと土足で現場に踏み込んで来た中年女性が、血まみれの畳を見るなり、金切り声を上げた。


「どうなってるのよッ!? なにこの血ッ!」

 その様子に岬岐は驚いて、やって来た四、五名の集団を見上げた。


「人を続けざまに殺すだなんて……全く最近の老いた者はッ!」

「こんなの恥ずかしくって、他所様に見せられないわ!」

「担当者は誰なの!?」


「気をつけろ、岬岐ちゃん。あいつらに目をつけられたら、下手したら新聞デビューさえ怪しくなるぞ……」

「え……ええッ!?」

 茂吉が岬岐に顔を寄せこっそり耳打ちした。驚いて目を丸くしているうちに、PTAが岬岐を取り囲んだ。


「あなたね!?」

 中年女性が岬岐を指差して叫んだ。岬岐は、思わず肩をすくめ身を縮こまらせた。

「あ……あの……」

「あなたが担当者ねッ!?」

「あなたが担当の探偵さんねッ!?」

「あの……えっと……」

「あらやだ! まだお若いのね」

「まだお若いのに殺人事件の担当だなんて!」

「あらやだ!」

「あらやだ!」

「…………」


 その勢いに、岬岐は思わず閉口した。

 ケバケバしいスーツをビシッと身に纏ったおばちゃんたちが、四方八方から矢継ぎ早に金切り声を飛ばして来る。岬岐が一言喋る間に、四、五人が一斉にがなり立てるものだから、煩くてしょうがない。会話のキャッチボールと言うより、ガトリングショットを浴びている気分だった。岬岐の右にいたパンチパーマが叫んだ。


