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映画が佳境を迎え始めたころに、服を着た桃花がリビングにやってきて、いつものように玲奈の隣へちょこんと腰かけた。玲奈は目線をテレビから話さないまま、桃花の肩を抱き寄せ、左手で彼女の髪を優しくなでる。桃花は頭を少し高い位置にある玲奈の方にもたれかけ、同じようにテレビの画面を見つめ続けた。彼女が玲奈と同じように大人向けの映画を楽しんでいるかは不明だったし、仮に面白いと思っていても、彼女はそれを玲奈と拓人に伝えることができなかった。一度、拓人が気を利かせて、子供向けのアニメ映画を見せてみても、彼女の表情に少しの変化もなかった。拓人と玲奈が楽しかったと聞くと、こくんと頷いていせるのだが、それが本心からなのかそれとも二人に気を使ってのものなのかの判断は二人にはできなかった。
「次は何を観ようか」
映画のラスト、主人公と宿敵が対峙する場面で、玲奈は拓人に問いかけた。
「もう僕は帰りますよ。帰ってからやることあるんで」
「何? やることって?」
やること、という聞きなれない言葉に反応し、玲奈は初めてテレビの画面から目を離し、拓人の方へ顔を向けた。
「来週からからバギーで旅行に出かけるつもりなんですよ。だからその田辺さんにお願いして車の整備をしてもらうんです」
玲奈はその答えに眉をひそめる。
「また仙台か宇都宮に行って、物資を調達しに行くの? 数年前の大掛かりな調達で、もう死ぬまで食料やら何やらに困らなくなったのに?」
「だから、調達じゃなくて、旅ですって」
玲奈の混乱はさらに深まった。その態度を察した拓人はさらに説明を続けた。
「なんていうかな、本当に何の目的もない旅です。ただ車に乗って、コミュニティの外を見て回りたいっていうか……」
「拓人君も数年前の調達に参加してたし、その時に色々な所みてきたじゃない。それじゃ物足りなかったの?」
玲奈の指摘に拓人はすぐに返事を返すことができなかった。会話が途切れ、映画の音声だけがリビングに響き渡る。桃花は我関せずという意思を表すように、二人の方を見ることなく、ただただテレビ画面を見つめていた。そして、映画がラストシーンを終え、エンドロールが始まった時にようやく拓人は口を開いた。
「なんというかな。そういう目的がある旅じゃなくて、あてもない旅をしてみたいんです。もちろん、何も期待していないって言ったらうそになりますけど、とにかく旅でもしてみたら何か起こるんじゃないかって気がするんです。それがいいことなのか、悪いことなのか、あるいは意味あることなのか、意味のないことなのかは別にして」
玲奈はソファから立ち上がり、リモコンで停止ボタンを押しながら、テレビのレコーダーへと近づいて行った。肩に頭をもたれかけていた桃花はそのまま倒れるようにしてベッドに横になった。けれども、目を閉じることなく、そのくりくりとした大きな瞳は画面に映し出された演者の名前にくぎ付けになったままだった。
「自分探しの旅とかっていうつもりじゃないよね?」
「いや、もしかしたらそれに近いのかもしれない」
玲奈は拓人の顔を見て、呆れた表情を浮かべる。
「やめてよ、こっちが恥ずかしくなっちゃう」
「そっちが先に言い出したんじゃないですか」
拓人は笑いながらそういい、しかし、次には真剣な表情に変わって言葉を続けた。
「確かに笑われるようなことかもしれないですけど、それでも思いついたことはできるだけやっておきたいんです。何が意味のあることなのかなんてわかりやしませんけど、そうだと少しでも思えるようなことをしたいんです。そうじゃないと、何だかいてもたってもいられなくて」
拓人の真剣なまなざしに応えるように玲奈はその言葉にじっと耳をかたむけた。自分より若く、しかも、この時代においてもなお未来を無邪気に信じることのできる彼のことを、彼女は心の奥で理解していたからだ。
「そう。わかった。拓人くんがそういうんなら、好きにしたら。別に犯罪を犯しているわけでもないし、止める理由もないんだから。でもね」
玲奈の目の奥に、少しだけ彼女特有のニヒリズムが戻る。
「正直馬鹿なんじゃないかってのも思うの。何回も言っているように、この時代に、何が意味あることで、何が意味のないことなのかって疑問に思うことは、ワンピース姿で雪山に登るくらい危険で愚かなことだって私は考えているから」
またそれですか、と拓人は肩を落とす。
「十分に考えてからの行動ですし、玲奈さんならそういうんだろうなっていうのもわかってましたよ。それでも、行きます。別に危険な場所に出かけるってわけじゃないですから」
拓人の言う通り、車に乗って出かけること自体は特段危険を伴うものではなかった。実際、彼以外にも自転車、バイクを使って遠出をするものはいたし、彼らが旅に出たまま消息不明になったという話も今まで存在しない。それでも、彼らは得てして、大戦前から旅行を趣味としていたものがほとんどであり、拓人のように新しい趣味として旅行を行うということは珍しいことだった。