「信じられないわッ!!」

「そうよ! 信じられない!」

「信じられなァい!!」

「え!? え……っと、何が……」

「はあ!? だったらあなたは信じられるの!?」

「だから何が……」

「それこそ信じられないわ!」

 岬岐の左にいたお団子が大げさに天井を仰いだ。

「殺人事件だなんてッ! 【子供に悪影響】でしょうッ!!」

「こ、子供……?」

 ぽかんと口を開ける岬岐の周りで、他のPTAのみなさんがそうよそうよ、と騒ぎ立てた。

「こんなに血を流して……」

「【危ない】ったらありゃしない」

「うちの子が【真似】したらどうするの!?」

「そしたら誰が【責任】取るのよ!? 少なくとも、私たちじゃないわ!」

「そうよね!?」

「ね〜え!?」

「…………」


 PTA全員が顔を合わせて頷き合った。会話の集中砲火を浴び、岬岐は次第に頭がクラクラとし始めた。 

「今すぐ殺人事件を中止してちょうだいッ!」

「そんな無茶な……」

「できないなら一刻も早く、この事件を隠蔽すべきよ」

「ええ!?」

 岬岐は顔面を蒼白にした。このままでは、自分の解決した初めての殺人事件が、誰にも知られることなく潰されてしまう。

「そんな……!」

「だってそうでしょう!? 内容が悲惨すぎるんですもの! こんなのがお茶の間に流れたら、悪影響にもほどがあるわ!」

「おい、もうやめないか」


 なおもエスカレートしていくPTAに、岬岐の隣にいた茂吉が助け舟を出した。

「この子の初陣なんだ。せっかくの船出を祝ってやれよ」

「あらやだ! 誰このオッサン!?」

 すると、PTAは鋭い視線を茂吉に飛ばし、今度は彼に噛み付いた。茂吉がガクッと肩を落とした。


「オッサ……あんたらだって、いい歳したオバさんじゃないか!」

「きゃあああ! 聞いた!? 聞いた!?」

「セクハラよオオオオ!! セクハラ!!」

「リアルタイムセクシャルハラスメントッ!!」

「最ッ低!! 自分だってオッサンのくせに、人をオバさん呼ばわりだなんて!」

「きゃああああああ!!」

「逮捕してえ! 誰かこのオッサンを逮捕してぇ!!」

「いい加減にしろッ!」

「うるさいわねッ!!」


 般若の形相で怒鳴る茂吉に、負けない勢いで、眼鏡の中年女性が顔の皺をブルドッグのように歪ませて叫んだ。

「何が船出よ!! 人の生き死にを面白おかしく商売にして、恥ずかしくないのかしら!?」

 その勢いに、さすがに茂吉も押し黙ってしまった。


「全く、これだから探偵ってやつは……」 

「万が一こんな事件を報道して、うちの子が探偵になりたいとか言いだしたら、一体どう責任取ってくれるのかしら」

「悪影響ね」

「即刻潰すべきね」

「それがいいわ」

「待ってください」

 会話の雨を遮るように、岬岐が静かに立ち上がった。PTAたちが怪訝な表情を見せた。


「何? 何か文句でもあるわけ? 探偵ごときが……」

「確かに、私たちは事件を解決してお金をもらっています。それに、おじさんはちょっとセクハラだったかもしれません」

「岬岐ちゃん……」

 真っ直ぐな目を見せる岬岐に、茂吉が少し悲しげな顔を浮かべた。


「でも、決して面白おかしく事件に向かっているわけではありません。被害者の無念を晴らすため……裏でほくそ笑んでいる真犯人を捕まえるために、一所懸命事件を解いているんです」

「あらやだ」

「口では上手いこと言って。どうせあなたも新聞にデカデカと載って、有名になってお金がたっぷり欲しいだけでしょう!?」

「そんなの、もういらないです!」

「え!?」

「私だって……まだまだ未熟だけど……。それでも事件を憎む気持ちはあなた方と変わらないんです。だから……!!」

「…………」


 自分の憧れた探偵を、悪く言わないで欲しい。


 だけどそれ以上、岬岐の口から言葉は出てこなかった。黙って俯く彼女のその姿に、現場はしばらくシン……と静まり返った。PTAの集団も、茂吉も、黙って岬岐を見つめた。


「……わかったわ」


 静寂の中、やがてPTAの一人がポツリと言葉をこぼした。

「え!?」

 岬岐は顔を上げた。PTAが、少し罰が悪そうに岬岐を見つめた。

「悪かったわ……ちょっと私たちも、過激になりすぎたかも」

「そうね」

「やりすぎだったわ」

「反省するわ」

「そうね。事件をきちんと報道することで、少しでも抑止につながるかもしれないわね。そして、それを必死に解決しようとしていた人が、ちゃんと裏にいたことも……」

「皆さん……!」

「フフ。私にも、ちょうどあなたと同じくらいの娘がいるの。だから、ね? もう泣かないで、探偵さん」

「……!」


 慈愛の笑みを浮かべるPTAに、茂吉が渋い表情で割って入った。

「じゃあ、この事件はきちんと報道させてもらえるんだな?」

「……ええ。良いわよ」

 仕方ないわね、と言った顔でPTAの一人が頷いた。茂吉が岬岐を振り返って叫んだ。

「良かったな、岬岐ちゃん!」

「うん……ありがとう、おじさん!」


 岬岐が、事件を解決してからようやく笑みを溢した。


 こうして、探偵・嵯峨峰岬岐が担当する初めての殺人事件が幕を閉じた。翌日の新聞には、岬岐の顔写真付きで解決した事件の詳細と、茂吉おじさんがセクハラで逮捕されたと言う記事がきちんと載っていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >大事件を担当するにはキャリアが必要 >初めての殺人事件 犯人との壮絶な戦いが始まる予感…… と思いきや、まさかのギャグ! 思わぬモンスター(PTA)が潜んでいましたね。 ラストのオ…
[良い点] 面白すぎる(笑) 論点のずれてる会話が最高に面白いです。 [気になる点] タイトルでなんでPTA?って思いましたが、 そうですよね、そりゃ、PTAが黙ってませんよね(笑) [一言] 茂吉…
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